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君が私を忘れても、あたしは何度でも恋をする  作者: まめだいふく


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第1話:六枚の羽は、君だった


 朝の光は、残酷なほどに透き通っていた。


 窓の外を流れる景色は、いつもと変わらない地方都市の風景だ。登校時間、賑やかな列をなす学生たちの声が、薄いガラス一枚を隔てて遠い世界の雑音のように響く。



「……また、少し薄くなった」



 一条澪(いちじょう みお)は、教室の窓に映る自分の顔を無機質に眺めた。


 腰まで届く黒髪は艶やかだが、その奥にある瞳――淡い金色の双眸は、どこか焦点が合っていない。世界を視ているようで、その実、自分自身の内側に空いた「穴」を凝視しているような、そんな空虚さが漂っていた。



「おはよ、澪! 何ぼーっとしてんの。また難しいこと考えてたでしょ」



 背後から、弾けるような声と共に、柔らかな体温が背中に押し付けられた。


 振り返るまでもない。この、心臓の鼓動まで伝わってきそうな距離感。世界にただ一人しかいない、幼なじみの少女。



「……おはよう、鈴音」



 朝霧鈴音(あさぎり すずね)が、澪の肩に顔を埋めるようにして覗き込んできた。


 彼女の翡翠の双眸は、今日も一点の曇りもなく輝いている。鈴音は「あたし」という一人称を、どんなに苦しい時でも変えない。それは彼女なりの、世界に対する強がりの象徴なのだと、澪は知っている。



「もう、返事が遅い。あたしの顔、忘れたわけじゃないよね?」



 鈴音の指先が、澪の頬を愛おしげに、あるいは確認するように撫でる。その手つきは、単なる友人のそれにしては、あまりに粘り強く、独占的な熱を帯びていた。



「忘れるわけない。……たぶん」

「『たぶん』って何よ! ひどいなぁ、幼なじみの特権で、毎日こうして触らせてあげてるのに」



 鈴音は唇を尖らせて笑う。その笑顔を見るたび、澪の胸の奥で、小さな、本当に小さな火が灯る。


 けれど、その火を維持するための「薪」が、自分の中から刻一刻と失われていることを、澪は鈴音に言えない。


 澪の左手首には、銀色の細いブレスレットが嵌められている。



 魔法少女管理組織――《黒星機関》から与えられた、適合者の証。



 この街を襲う「災厄」を退けるたびに、澪は自らの魂の根源である《星魂》を切り分け、兵器へと変えなければならない。



「澪? ……また、手が震えてる」



 鈴音が、澪の手を両手で包み込んだ。


 温かい。鈴音の手は、いつも血の通った熱を持っている。鈴音にとって、澪はただの友人ではなく、自分の魂を半分預けているような、唯一無二の執着の対象なのだ。


 それに対して、自分の指先は、まるで死人のように冷たかった。



「大丈夫。少し、寝不足なだけだから」

「嘘ばっかり。……あんまり無理しないでね。あたし、澪が遠くに行っちゃいそうな気がして、たまに怖くなるんだから。もしそうなったら、あたし、絶対追いかけて捕まえて、どこにも行けないように閉じ込めておくからね」



 半分冗談で、半分は真実。鈴音の瞳に宿る、暗く深い愛情。


 鈴音の言葉は、予言のように澪の心に突き刺さった。



 遠くに行くのではない。消えていくのだ。


 感情を、記憶を、執着を。


《星魂》を分割し、《六星羽》として展開するたびに、一条澪という人格を構成する欠片が、一枚ずつ物理的に削り取られていく。


 今の澪にとって、鈴音は「愛すべき人」だ。


 けれど、その「愛」という感情が、どの魂片(こんぺん)に宿っているのか、彼女自身にも分からない。


 もしも次の戦いで、その欠片が砕け散ってしまったら。


 自分を求めて離さないこの少女を、自分はどう認識するのだろう。


 ただの、名前を知っているだけの「物体」に変わってしまうのだろうか。



 不意に、耳の奥で嫌な音がした。


 ガラスが、内側から粉々に砕けるような、鋭い不協和音。



『――検知。高エネルギー反応、座標B-12。適合者、一条澪。直ちに出撃せよ』



 脳内に直接響く、冷徹な機械音声。黒星機関からの強制介入だ。


 澪は、鈴音の熱い掌から、自分の手をゆっくりと引き剥がした。



「……ごめん、鈴音。忘れ物、取りに行ってくる」

「えっ、今から? もうすぐ予鈴鳴るよ! あたしも行く!」

「いい。……一人で行かせて」



 澪の拒絶は、昨日よりも少しだけ冷たかった。


 鈴音の翡翠の双眸が、一瞬だけ傷ついたように揺れる。それを直視できず、澪は教室を飛び出した。


 戦いが始まれば、すぐには戻れない。


 もしかしたら、戻ってきた時には、今この瞬間に感じている「鈴音を離したくない」という微かな執着すら、失っているかもしれない。



 屋上へと続く階段を駆け上がりながら、澪は左手のブレスレットを強く握りしめた。


 眩い光が溢れ出す。


 それは希望の光などではない。


 自らの命を、愛を、未来を燃料として燃え上がる、終焉への灯火だ。



変身(キャストオフ)――」



 屋上のドアを蹴破ると同時に、世界が反転した。


 青空は澱んだ紫に染まり、雲は巨大な歯車のようにゆっくりと回転を始める。


 黒髪の乙女を包み込むのは、白と金の、神々しくも冷たい装束。


 そして彼女の背後には、六枚の光羽――《六星羽(ろくせいば)》が、鋭い円環を描いて静かに浮遊していた。


 それは、彼女の魂を六つに引き裂いた、残骸の輝きだった。






 境界空間――。


 そこは、現実の裏側に張り付いた、色彩の死んだ断層だ。


 屋上のドアを蹴破った瞬間に広がっていたのは、見慣れた校庭ではなく、重力さえもが歪んだ紫の空。そこには、巨大な歯車のような雲が噛み合い、軋んだ音を立てて回っている。



 魔法少女。


 古びたお伽話であれば、それは愛と勇気を掲げ、人々の祈りに応える希望の象徴だったはずだ。だが、この残酷な現実において、その名はただの「使い捨ての部品」に付けられた、酷く趣味の悪い飾りに過ぎない。


 彼女たちは祈りで奇跡を起こすのではない。


 自分という人間を構成する「感情」を、物理的な兵器へと加工し、燃料として燃やし尽くすことで、ようやく世界を数秒だけ長らえさせる。


 「魔法」という甘い蜜の裏側に隠された、魂の削り出し。


 澪は、そのあまりに高価な力を振るうため、紫の断層へと足を踏み出した。



「……標的、視認」



 澪の声は、変身前よりも一段と低く、そして感情の起伏が消えていた。


 背後に浮かぶ六枚の光羽――《六星羽》が、彼女の意思に呼応して展開する。


 一枚一枚が異なる色彩を帯びた、羽状のブレード型ファンネル。それは、一条澪という少女の魂を六つに引き裂いた、残骸の輝きだ。


 正面に鎮座するのは、巨大な多脚型の怪物。かつて人間だったものの成れの果て――《星核》化に失敗した残骸が、歪な金属と肉塊の塊となって咆哮を上げる。



「《六星羽》、抜剣」



 澪が右手を鋭く振り抜くと、六枚のうち二枚が円環を離れ、超音速で射出された。


 それは「理性」と「執着」を司る魂片。


 理性のブレードは冷徹な演算に基づき怪物の関節部を執拗に狙い、執着のブレードは標的の熱源に吸い寄せられるように、不規則な軌道で怪物の外殻を削り取っていく。



 怪物が放つ汚染弾の雨。


 澪は空中に留まったまま、思考だけでブレードを操作し、それらすべてを最小限の挙動で斬り伏せた。



 魔法少女と言う言葉の力は、祈りではない。



 自らの精神を構成する要素を「分割」し、物理的な攻撃端末として外部化する、残酷な等価交換だ。



(……ああ。鈴音、鈴音)



 戦闘の最中、不意に脳裏を掠めたのは、今朝触れられた指先の熱だった。


 その瞬間、「愛情」を司る羽が激しく明滅し、澪の身体能力が爆発的に向上する。


 皮肉な話だった。鈴音を愛おしいと思えば思うほど、その感情が「兵器の燃料」として効率よく変換され、澪はより強く、より冷酷な死神へと近づいていく。


 澪は音速を超え、怪物の懐へと飛び込んだ。


 白金の光を纏った一撃が、怪物の巨大な鎌を根元から断ち切る。



 だが――。


 断末魔の叫びと共に、怪物がその中心部に隠していた核を露わにした。


 黒く濁った結晶体が、脈動するように膨れ上がる。



「自爆……!?」



 回避は間に合わない。


 澪は瞬時に、最も外側で輝いていた「守護」の羽を前面に固定した。


 それは彼女の献身、鈴音だけは何があっても傷つけたくないという、最も純粋で、かつ狂気的な願いが結晶化した魂。



「……守らせて」



 直後、怪物の核が弾け、境界空間を白濁した衝撃波が飲み込んだ。

 

 精神を直接爪で掻き毟るような、不快な破砕音が響き渡る。



「……っ、あ、が……っ!!」



 澪の視界が、一瞬で真っ白に染まった。


 激痛。いや、それは肉体の痛みではない。


 自らの存在の根源が、愛する者のために犠牲になることで「消滅」する感覚。


 「守護」の羽が衝撃に耐えきれず、蜘蛛の巣状の亀裂を走らせ、そして――粉々に砕け散った。


 砕けた欠片は、空間に溶けるように消えていく。


 修復はされない。分割された魂は、破壊されれば二度と戻らないのだ。



 その瞬間。


 澪の中で、重い扉が閉まるような、決定的な「遮断」が起きた。



(……あれ?)



 先ほどまで胸を焦がしていた「鈴音を傷つけたくない」という、あの狂おしいまでの執着。


 彼女の翡翠の瞳を思い出して震えた、あの胸の鼓動。


 それらが、凪いだ海のように、一瞬で消え去った。


 怪物を仕留めたという達成感すら湧いてこない。


 ただ、目の前の障害物が排除されたという「結果」だけが、冷徹なデータとして脳に届く。


 澪は、自分が何のためにここで命を削っていたのか、その「理由」の核を喪失していた。


 境界空間が解け、視界が校舎の屋上へと戻る。


 夕焼けの赤が目に痛い。



「……澪! 澪、大丈夫!?」



 屋上のドアが乱暴に開かれ、鈴音が駆け込んでくる。


 肩で息をし、翡翠の双眸を大きく見開いて、今にも泣き出しそうな――いや、狂わんばかりの形相で自分を見つめている。

 


 以前なら。


 その顔を見ただけで、澪の心は壊れるほどに締め付けられたはずだった。


 「愛してる」と、その小さな体を押し潰すほどに抱きしめたくなったはずだった。




 けれど。




「……鈴音。そんなに、泣く必要ある?」



 澪の口から出たのは、氷のように冷たく、無機質な言葉だった。


 自分の声を聴きながら、どこか他人事のように感じる。


 鈴音の存在が、自分を構成する「世界のすべて」から、ただの「昨日まで隣にいた個体」へと格下げされたような、そんな絶望的な感覚。



「え……? 澪、何を……」



 鈴音の手が、澪の肩に触れる直前で止まった。


 その翡翠の瞳に宿ったのは、拒絶されたことへの戸惑いではなく、もっと深い場所から湧き上がる「得体の知れないナニカ」への、本能的な恐怖だった。




 放課後の教室は、西日に照らされてオレンジ色に燃えていた。


 部活動へと向かう生徒たちの喧騒が遠ざかり、校舎は不気味なほど静まり返っている。


 澪は、自分の机に突っ伏したまま、動かなくなった左手を見つめていた。


 銀のブレスレットは、何事もなかったかのように冷たく光っている。だが、背中にあったはずの「重み」が一つ消えている。羽が欠けた場所が、風が吹き抜けるように寒かった。



「……澪、行こ? 今日はあそこのデニッシュ、あたしが奢ってあげるから」



 鈴音が、隣で椅子を引き寄せ、覗き込んできた。


 その距離はいつも通り、肩が触れ合うほどに近い。屋上でのあの一瞬の拒絶を、彼女は「戦いの疲れ」として無理やり脳から追い出そうとしている。ボブの毛先を指で弄る彼女の癖。それは、不安を押し殺し、自分を繋ぎ止めようとする執着のサインだ。



「……いい。お腹、空いてないから」



 澪は、感情を排した声で答えた。


 以前なら、鈴音に触れられるだけで胸の奥が騒がしくなった。彼女の誘いを断る勇気なんてなかった。彼女が悲しむ顔を見るくらいなら、自分の心などいくらでも差し出した。それが、一条澪という少女の「核」だった。



 けれど、今は違う。


 鈴音が悲しもうが、その翡翠の瞳が曇ろうが、それに対する反応を司る回路が、物理的に削り取られている。



「そっか。……じゃあ、一緒に帰るだけでもいい? 駅まで。……いいよね?」



 鈴音の手が、澪の制服の裾をぎゅっと掴んだ。


 「いいよね」という確認。それは、拒絶を許さない、同意の強制。

 


「……勝手にして」



 突き放すような物言いに、鈴音が一瞬だけ肩を震わせた。


 それでも彼女は、無理やり口角を吊り上げ、澪の腕を自分の腕に絡めるようにして立ち上がった。





 並んで歩く帰り道。


 アスファルトに長く伸びた二人の影が、一人の巨大な怪物のようになって、境界線を曖昧に溶かしていく。


 いつもなら、鈴音が今日あった些細な出来事を話し、澪がそれに相槌を打つ。その、お互いへの依存こそが、世界で最も甘美な毒だった。


 だが、今の澪には、鈴音の声がただの「雑音」としてしか認識されない。


 彼女が何を伝えたいのか、なぜこんなに必死に自分に触れてくるのか。その意味を汲み取ることが、ひどく無駄なリソースの消費に感じられた。



(……鈴音。うるさい。重い。……なぜ、離れないの?)



 脳裏に浮かぶのは、かつての自分なら決して抱かなかったはずの、酷く乾燥した嫌悪感。


 「守りたい」という魂片が砕け散った瞬間、澪の中で「鈴音を特別だと思う本能」が物理的に欠落していた。


 駅の改札前。自動改札機の無機質な電子音が、二人の間に横たわる沈黙を際立たせていた。


 繋いでいた腕を解き、鈴音が澪の正面に回り込む。


 彼女の翡翠の双眸は、沈みかけた夕陽を反射して、どろりと濁った熱を帯びていた。



「……ねえ、澪」



 鈴音の声は、湿り気を帯びて震えていた。

 


「今、あたしのこと……重いって、思ったでしょ?」



 鈴音の指先が、澪の頬に触れる。慈しむような、けれど獲物を確認するような、粘つく指先。


 澪は、その感触を「不快」と断じることすらできなかった。ただ、思考の端にノイズが混じるような、そんな微かな違和感。



(……鈴音。どうして、そんな顔をするの)



 問いかけようとして、言葉が喉の奥で消えた。


 「守りたい」という魂片が砕け散った代償は、彼女から「相手の痛みを想像する機能」をも奪い去っていた。



「いいよ。別に、それでもいい」



 鈴音は、澪の否定を待たずに言葉を重ねた。その瞳は、理解を超えた場所で燃えている。



「澪がどこにも行けないように、あたしが、力ずくで捕まえておくから。……あんたの全部、あたしが買い取ってあげる。覚悟しときなよ?」



 それは愛というよりは、呪いに近い誓い。


 澪は、鈴音のその剥き出しの執着を、ただの「現象」として眺めていた。



「……そう。おやすみ、鈴音」



 一度も振り返らずに、改札の向こうへと消えていく。


 一人残された鈴音は、自分の胸を――澪が触れていた残り香を、ぎゅっと抱きしめた。


 澪の瞳から、自分を映す「熱」が消えていく。その絶望が、彼女を深い狂熱へと突き動かす。



「……バカ。あたしが、そんなの許すわけないじゃん」



 夜空を見上げる鈴音の視線の先には、不吉なほど赤く光る監視衛星。


 幕は、残酷な忘却と、狂おしい執着と共に、静かに上がり始めていた。


ここまで読んで頂きありがとうございます!

誤字脱字など御座いましたらコメント下さい。


「面白そう」「続きが気になる」と感じましたら、ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです

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