幕間「それぞれの夜」
「じゃあおやすみ」
流石に女の子五人の中で普通に眠るほどトンチンカンな人間では無い神保は、優しく手を振って別室へと足を運んだ。
大抵こういう時アニメやラノベでは他の部屋が空いてなかったりするのだが、流石にそこまでさびれちゃいない。
辺りにも宿屋はあるわけで、ここだけが混んでいるというご都合宿泊があるはずも無く、神保は魔力数百ポイントを詰めた魔石と引き換えに自分専用の宿泊部屋を一晩だけとることにしたのだ。
女中さんに案内されて、神保はアキハたちの泊まる部屋の隣に入る。
隣かよ! とツッコミが入りそうだが仕方が無い。
ちょうど隣の部屋が空いているのにわざわざ遠くの部屋を取る必要も無いだろう。
神保はこう見えてどこか少し抜けているのだ。
「ありがとうございます」
神保はペコリと頭を下げ思わず極上スマイルを放ってしまったのだが――
齢50のベテラン女中は客の顔をジロジロ見るなど失礼なこともせず、しかも神保が部屋に入り姿が見えなくなるまで深々と頭を下げていたので、何とかニコポ・マジックの影響は受けなかった。
危ないところである。
ここでもしこの女中が顔を上げるか元から頭を下げていなければ、今頃神保のハーレム候補に『熟女』という新属性が付着していたに違いない。
取り扱いを気をつけなければ、それだけニコポ・マジックとは危険な特性なのだ。
「ごゆっくり……」
客が部屋に入ったことを気配で感じ取り、ベテラン女中は静かに下がっていった。
ちなみにこの対応はこの世界ではムェオ・アワセヌァイ方式と呼び、メデューサやゴーゴンと戦う時に勇者が開発した“オモテナシ”の心だとか何とか、あまり本筋とは関係無い逸話があったりする。
さっきまでいた複数部屋と比べてかなり狭い部屋だったが、彼は元の世界でも部屋中にアニメグッズやポスターがかかっており。
さらにベッドにはぬいぐるみや抱き枕が乗っていたので、狭さによる寝苦しさは全く感じなかった。
強いて言うなら魔法少女なフェ○ト柄の枕では無いのが寝にくい原因かもしれないが。
寝る前に彼はいつも通り、奈○様の歌を頭の中で熱唱してゆっくり眠ることにする。
稀にゆか○んの曲の時もあるが、今日は奈○様の歌を歌いたい気分らしい。
明日は無限迷宮か古代龍の依頼を受注してみよう。
そう考えながら彼は、脳内カラオケでちょうどサビを過ぎたところで徐々に意識が薄れ――
「すぅ……」
寝た。
◇
どれくらい経ったであろうか。
夜はもうまわり、虫の音一つ聞こえない静かな時間。
妖艶な月光が部屋を揺らし、和風建築な部屋を慎ましくおぼろげに彩っている。
淫魔エーリンは火照る身体を扇ぎながら、忍び足で神保の眠る隣の部屋までの道のりを歩いていた。
流石の淫魔でも毎日男性を求めなければならないわけでは無いのだが、通常恋心を持たない淫魔が、愛する男性を求めてしまうのは仕方が無いことであり。
その欲求は普段の淫魔の欲望を簡単に凌駕する。
簡単に言うと普段三日が限度な人が、一週間以上我慢したような状態である。
ペロペロと口周りを舐めながら、淫魔はゆっくりとドアを開ける。
静かな部屋には愛しの彼――秋葉神保がただ一人無防備な寝顔を披露しているのみで、当たり前だが他には誰もいない。
ここに淫魔が入れば二人っきりの甘い空間が出来上がる。
まさにスィートルームである。
ドアを閉めると同時に、身体に絡みつく衣服を脱ぎ捨てた。
しきたり上仕方が無く着ていた浴衣は、淫魔にとって地獄以外の何者でも無い。
ベットリと汗で濡れた身体に風が当たり、淫魔エーリンはブルっと身震いして頬を染める。
「こういうのも中々乙では無いか……」
うっとりした目つきで神保を見下ろした淫魔は、そっと布団を剥ぎ取り彼の身体に馬乗りになる。
彼女は自身の指先をちょっぴり舐めながら身体を撫で回す。
「ねぇ……起きて?」
「すぅ……」
反応なし。
エーリンはそっと顔を神保の耳に近づけ、とろけるような幸せボイスを発した。
「起きてよぉ……。神保ぉ……」
「ぐぅぅぅ……」
いびきで返事をされる。
むしろさっきより深い眠りに入っているような気がしてきた。
「起きないとイタズラしちゃうぞ?」
さっきより甘えたロリ声。
だが起きない。
だんだん身体の火照りも冷め始め、無反応な神保に対して若干イラついてきた淫魔エーリンは、強行手段に出ようと神保の衣服を脱がそうとしたが――
「あれ? これどうやって脱がすの?」
種族柄手先は器用だと自負していた淫魔エーリンだったが、男性用寝具である浴衣の脱がし方は分からなかった。
無理やり引っ張ればヒモのような物が飛び出し、力ずくで引き剥がそうにもここで起きては元も子もないのでどうすることも出来ず。
浴衣をめちゃくちゃに引き剥がしたところで、エーリンはうんざりして諦めてしまった。
「もう知らないっ!」
ぷくぅと頬を膨らまして全裸のまま元の部屋へと戻っていった。
期待させたかもしれないが本当にエーリンは何もしていない。
だがエーリンの浴衣は全て神保の部屋の入口付近に捨ててあり、次の日この惨状を最初に発見した女中の頭の中では――
いや何も言うまい。
50過ぎの女中さんのおピンク妄想なんぞ聞きたくも無いだろう。
◇
だがしかし閑話。
今年で56となるベテラン女中は従業員室で温かいお茶を飲んでいた。
彼女の旦那は数年前に亡くなり、一人息子はまだ小さい頃に、迷った森の中でオーク・ゾンビに食い殺された。
たった一人で迎える定年を目前とした彼女は、緑茶をもう一度飲み直し溜息をつく。
「どうかなされましたか?」
まだ若い女中であるミリーは溜息をつくベテラン女中に声をかける。
「いえね……さっき泊まりに来た男の子。もし生きてたらうちの子と同い年くらいだったかねぇ……って」
「晩婚だったんですね」
「後でほっぺたつねるわよ」
ミリーはクスリと笑って従業員室から出ようとしたが、ふと立ち止まりベテラン女中を見ながら、彼女自身の耳を触り。
「あの……イヤリングが片方取れてますよ」
「やだ! ホント」
イヤリングを付けて口紅をベットリ塗ったその姿は、どこからどう見てもジ○リ映画に出てくる湯○婆そのものなのだが。
一応格下であるミリーたち女中仲間は、一言もそんなことを言ったことは無かった。
「大切な物なのですか?」
「ええ。セレクトボタン押したらすぐ出るように、登録が必要なくらいね」
ポ○モン的機能はこの際無視して、ミリーはもう一度ベテラン女中に身体を向ける。
「あの……」
「この前死んだ旦那が初めてプレゼントしてくれた物よ」
うっとりと昔を思い出す表情をしたベテラン女中を見たミリーは、慌ててドアを開けて従業員室から飛び出した。
定年間近なオバチャンの昔話は長いのだ。
聞かされたらたまったもんじゃ無い。
勤務外手当つけてもらえるなら話は別ですけど。
などとバチの当たりそうな文句をブツブツ垂れながら、お部屋巡回と称して旅館内をまわる。
客数も少なくヒマなのだが、何もせずに座っていると話し相手に選ばれてしまうので、彼女はよく廊下をグルグルとまわっているのだ。
「あら?」
さっき話していたイヤリングの片割れが廊下に落ちていた。
ルリーはしゃがみこみ拾ったところで、ちょっと悪いイタズラ心が芽生えてしまった。
「どうせ持っていけば、さっきの話の続きをダラダラ続けられるだろうし……無かったことにして拾わなければ、クレーマーか誰かに踏まれて『怪我したから打ち首!』などと言われるだろうな……」
ルリーはそっと一番近い部屋のドアを開けてイヤリングを投げ込んだ。
ちなみに言うと、この時エーリンの素肌にすきま風が当たったのである。
◇
「巡回終わりました」
ルリーが従業員室に戻ると化粧の濃いオバハンが腕を枕にして眠っていた。
起こすのも悪いと思ったルリーは出勤表に“帰宅”と書き込み、カーディガンを羽織って旅館から出て行った。
そして真夜中に目が覚めたジ○リ系ベテラン女中がイヤリングを探しに行き、乱れた衣服な男性客と綺麗に脱ぎ捨てられた女物の浴衣を目にした。
「あらあら……お若いこと」
ほんのり頬を赤く染めたリアル湯○婆は目に入ったイヤリングを拾い上げ、そっと目を細めてから静かに部屋を出て行った。
これが本筋に全く絡んで来なかった㊙旅館女中のイヤリング失踪事件の顛末である。




