第十九話「道が無いなら作れば良い」
無限迷宮9階層を一瞬にして通り抜けた神保たちは、いともやたすく10階層へと続く階段までたどり着いた。
アキハは階段そばに落ちている小さな魔石を拾い集めては、神保の身体に宛てがい魔力を補給する。
運動後にスポーツドリンクを飲むような感覚であり、神保の疲れは少々癒された。
「ありがとう、アキハ」
「大丈夫だけど、もうあまり使っちゃダメだよ?」
神保の魔術才能は完璧だ。
背中からビームを出しながら衝撃波で進むなんてことは、一流の魔術師でも不可能だろう。
ましてや今回は彼自身で空気圧を受け流す魔術も使っていた。
体内魔力が桁違いなため、回廊1階層分くらいなら身体への負担はほとんど無いだろうが、アキハとしては神保が心配でたまらなかった。
自分たちを守るためには彼自身の心身を削ってでも助けてくれる。
そんな神保が心配だったのだ。
「それにしてもこれでまだ10階層かぁ……」
「普通に考えて最下層まで行くのは無理じゃないかな」
アキハとエーリンが床に座って休んでいる間、神保は10階層への階段と壁を撫でたりコンコンと叩いてみたりした。
「神保君、何やってんの?」
「いや、ここから先は――」
「一方通行だぁ!」
「壁とかの硬さが違うなぁ……って」
ボケをガン無視されてシュンとしたアキハは置いておき、神保はこの中で一番迷宮に詳しい淫魔エーリンに問いてみる。
「ここって何かあるのか?」
「とくに何も無いけど――何ていうかな、壁が少し薄くなってるんだと思うよ」
神保は壁を撫でながら少しずつ階段を降りていく。
「壁が?」
「床もかな? 迷宮ネズミとかが繁殖してるのかもしれないけど、あまりそういうことには詳しく無いんだ」
「迷宮ネズミって何ですか?」
「土を掘って生活する迷宮に棲みつくネズミだよ」
――元の世界で言うところのモグラのような生物である。
「疲れたー……」
浮遊魔術を使っていたアキハにも疲れが溜まり、ら○☆すたのこ○たのように目を線にして座り込む。
神保は時折頷きながら階段を登り、9階層の出口で待つ二人に手招きした。
「近道を見つけた。二人とも、急ごう」
「近道?」
先に階段を降り始めたエーリンが神保の腕に抱きつき、それを見たアキハはムッとしてエーリンと神保を追いかける。
「迷宮に近道なんてあるの?」
アキハも神保に追いつき、もう片方の腕を抱きしめる。
両手に花とはこのことだ。
――無限迷宮10階層。
音をたてるものが無く、真夜中のように静かな回廊は三人の足音のみを響かせる。
神保は壁や床を叩きながら、何かを理解したような表情を浮かべて静かに頷く。
そして突然止まると、アキハとエーリンに彼自身にしがみつくように促す。
「アキハ、エーリン。しっかり掴まっててね」
「ねぇ、何するの?」
神保は「すぅ……」と深呼吸して口元をギュッと結ぶ。
目は前髪に隠れているのでどういう表情をしているのかは分からないが、しっかりと閉じた唇が、何らかの覚悟を決めた表情をしているということを物語っている。
神保のその表情を眺めていると、エーリンの脳裏に一つの解答が思い浮かんだ。
「まさか! 神保、それだけはダメ! 迷宮が壊れ――」
「俺は加速する!」
勇者秋葉神保は己の拳を一気に振り上げると、無限迷宮10階層の床に向かってその拳を振り下ろした。
拳が地面に触れると同時に腕を伝わり魔力が宿る。
そのまま紫色に光った拳が床に穴を開けた瞬間――
神保の背中――毛穴という毛穴から無数の加速魔術が発射され、無限迷宮を縦に直進していった。
◇
――無限迷宮15階層。
歴戦を勝ち抜いた伝説の冒険者アックスは、共に戦った大切な戦友であるレータスとクリーフを連れて無限迷宮踏破を目指して足を進めていた。
巨大斧のアックス。
大槍のレータス。
大賢者クリーフ。
割と平和なロキス国とは違い、魔物がはびこるゴーストタウンなどに現れては魔物を討伐する。
古代龍が出たと聞けばすぐさま駆けつけ追い払い、龍神が現れたと聞けば三人のぴったり合った息で撃墜させる。
この世界で起こった難しい依頼をこなしては無償で帰って行くという、まさに伝説の冒険者。
巷では異世界からの転生者ではないかなどといった噂が流れているが、れっきとしたこの世界の生まれである。
巨大斧一発で岩をも砕くアックス。
大槍一突きで城壁をも壊滅させるレータス。
この世の全てを知るというクリーフ。
三人は無敵の冒険者であった。
「クリーフよ。この迷宮の最深部までたどり着くのに、あと何日ほどかかるのだ?」
大口を開けてガハガハと笑うアックスの問いに、クリーフは自身の水晶に何かを映して確認する。
「えーと。あと――」
そこまで言ったときである。
「ん? この音は何だ」
レータスが大槍を壁に当てて耳を澄ませた。
何かが聞こえる。
土や岩石が壊れるような地響きが。
「どうしたのだレータスよ。別階層を歩いている誰かの足音ではないのか?」
「いや、もっと大きな音だ。ドリルのような物で、穴でも掘っているような音だ」
クリーフは水晶を青く光らせ、何かを検索する。
「迷宮ネズミの中には人間ほどの大きさになる種もあるようだ。多分その音だろう」
「崩れないか?」
クリーフは真剣な眼差しで応える。
「何千年も昔から今まで壊れなかった迷宮だ。ちょっとやそっと穴を開けたくらいで壊れるはずが――」
クリーフの言葉が終わるより先に、突然無限迷宮15階層の天井に穴が空いた。
そして三人の前を光り輝く“何か”が一瞬で通り過ぎ、そのまま床にも穴を開けてその光の塊は姿を消し、三人の残像として視界に残っていた。
残された三人はパラパラとこぼれ落ちる天井の破片を眺め、茫然と立ち尽くしている。
「あ……あれは何なんだ!」
真っ赤な顔に太陽のような口ひげを生やし、張飛翼徳のような豪傑であるアックスでさえ、思わず身震いしてしまうような光景であった。
アックスの太い腕の筋肉がガタガタと震え、渾身の一撃を壁に食らわせる。
「でぇぃやぁ!」
迷宮全体が揺れるような地響きの後、迷宮は平然と無傷な壁を晒していた。
豪傑アックスの拳でさえも壁に傷一つつけることができない。
レータスが彼自身の大槍で、たった今開けられた謎の穴をなぞってみたが、彼は思う。
自分が全力で放った槍攻撃より精密かつ豪快である。
「レータスなら……穴を開けることはできるよな?」
ザ・ワー○ドを初めて見たときのポル○レフのような表情をしたアックスが、震える身体を押さえながらレータスに問う。
「私の槍ならばこれしきの穴、朝飯前だ」
「うむ、なら問題は無い。我らを超える者があってはならない。ワシたちは伝説なのだからな」
「だが……」
ピクピクと震えるこめかみを摩りながらレータスは床に空いた穴を眺める。
「私の槍ならどう頑張っても貫ける床は一つだけでしょう。見てごらんなさい」
レータスの指差す穴の中をアックスとクリーフが覗き込んだ。
「これは……」
「何てことだ」
15階層の床の穴から見える16階層。
穴から確認できる範囲で16階層の床に穴が空いている。
それより先を視覚的に認識することは不可能ではあるが、確認するまでも無いことだった。
「奴は……何だか分からない“奴”は……軌道を乱すこと無く複数の床を貫いているのだ」
アックスとクリーフは、今までの戦いでここまで怯えたことは無かった。
だが今二人が怯えているのは、得体の知れない何かが迷宮を通過して行ったからでは無い。
先程からレータスのこめかみの動きが激しくなり、膝がカクカクと震えているからであり、レータスは今までの冒険でもここまで怒りを露わにしたことは無かった。
「レータス、とりあえず落ち着け! 落ち着くのだ」
「レータス。ここで焦っても怒っても何も変わりません、心を静めるのです」
「ぐぅぅぉぉあぁぁぁぁぁおあおぁぁ!」
レータスの怒号のような雄叫びは、神保により開けられた穴を伝わり迷宮全体に響き渡ったという。
◇
――無限迷宮30階層。
高等老魔術師であるフリーゼンは、自らの弟子である数人の高等魔術師を連れて無限迷宮踏破の旅をしていた。
転移魔法を使わせればこの世界で最高等であるとの呼び名も高いフリーゼンは、数回の転移魔法を繰り返して、あっという間に迷宮踏破パーティ最前線までたどり着いていた。
「老師フリーゼン様、そろそろ次の転移を行いましょう」
「うむ。そうだな」
禿げ上がった頭に縦長の顔。
真っ白な眉毛と長いヒゲも相まって、第一印象は仙人という見た目をしたフリーゼンは、弟子たちの前で地面に魔法陣を描き始める。
アキハの転移魔術などとは比べ物にならないほどの距離と性格さを誇る魔術であり、フリーゼンを超える転移魔術師はこの後も現れないだろうと言われていた。
フリーゼンは魔法陣を完成させ、数人の弟子とともに魔法陣の上に乗ると、全員と向かい合い軽く一礼する。
「それでは31階層への転移を行う。魔法陣に向かって皆で魔術を――」
まで行ったところだった。
突然目の前の床天井に穴が開き、光り輝く“何か”が一瞬だけ視界を通り抜けた。
まるで稲妻が落ちたのではないかと思うほどの強く激しい閃光。
フリーゼン含む高等魔術師御一行様は、地面に空いた穴を茫然としばらく眺めて
いたが、突然フリーゼンが大笑いした。
「カッハッハ……。この穴を通ればすぐに降りられるではないか」
震えていた。
笑っているものの、さっきまでの落ち着いたフリーゼンの姿は無く。
水戸黄門のような白髪のお爺さんは立ったまま笑い――そのまま口を開けたまま動かなくなった。
「老師!」
「老師ーっ!」
「フリーゼン先生!」
長であるフリーゼンがショックで動けなくなり、高等魔術師踏破隊リタイアのお知らせがギルドに提出された。
◇
――無限迷宮25万3147階層。
神保の魔術に包まれた拳が無限迷宮最深部の床を叩いた。
無限とは言葉だけであり、25万3147階層で終了しているらしい。
地面に埋まっていた魔石は全て粉々に粉砕され、1000階層辺りから現れていたボス魔族などは脳天からの拳の直撃により残らず殲滅された。
そして神保の拳には数千体のボス魔族の魔力が吸収され、日本の桁数では計り知れないほどの魔力が蓄積されていた。
「ここが最深部か」
「「こ、怖かった……」」
神保のビーム加速には慣れたつもりだったアキハだが、上下と左右は違うということを身体で思い知らされた。
普段は平面上を突っ走るだけだが、今回は地面を砕きながらどんどん下降して行ったのだ。
何度も何度もあと少しで激突するという恐怖を味わい、アキハとエーリンは脚をカクカクと痙攣させながら神保の肩に掴まっている。
当の本人である神保は平然としている。
車を運転している人は酔わないと聞いた事があるが、まさにそれらしい。
きっと運転手なら数百キロ出しても怖くないんだろう。
「ディア○ロの気持ちがよ~く分かったわ……」
「同感ね、私も今同じことを言おうと思ってたところよ」
有り余る魔力で作り出した小さな灯を頼りに、神保たち三人は無限迷宮最下層をゆっくりと歩み進める。
地面も今までのとは違い、しっかりと衝撃を吸収する柔らかな土であった。
踏みしめても足跡は付かないものの、足音は一切響かず。
魔力で作られた灯をかざしても数メートル先を視覚で認識することは不可能であり、どこから何が襲ってくるかも分からない真っ暗な迷宮最下層を、三人は肩を寄せ合い歩いている。
「ん?」
神保が不意に立ち止まりしゃがみ込むと、地面の砂を手に取りサラサラと撒いた。
「風が吹いている……」
「風?」
「風が騒がしいわ……」
「迷宮の最下層に風が吹いているんだ」
ガン無視されたアキハは「ぷくぅ」と頬を膨らましてそっぽを向く。
神保も真性のオタクなのに、どうしてこういう時ばかり真面目ぶっちゃうのか。
淫魔エーリンは裸メイド服のスカートをピラりとめくり、恍惚とした表情を浮かべる。
「本当……気持ちいいわ」
「奥から吹いているらしいけど、ここって地下だよな?」
「空気穴を通せるような深さじゃ無いからね、龍神様か何かが呼吸でもしてるんじゃないの?」
そっぽを向いていたアキハが『それなら知ってる!』とでも言うような輝かしい
ほどのドヤ顔笑顔を見せて答える。
「これだから淫魔さんは……あのねぇ、空気が無い場所でどうやって呼吸するのよ」
アキハの力説にほか二名は唖然とした表情で固まる。
天然なのか真性のおバカさんなのか。心の底からアキハのことを心配するような
情けない物を見るような顔である。
「な、何よ……」
流石に二人の妙な表情に気づいたアキハは身構えながら後ずさりする。
死んだ魚のような目とはこのことだろう。
口も半開きのまま「はぁ?」とでも言ったまま、まるでメデューサにでも睨まれたかのように行動を停止しているのだ。
流石にバカにされていることに気がついたアキハは、文字通りゆでダコのように顔を真っ赤にさせて神保に食らいつく。
「何よ! 言いたいことがあるならはっきり言ってちょうだい、不愉快だわ」
神保と淫魔エーリンは互いの顔を見合ってから「フッ」と鼻で笑った。
「あのなぁアキハよ。この世界の生物が生きるのに必要なものとは何だ?」
淫魔エーリンのパーフェクトせいかつ教室の始まりである。
幼稚園児でも答えられるような問いに、アキハは不機嫌そうな顔のまま答えた。
「水と空気と食べ物よ」
「そうだな、正解だ。では何故アキハはあんなことを言ったのだ?」
アキハにはその問いの意味することが解らない。
彼女は別に人に笑われるようなことを言った覚えも無く――
「風が騒がしい……ってこと?」
せいかつ教室教師エーリンは「フーやれやれ」と肩をすくめた。
「あなたさっき『空気が無いのにどうやって呼吸するの』って言ったでしょ?」
「言ったわよ。だってここは迷宮の最下層よ? ここまで空気が来るはずが――あれ?」
アキハは自分の言っていることの矛盾にようやく気がつき、頭でお湯を沸かすことができそうな程顔を真っ赤に染め上げた。
「揚げ足取りぃ……」
「空気が無かったら、私たち死んでるわ」
淫魔教師エーリンの追い討ちを受けてさらに小さくなるアキハ。
迷宮の最下層という陰気な環境に可愛らしい笑い声が染み渡り、先程まで三人を包み込んでいた重苦しい空気が薄れて、若干気の重みが軽くなった。
しばらく笑い合い、精神的にも安定した三人は顔を見合わせ合うと。
甲子園初出場校の団員が団結の意を示し、これからの戦いに全力と期待をこめるかのように、真剣な表情でお互いの顔を見合い頷き合う。
「いざ。最深部へ!」
三人の友情と結束が固く結び直された。




