ツンデ霊
よくある、タクシー怪談です。なあに、大したことはありません。ちょっとばっかり女の子幽霊と関わってゆくお話ですばい。
1
葦狩峰雄、三五歳。
普通自動車免許特一種取得。
タクシー運転手歴、五年目。
今夜も二四時間勤務。
でも、明日は休みさ。なんて、そう男が思いを巡らせながら、真夜中の山道を走らせていた時の出来事である。個人タクシーの峰雄は自家用車のブルーバードで、細い山道を登っていた。ライトを下向きに照らしても、やっと先が見える位に、暗闇の世界に覆われている。これでは、例えば人が飛び出したとしても、すぐさま反射的に避けれるかどうか不安であった。蛇がのた打ったように曲がりくねった丑三つ時の山道は、言葉通りに、お先真っ暗。勿論、幽霊の出ると噂されているカーブがあり、登った先には墓場があった。しかし、幽霊に関する目撃証言は見事なほどにバラバラである。若い女が白い着物姿だったり、全身ずぶ濡れのブレザー姿の女子高生だったり、ひとつ括りのセーラー服の女子高生だったり、ボロボロ着物姿の老婆だったり等々。
そんなこんなである。
まとまりの無い噂を信じて怖がってもしょうがないので、峰雄は話しを真剣には聞き入れる事はしなかった。何しろ男は、人を轢かないように運転をする方が先決だったので、いくつもの曲がり角に遭遇しようがビクつく事はしなかったのだ。
順調に安全運転をしていた時、手前のカーブ先のバス停で、茶髪をひとつ括りにした夏服セーラー姿の女子高生を発見。こんな時間帯になんで、突っ立っているのだろうかと疑問を抱きつつ、少女の前に停車して声をかけてみる。
「君、バスはもう来ないよ。なんなら、自宅まで送ってってやるぞ」
少女が峰雄を見た。
少しばかりムッとしていた表情。背丈は高い方か。スラリとして、脚が長く、黒いソックスを履いている。団栗眼で鼻筋が高く、卵顔。少女は上体を下げて目線の位置を峰雄へ合わせると、話し出した。
「悪いね、オジサン。アタシ、タクシー代払える金なんか持ってないの」
「いや、もう、金の問題なんかじゃない。こんな時間帯は危ないぞ。何してたんだ?」
「金が駄目なら、躰で払えってか?」
「違うって。蛇や夜行性の動物、それに野犬に襲われてみろ。痛いだけじゃ済まされないぞ」
「分かった、分かった。今回はオジサンの無欲な親切心に免じて、大人しく乗ってあげる」
女子高生が人懐っこい笑顔になる。そして、後部座席に乗り込んだ。
2
車を走らせながら、峰雄は少女へ尋ねる。
「家は、何処ら辺りだ?」
「ん。結構走らせたらさ、墓場があるんだ。その近くに、民家があんの」
「それが、君の自宅だな?」
「なんだよ。さっき言ったじゃんか」
少女、少しムッときた。
「分かったよ。君を墓場でおろせば、いいんだな。」
「そうそう」
そして、墓場に到着。 そこは実に真っ暗であった。街灯のひとつも無く、月明かりにより、うっすらと墓石の角を浮き上がらせている程度である。多分その先にも墓が幾つも建ててある筈だが、闇に黒くベタ塗りされた山々の影と墓場が癒着して、確認不可能だった。
女子高生が車から降りて、運転席側の峰雄へと回り込んで話しかける。
「ありがとーね、オジサン」
「なあに。気を付けて帰るんだぞ」
「ちょっと待ってて。代金持ってくるからさ」
そう云って笑顔を見せると、自宅らしき方向へと走って行き暗闇の中に姿を消す。しかし、数十秒と経たずに少女は峰雄の元に戻って来て、千円と幾らか払ったのである。男は、彼女が本当に支払った事に少々驚いた。
「むむ。家があるのは、本当だったんだな……。有難う」
「えへへー」
少女は得意気に笑うと、後ろから携帯電話を取り出した。
「オジサン。お礼にさ、アタシのメアド教えてあげるよん」
「そ、そうか?」
少し嬉しそうだ。
「アタシの名前ね、須藤初音ってんだ」
「俺は、葦狩峰雄だ」
そうして二人は、お互いに携帯電話の番号とメールアドレスを交換して、別れたのである。
翌々日も、峰雄はあの山道を走らせていた。個人タクシーといったって、協会に所属している。よって、運転手の中でも若い彼は、こういう路線を任せられていた。そして、一昨日と同じ、カーブ先のバス停の場所で立つ、例の女子高生を再び発見。
初音の前に停車。
「須藤君」
「やだっ!? また、アンタ?」
少女の驚きに、峰雄は、アンタはないだろうと思いつつ声をかけた。
「それは俺も同じだよ」
「しょおーーがないなぁー。よし、乗ってあげるか」
「…………」
まだ乗れとは云っていない。
初音は、後部座席へと乗り込んだ。
「墓場までお願いね。峰雄」
呼び捨てにされた。
「わ、分かった……」
とりあえず、発車。
3
あれからというもの、峰雄が担当している山道を走らせる度に、例のバス停で初音を見て、そして自宅まで送り届けるという日々が続いた。
少女が、彼を見るなり。
「またアンタ!? 仕事熱心だね、ふん」
とかだったり。
「よくもまあ、こんな薄気味悪い所を毎日毎日、走らせるよね」
な、他に。
「み……峰雄だから、安心しているんだぞ」
などなど。 あれこれやりとりはあっても、二人共に悪い気は持たなかったのである。そんな初音も、男へと運賃を律儀に払っていた。
そうして、ひと月余りが経ち、峰雄が何時ものように曲がりくねった山道を走らせていた時の事、いつもと変わらぬように暗闇にあるバス停へと停車。すっかり顔馴染みの女子高生が居た。
姪っ子か妹のように、男は少女に声をかける。
「須藤君、送ろう。毎晩、大変だな」
峰雄に振り向く。
何か、いつもの初音とは違っていたのだ。
「有難う。峰雄さん」
“さん”を付けられた。
男は奇妙な思いにかられながらも、初音を後部座席へ乗せると走り出しす。
バス停の空間から、暗闇を裂いて初音は現れると、腕時計を見るなり慌てた表情に変わった。「うそっ!? 今さっき、峰雄のヤツ、誰を乗せてったの!?」
そう、男はバス停に来るのが、いつもより少し早かったのだ。舌打ちした少女が地を蹴って跳躍すると、漆黒の山道を飛翔して行った。目指すは、峰雄のブルーバード。
4
峰雄は後部座席の初音を気にしていた。何も喋らなければ、何も絡んで来ないのだ。ただ窓に映る、夜道と樹木の並びを微動だにせず眺めていただけ。暫くして見飽きたのか、正面に顔を向けると、バックミラーに映った初音のドングリ眼は切れ長な瞳に変化していたのだ。
幾分、オトナっぽさが感じられた。しかし、彼は直感的に危険信号を脳神経から受け取って、脂汗が噴き出てきていた。初音でない少女が、峰雄に話しかけてゆく。
「どうされました」
「い、いや……何でもない」
「この先に、お墓があります。そこでお願いね。峰雄さん」
「分かった……」
正面が突然、黒い布に覆われたの如く、闇に包まれた。ライトを点灯させるものの、一向に接触する様子がない。何処を走らせているのか、検討もつかなかった。峰雄自身、このような事は人生で初めて遭遇したので、焦って顔が強張った。
しかし、運転手の勘が冴えて、ブレーキを力いっぱい踏みつける。停止した。後部座席を見ると、既に少女は居らず、土汚れと血痕のような物があった。車から降りて前に歩いてゆくと、そこはなんと崖であり、フロントバンパーの先端が少しはみ出ていたのだ。
「畜生めが」
突然と耳元で囁かれ、躰の態勢を崩して崖から落ちるかと思われた瞬間、峰雄は何者からか引かれて地面に尻餅を突いた。
後ろを見る。
仁王立ちの初音。
その上、眉間に縦皺。
「なにやってんだよ! 殺されるトコだったんだぞ!」
少女の顔を見るなりに、男は安堵する。すると、女子高生が峰雄へ抱きついてきた。
「畜生っ! 心配させやがって、バカ! 性の悪い幽霊なんかに騙されやがって!」
「す、すまない」
「アタシに取り憑き殺されるまで、死ぬんじゃねえぞ!!」
初音、そんな気は毛頭無し。散々と想いをぶちまけた少女の幽霊は、頬を赤らめて
「……送ってって、峰雄……」
「よし、行こうか」
『ツンデ霊』完結
題名から出オチな書き物に、最後まで付き合っていただき、ありがとうございました。
たまにはこうした物も書いてみたくなります。ええ、ええ。