第十七話「迷宮内で過ごす夜」
迷宮の隅っこに陣地を取りテントを張る。
アキハのポケットに仕舞われていたテントはかなり頑丈で、しかもご丁寧に鍵までついているのだ。
外部からの侵入者を防ぐために作られた頑丈な設計であり。
魔物の行き交う森の中でも欲求の溜まったオークの住処のそばでも安心して眠れる、まさに迷宮探検には必須のレジャーアイテムである。
ただどうあがいてもレジャーアイテムの域は脱せないので、顔が二つ以上ある獰猛なケルベロスや、村を一つ焼き焦がすようなドラゴンから身を守ることは不可能だが。
迷宮の8階層目に現れるようなモンスターや、金品を漁りに来る盗賊団が持つような武器では、決して破られることは無いだろう。
魔術が発達した世の中では、やはりそういうところはキチッと進歩しているのである。
「はぁ……暑い暑い~」
淫魔エーリンはとくに何かを気にすることなく、まるで自分の家のように、メイドなお洋服を脱ぎ捨ててテント内に身体を投げ出した。
気持ちよさそうに顔を赤らめながらセクシーな肉体を披露していると、無言のままアキハがやってきて、表情ひとつ変えずエーリンの身体にバサリと毛布をかけた。
「何するのよ。暑いじゃない」
「暑くありません! 神保君困ってるじゃ無いですか」
神保はテントの隅っこで縮こまっている。
エーリンはその様子をチラリと一瞥し、自身の幸せな露出タイムを邪魔した張本人に反論する。
「淫魔は基礎体温が高いうえに発汗機能があまり発達して無いのよ。だから冬に裸でも平気だけど、こうムシムシした空間では凄く暑いの」
「だからって男の子の前で全裸になることの理由にはなりません!」
何故こうもエーリンに服を着ろと言うのか。
それは別にアキハが真面目さんでパーティ内の風紀を乱したくないからとか、そういうキッチリした理由などでは無く。
単に自身が適わないエロエロボディで神保を誘惑して欲しく無いだけである。
とくにせっかく一番の好敵手である萌がいない夜。
そして閉め切った暗い場所という、男の子が一番欲求を溜め込みやすい環境。
アキハとしては、この迷宮宿泊の期間中に神保を自分のものにしなければならないのだ。
それともう一つ。
アキハのちょっとした誤解とズレた知識によるものなのだが、アキハは男の子という生物は、数日間欲求を溜めると誰でも良いから欲求を発散したくなると思い込んでいる。
一応腐女子アキハにも常識はあり、あんなにイケメンな男の子が同じく美少年な男の子と現実で恋に落ちるなどと思ったことは無い。
だが逆に、男の子にも実はそういう願望があるのではないかと、ひきこもり少女アキハは考えたのだ。
でも現実で、男の子が男の子とそういう関係になったところを彼女は見たことが無かった。
だとしたら、何か特別な儀式をすれば『男の子×男の子』な楽園を拝めるのではないかと考え、部屋の中で怪しい魔術を焚き込み、三日三晩性的な欲求に捕らわれてしまったこともあった。
その経験で学んだこと。
男の子も欲求が溜まりに溜まると、同性にでも惹かれてしまうのではないか。
萌の姉と非常に話の合いそうな魔術師アキハは、そういった結論にたどり着いたのである。
――黒歴史だが、アキハはその妙な魔術に捕らわれた期間。あろうことか自分の写真にも欲情してしまっていた。
長い長い討論の結果。
とうとう淫魔エーリンはアキハにねじ込まれてしまった。
元々全裸か服を着るかという問題であり、常識的な範囲内ではアキハが優勢だったので仕方ないと言えば仕方が無いのだが。
淫魔エーリンは脱衣したメイド服を渋々と着なおした。
「ところでシャワー無いの?」
懲りない淫魔である。
テント内で水を使うわけにもいかないし、たとえ水が出るとしてもテントの外で淫魔が色っぽくシャワーなんて浴びていたら、絶対他の冒険者たちに襲われること間違い無しである。
彼女も一応は魔王なので戦闘能力は決して低くは無いのだが、流石に数人の屈強な冒険者や盗賊団に囲まれれば勝ち目は無いだろう。
右手が神レベルな不幸高校生でも数人に囲まれたら逃げると言っている。
「無いです。我慢してください」
「脱衣もシャワーもダメなの? 淫魔が汗かくとヤバイよ」
エーリンはちょっぴり脅してみたが、アキハは頑として聞き入れなかった。
だがここでアキハに楯突くことの出来る者はいない。
たとえ神保であってもである。
なにせ大半の生活用品は全てアキハが持ち歩いているので、ここでアキハの機嫌を損なえばたちまちこれ以上進めなくなってしまう。
緊急避難用瞬間回路があるので、迷宮内に閉じ込められるという自体にはならないのだが。
ここまでの冒険が全くの無意味となるのは、いささか回避したい事象である。
◇
三人並んでのテント生活。
淫魔エーリンと魔術師アキハに挟まれながらの夜。
川の字と言うよりは『小』の字である。
普通の男の子ならもういろいろと興奮しちゃって、ドキドキして眠れないのではないかと思うのだが。
唯一の男の子である秋葉神保は、何事も無いように平然と寝ている。
まるで女の子なんて屁でも無いぜ! とでも言われているようで、エーリンとアキハはちょっぴり神保のことを幻滅する。
見た感じから女の子とのこういう時間に絶対慣れていないような風貌なのに、隣で女の子が寝てても普通に寝られるとか、そんなオカルトありえません。
「神保……神保ぉ……」
寝ぶくろから顔だけを出したエーリンが神保の耳元で甘い声を囁く。
だが無反応である。
「もう諦めて寝なよ……。私は先に寝るよ、おやすみ」
アキハはゴロンと転がって寝息をたて始める。
もちろん演技だ。
エーリンが神保を起こせたらそこで偶然起きた素振りを見せて、そこからは人に言えない甘々シチュエーション。
一番の外壁である萌がいない今、神保を狙うヒロインたちは己の欲望に誠実だった。
そして迎えるうしみつどき。
夕方から寝たために夜中に目が覚めた勇者神保は、寝袋のチャックを開けてブルっと身震いする。
彼は忘れていたのだ。
この世界の住人はどうなのか知らないが、人間として絶対に我慢することのできない生理現象があるということを。
「……トイレどこですればいいんだ」
誰が作ったかも分からない迷宮に、ご丁寧にトイレが完備されているはずも無い。
ましてや流石のアキハでも、簡易トイレを持ってくるはずは無いだろう。
とりあえずどこか『する所』さえあれば、少々汚いが炎系の魔術で蒸発させたり燃やし尽くすことは可能なので、臭いや衛生面での問題は回避できる。
それはどうでもいい。
問題はその前だ。
流石にもう、ここ8階層まで進んできた勇者たちはいるだろう。
中には女勇者とか女性冒険者もいるはずである。
そんな人たちがいつ通るか分からない場所で用を足すなんてこと、平凡な男子高校生にできるはずが無い。
そんなことができるなら、世界中のトイレにドアが必要無くなる。
『開放的で素晴らしいですわ!』とでも言える人なら良いんだろうけど、あいにく彼は純情純粋な男の子。
露出癖などは全く無い、普通――では無いが一応純正な男子高校生である。
「アキハ……アキハ?」
衝立かカーテンのような物を持っていないかアキハに聞こうと声をかけたのだが、何故かアキハは充血しきった目をギロギロと動かしていた。
「あー、うー」
言葉にも脈絡どころか意味を成さないうめき声を発するだけ。
女の子に言うべき言葉では無いのだろうが、はっきり言って『こ○はゾンビですか?』である。
何となく恐ろしい光景を見てしまった彼は、不本意ながらも反対側に眠る淫魔エーリンの身体を揺さぶる。
少々危険だがこの際仕方が無い。
魔術で壁を作ってもらい、その間にしてしまおうと思ったのである。
自身で壁を作りながら行うことも可能ではあるが、どうせならこっちに集中したいので、なるべく余計な魔術を使いたく無い。
魔術を使用するには別の集中力が必要だ。他のことをしながら魔術を使うなんて器用な事は不可能だ。
便座に座りながら『紙に綺麗な渦巻きを描け』とでも言われているような物である。
それでは絶対集中できない。
「あー……」
同じだった。
エーリンもまた死んだ魚のような虚ろな目で空を眺めている。
時折「にへら」と笑うのがアキハより恐ろしい。
目が充血していないだけマシだが、たまに白目を剥くのはやめてほしい。
「一体全体何でこんなことに……?」
神保は知らないことだったが、彼女たちはお互いに相手を警戒して眠らなかったのだ。
自分が寝たらその間に愛しの彼を盗られる。
だが自分から攻め込んで拒否されたところを、好敵手である相手に見られては自分の勝利はもう絶望的である。
そのため二人とも、相手が寝たところを見計らって神保を誘惑し、ゆっくりと自分のモノにしてしまおうと思ったのだった。
だが計画は失敗に終わる。
お互いに目を爛々と輝かせていたため、諦めて寝ようと思っても興奮して眠れなかったのだ。
――ここで言う興奮とは、遠足前の小学生のような感覚である。
だが旅の疲れは出ている二人は、身体はガタガタに疲労しているのに満足に眠ることのできない――原因は違うが、不眠症のような症状が出てしまい。
二人ともこのような無残な姿へと変貌してしまったのだ。
「仕方無いか……」
流石に我慢の限界に襲われた神保は、気味の悪い笑顔を見せる二人の女の子から視線を逸らし、慌ててテントの外に出ると辺りを見渡してからさっさと終わらせた。
松明や炎魔術を使った灯が現れない限り、人間の視力では認識できないほどの暗さであったため。
神保は落ち着いて事を終了させることができた。「フゥっ……」と安堵の吐息を放ち。低火力の炎魔術で地面の水分を蒸発させてから、ゆっくりとテントに戻ってもう一度寝直した。
神保は寝袋に入る前に二人の顔を見渡したが、可愛らしく寝息をたてていたので、とくにそれ以上気にすることは無かった。
「……危なかったぁ」
充血した目をギョロギョロしながら溜息をつくのは、たった今嘘寝息をたてていた魔術師アキハである。
神保がテントから出て行った辺りではっきりと目が覚めた彼女は、神保が外で済ましている間に呼吸を調えて寝たふりをしていたのだ。
腐女子でひきこもりでオタクでもれっきとした乙女である。
大好きな男の子の前で二度も気味の悪い痴態を見せるわけにはいかないのだ。
二つ先の寝ぶくろがゆさゆさと揺れ、今にも死にそうな顔をした淫魔がアキハの方を向いた。
「あなたもなのね……」
「外でのお泊りがこんなに大変だとは思わなかったわ」
白目を剥きかけた淫魔(悪魔)に真っ赤な目をした充血さん。
はたから見ればお化け屋敷である。
寝ぶくろお化けなどと名づけて見世物小屋に並べれば、ちょっとした金儲けになるかもしれない。
アキハは眠い目を擦り。
「だいたいアニメのヒロインってずるいよね。風邪ひいた時とか主人公の男の子が来ても、ちゃんと綺麗な顔で寝てるんだもん」
「そうね。学園ものとかでもクラスにブスも不細工もいないし」
アキハの表情がパァっと明るくなる。
自分と話が合う人に初めて会った!
――正確には神保と萌がいるが、あの二人は話し相手として呼んだ選ばれしオタクなので、偶然出会った人としては初めてなのだ。
ちなみに。
パァっと明るい表情とは言ったが、充血しきって唇はカサカサ状態なので、かなり悍ましい顔つきになっていることは言うまでも無い。
「エーリンちゃんってもしかして……オタク?」
「エーリンちゃん!? 私は一応元魔王なんですけど」
ツッコミどころがアキハの期待していたところと違い、ちょっぴりシュンとする。
彼女としてはもっとオタクのテンプレ的な返しをしてくれると思ったのだ。
元魔王エーリンはフッと笑い。
「私はオタクじゃ無いわ、ただのアニメファンよ」
予想通りの返事にアキハは必死に笑いをこらえる。嬉しさが込み上げ、寝ぶくろの中で両足をバタバタさせる。
ヤバい。これは真性さんかもしれない。
オタクが妬み嫌われているこの世界の魔王様がオタクだったなんて……。
「な、何ニヤけてるのよ」
「べっつにぃ~」
アキハは嬉しそうに淫魔エーリンを自分の仲間認定したが、実はそうでは無い。
淫魔エーリンも確かにオタクの気はあるが、アキハと比べればかなりマシな方である。
エーリンはヒマなときに外部世界から輸入したアニメをちょっと観る程度。
アキハは毎日毎日テレビと仲良くしながら、異世界貿易人からDVDやBDを買い占め、一時停止と巻き戻しを何度も押しながらじっくりと観る。
そして観終わると今度は登場キャラのカップリングを分析しだし、さらにはオリキャラまで生み出し自分なりの声優キャスティングまでし始める。
そして自身の気に入った攻め受けな同人誌を買い、すり切れるまで家でゆっくりと読みふける。
双方のオタク度を比べるとなると。
エーリンを一般人としたところで、アキハはラ○ウか一○通行レベルだろう。
もはや比べるまでも無い。
住む世界が違った。
圧倒的力の差ではもはや立ち向かうことさえ許されない。
アキハは鬼のような形相で「えへへ」と笑い、寝ぶくろを翻して寝直した。
別に怒っているのではなく、充血した目とニヤニヤ開いた口がそう見せたのだったが。
エーリンは、最後にアキハの恐ろしい笑顔を見せられたせいで、安定した心持ちで眠ることができなかった。




