おはよう
彼は、決して特別な人間ではありませんでした。
本当に、運の悪い人でした。
初めの世界から、ありがちな異世界転移をして、そこでもそこそこに暮らしていた。
彼は出来ることなら、なにもしたくない人だった。
でも、何度も何度も異世界転移に巻き込まれてしまう。
そんなことを繰り返していると、たくさんの仲間との別れを経験して、いろんな世界の能力が身に付いてくる。
世界を救ったことも、あったかもしれない。
そして、異世界転移を自分の力で避けたり、起こすことができるようになる頃には、死ぬことが出来ないからだになっていた。
もちろん、望んで得た力ではなかったし、不死を求めたわけでもなかった。
彼は、別れを避けるために人を遠ざけながら、どうにかして自殺する方法を探し始めました。
どこかの世界では死の森と呼ばれるような場所の家で、またどこかの世界では自らが作った空間で。
ですが、魂がなんたらとか、神がどうだとか、ビックバンだとか、反物質だとか、どんなことをしても、数多の世界の理が混じっている彼には効かなかったのです。
それを嘲笑うかのように、その過程で彼はどんどん強くなっていきました。
彼はそのうちおかしくなりました。
世界を崩壊させたり。
生き物を蹂躙したり。憂さ晴らしをしようとしました。
自らを殺せる人を探していたのかもしれません。
でも、心の曇りは少しも晴れない。
彼の命に届くことはなかった。
悪魔。化物。色々なことを言われました、そのうち彼はなにもしなくなりました。
人の形はなぜか保っているけど、それぞれの世界が自然に終わるまでの膨大な時間をただただぼーっとして過ごすようになりました。
そんなことを始めた後のいくつめかの世界。
そこで、ある少女が彼の姿を見つけます。
どこかの森にいた彼の姿を見つけた少女は、彼をどうにか自分の家に運び、お世話を始めました。
食事は必要ないし、お風呂も必要ない。
寝る必要もないし、呼吸する必要さえない。
心臓も必要ないし、万が一体が傷ついても、目に見えぬ速度で勝手に治る。
そもそも体さえ必要ではない。
そんな彼を、少女は長い間世話し続けました。食事を無理やり口にねじ込み。
お風呂にいれて、夜になったら布団を掛けて。
毎日おはようと声をかけて。
たくさん、たくさん話しかけました。
その生活が10年ほどたった頃。
彼は口を開く。
そんなことをする必要はない。僕は、君が思うような生物じゃない。僕のために何かをする必要なんて、どこにもないよ。
表情を全く変えず、吐き捨てるようにそう言いました。
少女だった彼女は、発言の内容なんか気にせず、泣いて喜びました。本当に嬉しそうでした。
反射的に、彼を抱き締めてしまうほどに。
その後彼らは、共に生活をしていきます。
裕福とは言えない生活でした。
自給自足の生活をしていた彼女にとっては、大きな負担だったでしょう。
いつしか、彼女の親らしき人を見かけることもなくなりました。
彼は、めったに家の外に出ることはなく、頼まれごとをたまにこなして、それ以外の時間は、ずっと一点を見つめて、ピクリとも動きませんでした。
そんな生活がしばらく続いた頃、彼女が彼の手を引いて、外に連れていきます。
自分から少しも行動しない彼を見かねて、彼が好きなものや、興味を持つものを探しに行くためでした。
しかし、彼はなににも興味を示しません。
その日彼女は諦めて家に帰りました。
ある日彼女は、彼に質問をします。
あなたって、何か得意なことはある?
彼女は、だれでも出来ることではなく、彼が出来ることをお願いしようとしていました。
彼は答える。
死ぬこと以外なら、何でも。
彼女は思いました。
何でも出来るなら、色々やらせてみよう!
と。
そこから彼女は、彼にいろいろなことを頼んでみました。
薪を割らせたり、料理を作らせたり、釣りをさせたり、道具を作らせたり、字を書かせてみたり、薬を作らせてみたり。
しかしながら、彼はどれも完璧にこなして見せました。
彼女は思います。
なんか、逆に出来ないことを探してみたい!
と。
その後も彼女は、彼にいろんなことをさせてみながら、最低限力を借りて、生活を続けていました。
あるとき、彼女はお願いします。
ねぇねぇ、何でも出来るなら、私が今、なに考えてるかわかる?
彼は答える。
君の心を覗くことになるけど、いいのかい。
彼女は、えっそんなこと出来るの!?と驚愕しながら、言いました。
ダメ、そういうのは無し!
彼は答える。
じゃあ、予測になるけど。
僕が当てられなかったら、少しだけ安心して、当てられたら、ちょっとだけ怖くなる。
でも、どっちに転んでも、君は笑うだろう。
いつも通り、まったく表情を変えずにいいました。
彼女は一瞬きょとんとしました。
そして、答える。
すごい。正解。
なら…さ、あなたが、死んでしまうこと以外に出来ないこと、教えて?
彼は答える。
…ずるい質問だね。
彼女は言う。
何でも出来るんだよね。
じゃあ、もちろん、この質問にも答えられるよね。
彼は、しばらく沈黙しました。
やがて、答えます。
………あるよ。
その声は、相変わらず平坦で、起伏を感じられませんでしたが、どこか悲しげでした。
彼は続けて、
誰かを、僕と同じ時間に連れてくること。
彼女は、よく分かりませんでした。
話は、それで終わりました。
その後、彼は何も答えなかったのです。
しかし、なんとなく、彼が変わったように感じました。
ある夜。
彼女が真夜中にふと目覚めると、いつもは座って、ぼーっとしている彼がいません。
どうしたんだろう、と立ち上がり、ふと窓の外を見ると、彼が1人佇んでいました。
相変わらず無表情で、まばたきひとつしていません。
彼女は、それをずっと見ていました。
神秘的な彼の姿と相まって、彼がこの世界の所有者だとも感じられるようでした。
異常に長く、灰色に近い白髪。
色を失ったような、吸い込まれるような目。
彼女は、長い間そうしていました。
しかし、ハッと気付いて、声をかけます。
…寒いよ。
それだけ、静かに言いました。
責めるでもなく、心配するでもなく、ただ、事実だけを告げるように。
彼は、ゆっくりと彼女の方を向きます。
怖がらせないように、ゆっくりと。
目が覚めたのかい。
彼は、自分が起こしてしまったのかも知れないと、申し訳なく思っているようでした。
どうして、外にいるの?
初めてでした。
彼が、自ら動いたのは。
なんでだろう。わからない。
その日を皮切りに、彼は少しずつ正気に戻っていきました。
といっても、急に笑うようになったわけでも、感情が豊かになったわけでもありません。
相変わらず表情は変わらず、声も平坦なままでした。
しかし、
おはよう
彼女が起きるよりも少し早く、薪を割るような音がするようになります。畑の様子を見に行き、何も言わず道具を直し、夕方になると火を起こしました。
最近、ちゃんと起きてるよね
自分から外に出てるよね。
彼女は言います。
その度に彼は、小さくうなずくだけでした。
季節は巡る。
時間は早く過ぎていく。
彼にとっては本当に短い間だったでしょう。
彼女は今にも息を引き取りそうです。
彼は無表情に、質問をしました。
どうして助けたのか。
彼女は答えました。
あなたは、考える力があって、人を気遣うことが出来て。優しい心を持っている。大丈夫。あなたは紛れもなく人間だよ。ちょっと他の人と違うだけ。
私はただ、困っている人を助けただけ。
絶望に飲まれていた人を、救いたかっただけなんだよ。
彼は、その言葉を否定しませんでした。
肯定もしませんでした。
ただ、ほんの一瞬だけ、彼女から目を逸らしました。
…そうか。
それだけ言って、彼女の方を見る。
彼女は、苦しそうに息をしながら、笑っていました。
ねぇ。
彼女が、かすれた声で呼ぶ。
あなた、名前はなんて言うの?
彼は答える。
…わからない。
忘れてしまった。
「ふふ。見つけた。あなたが出来ないこと」
「君は、何て言うんだい」
「私?私はね、ニイ」
「そっか」
「ねぇ、あなたの名前、私がつけてもいい?」
「…いいよ」
「じゃあね……」
彼女が、天井を見つめている。
…もう、ほとんど焦点が合っていない。
「セイ」
「…あぁ」
「どう?」
「…ありがとう」
「そっか」
それが、彼女の、最後の言葉だった。
ふと、自分の頬を触る。
…あぁ。
私は、泣いていたのか。
泣けたのか。
彼女の呼吸が止まる。
世界は変わらない。朝は来て、風は吹いて、小鳥たちが楽しそうに歌っている。
しばらく、彼女の傍を離れなかった。
布団を直して、彼女の手を握ってみたりした。
体は既に軽くなっていて、温度を感じられなかった。
埋葬を行った。
スコップで自ら穴を掘り、埋めた。
どこの世界だったか。
こんな方法だった気がする。
小さな墓標を立てる。
家に帰ってきた。
初めて、ベットで横になってみる。
天井を見つめる。
ニイは、幸せだっただろうか。
私は、ニイが生きていたときと同じように生活した。
薪を割り、畑を見守って、火を起こす。
気持ちの整理をする時間が必要だったのかもしれない。
ふと、夜中に空を見上げる。
「私は…」
言葉が詰まる。
私は、なんなのだろう。
人間だと、彼女は言った。
優しい心を持っていると。
考える力があると。
「私は、セイ」
彼女がくれた名前。
なぜ死ねないのか分からないけど。
なぜ無限の時を生きているか分からないけど。
「セイ」
「…セイ」
私は歩き出す。
次の朝が来るまで。
次の世界に呼ばれるまで。
死ねないまま。
人であることを、手放さないまま。
こんな人が、どこかにいても、不思議ではないと思いました。




