1 『運び屋の少年』
大陸西部――クールミンガス領。
現在の大陸において最大の規模を誇る統一国家より、爵位を与えられた領主(つまりはユーリの父親)の治める地である。どちらかというと中央からは離れた辺境であり、僕たちの生まれ育った地でもある。
そして、トーテンタントの街。
四千の領民の住むクールミンガス領における最大の街が見えてきた。
僕たちは今、虚空を飛翔している。
成人男性が数人座れる胴体と左右に伸びた翼。蓄積された魔力を推進力へと変換して空を翔ける飛翔魔導機――通称『翼』。
「――到着だ」
ゆっくりと高度を下げながら、『翼』を胴体着陸させるユーリ。
「よく思うんだけど、それ、どうやって動かしてるんだい?」
一介の農民である僕でも魔導具ならば、それなりに馴染みがあるが――というか、商売道具として二つほど所有している――次世代型魔導具=魔導機となるとさっぱり理解が出来ない。
「俺の思考に連動するように設定しているんだが、それを言葉で説明するのは難しいな。ひたすら長い専門用語の羅列で説明してもいいが、聞くかい?」
「遠慮するよ。個人的には、便利な道具に助けられたって感じで十分だ」
言いながら『翼』から降りる。
久しぶりのしっかりとした地面の感触を体に馴染ませる。
「その持ち主にも感謝してくれ」
ポンッ――と軽い音を立てて、『翼』が消える。何らかの手段で格納されたのだ。
その恩恵に預かっておきながらなんだけど、『魔法』ってやっぱり不思議な力だよねぇ。
生憎、僕にはそんなに素養はなかったみたいだけど。
「勿論だよ」
早朝には村を発ち、そのまま昼過ぎぐらいには、トーテンタントの街に到着。
普通の成人男性の足ならニ日はかかる距離を、たったの半日で越える『翼』を持つユーリのおかげである。
片道でかなりの時間が短縮できたので、夜明けまでには村に帰れそうだ。
「街も久しぶりと言えば、久しぶりかな」
「そうか? それなりの頻度で往復してるだろ?」
トーテンタントの街は外壁に囲まれた街であり、東西南北の四つの門が入り口として存在する。僕たちがいるのは東門付近である。
基本的に夜明けとともに開放されている門は、多くの人が出入りしている――ということもなく、人の姿はまばらだ。
門番も日陰で簡単なゲームに興じている。
「大抵は日が沈む頃に到着して、夜の内には出てるからね。まだ明るい頃合に街の様子を見るのは久しぶりって感じさ」
「なるほどな」
ユーリが門の奥に見える住み慣れた街を、温かな眼差しで見やる。
僕としても数年は滞在した街だ。入り口から見ても、あんまり変わっていないようでありながらも、微妙に細部が記憶と異なる街の様子は感慨深い。
昼と夜では、やはり印象も違う。
「それで、これからどうするんだ?」
「そりゃあ、仕事をするさ」
遊びに来たわけではないのだ。
「二つあるんだったけか?」
「ああ。学生への緊急の仕送りと不足物の調達だよ」
僕の仕事は『運び屋』だ。
クールミンガス領内ならば、何でも届けますというのが触れ込みである。
――とはいえ、実際は小さな村の『自称・運び屋』であり、知名度も低い。小遣い稼ぎが精々といったところである。
たまに緊急の用件が求められた時や村長の好意で支えられているような『本業』だ。
どちらかというと村での農作業の手伝いとかの『副業』の方が稼げているのが現実ではあるが、それには目を瞑って欲しい。
「なるほど。では、まずは学園の方か?」
「うん。そっちも久しぶりだね」
「付き合おう」
「………………いや、君は早く家に帰った方がいいと思うよ」
いろんな意味で。
それともう一つ。多少は洗ったとはいえ、畑仕事の汚れが残っているその服の状態で、領主の息子が出歩いているのはあんまりよろしくないような気がする。
そういうのに対して大らかな気風とはいえ、上に立つ人にはその立場に応じた責任はある――みたいなことを大人はよく言っているし。
「現実逃避をしているわけでもないがね。嫌な事は先延ばしにしたいじゃないか?」
「それを世間一般では現実逃避というんだよ」
「君が何を懸念しているかはわかっているつもりだが、それとは別件で仕事が溜まっていそうだからね。またしばらく拘束されるかと思うと憂鬱なのだよ」
「溜めなければいいじゃないか」
「真面目に仕事ばかりしていたら、君たちのところに遊びに行けないじゃないか」
「反論の難しいことを言わないで欲しいな」
「ま、半分ほどは冗談だ」
「半分も冗談なんだ」
「どちらにせよ、今日は休暇の予定だ。ただし、早く屋敷に戻れば、それも帳消しにされかねなくてね。もう少しぐらいは、〝ただのユーリ〟として友人と遊ばせてくれ」
「わかったよ」
そうして、僕たちはゆっくりと街の中へと歩き出す。
門を抜けて、街の中に入れば、その光景は一変する。
大勢の人が行きかう大通り。
まるで何かに急かされるように早足の人もいれば、ゆったりのんびりと歩いている人もいる。露店からの客寄せの声や駆け回る子供たちのはしゃいだ声。道端で足を止めたおばさんたちの井戸端会議。
――あぁ、今日も街は平和で賑やかだ。
仕事そのものは、あっさりと片付いた。
元は数年を過ごした街だ。記憶が多少曖昧になっていても、細部が少し変化していたとしても、昼の街並みを眺めながら歩いていると記憶も蘇ってくる。
懐かしい学園の寮で後輩に仕送りを渡し、その後は村の不足物の調達のためにあちらこちらの店を訪れた。どこも何度か訪れた店なので、店主や店員とは顔見知り。ささやかな値切り交渉を交えながらの雑談に興じた。
思ったよりも安く仕入れられたのは、傍らで興味深そうに傍観していたユーリのおかげかも知れないけども。
ちなみに。
現実問題として、調達した不足物は総重量としては、個人に持てる重量を軽く凌駕している。最低でも馬車が一台は必要なぐらいであるのだが、そこはそれ『その程度』も一人で運べないようでは『運び屋』とは呼べない。
勿論。僕にそんな腕力があるわけではない。
単にそういう『道具』を持っているだけである。
やや話が横道に逸れるけれど、僕が『運び屋』を本業として選んだのは、手元にあった二つの魔道具が関係している。
大体、馬車一頭分ぐらいの荷物を重量無しで収納できる『魔法の鞄』。
ある特殊な効果を秘めた宝石のペンダント。
そして、さらに付け加えるなら数少ない自慢の無尽蔵なスタミナ。この街から村までなら、おおよそ日が昇ってから沈むぐらいまでの時間で、ほとんど休憩なしで走り抜ける。
それが僕を運び屋たらしめるステータスだ。
「さて、と。こんなものかな」
その中に大量の雑貨などを詰め込んだ鞄をポムポムと叩きながら言う。
「ふむ。こうして直に君が仕事をしている場面を目の当たりにするのは久しぶりだが、なかなかの手際だね。無駄なく、最短ルートを通りながら物資の調達をしているのがよくわかる」
「君に褒められると照れるね」
何をやらしてもそつなくこなす万能の能力者。僕らの代では学業で主席を譲らず、実技においては剣でも槍でも弓でも教官を上回り、魔術においても言うに及ばず。
人望に関しても文句の付け所もなかった。最初は敵対していた人も最終的にはヤバイレベルで心酔していたし、女子からのラブレターも一日平均二十通で、告白回数にいたっては三回もだ。ちなみに同一人物の再チャレンジ多数。
学園の歴史に残る神童として、今では伝説呼ばわりである。
友人とはいえ、そんな男に褒められると少しは嬉しくなる。
「おいおい。俺はそんなに大した男じゃないぞ?」
「君の自己評価はさておき、僕からすると君は大した男だよ。頼りにしてるし、尊敬もしているし、何よりも友人でいられることが誇らしいと思えるぐらいにはね」
「君こそ、俺を照れさせたいのか?」
「お返しだよ」
「ふむ。――では、俺からも言わせてもらおうか。自覚は薄いようだが、お前は大した奴だ。傍にいると安心するし、その生き方には敬意を表するし、何よりも君という友人を得られたのが誇らしいと思えるぐらいにはね」
「そういう台詞は女の子にこそ言われたいねぇ……」
「ははっ。まったくだ」
互いの顔を見ながら、笑みを交し合う。
「――さて、君の仕事は手早く終了したようだが、これからどうするね?」
「そうだね。急いで帰っても今ぐらいからならそんなに変わらないから、もう少し街中を散策して行こうかな。それにそろそろ空腹だ」
「わかった。なら、学生時代のいつものところに行くとしよう」
「それは懐かしいね。楽しみだ」
そして、やや遅めの昼食後。
学生時代に馴染んだ定食屋を出たところで、ユーリが空を仰ぎ見て眉根をわずかに寄せた。
「どうかしたかい?」
「いや、夜ぐらいには崩れてくるかもしれん空模様だと思っただけだよ」
「君が万能選手なのは知ってるけど、天候まで読み取れるのかい?」
「ほとんど勘だがね。的中率は半々ぐらいだ」
「ふむ」
顎に手を添えて、しばし考える。
基本的に急ぎの仕事に関しては片付いている。村長に依頼された不足物の調達も終わっているので、後は村に帰るだけなのだが、その日程までは厳密に決まっているわけではない。
僕としては遅くても明日中に村に戻れば問題ないと判断している。
なら、今日は街で一泊するのもありかも知れない。
街には村に無い物がたくさんあり、特にその中でも物語の記された本の類には興味を引かれている。
文字を書くのは苦手だが、学園時代の勉強の成果で読める程度には理解しているし、頻繁ではないが図書室にも通っていた。
面白そうな新刊を探して書店を巡るのも悪くないと考えたのだが――
「どうする? なんなら、久しぶりに我が家に泊まっていくのもありだと思うが?」
そんな僕の内心を読んだわけでもないだろうけど――あるいは読んだのかも知れないけども――ユーリがそんな提案をしてくれた。
思わず、甘えてしまいそうになるが。
僕は薄く笑いながら、軽く首を左右に振った。
「いや、今日のところは遠慮しておくよ」
「そうかい?」
「ああ。やっぱり、そろそろ村に帰ることにするよ」
「個人的には、一泊して明るくなってから帰るのを勧めるがね。夜間の移動はそれだけでも危険を伴うものだし、そもそも納期に関してはそこまで急ぐ必要はないのだろう?」
「……確かにね。だけど、曲がりなりにも『運び屋』なんだから、少しでも早く届けたいと思っているんだ。それがどんなに些細なものでも、それを頼まれたからにはね」
「ふっ。真面目だな、君は」
「そーゆーんじゃないよ」
「それが君の判断ならば、これ以上を言うのは野暮というものだと思うが。それでももう一言だけ、ちょっとした忠告をさせてもらいたい」
「うん。なんだい?」
「最近、あまりガラのよろしくないのが西に流れてきているらしい」
「それは夜盗や盗賊の類かい?」
「ああ。そういうことになる。職業的な連中ではなく、『崩れ』だろうがな」
平和な世の中でも、そこからあぶれてしまう人というのは、やはり存在する。
現在の大陸は、子供たちに学園で教育を施して、その後の人生の選択するための指針を与えており、成人してから選べる職種なども幅広い。
ある種の才能が開花したり、努力で己を高めたりした者には、国から直々に高位の職を与えられる場合もある。学園時代の生徒の中には、中央に招かれた者もいたし、実のところユーリも筆頭候補として声がかけられていた。彼は断ったけども。
大陸西部はその傾向が特に強く、血筋や家柄などではなく、個人の能力で評価をしているのである。
だからこそ、今の時代の法は、努力を怠って堕落し、他者を害するような堕ち方をした者に対してはかなり容赦がなかったりするのだが。
それはさておき。
「外回りの警護に警戒を促しているが、肝心の人手が足りないのは相変わらずだ。夜間の移動は、警戒を怠らずに慎重な移動を心がけてくれ」
「わかったよ」
うなずいてから、軽く屈伸をする。
これからしばらくは走りっぱなしなので、道の端で簡単な柔軟体操をする。
「――よしっと。それじゃあ、そろそろ行くよ」
「わかった。――また、今度な」
「うん。ちゃんと仕事を片付けてから、遊びに来てくれよ」
「努力はしよう」
「あははは。じゃあね」
軽く手を上げてから、僕はユーリに背中を向けて駆け出した。
● ● ●
「やれやれ。振られてしまったな」
ユーリは遠ざかる友人の背中を眺めながら、軽く頭を掻いた。
正直な内心を打ち明けると、もう少し強引な手段を使ってでも、ソランをこの街に引き止めておくべきだったのではと思っている。
いろいろと多才なユーリの能力の一つで、『占い』と呼ばれるものがある。
端的に説明すると、ある種の『未来予知』なのだが、その精度はかなり曖昧で不確かなものでしかない。より正確には、頭の中で羅列された情報を正確に翻訳できないと言うべきか。
例えるなら、唐突に頭の中で意味不明な言葉が聞こえてくるようなものだ。
徹頭徹尾意味不明ならばまだ聞き流せるのだが、中途半端に意味のわかる言葉も含まれているのでタチが悪いと言わざるを得ない。望む望まないに関わらず、気にはかかってしまうのだから。
「………今宵、運命に出逢う、か」
今朝方にふとした拍子に閃いた情報も、その大半は意味不明なものだった。
その中でかろうじて意味を拾えた文が、小さな呟きとして空気を震わせる。
それが誰に対するものなのかも不明なのだが、ユーリはその『占い』の対象がソランなのだと認識していた。
根拠のない勘だが、これまでの経験からそう判断した。
仮に対象が自分であったとしても、それは自力で乗り切ればいいだけの話だ。
だが、中途半端に何事か起こるのがわかっていながら放置するのは主義に反する。
だから、それとなくソランを街に留めようとしていたのだが、結果としては裏目に出たというか、脚本どおりのように話が進んだ感が否めない。
「さて、どうしたものかな」
占いの内容は、危険が含まれているようなものではない――が、翻訳不能な部分に悪意的なものが示唆されている可能性もある。
疑い始めればキリがない。
思わず、ソランを追うように踏み出しかけたが――
『ユーリはいろいろと過保護すぎるわね。出来る事がたくさんあるからこその弊害だとは思うけれども、たまには信じて見守るのも大事よ』
かつて、ミリンダに言われた言葉が脳裏を過ぎった。
「………確かに、悪い癖だな」
自嘲の笑みが零れる。
ソランならば、きっと『大丈夫だよ』と言って笑うだろう。
頼られてもいないのに勝手に先走るのは、確かに過保護以外のなんでもない。
ましてや、神託なんてものは当てにしても意味がないし、ただの気にしすぎの幻聴かも知れないのだ。
今は平和な時代。
かつての戦乱の時代ではない。
生命の危険など、そう易々とは落ちていない。
「――とはいえ、忠告はした手前、留守にしている間の状況の進展ぐらいは調べておくかな。場合によっては周辺警護や街道の見回り強化も必要になる」
夜盗や盗賊――世間一般で言うところの堕落した『崩れ』連中が西に流れてきているのは事実なのだ。
個人的にも、領主の息子としても、友人や領民の安全確保は重要だ。
それに、『遺跡』に関する報告をする必要もある。
「さぁて、屋敷に帰るとまた忙しくなるな」
いろいろと小言を言われてしまうだろうが――それを回避するためにもソランを屋敷に泊めたかったのだが――それも含めて、領主の息子として頑張ろうと思った。
彼らの友人として恥じない自分でいたいから。
最後に、すでに友人の姿を覆い隠してしまった雑踏を振り返ってから、ユーリもゆっくりと歩き出した。