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第十話「加速する拳」

 異世界で見る夢とは、やはり違うものなのだろうか。

 体内に魔力を突っ込まれ、ジェット機も鳥肌な速度で国中を駆け巡り、はたまた淫魔に無理やり眠らされ。

 一日にこれほど疲労感を詰め込み、よく無事であったと賞賛したい。



 ゆっくりと目を開ける神保。

 彼女たちが風呂に入りしばらくしてから眠ったので、彼は数十分くらいぐっすり熟睡していたこととなる。

 音速ジェットのような速度で森中を駆け回った神保の肉体は流石に疲れ果て、眠りながら自身の魔力で肉体疲労を回復していた。

 これも無意識による行動であったが。


「んぅ……?」


 定まらない視界にポヤ~っと何かが見える。赤と緑のヒラヒラした物の中で跳ねる、白とピンクの何か。

 そこからニュっと伸びた肌色な柱を認識した瞬間、彼は自分が何を見つめているのか正確に理解した。


「んぐっぷ……」


 彼の脳裏には彼自身の青春が思い起こされた。



 ――秋葉神保が小学生の時。


 神保の父親の策略により、当時気になっていた女子のスカートの中に顔を突っ込んでしまい、思い切り叫ばれて、足で顔を踏まれるというトラウマを授かった。

 中学時代には、三番目の兄の送った刺客により女子更衣室に監禁され。更衣室を使用しに来た女子の先輩数人に、あらぬ疑いをかけられた。

 父親と三番目の兄はその度に『これも経験だ』と諭していた。

 中学の卒業式の時にも、泣きじゃくる萌と向かい合って立っていると突然背後から背中を蹴飛ばされ、その頃からパフパフだった萌の胸に顔からダイブした。

 萌は『めっ!』と怒って嬉しそうな顔をしていたが。背中を蹴ったのが萌のお姉さんだったとはその時気がつかなかった。

 その後家に帰って両親と兄三人に盛大に『おめでとう!』と言われたが、当時の神保は中学校卒業についてのことだと思っていた。


 お分かりだろうが、アレもソレもコレも全て秋葉一家と萌のお姉さんが仕組んだ事であり。

 萌との大事な時にあわあわしないよう、総勢六人の知恵を絞った結果である。

 神保にラッキースケベ耐性をつけるための長い長い仕込み。

 神保がそのことに気がついたのは、ここ最近のことだった。



 神保はこの場から早急に離脱しようとしたが、二人の脚は彼を挟むように伸びているため不可能であった。

 萌は制服のミニスカ+ニーソックスを装備しており、アキハは春色の外出着に短めの靴下。

 神保の視界から分かることと言うとそれくらいである。


「どうすっかな……」


 ここで大声を出せば、二人は取っ組み合いの喧嘩をやめるだろう。

 だがそれはハイリスクすぎる。

 アニメの主人公はボコボコにされても次のシーンでは怪我が消え去っているが、自分は普通に傷跡が残る。


 ――ここは寝たふりをしよう。


 神保はそう心に決めてもう一度ギュッと目をつぶった。

 流石の主人公体質でも人間である。自分が痛いのは絶対に嫌だ。

 ちなみに神保の怪我の話だが、膨大な魔力を蓄えているので今の彼なら全身の瞬間回復程度、朝飯前である。

 踏まれたり蹴られれば痛いのだが。



「もうやめましょう……」

「そうね……」


 お互いにつかみ合った手を渋々離す。

 彼女たちは、この喧嘩が全く意味を成さないものだとやっと理解したのである。

 ちなみに、喧嘩が始まってからもう十分以上は経っていた。


「ごめんなさい。言いすぎたわ、一桁のくせになんて」

「こっちこそごめんなさい。――あのさ、もしかしてさっき魔力分けてくれたのに、私の体内魔力は一桁なの?」

「うんっ! 今7くらいだよ」

「しばくぞオラァ」


 萌が拳に力を込めたところで、床に転がった神保がうめいた。


「あ……神保起きたみたい」

「神保君、おはようっ!」


 さっきまでの般若のように恐ろしい表情はガラリと変わって満面の笑み。

 神保は凄い勢いで変わるヒロイン二人の表情に寒気が走る。

 知りたくない女の子の事実をまた一つ知ってしまったのだ。


「うん……おはよう」


 神保がのそりと身体を起こすと、何やら異様な爆音が宿屋の外から放たれた。


「やっほー!」


 現れたのは淫魔エーリンである。

 神保たちが泊まっていたのは宿屋の二階であったが、ビーム加速の応用で窓まで飛び上がってきたらしい。

 ついでに言うとエーリンの体内魔力は数十万。

 街中を一周する程度の魔力は蓄えてあった。

 エーリンは身体に付いた土埃をはらうと、太陽のようにキラキラした笑顔を向けて手を伸ばす。


「探しちゃったよ~。さて神保、一緒にエロいことしよ?」


 登場して速攻これである。

 淫魔だから仕方無いのだが。正常な人間がそれを聞いて、黙っていられるはずが無い。


「ちょっとあんた何してんのよ!」


 神保とエーリンの間に萌が立ちはだかる。

 一種の修羅場だ。萌の瞳はメラメラと燃え上がり、拳に強烈な力が入る。

 だが現在彼女の体内魔力はたったの7。魔力を込めた鉄拳を繰り出せば、その瞬間彼女はお陀仏だろう。


 エターナルフォースブリザード! 自分は死ぬ。


 多分こんな感じ。


「いやぁ~神保探してたら結構暴れちゃったよ。もしかすると私が魔王になってから、人様に迷惑かけたの初めてかもしれない」


 いやらしく舌をペロリと出す淫魔(犯罪者)

 街中の建物を破壊しながら、愛の力だけでここまで向かって来た一途なお姉さん。

 三人の頭の中で一つのことが合致した。

 

 ――ああ……。この人のせいで部屋から出られなかったのか。


 三人は顔を見合わせ肩をすくめて溜息をつく。

 その様子に気づいたか否か。エーリンは嬉しそうに神保に抱きついて話を続ける。


「神保はここの人たちに奴隷扱いされてるんだよね?」


 絶句する。

 どこから仕入れた情報なのか。事実勘違いである。

 萌に無理やり連れて行かれたと思った淫魔エーリンの脳内では、無理やりイコール奴隷として認識され、神保は萌に奴隷扱いされていると勝手に解釈したのである。

 これが淫魔としての健全な脳であり、誰も彼女を責めることは出来ない。


「違うよ。この二人は俺の大切な友人なんだ」

『友人』の四文字のせいで萌とアキハの心にグサッと何かが刺さったが、神保はいつもこうなので萌はすぐに立ち直れた。

 小さな胸を撫でながら、アキハはまだ落ち込んでいる。


「そうなの? この人たちが神保を別の人と間違って――」

「断じて無いから」


 怒った口調の萌の発言を神保は片手で制し、疑いの表情を隠さない淫魔エーリンの両肩に手を乗せる。


「ここにいるみんなは全員俺の大切な人たちなんだ」


 キラキラした極上の笑顔。最大級のニコポにより淫魔の心は完璧に奪われる。

 何度奪われてるんだとツッコミたくもなるが、きっと心とは奪われてもすぐに作られて配給されるのだろう。


「むぅ……そうなのか」


 顔を赤らめ神保の顔を何度もチラ見する。

 誰がどう見ても神保に好意があるのは明らかであり、萌とアキハは新たなるライバルの出現に戸惑いを隠せない。


「それよりもだな――」


 エーリンが声を発した瞬間、突然部屋のドアがガラッと開いた。屈強な男ども。それが全員覆面を付けている。

 まるでプロレスラーの集団みたいな情景を目の当たりにして。宿屋内の四人は、驚愕と恐怖に顔を歪める。


 何が起こったのか全く理解できない。これが異世界の常識なのだろうか。

 突然乱入してきた――珍妙な盗賊団を倒せとかそういうやつなのか。

 早くも戦闘イベント勃発か。と神保が身構えると、筋肉質な男たちの背後から、立派な口ヒゲを蓄えた気難しそうな男性が現れた。


「街中の建造物。そして植物を破損させた罪により、お前を逮捕する」


 パイプタバコの似合いそうな口ヒゲの男性は、ポケットに片手を入れ堂々と胸を張りながら、もう片方の手で一枚の紙切れを見せつける。

 見せられたのが一瞬だったので解読することは不可能であったが、この状況とその言葉から察するに、日本で言うところの捜査令状とか逮捕状のような物なのだろう。


「え。わ……私?」


 当の本人はまるで、普通に道を歩いていたら突然アイドルグループのセンターを任されたかのように驚愕した表情を浮かべ、キョロキョロと辺りを見渡している。

 この淫魔さんは自分が捕まると予想していなかったのか。


「よし、捕まえろ!」

「はっ!」


 筋肉質な警備隊員が一斉にエーリンを捕らえ、羽交い絞めにする。

 どこからどう見ても性に飢えた覆面プロレスラーが、集団でスタイル抜群の淫魔に襲いかかっているようにしか見えない。

 この情景を写メに撮ってテレビに送れば、きっと『最近の若者たちの性の乱れ』などの見出しとともに、お昼のワイドショー辺りで専門家の熱い討論が繰り広げられるであろう。


「きゃっ……離して!」


 はっきり言って、見ているこっちの心が痛む。

 踊り子の格好をした淫魔は、身体中を掴まれ若干戸惑っているようだった。

 今まで男性を堕として来たが、これほど多勢の――しかも筋肉質な男性に取り囲まれるのは初めてである。

 意味としては違うけど、危ない意味での初体験。

 身体を触られるのが好きな淫魔だが。流石にこれは恐ろしいらしく、顔を青ざめながらカクカクと唇を震わせている。


「助けて……助けて、神保……」


 目の前で女の子が助けを求めている。この状況で無視できる者などいやしない。

 いたとすれば、そいつは外道以外の何者でも無い。

 恐怖に怯えた淫魔に見つめられ――神保の中の何かが弾けた。


「エーリン!」


 神保は屈強な男達に抱えられた淫魔を引き剥がし、お姫様抱っこをして淫魔エーリンを部屋の端へと逃がす。

 プールから上がった時のように唇を真っ青にしてカタカタと震えるエーリンを、萌とアキハが優しく介抱した。


「何してくれちゃってるんですか!」


 男たちの上司だと思われる偉そうな口ひげの男が、葉巻タバコを吸いながら神保に詰め寄る。

 だが神保はその恐ろしい視線にも耐え、口ひげの男を睨みつける。


「嫌がってる女の子を複数の男で無理やり連れて行くとか……。間違ってる!」

「何だこの野郎。おいお前ら! こいつも仲間らしい、とっとと連れていけ!」


 筋肉質な男たちが一斉に神保に群がった。普通に見れば絶体絶命の状況なのであるが、神保は平然とした表情をして、己の拳を物凄い速度で振り上げた。


「ずっと考えてたんだ。拳を繰り出す速度を速くする方法って無いのかなって。それで思い出した。魔力を魔術にするのはその人の妄想力が具現化したものだっていうことを。なら簡単だ。普段背中とかから放出している加速魔術を、肩とか肘から出せばいい」


 神保の振り上げた拳は冗談のような速度で、口ひげ男の鼻先に強烈な一撃をお見舞いした。

 枯れ木を踏みつけたような音が響き、鼻水のような髄液が滝のように溢れ出る。

 だが神保の攻撃はそこで終わらない。

 神保はまた同じ速度で拳を元の位置へと戻してもう一度。


「ぐへぁ!」


 クシャリと何かが潰れる音とともに、男の左目からドロリとした体液が流れ出る。

 そしてもう一度―― 


「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ!」


 まさにオラオラッシュ。萌もずっと生で見たかった無数の拳。

 口ひげ男の顔面は目にも止まらぬ速さで殴られ、顔中から血を吹き出しながら部屋の壁へと吹き飛んだ。

 しかし神保の敵は一人では無い。

 今のラッシュ連撃により戦意を消失しかけているが、彼の周りにはまだ屈強な男性陣が多勢いる。

 こいつらを片付けなければ。


「ていっ!」


 その場にいた筋肉質な男性陣の顔面に無数の拳が炸裂する。

 鼻血が出るもの。顎が砕かれるもの。眼球が潰されるもの。それ全部の被害を受けたもの。

 十数人いた敵達は、覚醒した神保の拳一つにより、いともたやすく全滅させられた。



「急ごう! ここにいると危ない」


 神保は三人を抱えて宿屋の窓から外に飛び出す。

 ついでに言うとここは二階である。神保が飛び出した先には地面は無く、何もない空間を足で泳いでいた。


「無駄無駄無駄無駄無駄ぁ!」


 背中から発射される最大火力(フル・バースト)加速魔術(ビーム)

 音速を超越した四人は神保による『無駄無ダッシュ』で宿から遠ざかって行った。

 ちなみにこのダッシュの名前の考案者は、言うまでも無く萌である。





 町外れまで到着したところで、ようやく神保は我に帰った。


 ちなみにこの町外れまでたったの七秒で到達している。

 マッハだとか秒速だとか、そういう次元の壁を超えたエネルギーであるが。

 その速度で一つも壁を壊さなかった神保の慎重さから見ても、流石主人公体質であると言わざるをえない。


「どうしよう……。俺、警察殴っちゃった?」


 怯える眼差しを萌に向ける。

 大好きな勇者様が自分を頼ってくれる。

 萌は異世界での願いがようやく叶い、高鳴る胸を押さえながら愛する神保を全身でギュ~っと抱きしめた。

 萌の胸の中でビクビク震える勇者様。


「大丈夫……神保は何も間違ったことはしてないよ」


 人を間違った道へと導く典型的な言葉を、聖母のように優しく語りかけた。

 人をダメにするセリフ、ナンバーワンである。

幼馴染特典『いつでも主人公の味方』

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