3 『ミリンダの憂鬱』
お昼時。
ミリンダは、いつものカトレアさんの店で昼食を食べていた。
正面にはトールが座っており、これまたいつものように三人前ぐらいの量を美味しそうに平らげているのを、食後の香茶を飲みながら眺めている。
「………………」
つくづく思うが、燃費の悪い彼氏である。
しかし、あんなに大量に食べておきながら体重がまるで増減しないというのは、ある種の『魔法』なのではないかと疑ってしまう。
教えろ。切実に思う。――教えろ。
こっちが今のスタイルを維持するのに、どれだけ大好きな甘い物を我慢していると思っているのか。
「なんか、怖いよ?」
「え?」
内心の嫉妬が表情に出ていたらしい。
トールがやや苦笑しながら、身を引いている。
「どうかしたの?」
「ごめんごめん。大したことじゃないわ」
「とてもそうは思えないぐらいの鬼相になってたんだけど……」
「鬼相て、ひどいわね。本当に美味しそうにご飯を食べるわねって羨んでただけよ」
「………燃費が悪いだけだけどね。それに羨むような話じゃないと思うけど?」
「女の子には女の子の問題があるのよ」
「気にする必要はないと思うよ。我慢ばっかりしてないで、たまには好きなように気分を発散させないとそっちの方が体に悪いと思うけどね」
「あんたらしい意見ではあるけれど、一度でもタガを外してしまうと際限なく甘えてしまうのもまた人間なのよ。律する気持ちは維持をするのが難しい。だからこそ、価値があるって先生も言ってたでしょ?」
「君の努力をたかが、なんて言うつもりはないけれど、ミリンダが少しぐらい重くなっても僕はまるで気にしないよ?」
「わざわざ言わなくてもいい言葉を口にすると、場合によっては寿命が著しく減少するわよ」
「今はそんな場合じゃないって判断かな。
お詫びの印に、甘いケーキを一つご馳走するよ?」
「………………あんまり甘やかさないでよね」
せめてもの抵抗でそんなことを言いながらも、あっさりと注文を入れる辺りに本音が透けてしまっているだろう。
顔が赤くなってしまうのを自覚しながら、そんな自分をトールが優しい視線で見ているのを意識する。
どうも最近は、子供の頃とは立場が逆転する場面が生じる時がある。
それは決して不快ではないのだけど。
「大切な恋人だからね。どうせ見るならいつもの綺麗で可愛い笑顔が見たいのさ」
「今の言い方、少しユーリっぽいわね」
素直に嬉しいと思いながらも、照れ隠しっぽいことを言うミリンダ。
「多少の影響は受けるさ。彼は凄い男だからね」
ごちそうさま――と手を合わせて、食後のお茶に手を伸ばすトール。
相変わらずと言うべきなのだろうか。
普通なら照れて口ごもるようなことも、彼は自分の感情を隠さずに口にする。そういうストレートなところは好感が持てるが、場合によってはこちらが照れる。
「それにしても……」
運ばれてきたケーキをフォークで切り崩しながら、なんともなしに呟く。
「うん?」
「折角の二人きりだけど、あんまり話が盛り上がらないわね」
「そんな倦怠期みたいなことを言われると傷つくんだけど」
「そんなつもりはないわよ」
本気で悲しそうな目をするトールに、ミリンダは慌てて手を振る。
「――ただ、わたしたちは仲よし四人組でいる時間が長かったから、たまに二人だけだったりすると少し落ち着かない気分になるわねって話よ」
「あ、それはちょっとわかる」
恋人としての逢瀬なら話は変わるのだが、それはそれとして、ありふれた休憩中の日常会話である。今となっては四人でいる時間の方が少なくなってはいるのだが、今でも大抵の場合はお昼を三人で過ごしている。
たまにこうして空席があると、慣れないというか、会話の流れが悪いというか。
会話があまり弾まないのである。
――というか、いつもと違うのが浮き彫りになっているというのが正確だろうか?
だからというわけではないのだが、自然と話題の方向性は、今はこの席にいない運び屋の彼へと焦点が向かう。
「今もソランは走ってるのかしらね?」
トーテンタントの街の方向を眺めながら、ポツリと呟く。
「今回はユーリも一緒だったし、たまには街でゆっくりするのを勧められてるんじゃないかな? 仕送りを渡してしまえば、あとはそんなに急ぐような内容じゃないんだろ?」
「ソランは性格的に街の生活サイクルは苦手っぽいからね」
「そうかなぁ? 運び屋として自発的に最速の納期を設定している辺りは、なかなかに都会的だと思うけどね。」
「仕事としては、それが当然じゃないの?」
「そうでもないよ。言っちゃなんだけど、こんな辺境の村だと、配達の日時指定しても納期に間に合わないのはザラだし、同様に物資の仕入れとかもなかなか思ったとおりにはいかないもんだよ。行商なんかも気まぐれで来たり来なかったりするし……」
トールの実家は雑貨屋。
売るための品物がなくては話にならないし、材料を製品にするために必要な物資の調達などもしなくてはならない。それが予定通りに入ってこなければ、いろいろと困るだろう。納期が指定されているならば、ただ無為に過ぎるだけの日が生じてしまうのだから。
「勿論、ウチはそういうのも踏まえて、最低限の在庫管理をしているわけだけど。……たまに間に合わなくて、ソランと一緒に街に調達に行ったりもしてるけどさ」
「……あぁ、たまにそういうこともあるわね」
まるで夜逃げのように慌しく、深夜に村を飛び出していく二人の姿を見送ったことが何回かある。
普通にユーリに『翼』で運んでもらえばよかろーに、と思ったのは秘密にしてる。
もっとも、仮にその手段に気づいていたとしても、あの二人ならば普通に自分の足を使っていただろうけれど。
………男の子って、たまに面倒よね?
いや、領主の息子をパシリにしようとする自分の発想も大概だとは思うけども。
それはさておき。
ミリンダとて今は成人。働かざるもの食うべからずの身である。
畑仕事と平行して、父親の仕事を多少なりとも手伝っているのだが、覚えなければいけないことは多く、まだまだ手探りの状態を抜けていない。
それとはまた別種の仕事だが、商売の現場の意見というのは興味深く思えた。
「村のみんなが大らかだから大した問題になっていないけれど、これが街だったらいろんな意味で信用問題に関わってくる」
村は大らかで、街は忙しない。
困ったもんだね、とトールは軽く肩をすくめる。
「――っと、少し話が横道に逸れたね」
「うん? まあ、勉強になるし、続けてもらってもいいわよ。」
「それはまた今度の機会にでもね。
――てか、そろそろ休憩時間も終わりにしとかないと」
「それもそうね。なんだかんだで、そこそこ話が弾んだわね」
「そぉだね」
二人して椅子から腰を上げて、カトレアさんに代金を払ってから店を出る。
「それじゃあ、またあとでね」
「――あ、ソランだ」
それぞれの持ち場へと別れようとしたタイミングで、トールが不意に声を出す。
「んぅ?」
トールの視線を追うように、視線を巡らせると遠目に見覚えのある背格好の人影が見えた。まだ距離が離れているので細部までは見て取れないが、それは確かにソランのように思えたが、同時になんだか言葉にならない違和感があった。
「………え?」
目を凝らす。
妙に安定しない歩き方をしている。
――というか、あれはフラついていると言うべきだろう。
「様子がおかしいな」
真面目な声でトールが、ソランへと向かって歩を進める。
数歩分遅れて、ミリンダもトールに続いたが、ソランと思わしき人影はその段階でパタリと力尽きたように倒れた。
それは遠目にも、あまりよくない倒れ方のように見えた。
「おいおい」
「ソランッ!」
駆け寄って確認したその人影は、やはりソランであり、見た目はかなりボロボロだった。あちこちに擦り傷はあるし、服も破れている箇所がいくつかある。まるで高所から落下するとか、獣道を強引に突っ切るかしたかのような有り様だった。
「ちょっと、あんた大丈夫なの?」
うつ伏せで軽く痙攣しているソランを仰向けに転がす。
「………うん。ごめん、ちょっとダメだ」
「ダメって、おい」
「疲れた眠い痛いその他もろもろ含めてもうダメだ完全に僕のキャパ超えた」
「なんだその程度なら、まだまだ大丈夫ね」
「ひでぇな、おい」
あっさりと断定したミリンダを、トールがじっとりとした横目で見やる。
………いやいや、こんな喋る元気あるなら大丈夫だって。
「とりあえず、いろいろと助けて?」
「あんたがそんなに素直に頼ってくるのも珍しいわね。かなり本気で切羽詰まってる?」
「いや、いろいろあり過ぎて何から片付けたらいいのかわかんない」
「まー、とりあえずは落ち着きなさい。それでゆっくりじっくりと考えなさい。ほんの一瞬を争わなければいけないほどではないのでしょ?」
「そう、だね。ミリンダの言う通りだ。
………まだ差し迫った危機があるわけじゃない」
「トール、背中を貸したげて」
「わかった」
「………いや、大丈夫だから」
「ただでさえ消耗している君を、これ以上消耗させるわけにもいかない。ここは君が無理をして走るような場面じゃない」
「ごめん――じゃなくて、ありがとう」
「どういたしましてだ」
ぐったりしているソランを背負うトール。
「それで、どうするの?」
「………とりあえず、ユーリにも報告することがあるし、他の事を片付けるにしても、ミリンダの家に向かいたい。それがいろいろと都合よさそうだ」
「ユーリにも?」
遠距離の通信を可能とする魔導具の普及は進んでいるものの、個人の手に渡るのが可能なのはまだ大都市圏の富裕層ぐらいである。村・町レベルとなると領主から長に普及される一つだけというのも珍しくなく、この村も例外ではない。
故に。
ユーリと連絡を取り合うには、ミリンダの家まで出向く必要があるのである。
「あぁ、うん。いろいろあり過ぎて、まだちょっと混乱してる。頭の中でまとめられたら順番に説明してくよ」
「わかったわ」
そんなこんなで急に慌しくなった状況下で、三人は村長の家――つまりはミリンダの家へと急いだ。
● ● ●
そんなこんなでソランから話を聞いた。
その上でミリンダが抱いた思いは次の一言に尽きる。
頭が痛い。
事実、ホントに頭痛がしている。
「………はぁ………」
思わず、ため息の一つも吐こうというものである。
――ソランから聞いた話の要点を纏めると以下のようになる。
『ユーリの勧めを断って、帰途を急いだ。
その途中で雨に降られた』
そこまでは別にいい。ソランの読みが悪く、それに不運が重なったに過ぎない。
お腹を抱えて笑ってあげれば、それで済む話だ。
『雨宿りのために森の中に入った。
崩れの連中に遭遇した。
追いかけられた。
もとい、襲われそうになったから逃げた。
森の中で迷子になって、いつかの遺跡に潜んだ』
この下りは大問題である。
地図上で確認すると近隣に町村のない辺りではあるし、必然的にトーテンタントの街からも離れている。だが、そんなところに忽然と『崩れ』が現れるはずがないし、放置しておくにはあまりに危険な存在である。
正体を隠して、どこぞで食料や必要な物資を調達しているのならまだいいが、あの手の連中はそういうことをしないから『崩れ』と呼ばれているのである。
――最悪、ソランが遭遇する以前にどこかで被害が出ている可能性がある上に、今後はそういう事件が発生する確率が圧倒的に高い。
ソランが遭遇した上で情報を回してくれたのは、不幸中の幸いと言えるだろう。
本格的に向こうが動く前に潰してもらえる。
「――というわけなのよ」
やや駆け足に一区切り付けられるところまで説明した。
村長の執務室に設置された長距離通信用の魔導具。
父の執務机の上にある掌サイズの結晶体の上に投影された映像は、時折波打つようにブレながらもユーリの上半身と見覚えのある部屋の内装を映し出している。
ミリンダと同じように机の前に座っているらしいユーリは、何かを押し殺したような難しい顔をしている。
「それで今はトールが村のみんなに警戒を促しているわ。
この通信の後には、近隣の村・町にも連絡するつもりよ」
『そうか。大事になる前に速やかに問題を排除するつもりだが、警戒は怠らないに越したことはない。近隣の村・町への連絡はこちらで引き受ける。通信用の魔導具はこちらの方が数が多いし、短時間で情報を拡散させる連絡網も構築している』
「わかったわ。お願いね」
『――ああ。………ソランは、今どうしている?』
「話を聞いた後に、ちょっと強引に眠らせたわ。今は客間で寝てる。傷の手当も済んでる。数日で治る程度の軽症よ。安心して」
『………よかった。下手をすれば、後悔で眠れぬ夜を過ごさなくてはならなくなるところだったよ』
「ソランからの伝言………『自己責任だから、気に病まないでくれ』ってさ。
ついでに、わたしからも一言――あんたは何も悪くないわよ」
『………すまない。ありがとう』
「だから、あんたが謝ったり感謝したりする場面じゃないんだってば……」
自省的というか、自罰的な傾向が意外に強いユーリに少しだけ辟易していると、
『それにしても……』
ガラッとユーリの声音が変化したのに気づく。
『あの遺跡に………いや、それはさておき、俺の友人に手を出すような愚昧の輩が領地に生息しているのか』
薄暗い情念が仄かに燃えているような声音に少し不安になる。
「………………ちょっとちょっと、念のために聞くけど、あんた大丈夫?
学生時代の三大騒動の一つ――ブチ切れたあんたが大暴れした時の事を想起させる声をしてるんだけど……?」
ちなみに、それは『領主の息子』であるユーリがいつも一緒にいることで何かと注目されていた『ミールストの三人組』を妬んだ他所の貴族の『田舎者』発言で発生した騒動である。単純に結果だけを語るならば、校舎の一部が跡形もなく消し飛んだ。
――死者が出なかったのは、命懸けでユーリを止めたソランとトールのおかげです。
『いや駄目だ』
「ダメって、ねぇちょっと」
『誤解の余地が入らないように、率直に言おう。今の俺は腸が煮えくり返っている。
………そうかぁ。まだ先祖やその仲間の方々の想いを踏み躙るような輩が、この近辺に生息していたかぁ……。しかも、俺の友達に手を出したのかぁ……。そうかそうか。こっちの不手際でもあるのは事実だが、それを謝罪するのはひとまず後回しにして、まずは徹底した害虫駆除を完璧に完遂しなくてはいけないなぁ……。ふふっ……くっくっ……はっ……あはっ……あははははははははははははははははっ』
最終的には、悪の親玉みたいな感じで哄笑を始めるユーリ。
「………………」
あ、ホントにダメだ。これ。
キレてる。てか、イッちゃってる。
「うん。わかった。でも、あんまり周りが引くようなスプラッタなことしちゃダメよ」
『努力はしよう』
――悪魔みたいな笑みを浮かべたユーリの横顔を最後に映して、通信が切れた。
「………って、ちょっと待って。まだ話は途中なんだってばぁ……」
遅かった。
再度繋げてみても、誰も応じてくれなかった。
きっと今頃、ユーリは人員を集めて、『崩れ』討伐の準備を始めているのだろう。
「もぉ仕方ないなぁ……」
あの様子では、しばらくは聞く耳を持たないだろう。
少し時間を置いてから、再度の通信をして、誰かに伝言をお願いしようと決める。
――そう。
まだ話は終わっていない。
『あの遺跡に隠れ潜んだソランは、隠し扉を見つけて――
その奥で。
ソランは一人の『少女』と出逢ったのだ』
いや、出逢ったというよりも、あの口振りでは見つけたという方が正確なのかもしれない。
「さて――それじゃあ、最後に」
軽い頭痛を意識から外しながら、自分の部屋へと足を進める。
「入るわよ」
数回のノックの後に部屋の中に入る。
そこにはミリンダの用意した服を着た一人の少女が、所在無さげに佇んでいた。
ソランが遺跡の隠された場所で見つけた少女。
裸だったとか、目を覚まさなかったとか、そんなのを言い訳に『魔法の鞄』の中に入れて、他の荷物と同じ扱いをしたのは、女の視点からは大減点だが。
もっとも。
背負ったりして、この村まで戻るのも難しかっただろうから、その辺には目を瞑る。
空色の髪と瞳。少し不健康にも見える華奢な体躯。年の頃は少し年下ぐらいだろうか。
どこか浮世離れした雰囲気を持っているが、今は不安の方が前面に押し出されている風である。
「………あ、あの………」
「ちょっと待たせちゃったみたいね。慌しくてごめんね」
少女は怯えた猫のような上目遣いでミリンダを見ている。
「それで、どう? 少しは何かを思い出せた?」
ソランが眠るのと入れ違いに目を覚ましたこの少女は、記憶を失っていた。
より正確には、自分に関する記憶を。
適当に話をした限りでは、ある程度の一般的な知識は問題なくあるようだったので、おそらくは一時的なものだろうというのがミリンダの結論であり、それには村で唯一の医者にして、未だに衰えを知らないエロジジイも同意見だった。
「………………」
少女はフルフルと申し訳なさそうに首を横に振る。
(………どうしたものかしらねぇ……?)
相手の不安を煽らないように、ミリンダは内心で呟く。
ソランはまだ眠っている。
ケガもしているので、自分から起きてくるまでは寝かせておきたい。
「……ふむぅん」
穏やかで平和に過ぎていく日々の中に紛れ込んだ小さな違和。
それが何をもたらすのかを少し考える。
これは平和ボケの楽観論かもしれないが、ほんの少しだけ停滞してしまっている『彼』を前進させるための兆しのようにも思えるのだ。
悪いことにはならない。
根拠はないけれど、不思議とそんな確信を得たので、ミリンダは成り行きに任せようと思うのだった。
………決して、投げたわけではない。
「とりあえず、お腹空いてない? 何か食べる?」
「………あ、はい」
少女を連れて、食堂へと向かう。
何かが始まる――そんな久しく感じていなかった昂揚を胸の奥に抱きながら。
………………早くもユーリが壊れました。どうしよう。
大きな不安を作者が抱えつつも、序盤の終了です。