第二章 四節 魔術師との出会い
妖精たちとの「見えざる茶会」から一夜明けた、深い霧の朝。
コーンウォール公爵領の離れは、湿った静寂に包まれていた。
雛は、天蓋付きのベッドの端に腰を下ろし、ルルの毛並みを整えていた。
指先にはまだ、昨晩妖精たちが触れた時の、あの微かな温もりと、言葉にならない「慕情」の感覚が残っている。この世界の住人の中で、唯一自分に純粋な好意を寄せたのが人間ではなく妖精だったという事実は、雛の乾いた心に奇妙な安らぎを与えていた。
その静寂を、無作法な振動が破った。
ノックも、前触れもない。重厚なオーク材の扉が、意志を持っているかのように音もなく滑り開いた。
「朝から急に訪問して悪いねぇ」
入り口に立っていたのは、灰色の古びたローブを纏い、杖をもった初老の男だった。
長く伸びた白い顎髭、風に晒された岩のような深い皺。だが、その瞳だけは、老いとは無縁の、底知れない知性と不敵な輝きを宿している。
雛は視線を上げなかった。手元でルルが「ウゥッ」と喉を鳴らし、全身の毛を逆立てて威嚇している。
「お前!急にくるなんて失礼だぞ!」
「なんだいこの黒猫は?ふむ、随分と訳ありな猫をかっているんだな」
「はぁぁ?失礼すぎる。私は高潔な猫なんだけど?」
「高潔ねぇ、秘密にしていることがあるくせに高潔とは滑稽、滑稽」
初老の男は笑いながら髭をさわった。
その様子をみていた雛はようやく口を開く。
「失礼ね。どこの誰だか知らないけれど、ここは公爵令嬢の私室よ。挨拶もできないほど、マナーの欠けた野良犬がこの城には入り込めるのかしら?」
雛の声は、冷え切ったナイフのように鋭かった。
だが、男は怯むどころか、低く愉しげに笑い声を漏らした。彼は雛の許可も待たず、部屋の奥へと歩み寄ると、高価な彫刻が施された椅子に乱暴に腰を下ろした。
「勝手に座るなよ!」
「まぁまぁ、いいではないか。挨拶、か。どちらにしたらよいのかな?魂のほうかい、それとも肉体かな?」
雛は発言しようとした瞬間、過去の記憶が流れてくる。
この男の正体、過去にされた介入……
目の前の男の協力なしではこの先、進めることはできないことを理解した。
雛はゆっくりとルルを抱き上げ、正面から男を射貫いた。
「……驚いたわ。それがすべてを見透かす千里眼の能力の影響かしら?あなたが、マーリン?」
「ご名答。私こそが魔法使いのマーリンだ。何も言ってないのに私の正体がわかるのは察しがいいから?それとも君も千里眼をもっているのかな?」
マーリンは、雛の周囲を浮遊する小さな光の粒子――妖精たちの残留思念を、面白そうに指先で弄んだ。
「君はなかなか複雑な存在だね。本来の物語とは無縁の存在だが、何かしらの影響でここにたどり着いたんだね。君の存在が吉とでるのか凶とでるのか……」
なにやらぶつぶつと呟いていたマーリンを放置し、雛はルルに話しかける。
「あの人、何しにきたの?」
「さぁ、知らない。気まぐれのクソ野郎だしね」
ルルは悪態をついた。
「ルルはマーリンのこと嫌いなの?」
「好きなはずないじゃないか、最低の魔法使いなんだから」
そんな風には見えないがルルが言うからにはいい人ではないことは確かだ。
マーリンはこちらに話しかけてくる。
「ルルといったかな?悪口はよくないよ」
「うるさい!私に話かけるな!」
ルルは雛の膝の上で丸くなってしまった。
丸くなったルルの背中を撫でる。
「よしよし、……ところでマーリン。何しに来たのですか?」
ここは離れに近い場所ではあるが警備がされていない訳ではない。魔法使いだとしても許可なく入れるはずがない。マーリンは口を開いた。
「それは君の母君から依頼されたからだよ」
「お母様から?」
雛は驚いた。あの母に何を依頼されたのだろうか?
「厳密には私も君に会いたいなと思っていたんだ。その時、偶然にも君の母君から君を追い出したいと相談されてねぇ…どうしたものかと思い、とりあえず今日会いに来てみたというわけさ」
なるほど。雛は納得した。
気味が悪い娘を追い出して、自分達の理想の環境にしたいんだ。どこまでも最低だな。
雛は拳を強く握りしめた。
「そう、でもどうやって私を追い出すのかしら?名案はあるの?」
「あるさ」
マーリンは手に持っていた杖を振る。杖の先から雲がでてきて、綺麗な鏡のようなフォルムを作り出した。
雲の真ん中には美しい島がうつっている。
「君をアヴァロンへつれていこう」
「なっ!急すぎるのではないか?」
「猫はだまっておきなさい」
マーリンは杖でルルを小突いた。ルルは静かになる。
「私は君のいうとおり千里眼の持ち主だ。だから君をアヴァロンへつれていく未来はみている。これは逸脱した行為ではないよ。だから安心してアヴァロンへくるといい」
「……」
(先ほど脳裏に浮かんだ記憶とルルの話から私がアヴァロンへ行くのは既定路線。マーリンとアヴァロンへ行き修行すれば魔女になれる。でもそれだけでいいだろうか?)
雛は考えていた。既定路線すぎては物語の書き換えにはならないのではないかと。しばらく考えていると声が聞こえてきた。
{宮廷魔導士になりなさい}
(えっ?)
{宮廷魔導士を言い訳に家をでるのよ}
「宮廷魔導士……」
知らぬ間に口から出てしまっていた。
「宮廷魔導士か、なるほどその手があった」
マーリンが呟いた。
「とりあえず、明日にはアヴァロンへ行こう。私は準備をするよ。君も準備をしておいてね」
そう言うとマーリンは煙を出して行方をくらました。
「相変わらず勝手な男なんだから……ところで宮廷魔導士なんか知ってたの?」
「いや、何か『声』が聞こえて……」
「声?」
「うん……」
あの声はなんだったんだろうと考えている間にエレンが朝食をもってきたのでいつも通りに食べるのであった。
マーリンはモルガンの部屋を出た後、ゴルロイス夫妻の部屋を訪ねた。
「失礼するよ」
マーリンはノックした後、部屋にはいる。
「貴様は誰だ?」
ゴルロイスが睨みつけながら質問する。
一方のイグレインは喜びの顔をしていた。
「ご主人様、この方はマーリン様です。王宮にいる魔法使いですわ。私がモルガンを追い出すようにマーリン様に頼んだのです」
「は?何を馬鹿げたことを……私は許しておらんぞ」
ゴルロイスが少し苛立った。最近悩みもなくなりいい感じに領地経営できているのはモルガンのおかげである。そのモルガンを追い出すなど言語道断。しかも相談なしに。
苛立っているゴルロイスを横目にイグレインは話を進める。
「マーリン様、あの子を追い出せますか?」
イグレインは涙目でマーリンを見つめる。
男に頼み事をするときにするイグレインの常套手段だ。
だがマーリンには効かない。
「追い出せるとも。ただし、理由は宮廷魔導士になるためとさせてほしい」
「宮廷魔導士ですって……」
宮廷魔導士とはウーサー王が統治する王宮内の魔導士である。つまり、モルガンからすれば出世みたいなものだ。
それはイグレインからすれば望んだ状態になる反面、自分より華やかな生活をするモルガンに対して嫉妬せずにはいられなかった。
そんな雰囲気を悟ったマーリンは話を続ける。
「イグレイン様、宮廷魔導士は悪くないです。モルガンは魔術の才があるためアヴァロンで修行し立派な魔導士として活躍するでしょう。そうなったら魔導士を産んだ母君としてあなたは注目されることになるだろう。悪い話ではないと思うが……いかがかな?」
マーリンの話を聞いたイグレインは胸の高鳴りが抑えきれなかった。そうなれば、私も王宮にいきおもてなしされたりするのでは…妄想が膨らみ、イグレインは悦に入った。
「悪くないわ、それでお願いできるかしら?」
「イグレイン、だめだ!モルガンはこの場にいてもらわなければ……」
ゴルロイスが机を叩き叫ぶ。だがマーリンは優しく話しかけた。
「ゴルロイス様、あなたも将来活躍するであろう娘の恩恵を受けれるのです。モルガンがいなくなって困りかもしれませんが戻ってくれば今以上の生活が待っているかもしれませんよ」
宮廷魔導士は高貴な職なため、王からの褒美ももらえる可能性がある。その褒美をもらえば、より豊かになる可能性だってあるのだ。
ゴルロイスは悩んだ結果、モルガンをアヴァロンへ送ることを決意した。
「話がはやくて助かる。では、モルガンは明日にアヴァロンへ出発する。明日迎えにくるよ」
そういうとマーリンは煙を出して部屋から消えたのであった。




