表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

信仰と統治

魔王がPR会社で働いています。

横山さんとは半年前から仕事をしている。


都内に数十店舗を構えるコーヒーチェーンの広報担当、三十代前半。上司の桑原さんは四十代後半、広報責任者だ。二人に共通しているのは、自分たちのブランドをとにかく好きだということだった。打ち合わせのたびに、それが言葉の端々から伝わってきた。


記者会見の前日、23時だった。


会場入りして準備を始めると、横山さんがいた。桑原さんもいた。イベント会社のスタッフも動いていた。会場はすでにそれなりの人数で回っていた。


段取りは俺が組んだ。横山さんたちがここにいることは知っていた。


ただ、実際に見るのは別の話だった。


イベント会社に任せればいいところを、二人は自分たちでやっていた。椅子を運び、受付の位置を確認し、資料を手に取って確認していた。誰かに言われるより先に、次の作業に移っていた。


俺も加わった。


しばらく無言で作業が続いた。深夜の会場に、椅子を運ぶ音だけが響いていた。


「田中さん」


横山さんが口を開いた。


「この仕事、好きですか」


俺は手を止めた。


好きか。


百万の軍勢を統べた俺が、議事録を取り、コーヒーを淹れ、クライアントに頭を下げる仕事が。三木さんの再質問に耐え、初芝さんの決裁を忘れた顔を見て、池上さんの構造を理解しようとしてきた、この仕事が。

答えが出なかった。


「わかりません」


正直に言った。


横山さんが少し笑った。


「そうですか」


それだけだった。責めるでもなく、驚くでもなく、ただそうですかと言った。


「横山さんは」


俺は聞いた。


「好きですか」


「好きですよ」


即答だった。


「自分のブランドを、自分の言葉で伝えられる仕事ですから」


横山さんは椅子を一つ持ち上げて、所定の位置に置いた。迷いがなかった。


俺はその背中を見ていた。


 

記者会見は熱があった。


横山さんが壇上でブランドの話をする時、言葉に力があった。桑原さんが記者の質問に答える時、一つ一つを丁寧に受け取っていた。このコーヒーが好きだということが、全部の言葉から伝わってきた。


記者たちもそれを感じ取っていた。


俺はその場の空気を感じながら、ようやく理解した。


命令で動く軍は俺が作れた。恐怖で動く組織も作れた。しかしこれは作れなかった。


全員が自発的に、同じ方向を向いている。誰かに言われたからではなく、そうしたいからそうしている。


これは統治ではない。


信仰だ。


 

会見が終わって、後片付けをした。


帰り際、桑原さんが言った。


「田中さん、今日はありがとうございました」


「こちらこそ」


俺は頭を下げた。今日は心から、そう思った。


横山さんが笑った。


「次もよろしくお願いします」


「はい」


会場を出た。


深夜に聞かれた質問が、まだ頭の中にあった。


好きか。


まだ答えは出ていない。ただ一つだけわかったことがある。


答えが出ない問いを持ったのは、この世界に来て初めてだった。


それもまた、統治の話だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ