第十五話「無限迷宮」
その日。
正確に言うと淫魔エーリンが神保に夜這いをかけ、ジ○リ系ベテラン女中の大切なイヤリングが発見された次の朝。
中心街の冒険者ギルドは恐ろしい程の混雑を見せていた。
何でもこの間数十年ぶりに依頼受注に来た冒険者に感化された熟練ハンター殿や、隠居していたギルドナイト。
挙げ句の果てには勇者志望者が続出し。
身近なカフェ程度の扱いをされていたギルドは、行列ができるほどに繁盛していた。
受付嬢ルルシィは二つしか無い依頼書を何枚も刷ってはギルド中にバラ撒き、無限迷宮と古代龍の依頼しか無いことを大声で伝えた。
しかし両方とも一人でクリアできるような依頼では無く、むしろ冒険者たちの心に火をつける結果となってしまったらしく。
無限迷宮制覇隊などというパーティが作られるほど、今日のこの日は盛大に盛り上がっていた。
「何だか外が騒がしいな」
衣服の乱れを直しながら神保が起き上がると、ドア付近に脱ぎ捨てられた浴衣が目に入った。
「まさか……」
神保はパンツの中身をそっとまさぐってみたが――
うん、多分大丈夫だ。
何が大丈夫なのかはこの際割愛するが、きっと大丈夫。
だから問題無い。
――だが問題はあったのである。
「神保~!」
明るい笑顔を振りまきながらドアを開けて入って来たのは萌である。
「おはよう」
可愛らしくにっこりと笑顔を見せながら、何かを踏んづけてズルリと滑った。
「きゃぁん!」
ステン! と華麗にひっくり返った萌は、ペロリと舌を出して頬を薄く桜色に染める。
「おっちょこちょいだなぁ」
「だって何か踏んだんだもんー!」
無邪気に笑い合うという、幼馴染同士の淡いモーニング・タイムだったのだが。踏んづけた何かを拾い上げた瞬間、萌の表情が険しくなった。
「誰のよこれ!」
「え?」
脱ぎ散らかされた浴衣を掴む幼馴染(女)と動揺する幼馴染(男)。
爽やかな朝がいっぺんに血の色修羅場へと変貌する。
ヅカヅカと神保に迫ってくる萌の顔は怒っているというより、信じていた人に裏切られたような――酷く悲しそうな顔をしていた。
「まさか……女中さんと甘い夜を過ごしたとかそういうんじゃ無いでしょうね?」
「無理でしょ! 俺未成年だぞ」
今にも泣きそうな顔をした幼馴染、代々木萌。
目が覚めたら何故かあった、中身のない浴衣を巡ってわけも分からず怒られた主人公系男子、秋葉神保。
「あー……どうしたの?」
幼馴染同士の修羅場に能天気に乱入してきたのは、この事件の発端であり原因の張本人である淫魔エーリンだった。
普通に全裸で廊下を通って神保の部屋まで来たらしい。
淫魔にも公然わいせつ罪があるのかは知らないが、いくら淫魔でも普通の方々が利用する旅館でこのような行動を起こすのはいささかマズイであろう。
「神保が……神保が私の知らないうちに初めてじゃ無くなったぁ~!」
「えぇ!? 神保君、掘られたの?」
続いて乱入してきた隠れ腐女子アキハ。
じゅるりと口を拭いながら、目をキラキラと輝かせて危ないセリフを発射しやがった。
萌は泣きじゃくりながらトンチンカンなことを叫ぶ。
「神保が掘ったぁぁぁ……」
「違う!」
「誰を? ねぇ! 誰を?」
「アキハはアキハでちょっと落ち着け!」
三人の奇妙な修羅場中にも関わらず、淫魔エーリンは何事も無かったようにメイド服を着始めた。
――さりげなく証拠隠滅を図ろうとしたのである。
淫魔エーリンが裸メイド服になり、ホッと胸を撫で下ろす。
だがこれは証拠隠滅にはならなかった。
「とりあえずこれ、誰の浴衣かしら」
萌が掲げた浴衣は乾いていることには乾いているが、じっとりと一晩湿っていたことは分かった。
ちなみに淫魔の汗は特殊であり、嗅いだ人間の性的欲求を高める効能があるとか無いとか。
「何か甘い匂いがするわね」
「アキハ……何か汚いわよ」
アキハと萌は堪らず浴衣の匂いを嗅ぎ始めた。
ハァハァと息を荒げながら浴衣の内側を舐め始める。
神保からして見れば最高の百合シチュエーションであり、このままお互いにお互いの舌を舐めあうくらいに激しく――
「やめてよ気持ち悪い!」
二人のヒロインが無心に味わっていた浴衣を淫魔エーリンがひったくった。
当たり前だ。
この世界の淫魔は男性専用であり。同性である女の子に自分の汗を舐められるなど、気持ち悪い以外の何者でも無いのである。
「やめてよ私の浴衣を!」
ことの全てを遠まわしに自白してしまい、真実を知った萌とアキハから激昂と鬼のような怒りが発せられる。
その後淫魔エーリンは、神保を愛する二人の女の子から尋問という名の拷問を受けることとなった。
◇
アキハと萌の怒号によりぐんにゃりしてしまった淫魔エーリンは、気晴らしも兼ねて街の外へと買い物に出ていた。
奴隷が普及している世界では、メイド服を着込んだ淫魔など全く珍しくも無く。
大抵そういう上位悪魔を雇っている人間は、危ない金持ちと相場が決まっているので、どれだけ不健全な格好で街を歩こうと、メイド淫魔に不埒な真似をするような国民はいないのである。
彼女は思いっきり叱られた後の子どものように目を腫らし、グスグスと鼻の奥を鳴らしていた。
時折流れる涙からは甘ったるい良い匂いが――
言い方は悪いが淫魔の体液はほぼ男性を興奮させる機能が備わっている。
淫魔エーリンが泣きながら街を歩いていると、中心街のそれまた中心にある広場に大勢の人々が集まっていた。
「何かしらあれ……」
エーリンは人ごみをかき分けて広場の中へと入る。
途中他の人の身体と触れ合い、ちょっぴり妙な声をあげてしまったが仕方が無い。
淫魔の身体は結構いろいろと敏感なのである。
「すみませっ――んしょ!」
やっと最前列まで来たエーリンの目に、一枚の大きな張り紙が飛び込んできた。
『無限迷宮に挑戦したり!』
今現在中心街ギルドでは莫大な人数による依頼受注が行われ、受注者全員に依頼料を差し上げることができません。
そのため明日から無限迷宮ウィークを開催いたします。
参加は簡単!
中心街冒険者ギルドの受付に名前を書いて緊急避難用瞬間回路を受け取れば、いつでも誰でも参加できます。
無限迷宮の最深部に見事到着なさった方は、証拠の写真を持って上記の“緊急避難用瞬間回路”を使って帰還してください。
先着一パーティの方々にのみ、莫大なる依頼料を差し上げます。
その他詳しい事はギルドにて――
無限迷宮とはこの地方にある七不思議の一つで、冒険者が魔石の採掘や小型獣の討伐練習によく出発する場所であり。
未だかつて、誰ひとりとして最深部まで行った者がいないと言うことで有名だった。
この世界の古い書物にもこう書かれている。
――無限迷宮の最深部に到達する者こそ、全世界の英知と勇気を与えられし伝説の勇者となるであろう――
この世界に現存する最も古い書である『コズィーキ』と『ヌイフォン・ショキ』の中にも無限迷宮という言葉は出てくる。
その最深部には無限に魔力が溢れ出ているとか。この世のバランスを保つための神の半身が眠っているだの。
地獄へと延々と続く底の無い回廊である――などと勝手な噂や物語も作られている。
「よっしゃ! 一攫千金じゃ」
「最深部にたどり着くのは俺が最初だ!」
「私は絶対無限迷宮の謎を解いてみせるわ!」
「粉砕 玉砕 大喝采!」
広場中から発せられる数々の士気の高まる声。
街中の自称勇者たちはこれからの冒険に期待の声援をあげる。
淫魔エーリンもまたいつもとは違う理由で興奮していた。
幼き頃彼女も母親(エーリンの先代魔王)に連れられて、迷宮にて探索ごっこや魔物の精力を奪う練習などを行っていた。
魔石や鉱石の採れる資源の豊富な地域であったが。奥へ奥へと進むにつれて残虐な魔物が増えるなどと、まさにゲーム世界のような迷宮であり。
淫魔最強だったエーリン親子でも、100階層以上奥へと侵入したことは無い。
魔王でも対処不可能な魔物が潜んでいるとかなどでは無く。
70階層くらいから徐々に迷宮内が入り組み始め、暗闇でも視力の使える悪魔でも道に迷ってしまう。
さらに淫魔にはポ○モンの『あな○けのひも』のように便利な魔術能力を持つ、“緊急避難用瞬間回路”などの人工物も存在せず。
食料や精力的な面もあって、エーリンはそれ以上先へと進むことを母から許されたことが無かったのである。
そしてエーリンが魔王になってからは、子供の頃の冒険心や探究心は根こそぎ失われ。代わりに莫大な性欲を有するようになり、ぐーたらと森の奥で男性勇者を襲って生活をしていた。
エーリンにはまだ子孫は存在しないため、無限迷宮に足を踏み入れる必要も気力も無かったのである。
――子供の頃に一度は思った『大人になったらやる!』と決意したことの八割以上は、こうしてやらずに終了してしまうものなのだ。
淫魔エーリンはボーっと昔のことを思い出し、幼い頃庭のように遊んだ無限迷宮に久しぶりに行きたくなった。
だが肉体のガタガタになった今の自分に、深く入り組んだ迷宮に潜るだけの体力があるだろうか。
「神保なら……私を連れてってくれるかな?」
頭に浮かんだ愛しい勇者の笑顔。
普段は前髪に隠れたその可愛らしくも凛々しく男らしい表情。
優しくて頼もしい私だけの王子様――
「頼んでみようかな」
エーリンは気晴らしの買い物を中断して、神保たちの泊まる宿屋街へと足を急がせた。
もちろんビーム加速は無しである。
◇
「神保……この辺?」
「いや、もっと奥のほうだ」
「アキハ。神保のこと動かないように押さえててね」
「分かってるわ」
「神保……。入れるよ?」
「あぅ……」
「もぅ……男の子なんだからそんな声出さないの」
朝ごはんも食べ終わり。年頃の男の子と女の子の楽しい時間は、ほんのりと暖かくまさに楽園のようである。
お日さまの光差し込む優雅なひととき。
少年秋葉神保は幼馴染の代々木萌と召喚魔術師アキハ二人の女の子によって、心躍る“お掃除”を堪能していた。
淫魔エーリンが宿屋へと戻ると、ドタドタと廊下を踏み荒らしながら、慌ただしく宿泊部屋のふすまを思いっきりガラッと開けた。
「聞いてくれ! 神保」
「きゃはぁ!」
萌が慎重にかき回していた棒が神保の柔らかい穴の奥を突き刺す。
「アーッ!」
「大丈夫? 神保君」
刺さった部分を必死に押さえながら悶絶する神保。
その様子を眺めてオロオロするだけのアキハ。
突然のことにペロリと舌を出して「えへ」と笑った萌は、壊れたからくり人形のようにグルッと首を180度回転させ、事件の発端要因である淫魔エーリンを悪鬼羅刹の悍ましい目つきで睨みつけた。
「突然何よ」
「すまない……。神保にいいお知らせを持って来たのだが」
エーリンの眼前で、神保は耳を押さえながら言葉にならない声を漏らしている。
女の子二人に膝を借りて行われるという、天国もびっくりの極上対応で耳掃除を受けていた神保は現在、地獄の底まで一気に突き落とされたような気分であった。
「何だ? 俺にいい知らせって……」
耳を押さえながら苦痛の表情を浮かべる神保に、淫魔エーリンは広場での情報を伝達する。
「――だからね。無限迷宮探索コースだって」
「迷宮かぁ……」
少なくとも神保は迷宮というものに興味はかなりあった。
二番目の兄に見せられた異世界小説には絶対迷宮は出てきたし、元の世界で兄が一日中やっていたパ○ドラにも迷宮は出てきた。
勇者にとって、踏破されていない迷宮とは夢と希望の詰まった輝かしい宝庫なのである。
確かにいい知らせだ。
「迷宮……」
アキハもまた迷宮踏破という言葉には心揺さぶられるものがある。
人類世界初なことをやれば、無名の異世界人でも帝王になるためのきっかけになるのでは無いか。
彼女自身も迷宮踏破の夢はあった。
重度のオタク症候群である彼女なら当たり前のことだったが。
そして淫魔エーリンにはもう一つの企みがあった。
暗闇で一人だけ使える視力。
漆黒の闇の中、霧が晴れるように視界をはっきり認識できる、悪魔族の特権だ。
魔術で作った灯りだけで進む神保に背後から忍び寄り――
「ぐへへ……」
暗闇を良いことに迷宮内で神保を襲う気満々である。




