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私の通っていた小学校の水飲み場にまつわる話

作者: 藤田大腸

 あれは小学生の頃の話だ。


 私の通っていた小学校の体育館の横に水飲み場があった。むき出しになった水道配管に蛇口が五、六個ついている形で、体育の後やお昼休みで動き回った後の水分補給では随分お世話になったものである。


 蛇口がついている箇所にはひょうたんのマークがいくつか刻印されていた。これは飲水に使える意味だ、というのは生徒たちの間での共通認識であった。昔の人はひょうたんを水筒にしていたからということらしいが、実は水道配管を製造している企業のブランドマークだと知ったのはこの話を書く直前のことである。私が小学生の頃はスマホで簡単に情報を調べられる世の中ではなかったし、情報を疑う術も知らなかった。とにかくそういった時代のことであった。


 話は戻るが一番端の蛇口。ここの配管に刻印されていたのはひょうたんマークではなく、数字の"2"であった。同じ水道配管を通っている水なので飲めないはずがないのだが、「ひょうたんマークがついていないのだからこの蛇口から出る水は飲めない」という認識を生徒たちは持っていた。それがいつしか「蛇口にはカエルの死体が詰まっている」だとか「ゴキブリが中に住んでいる」だとかいうウワサ話に発展していき、そのせいで誰もこの蛇口から水を飲もうとしなかった。


 六年生のときである。クラスメートのA君は一学期に親の仕事の都合で関東から転校してきた子で、快活明朗な性格のおかげで早くからクラスに馴染んでいた。


 そして六月下旬。この年は梅雨がなかなか開けず雨続きであったが、久々の快晴となった日の昼休みにA君たちとドッジボールをして遊んだ。今ほど酷暑ではなかったにしろ雲一つない青空、太陽の下で全力で動き回ると大量に汗をかくわけで、失われた水分を補給するために水飲み場に群がった。


 何も知らないA君は"2"の蛇口の栓をひねったので、私は「やめとけ」と注意した。


「そこから飲んだらアカン。前にミミズの死体が出てきたらしいで」


 蛇口のウワサはいろんなバリエーションに広がっていた。


「ウソだあ。他の水と変わらないよ」


 A君は蛇口を上に向けて口をつけてしまった。太陽の光を浴びて煌めく水を美味しそうにゴクゴクと飲むA君を、私たちは呆然と眺めていた。


「あーあ、お腹ピーピーになるわ」

「どうなっても知らんからな」


 みんなからいろいろ言われてもA君はケロッとしていた。


 私たちは汚い水を飲んでしまった、ぐらいにしか考えてなくて、せいぜい腹を下して次の授業中にトイレに行ってみんなにバカにされるのがオチだろう、ぐらいにしか考えていなかった。しかしその日は特に何も起きず、学校が終わるとA君に「ビオフェルミン飲んどけよ!」と冗談を言って校門で別れたのだった。金曜日のことである。


 土曜日曜とまた雨に見舞われて、月曜の朝は雨こそ降らなかったものの、どんよりとした曇り空の下、憂鬱な気持ちで校門をくぐっていった。


 教室でA君の席に花瓶が置かれているのを見た。周りにクラスメートが群がっている。まさかたちの悪いいじめじゃないだろうなと身構えたが、クラスメートたちの一様な鎮痛の表情を見た途端、血の気がサッと引いた。


 間もなく担任の先生がやってきたが、やはりみんなと同じ表情であった。


「昨日、A君が交通事故で亡くなりました」


 家族でドライブに出かけた帰り、バイパスでトラックに追突され両親とともに犠牲になったとのことであった。バイパスは交通量が多く良く事故が起きていたが、まさか身の回りの人間が犠牲になるとは考えてもおらず、悲しい悔しい以前に現実を受け入れられなかった。


 授業は普段通り行われたが休み時間になっても誰も外に出ようとせず、普段はムードメーカーのB君も押し黙ったまま、女子グループのまとめ役で男子にうるさく言っていたCさんも泣きっぱなし。私は空気に耐えられず、外の空気を吸いに出た。


 自然と、足は水飲み場に向かった。蛇口には本当に何かの動物の死体が詰め込まれていて、その呪いがA君に降り掛かったんじゃないかと疑うようになっていた。


 蛇口を見た私はギョッとした。


 数字が"3"に変わっていたのだ。


 私は教室に駆け戻るなり叫んだ。


「あの水飲み場のせいや!」


 みんなキョトンとして私を見たが、唯一B君だけが机に突っ伏したままで「何……?」と気だるそうに言った。


「あいつこの前"2"の蛇口から水飲んだやん! それが"3"に変わっとんねん! あいつは呪われたんや!」


 B君は立ち上がって私の胸ぐらを掴んできた。


「お前、こんなときにアホ抜かすなや」

「ほ、ホンマやって! 見に行けや!」

「元から"3"やろうが!」


 耳を疑った。


「ウソやろ……?」

「みんなに聞いてみろや」


 クラスメートの真剣な表情が物語っていた。私はそのままB君に保健室に連れて行かれ、「お前、おかしなっとるから落ち着くまで寝とれ。先生には言うとくから」と、そのままベッドに寝かされた。


 A君が亡くなったショックで、自分の頭がどうかしてしまったのだろうか。次の授業が終わって様子を見に来てくれた担任に向かって泣きじゃくっていたが、そのあたりはよく覚えていない。


 あれから私は水飲み場に一切近寄らなくなったが、夏休み明けに水飲み場は改修されて、むき出しの水道配管から石造りのものに変わっていた。それでも私は二度とそこの水飲み場を使うことはなかった。


 時は経ち、昨年末のことである。帰省した私の元に小学校の同窓会の誘いがあり参加することにしたが、少人数であったため駅前の居酒屋で執り行われることになった。


 参加者の中にはB君の姿があった。彼は小学校教師となり市内の小学校に勤務し、昨年になって母校に赴任してきたのであった。ムードメーカーぶりは変わらずで、乾杯の音頭も彼が取って気の利いた挨拶で場を盛り上げた。


 隣にはCさんがいたが彼女は進学校から東京の有名私大に進学し、誰でも名前を知っている商社で働いている。それでもここでは小学生時代と同じく方言丸出しで、事あるごとに男子に刃向かっていた武勇伝を自虐を交えて話して笑い合っていたが、そこにB君が「盛り上がっとるとこ失礼しまーす」とビールを注ぎにやってきた。


「B先生、ありがとうございます!」


 両手でグラスを持ち恭しく押し頂くと「そんな大層なことすんな」と笑われた。


「お前に言わなアカンことがあんねん」

「何や?」

「昔あった水飲み場の件や」


 私とCさんがB君の眼を見た。


「あー、A君のこと? 水飲み場の呪いがなんとかって叫んどったの思い出したわ」


 Cさんが私を横目で見てくる。


「そう。俺も実はずーっと気になっとってな、母校に赴任できたからちょうどエエ機会や思うて個人的に調べたんよ。そしたらな……」


 あの水飲み場にはやはり、何かがあった。


 私たちの母校の周り一帯はかつて農村であったが、高度経済成長期の折に宅地化が進んで人口が急激に増え、それに伴い母校では生徒を受け入れるためな校舎増築や体育館設置などといった大幅な設備改修工事が行われ、その折に水飲み場も作ったそうである。


 しかし水飲み場に水道を引く工事を行った際、なんと地面から人骨が二体出てきたというのだ。


 母校は大正の折に建てられたが、元々は豪農の屋敷があった。町が新たに尋常小学校を建設する折に町が土地を探していたところ、ちょうど別の地に屋敷を新築しようと考えていた豪農が気前よく自分の土地を提供してくれたとのことである。


 しかしその豪農の家にはいろいろと良くないウワサがあった。息子と娘が一人ずついたが、二人とも心身ともに障害があり、表に出ることはなかった。いや、父親が出さなかったのだ。まだ障害に理解が無い時代で、一家の恥と考えた父親は二人を死ぬまで土蔵に閉じ込めてしまったという。


「その土蔵が建っていた場所が、ちょうど水飲み場のとこやってん」

「え……てことは……二人の骨ってそのきょうだいのもんやったん!?」


 Cさんが口を抑えた。


「特定はできんかったけどな。でも事件性が無いって判断されて骨は町が引き取ったらしい」

「でも、骨が出てきたところの水飲んどったことには違いあらへんよな……」


 Cさんの顔色がみるみる青くなっていくが、私にとっては今更だ。それよりも水飲み場の話の続きを聞きたい。


「で、このことが生徒にバレたらギャーギャー騒ぎ立てるの目に見えとるやん。そやから当時の校長や工事業者はこっそりと警察に処理してもろて、生徒や保護者に何も説明のないまま工事を続けた。お坊さん呼んで供養してもらおうにもウワサの種になるからってやらんかった」


 B君は「それがアカンかったんやろうな」と、天を仰いだ。それから私に、


「"3"の蛇口、もしかしたら本当に"2"やったのかもしれんな。二人きりじゃ寂しいからAを連れていって三人で過ごしたかったんかもしれん」


 水飲み場を改修した際、当時の校長は実は人骨事件のことを知っており、工事前にお坊さんを呼んでちゃんと供養したそうである。


 それからは何も起きないまま、今ではその水飲み場も屋内に移転し、生徒たちは冷房の効いた中で水分補給ができるようになったという。「俺らの時代とえらい違いやな」とB君は笑った。Cさんは気分が悪い、と言い残してトイレに向かった。


 私の周りの者たちの記憶にある蛇口の数字はやはり"3"のままである。だが、私の中では"2"であったと、B君の話を聞いて確信できた。もう今となっては事実を確かめようがないが、それで十分だ。

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