第二章 一節 凍りついた晩餐
豪奢なシャンデリアが放つ光は、食卓を彩る花々を照らし、同時にそこにある「格差」を鮮明に描き出していた。
コーンウォール公爵家のダイニング。
高い天井にカトラリーが触れ合う音だけが、硬質に、どこか刺々しく響く。
上座には、威厳という名の鎧を纏った父、ゴルロイス公爵。
その隣には、病的なまでに白い肌を持ち妖艶な雰囲気を纏う母、イグレイン。彼女は隣に座る末の娘――モルゴスにだけ、蜜のように甘い微笑を向けていた。
そして、影の濃い末席に、雛は座らされていた。
目の前にあるのは、具のない薄いスープと、昨日の残り物であろう石のように硬いパンの欠片。
「……」
雛は無言でその皿を見つめた。
前世の食卓も、これに似た地獄だった。不倫相手と愛を語らうスマホを片手に、夫が私の料理を無機質に咀嚼する時間。「何か悪いことをしただろうか」と怯えながら喉を通した食事の味は、砂のようだった。
(……あの頃に比べれば、この露骨な悪意など、まだ分かりやすい分だけマシだわ)
「お姉様、どうしたの? 食べないの?」
妹のモルゴスが、砂糖菓子のような声で問いかける。見た目、声は可愛いらしく幼い子供のような顔立ちだがその瞳の奥には、自分だけが愛されているという下卑た優越感が透けて見えた。
「愛しいモルゴス。放っておきなさい。その子は、そういう『気味の悪い』食べ方が好きなのよ。昔からそうでしょう?」
母イグレインが、扇で口元を隠して冷たく笑う。
雛はイグレインを見つめる。見つめられたイグレインは雛に嫌悪の眼差しを向ける。
モルガンは生まれた時、銀髪で紫色の瞳を持ちそれはそれは美しかった。産んだ子には母性が生まれるはずだが、この見た目の美しさにイグレインは心から嫉妬した。
成長するにつれて美しさが際立つしかない娘に嫉妬し、かつ魔力を宿した紫色の瞳を持って生まれたため彼女にとって自分の美を脅かす異物であり、生理的な恐怖の対象でしかなかった。
父ゴルロイスに至っては、そこに椅子しか置かれていないかのように、一度も雛を見ようとしない。
(なるほど。この人たちは、私が『家族』だと思っていないのね)
雛は、ゆっくりとスプーンを置いた。
カチャリ、と鳴った小さな音が、部屋中の空気を凍らせる。
背筋を伸ばし、淀みのない動作で父を直視した。
「お父様。一つ、よろしいでしょうか」
剃刀のように鋭い声。ゴルロイスが、忌々しげに初めて娘に視線を向けた。
「……なんだ。無駄口を叩く暇があるなら、早く下げろ。その不気味な瞳は、食事が不味くなる」
普通の子供なら泣き出すような罵倒。だが、雛の唇には微かな弧が刻まれた。
「ええ、申し訳ありません。ですが、このスープ……どうやら調理場の手違いで、『公爵家の品格』まで煮落としてしまったようですわ。こんな家畜の餌を令嬢に出していると知れ渡れば、ゴルロイス家の名は近隣の貴族たちの、格好の笑い種になりますもの」
「なっ……!」
「私が食べないのは、私のためではありません。お父様の、そしてこの家の体面を案じてのことです。……分かっていただけますわね?」
雛の瞳には、一切の感情がなかった。あるのは、相手の弱みを正確に突く、復讐者の冷徹な理知だけだ。
「……なんだと? 貴様、今なんと言った」
父の低い声が地を這う。握りしめられたフォークが、その力で僅かに撓んだ。
「お姉様……なんて恐ろしいことを」
モルゴスがわざとらしく肩を震わせる。
「お父様にそんな口の利き方をするなんて。やっぱり、魔女に魅入られているんだわ……!」
モルゴスは泣いてるような素振りをみせる。
「旦那様、お聞きになりましたか?」
イグレインが雛を汚物のように睨む。
「この子は、あなたの管理能力を侮辱したのです。なんて傲慢な……。やはり離れの塔に閉じ込めておくべきでしたわ」
わざと大きな声を雛に浴びせる。
(……ああ、どこの世界も同じね。群れの中で一人を標的にして、自分たちの絆を確かめ合う。醜悪だわ)
雛は目を閉じ、深呼吸をした。再び目をあけ、イグレインのほうを向き話しはじめた。
「傲慢? いいえ、お母様。これは『投資』の話をしているのです」
雛は椅子を鳴らさずに立ち上がり、父のそばへ歩み寄った。近くにいた侍女たちが怯えたように道を開ける。
「お父様。今、このコーンウォールは北の部族との境界争いで多額の軍資金を必要としていますわね? 隣領のロット王とも、交渉が難航しているはず」
ゴルロイスの眉が跳ねた。最高機密の情報だというのに、それを知っている娘……。ゴルロイスは内心混乱していた。
(ふふ。混乱していそうね。この情報はルルから教えてもらったもの。うまく利用させてもらうわ)
雛自身、転生前は普通の会社員だった。が転生したモルガンが天才だからだろうか……、ルルの集めてきた情報を整理し、まるで経営コンサルタントのように突きつけることができた。
「そんな折、公爵家の娘が飢えているという噂が立てば、ロト王はどう思うかしら。『ゴルロイス家は、娘一人に満足な食事も出せないほど困窮している』。そう判断されれば、交渉のテーブルで足元を見られるのはあなたです、お父様」
雛は父の耳元で、毒蛇のように甘く囁いた。
「私を愛する必要はありません。ですが、私を『公爵家の娘』として正しく飾り立てることは、お父様の財布と権威を守ることに直結する。……これでも、私の言葉は無駄口に聞こえますか?」
「……」
ゴルロイスは、絶句した。目の前にいるのは誰だ?まるで娘の中に別の人格が芽生えたかのように感じる。しかし、目の前にいるのは自分の娘だ。娘に何が起きたのだ?目の前にいる娘の瞳をみる。まるで自分の利益を餌に交渉を持ちかけてくる、得体の知れない支配者のような瞳。ゴルロイスは蛇に睨まれたように固まってしまった。
雛は、青ざめる母と固まるモルゴスを一瞥し、背後の侍女長を見据えた。
「エレン、下げてもちょうだい。次は、もう少し『私の価値』に相応しい食事を、私の部屋に運ぶこと。……いいわね?」
「は、はいっ!」
背後にいた侍女長エレンが、弾かれたように頭を下げ厨房へ向かっていった。
「では、私は続きを部屋でいただきます。皆様、後は仲良く食事をお楽しみください」
完璧な淑女の礼を残し、雛は部屋を後にした。
雛がさった後、イグレインが持っていた扇子を床にたたきつけた。
「な、なんなの……あの子。いつも以上に気持ち悪い……!」
イグレインはアレルギーでかゆみが発生した肌をかきむしるように、激しく腕を掻いた。
イグレインはイラつきが最大になると腕を掻きむしる癖がある。おかけで左腕は常に傷だらけだ。
「お母様、食事を続けましょう? 今日あったことをお話ししたいわ」
場の空気を変えようとしたモルゴスだったが、その内心にはどす黒い違和感が渦巻いていた。
(お姉様、なんか変。人が変わったみたいに……。嫌だな、前のお姉様に戻ってほしい。そうじゃないと、私が優位に立てないじゃない)
家族三人の「偽りの団欒」が再開される。だが、その中心にあったはずの傲慢な平穏は、雛が残した冷徹な言葉によって、決定的にひび割れていた。




