第十六話「迷宮突入」
無限迷宮とは。
最深部へたどり着いた者が未だおらず、最深部までの階層が何階層だかを知る術の無い迷宮のことであり。
この世界のロキス国での名物であり伝説でもあった。
その伝説は古くから存在しているが、どの書籍にも最深部についてのはっきりとした情報は描写されていない。
今現在での無限迷宮最大踏破記録は、
人間:75階層
淫魔:100階層
悪魔:170階層
となっており、170階層以降の迷宮構造がどうなっているのかは誰も知らない。
伝説では神の半身を閉じ込めるために神自身が創ったという説や、この世界が出来た時から存在するという説。
元の世界で言うところのイースター島のモアイやオーパーツのような、記録の無い古代人による未来への産物などと。
存在する期間も作られた時期も全くの不明である。
そして今日。
国中の冒険者たちが無限迷宮踏破の旅を始める。
屈強な筋肉戦士から黒ローブの魔術師、吸血鬼や盗賊団など――一攫千金を狙う人々が多勢集まったのだ。
「うへぇ……たくさんいるわね」
何でも入るポケットに大量の食料や魔石を詰め込んだアキハは、始めて見る大勢の冒険者の姿に気が遠くなる。
ずっと引きこもっていた彼女としては、この人混みという環境が大の苦手なのだ。
眺めているだけでクラクラする情景だったが。隣から、そっと温かく頼もしい手を差し伸べられた。
「アキハ、大丈夫?」
優しい笑顔の勇者、秋葉神保。
彼の優しい笑顔にうっとりしながら彼の手をとって「ニヘっ」と微笑む。
今日はアキハとの関係を邪魔するあの人がいないのだ。
――そう、萌である。
彼女は宿屋でエルフメイ奴隷と待っていることになり、今日ここに来たのはアキハと神保と――
「アキハ? 何故ずっと神保の手を握っているのだ」
淫魔エーリンである。
アキハとしては神保と二人っきりの迷宮生活を楽しもうと、昨日の晩からいろいろと準備をしていたのだ。
二人用テントや大きめの寝袋、夜の神保のためにティッシュと風船や――
何故彼女が風船を持っているのかはこの際触れないでおこうでは無いか。
言えるのはこれだけ。
アキハは腐向け漫画や同人誌は底なしに読むが、現実の男の子との交わりは一切行ったことが無い。
要するにアレを二次元の絵でしか見たことが無かったのだ。
ジョ○ョっぽく言えば「ドゥーユー・アンダースタァァァァンンド」である。
「萌も来れば良かったのに……」
残念そうに呟く神保を見て、アキハはそっと近づく。
「仕方無いよ。萌は暗いところ苦手なんだもん」
「そうだったな……」
神保は空いたもう一つの手を淫魔エーリンにも差し出した。
「ほら、行こうぜ?」
「あ……ああ」
優しく差し出された神保の手を握り、氷塊のように堅く冷たかったエーリンの表情は、幸せそうにみるみるとろけていく。
今から長い長い神保との共同生活が始まる。
着替えとか雑用品も全てアキハが持ち歩いているので、エーリンはメイド服のみしか身につけていない。
マジにメイド服だけ。
下着とかも一切無くミニスカメイド服をちゃっかり着こなしている。
ヒラヒラ見え隠れする下半身の二つの膨らみを見ると、穿いてないのが完璧に分かってしまいそうだが。
この世界では○-saki-なる麻雀漫画は存在せず。
アニオタはほとんどいない世界なので、誰もそんな痴女的な妄想はしなかった。
たとえ淫魔だとしてもである。
「アキハとはぐれたら一生出られないんだよ」
アキハはギュッと神保の左腕を抱きしめた。ほんのり人肌に温かく、トクトクと大人しい鼓動が直接腕に伝達される。
「わ、私とはぐれたら……私が困ってしまうでは無いか……」
淫魔エーリンは神保の右腕にしっかりとしがみつく。
迷宮に足を踏み入れる前からこの調子であり。
可愛らしい魔術師と、妖艶な色っぽさを魅せる淫魔にサンドイッチされている神保は、周りから向けられる視線が物凄く痛かった。
「うわっ……超ボインボインのお姉さん」
「あれ奴隷かな~?」
「若いって良いよなぁ! 俺も昔は――うわなにをするやめ」
「ちくしょう! の○太のくせに生意気だぞ!」
雨あられのように降り注がれる非難と羨望の声。
この日のために作られた無限迷宮入場口の行列に並んでいる間、ずっと神保たち三人は奇異の視線を向けられていた。
見られるのが大好きなエーリンとしては、この上ない幸せでもあったのだが。
目立つのが嫌いなアキハとしては、行列に並んでいる間の時間。今までの人生で最大の苦痛だったという。
迷宮に突入する。
これはオタクであれば誰しも一度は憧れるであろう夢のような展開なのであるが、同じく最深部を目指して突入する冒険者が多数いるせいか。
勇者として神保自身が迷宮踏破のたびに出る! なんて、熱い展開は到底望めそうに無かった。
何せ参加料無料のせいもあり、子連れの若夫婦や農家のおっさん。
十歳くらいの勇者見習いのグループ。
酷いものでは家畜を連れたおばさんまでいる。
お祭り気分で採取に来た国民がほとんどであり、高等魔術師の集団や筋肉質な勇者。
そしてガチガチに鎧で固めた冒険者とギルドナイト――
そんな方々はほんのひと握りしか存在しない。
「ママー! 見て見て、綺麗な石ー!」
「俺が最深部行くんだし! いや俺だし! お前ら喧嘩すんなよ~」
「ンモォ~……。コレコレ、ちゃんと真っ直ぐ歩かんか!」
辺りから聞こえる声とは大半がこんな物である。
隠居していた実は歴代最強のハンターやら、神保と同じ転生者でチート持ちの人間など、異世界迷宮の常識とも言えるような人はこの依頼祭りに参加していなかった。
それ以前に平和そうな世界なので。
異世界からの転生勇者様や隠居した老魔術師など最初から存在しないのかもしれないが。
「はぁ……これじゃ神保との甘いイベントなんていつになっても来ないわ」
神保たちパーティは、現在無限迷宮3階層の隅っこに座り込んでいた。
さっきまでの勘違い勇者やピクニック気分の村人達はいなくなったものの。多少は訓練されたのだろうと思われる冒険者や勇者はまだまだチラホラ見かけ、十分近くボサッと座り込んでいる神保たちの前を、もう数百人以上の冒険者達が意気揚々と歩いて行った。
「アキハさんは長距離転移とか使えないの?」
欲求が溜まったのか自身の指先を艶かしく舐めながら、淫魔エーリンは魔術師アキハに問う。
アキハは心配そうに辺りを見渡してから小声でエーリンに囁く。
「正確な場所が解るのであれば数階層程度なら大丈夫です。魔力もそこまで使用しないので、問題は無いんですが……」
実際長距離転移を使用するには国の許可が必要になるのだが。
迷宮祭りの利用規約に『他の冒険者たちに危害を加えるもので無ければ、使用を許可いたします』と記されている。
ついでに言うとこの『他の冒険者たちに危害を――』というのは、他の冒険者を殺害する妙な輩などが出ないようにするためであり。
火の玉を撃ったら偶然通りかかった勇者に当たった! などと言った些細な魔術は含まれないのである。
――単純に言えば『明確な殺意が無い殺人は無罪です』と言ったところか。
淫魔エーリンは嬉しそうに笑顔を作り、優しくアキハの頭を撫でた。
「いい娘よ~。普通はしないんだけど、特別に撫でてあげるわ」
アキハとしては別に嬉しく無い淫魔直々の頭ナデナデを行われ、若干ウンザリした表情をしてそっと淫魔から離れた。
淫魔エーリンはペロリと唇の端を舐めると、アキハの方を見てから『パチン』と弾けるようなウィンクを放つ。
目の前に星やハートがチラつきそうなウィンクに、アキハは背筋に冷や汗が垂れ、若干のめまいを覚える。
「正確な位置は私が解るわ。座標指定は私がするから、あなたは神保と私を連れて長距離転移をしてくれないかしら」
「分かりました」
アキハはそう言って神保の手を握り締めると、エーリンとも手を繋ぎ合いながらゆっくりと何かをブツブツと呟く。
詠唱である。
これまでは簡易魔術しか行っていなかったので説明していなかったが、高等魔術(人間の妄想力や集中力では不可能なほど精密かつ範囲の広い魔術)を行う場合、集中力継続の手助けをするために、簡単な詠唱が必要となるのである。
「……ふぅ」
一通り詠唱を終わらせたアキハは、少々顔を赤らめてエーリンをじっと見つめる。
そしてもう一度深呼吸をしてから――
「んぅっ……!」
神保の手を握りながらエーリンとの熱いキス。
アキハが魔力を受け渡したり魔術的情報を伝達するには、一番敏感な部分である唇同士を触れ合わなければならないらしい。
――もちろん一番敏感とは、公共の場で露出できる箇所でという話だが。
まばゆい光に包まれた三人は、その場から綺麗に消え去った。
――無限迷宮8階層。
長距離転移魔術と言っても迷宮内は縦横ともに広く、三人も連れての転移だったこともあって、5階層しか短縮できなかった。
だが流石に8階層とまでなるとまだ到着している勇者たちは存在せず。
松明も魔術光も無く湿っぽい迷宮の廊下に突如転移した三人は、辺りを見渡そうにも真っ暗で何も見えなかった。
「きゃぁ、真っ暗で何も見えない!」
「アキハ! ちょっとそこはぁ……」
「とりあえず灯、点けるぞ?」
淫魔エーリンの魔術のおかげで迷宮内に小さな灯が現れる。
仄暗い迷宮の廊下中央部では、涙目の魔術師アキハが勇者神保の腰周りに必死でしがみついていた。
「ひゃはぁ! ごっ、ごめん変なところにしがみついて!」
顔を真っ赤にしなあら飛び退くアキハと、頬を桜色に染めて照れ照れと俯く神保。
その様子をジト~っと眺める淫魔エーリン。
エーリンの向きからだとラブラブな恋人同士で『検閲により削除』をしているようにも見えたが、余計な事は言わずに黙っておくことにした。
お互いを意識して目を泳がせる二人を視界に入れ、淫魔エーリンは「やれやれ」と溜息をつく。
「ここからはどうするの?」
「うぅん……。あれだけ魔力を使って5階層となると、ちょっと魔力の無駄使いになっちゃうかも」
アキハはエーリンの灯を頼りに転がった魔石を拾い集めているが、この程度の魔石を数十個拾ったところで、さっきの長距離転移分の魔力は回復でき無いだろう。
その上、エーリンは100階層までの記憶がおぼろげにあるが、ここ以上に入り組んでいるうえに階段も長く天井が高くなる。
このまま転移魔術で最深部まで向かったとしても、80階層を超えれば一度の転移で1階層進むことも難しくなるだろう。
「そうね……今何時かしら」
淫魔エーリンの他愛も無い質問に真面目に答えようとアキハはお手製の『四○元ポケット』のような物を漁ってみる。
命より大切な同人誌の中から目覚まし時計を取り出し、アキハはじっくりとそれを眺める。
「外の世界はもう夕方ですね。どうしますか? もう少し進みますか?」
エーリンはアキハと神保を交互に見つめ、体調を何となく把握した。
自分は悪魔種族内でも精力体力は最高レベルの淫魔であるため、この程度の迷宮踏破は朝飯前なのだが。
アキハはさっきの転移魔術に力を使い、神保は普通の高校生であるため。狭くて暗い洞窟のような迷宮をこれ以上進むのは少々無理難題のように思える。
記憶を掘り起こすに10階層までの道のりは単純明快なはずだったが、こう他種族の生物と一緒に進むとなるとかなり疲れそうだ。
せっかくここまで元気に進めたと言うのに、神保かアキハのどちらかでも身体を壊してしまったら元も子もない。
ここは慎重に行ったほうが賢明だろう。
淫魔は大人っぽくコホンと咳払いをしてから。
「ここで三人で寝ましょう」
女の子二人に男の子一人なパーティでのこの発言を、発言者以外の二人の男女が意味を曲解しかけたのは言うまでも無い。
――発言者が淫魔だったことにも原因はあるのだが。




