第一章 転生と決意
湿った石壁に囲まれた、薄暗い寝室。コーンウォールにあるゴルロイス公爵の居城にてまだ幼い娘――モルガンは意識を浮上させた。
周囲の音は遠く、自分の身体がひどく不確かで、意識は霧の中にいるようだった。
「ここは、どこ……?」
あたりを見渡してみると視界に飛び込んできたのは、煤けた天井と、見覚えのない不気味な置物の数々。干からびた蛙に、緑色の液体が詰まった小瓶。まるで童話に出てくる魔女の隠れ家のようだ。
「なにあれ……ん?!」
自分の声が幼いことに驚く。
どういうことなの?雛は困惑しながらも冷静に目覚める前のことを目を瞑って思い出してみる。
私の名前は雛、日本で生きていたはずだ。夫の不倫が判明したことで結婚生活は破綻。不実な夫と、その不倫相手を地獄へ叩き落とす計画の最中、誰かに背中を押されて、アスファルトの熱と衝撃、クラクションに包まれて――。
「私、死んだの?じゃあここは死後の世界?」
震える声で呟いた。しかし、死後の世界にしては奇妙な部屋にいた。まるで自分が魔法使いのような部屋だ。
なんだか最近読んだ異世界転生の小説に状況が似ていてこれは夢と妄想が入り混じった何かと考えていた。
「にゃーん」
ふいに猫の鳴き声が聞こえた。
「猫?」
辺りを見渡す。部屋の隅の窓枠に猫がいた。
「さっきまではいなかったよね?」
雛はベッドから起き上がり、猫へ近づいた。
その猫の毛並みは夜のように漆黒で、瞳は深紅の宝石のように輝いていた。
「可愛いね、触っても大丈夫かな?」
雛はおそるおそる触る。触れた瞬間洪水のように記憶が流れこんできた。
ー両親の忌避の視線……魔力を帯びた娘への露骨な嫌悪……生まれてきた妹への偏愛……孤独の中、妖精と交わした秘密の会話……幾度となく繰り返された、ブリテン島の崩壊と、モルガンの無惨な死の運命……
全てを理解するのにどれくらいの時間がかかっただろうか?雛は触れていた手を猫から離した。
「やぁ、新しいモルガン。状況は整理できたかな?」
長い尻尾をゆらりとふった猫が話しかけきた。
「なんとなく……」
雛は曖昧に返事をする。
「まぁ、無理もない。転生してからそんなに時間はたっていないし、君がいた世界とはかなり違う世界だから理解するのはそんなに簡単じゃない」
猫は流暢に話す。猫が話すなんて漫画やアニメ以外で見たことなどない。その状況ですら驚くことだが、妙に落ちついていた。
「あなたは誰なの?」
「私はルル。君を助けるために存在しているよ。君のことは……さっきの記憶からわかったかな?」
雛は頷く。
(私はアーサー王伝説に出てくる魔女モルガンの体に転生したみたい。今は幼少期かな。アーサー王伝説における魔女モルガンのエピソードはいくつかあるみたいだけど、モルガンはアーサー王が死んだ後、アヴァロンへアーサー王を連れていき、アーサー王を来たる復活の時まで永遠に癒し続けてるみたいな話が有名かしら。でもアヴァロンにいてずっと生き続けてるモルガンが死の運命にとらわれているってどういうこと?)
雛は心の中で呟いた。
「それは私が説明しよう」
ルルが窓枠から静かに床におりた。
「本来のモルガンはね、アヴァロンで永遠にアーサー王を癒やし続けるはずだったんだ。けど、この世界の彼女は、王を救う前に必ず無惨な死を迎える。本来の世界はモルガンが生きていることで安定するシステムになっている。しかしモルガンが死ぬことでこのシステムにエラーが発生してしまい世界は不安定な状態になる。安定した世界を取り戻すため神が時間を巻き戻し、モルガンに依頼したんだ。モルガンは奮闘したけど結果虚しく、死を繰り返すばかり。彼女が死ぬたびに世界は悲鳴を上げ、神は仕方なく時間を巻き戻す。……繰り返す死の螺旋に耐えられなくなったモルガンは逃げ出してしまったんだ。困った神は君を連れてくることにしたのさ。いわば君は、バグを取り除くために呼ばれた新しい『部品』というわけさ」
「……随分な言い草ね。でも、要するに私が死なずに物語を完結させれば、このエンドレスな悪夢も終わるってこと?」
雛はベッドの端に腰掛け、自分の小さな手を見つめた。幼い肌の滑らかさとは裏腹に、その瞳には冷ややかな理知が宿っている。
「そういうこと! 理解が早くて助かるよ。……で、ここから本題だ。君がこの世界で生き残り、エラーを解消するための唯一の方法がある。」
「……それは何かしら」
ルルは口角を吊り上げ、深紅の瞳を怪しく光らせた。
「今までのモルガンは死を回避すること、つまりエラーを解消するために行動していたけど効果がなかった……そこで今までのモルガン達の記録と記憶からこれが答えなのではという結論を導いた」
雛は静かに話を聞く。
「エラーを消せないなら、正解を書き換えてしまえばいい。――モルガン。君がこのブリテンの頂点に立ち、新しい『女王』として世界を支配するんだ」
「女王に……私が?」
「そう。その過程で、君の邪魔をする『害虫』を排除すればいいだけさ。たとえば……ギネヴィアとかね」
その名を聞いた瞬間、雛の脳裏に、自分を裏切り、嘲笑った女の顔がフラッシュバックした。
「ギネヴィア……。確か、アーサー王の妃になる女よね」
「そう。彼女は清廉な聖女の顔をして、その実、騎士ランスロットと不倫を謳歌する。その裏切りがブリテンを崩壊させ、君を死に追いやる。……どうだい? 君が最も嫌悪するタイプの女だろう?」
――不倫
それは雛が今、一番嫌な言葉。
その言葉を聞いただけで、裏切り者の夫と忌々しいあの女の顔が浮かぶ。
――私は二度目の人生まで不倫女に左右されたくない
ルルの喉が、楽しげにゴロゴロと鳴った。雛の唇が、自然と冷酷な弧を描く。
「……面白いじゃない。不倫で国を滅ぼすような女に、二度目の人生を邪魔させるわけにはいかないわ。その女には、身の程をわきまえさせてあげる」
「その意気だ。さぁ、ブリテンを統治しようじゃないか」
雛は、ルルと共に、この孤独と嫌悪に満ちた幼少期を乗り越え、ブリテンの女王となる運命を辿ることを誓った。彼女の復讐劇は、もう始まっている。




