第二章 五節 アヴァロンへ
雛がマーリンと会話した日の翌朝、コーンウォール公爵城には、異様なほどの高揚感が満ち満ちていた。
だが、それは愛する娘の門出を祝う瑞々しい喜びではない。長年、家の隅に巣食っていた不気味な「毒」が、ようやく外部へ運び出されることへの、安堵と狂騒に近い解放感だった。
城門の前には、一台の黒塗りの馬車が用意されていた。装飾は最小限で、どこか葬送の列を思わせるその佇まいは、公爵令嬢の旅立ちとしてはあまりに簡素で、あまりに冷ややかだった。
「おーほっほっほ! ついに、ついにこの日が来たのね!」
母イグレインは、朝の冷気も厭わず、絹のガウンを羽織っただけの姿で広場に現れた。その顔は、ここ数日の憔悴が嘘のように赤みを帯び、瞳は異常な興奮にぎらついている。彼女は、マーリンから聞かされた「この娘は宮廷魔導士の器であり、その母たる貴女の名は王都で称賛されるだろう」という甘い毒を、一寸の疑いもなく信じ込んでいた。
「マーリン様、本当にありがとうございます。あの子を……あのアヴァロンという名の地へ、連れて行ってくださるのでしょう? 立派な魔導士になるために」
「そうですとも。モルガンはアヴァロンへ行き立派な魔導士となるでしょう。私が約束します」
イグレインは興奮を抑えきれず、笑みを浮かべた。
その様子を御者台で手綱を握るマーリンが、皮肉めいた笑みを浮かべながらみていた。
(確かに魔導士となるでしょう。ただ、魔導士以上の存在にもなってしまうでしょうけど。その恩恵を受けれる状態にあるでしょうか…?)
マーリンは胸の内で呟いた。しばらくするとモルガンがやってきたので馬車に乗るため扉を開けた。
雛は、騒ぎ立てる母を一瞥もせず、落ち着いた所作で馬車のステップに足をかけた。その手には、自室から持ち出した最低限の荷物と、肩の上で喉を鳴らすルルがいる。
すると遠くからモルゴスが小走りでかけてきた。
「お姉様!これを私だと思ってもっていって。必ずお姉様を守るわ。私、お姉様が立派な魔導士になるって信じているから」
モルゴスは手作りのお守りを渡してきた。
モルゴス自身、モルガンのことを忌み嫌ってるが大衆の前では姉を慕っているように見せている。
本心ではイグレインのように喜んでいるが、悲しい雰囲気を演じ自分の評価を下げないようにしている。計算高い女である。
「ありがとう」
雛はお守りを受け取り馬車の扉を閉めようとした。
しかし、閉める直前ゆっくりと首を巡らせた。
「モルゴス。……そしてお母様」
その声は、広場の喧騒を吸い込むように、低く、冷徹に響いた。イグレインたちの動きが、蛇に睨まれた蛙のように止まる。
「あなたたちは、自分が賢い選択をしたと思っているようだけれど。……私をこの城から追い出すことが、どれほどの『損失』であるか、いつかその身で味わうといいわ。私がいないこの家が、毒と無能な欲にまみれて腐っていく様を、遠くから見物させてもらうわね」
「な、何を不吉なことを……っ!」
「……さようなら。次に会う時、あなたたちは私の名を呼ぶことさえ許されないでしょう。私の影を踏むことすら、畏れ多くなるのだから」
バタン、と重厚な扉が閉まった。
マーリンが杖を振ると、馬車の車輪が動き出す。イグレインは去りゆく馬車に向かって、狂ったように塩を撒き、清めの呪文を唱え続けていた。その姿は、雛の目には滑稽なほど醜く、哀れな喜劇にしか見えなかった。
(……終わったわ。私の『幼少期』という名の、退屈な前座は)
馬車が城の敷地を出ると、周囲の景色は一変した。
本来なら緑豊かなコーンウォールの森が広がるはずだが、そこには見たこともないほど濃い、真珠色の霧が立ち込めていた。霧は馬車を包み込み、時間と空間の感覚を麻痺させていく。
「さて、お嬢さん。退屈な家族ごっこはここまでだ。ここから先は、世界の理が通用しない『アヴァロンへの道』だ。……準備はいいかい?」
マーリンの声が、霧の向こうから響く。
馬車はいつの間にか、地面ではなく、凪いだ湖の表面を滑るように進んでいた。水面は鏡のように空を映し、そこには無数の星々が昼間だというのに輝いている。現実と幻想の境界が溶け合い、馬車の車輪が水を切るたびに、銀色の火花が散った。
「ふふ、見てごらん雛。妖精たちが君を歓迎しているよ」
ルルが窓の外を指し示す。
霧の中から、小さな光の群れが現れ、馬車と並走するように舞い始めた。それは昨晩、裏庭で助けた妖精たちの仲間だった。彼女たちは、雛という「新たな主」を導くように、銀色の鱗粉を振りまきながら進む。
『こんにちは』
『こんにちは』
妖精達は舞いながら、雛を歓迎した。
「……不思議ね。あんなに憎んでいたこの世界の空気が、今は少しだけ心地よく感じるわ」
「それは君が、ようやく自分の『檻』から一歩踏み出したからさ。アヴァロンは君の願いを形にする場所だ。君が復讐を望めば、それは最強の毒となり、君が支配を望めば、それは不壊の盾となる」
やがて、霧のカーテンが左右に開かれた。
そこには、現実の色彩を遥かに凌駕した、極彩色の島が浮かんでいた。空は薄紫に染まり、黄金の葉を茂らせる樹木が立ち並ぶ。湖畔にはクリスタルのような岩が突き出し、そこから溢れ出る水は、命の根源である魔力を湛えて輝いている。
アヴァロン。
それは世界の裏側に位置する、魂の浄化と研鑽の地。
「ここが……私の新しい戦場ね」
雛は馬車から降り立ち、その瑞々しい土を踏みしめた。
現代日本で、アスファルトの上で果てたあの日。裏切りと絶望の中で終わるはずだった彼女の人生は、今、この幻想的な異界で、全く新しい意味を持ち始めた。
「さぁ、始めようか、モルガン。君の中に眠る魔術の才を私が最大限まで高めてみせよう。もしかしたら君を呼び寄せたあの『声』の正体も、ここでなら見つかるかもしれない」
マーリンが不敵に微笑み、島の中心にそびえ立つ、クリスタルの塔を指し示した。
雛の胸に宿る、不倫夫への憎悪、家族への冷笑、そして自分を虐げた運命への復讐心。それらすべてが、アヴァロンの濃密な魔力と混ざり合い、静かに、けれど確実に「最凶の魔女」としての形を成していく。
雛は一度だけ、遠く霧に隠れたブリテンの地を見据えた。
(待っていなさい。ギネヴィア、アーサー。……あなたたちの『完璧な物語』を、私が最も残酷に、美しく塗り潰してあげるわ)
手に持っていたモルゴスのお守りを燃やし
彼女は振り返ることなく、光り輝く塔へと歩み出した。
モルガンが去った家には様々な感情がうずまいている。
イグレインはモルガンを追い出せたことと将来受ける恩恵のことで頭がいっぱいだ。
モルゴスはモルガンがいなくなって嬉しいものの、自分より格下だとバカにできる相手もいなくなり少し不満げだ。
ゴルロイスはモルガンの助けがなくなり一時期困ったこともあったがなんなく乗り越えた。がモルガンには帰ってきてほしいと考えている。
三者三様の感情がある中、公爵家に縁談が舞い込んでくる。それは近辺にあるオークニーを統治しているロット王からであった。縁談を機に協力関係を結べないかとの打診であった。
ゴルロイスはその縁談をうける。もう1人の娘モルゴスを嫁がせるために。




