完治の難しい病【裏】
短編『完治の難しい病』の、男の子から見た話です。
僕の目は、彼女に釘付けになった。
舞い散る桜の花吹雪の中、佇む少女。一瞬で根こそぎ心を持っていかれた。
一目惚れって本当にあるんだと思い知らされた、高校一年の春。
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彼女は端的に言えば、美少女だった。
初っ端から恋情に冒された僕の意見だから若干贔屓目かもしれないけど、学園一の美少女は誰かと聞かれたら、それは彼女だと自信を持って言えると思う。華奢で、儚げで、清楚。髪は黒のストレート。整った顔立ちは、芸能界に入っても遜色無くやっていけるレベル。
同じクラスになれたのは、僥倖だった。
入学して数日で、彼女の存在は学園中の男どもに知れ渡った。
最初のイベント、在学生と新入生の顔合わせを兼ねた生徒会総会(という名の懇親会)で、彼女がいきなり貧血で倒れた為である。
「彼女なんだか病弱らしいぜ」
「守ってやりたくなるな!」
高校生になったばかりで浮かれてる野郎どもの目下最大の関心事は、異性の話題一択だった。
「委員長、あ~ゆ~女の子ってどうよ?」
ちなみに委員長とは僕の事だ。
初日の学級会議でそう決まってしまった。まあ中学でも委員長やってたってのもあるし、頼まれ事を断るのもなんだから、別にいいか。くらいの気持ちで軽く引き受けたのだ。
「ああ、うん。大変そうだね。生徒会の説明聞きそびれただろうから、後でプリント渡さなきゃね?」
「…委員長、枯れてんのか……」
「いや、これが噂に聞く草食系…」
「あんな可愛い子に対してこの反応ってどうよ?」
僕には聞こえていないと思ってるらしく、ほんの僅か離れただけの机でクラスメイトの彼らはひそひそ囁いている。
失礼な。
僕はとっくに彼女相手に恋に落ちている。
ただ自分の感情をわざわざ不特定多数にひけらかす事もないかと、その他大勢に対するのと同じ態度で喋っているだけだ。
「なあなあ、委員長って中学時代に彼女いた?」
「いや…いなかったな。普通の女友達と男友達はいたけれど。なんで?」
「好きな子は?」
「…中学時代はいなかったよ?」
ちゃんと限定して言ったのに、そこから僕は『あいつは恋のライバル認定外』とされてしまった。なんでだ。
まあ無駄な威嚇射撃を受けずに済んで、都合がいいからいいんだけどね?
入学してから2週間も経つと、彼女に告白しては振られる、強者が何人も現れては消えた。
噂は千里を走る。
そういう情報はいつの間にか個人を特定され、詳細に広まるものだ。
僕は素直に感心する。
こういう人たちはあれだ。好物を最初に食べる派だ、きっと。
大事に残しておいて他の人に取られでもしたら悔やむに悔めない。だから頑張れるんだろう。凄い。
僕はといえば、ショートケーキの苺は必ず最後に食べる派だ。
うん、苺、好きだよ。
ふわふわのスポンジや生クリームを味わいながら、記憶の中の苺の味を反芻し、甘酸っぱいその味を楽しみに待つ。そして最後に本物を口にする。その味は、期待通りの事もあれば、予想外に酸っぱかったり、経験したことが無い程に甘かったりする。
そんな風にこの恋を楽しみたい、と僕は思っていた。
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それから、僕が彼女にしたアプローチはといえば、休んだ間のプリントを渡したり、頼まれたらノートを写させてあげたり、落とした消しゴムを拾ってあげたり、……まあそんな普通のクラスメイトとしての、接触ともいえない接触だけだった。
彼女はどちらかというと人見知りで、僕が当たり前の事をするたびに、この人はなんていい人なんだろうとでも思っているかのような目でお礼を言ってくるので、面映ゆくて仕方なかった。
スミマセン、下心あります、君にだけ。
そんな些細な出来事からも日々恋心が育っていく様子をどこか他人事のように眺めながら、僕は久方振りに弾む気持ちというものを味わっていた。恋愛というのは本当に面白い、この先僕の気持ちがどのように変わっていくのか、はたまた変わらずにいくのか、じっくり確かめていこう。夏休みの自由研究に取り組むような気持ちで、なんとなく僕はそう考えていた。
けど、僕のその思惑が外れざるを得なくなったのは、この恋が始まってからまだそう遠くもない日だった。
なんだかおかしいのではないのだろうか、と僕は思い始めていた。
入学してから1箇月が過ぎる頃、彼女の早退が目立つようになってきた。
朝、元気に(というか、いつも通り儚げに)登校して来ていた彼女が、いつのまにか具合が悪くなって帰って行ってしまう。そして必ず、どこぞの男子生徒が昼休み又は放課後にうちのクラスにやってきて彼女の不在を確認し、酷く憔悴した様子で去っていくのだった。
と言っても怪しんでいたのはクラスでも僕くらいだろうか。
彼女が病弱だという事は、その頃には周知の事実となっていたし。
噂の美少女を一目見ようと休み時間毎に押し掛ける男子も、もう珍しくはなくなっていた。
委員長の仕事の一環で日常的に遅刻、早退をチェックしていた僕だからこそ気付いたようなものだった。
幾度も繰り返される事象から推論を導き出すのは、そう難しい事ではない。
僕は仮説を立てた。
一、 彼女の早退は仮病である
一、 どこぞの男子生徒らは、彼女に告白しようと企む者どもである
一、 彼女は告白される事を忌避している
結論―――――誰かに告白される事を避けるために、彼女は仮病を使って早退している。
仮説が成ったら、次は実証だ。
確かめる術は一つしかない。
僕は、生まれて初めて、ラブレターという代物を書くはめになった。
『お話があります。放課後、屋上で待っています』
早朝、いつもより1時間早く登校した僕は、ひどく簡潔になってしまった手紙を彼女の下駄箱に忍ばせる。いや、これでも一晩かかって推敲したんだけどね?
呼び出し場所を屋上にするか体育館裏にするかで2時間迷ったんだけど、果たし状だと思われても困るので、屋上にした。うん、ごめん。僕の勝手なイメージなんだけど。
とにかく昨夜は思い知らされた。僕はラブレターを書くのに向いていない。
つまり、二度同じ手は使えないという訳だ。
その日僕は、真剣に彼女の様子を観察した。
彼女が保健室に行きたがったのは5時間目だ。
「先生、具合が…」
青い顔をして不調を訴える彼女に、僕はすかさず付き添う事にした。委員長やってて良かった、と、初めて思った瞬間だった。
保健室に保険医は不在だった。
仮病なのか本当に具合が悪いのか分からないのに、病人(仮)を一人で置いていく訳にはいかない。
保健医が帰ってくるのを二人で一緒に漫然と待っているうちに、手持無沙汰からか、彼女は自分の事をぽつりぽつりと語り始めた。
多分彼女自身も、自らを詐称し続けるという事に、どこか罪悪感を抱いていたのだろう。
僕は、ちょうど良い懺悔の相手だったのだ。
結局、仮病だったことが判明した。
僕の仮説は証明された。
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で、その後どうなったかというと。
僕と彼女は現在、人知れず付き合っている。
所謂、彼氏彼女の仲だ。
別に秘密にしている訳でもなんでもないんだけど、僕達が一緒にいても、登下校を共にしていても、特に皆不満には思わないようで。なんだろう、認められているっていうか……むしろスルーされている?のか?
「なんかさ、彼女がまともに話す男子って、委員長だけだよな~。うらやま」
「ああ、うん。だって僕ら付き合ってるからね?」
「またまたぁ」
「他の男だと嫉妬したり嫌がらせしたり一発殴ったりしたくなるところなんだけど」
「うんうん。委員長だと目くじら立てる気にならんわ~」
正直に話しているというのに、なんでだ。
まあ、楽だからいいか。
彼女の方も告白を断りやすくはなったらしい。
「委員長がタイプなの」というと、大抵相手の男が身を引いてくれるとか。
本当に、なんでだろう。
まあ、彼女も喜んでいるし、結果オーライか。
ん?
そもそも一体どうやって、僕が彼女と付き合えるようになったかって?
それは僕が彼女を保健室で押し倒してごにょごにょごにょ……。
まあ、細かい事はどうでもいいんじゃないかな?
僕は彼女が好きで、どうやら彼女も僕の事を好いていてくれてるらしい。
それでいいと思うんだよ。
彼女も時々僕に聞いてくる。
「委員長、本当に私でいいんですか?……わ、私の病気、完治は難しいですよ?」
「奇遇だね、僕も」
そのたびに僕は彼女を見つめニッコリ笑って、こう言うんだ。
「お医者様でも草津の湯でも、治せない病なんだよ?」
それはもう、君を一目見た時からね。