2023年2月
2023年2月4日(土)
立春。でもまだ寒い。今朝は氷点下まで気温が下がった。
でも確実に日が長くなってきている。午後六時を過ぎてもまだ明るい。
今日は雫さんと約束していた美術館巡りの日だ。午後二時に上野駅で待ち合わせることになっている。朝からどんな服を着ていこうか迷った。結局、紺色のコートにベージュのニットワンピース、茶色のブーツという組み合わせにした。シンプルだけど上品な印象を心がけた。
上野駅の改札で待っていると、雫さんが現れた。実際に会うのは今日が初めてだ。ベランダ越しに見た時と同じように美しい人だった。黒髪をゆるく編み込みにして、グレーのロングコートを着ている。品のある大人の女性という印象だった。
「お待たせしました」
「いえいえ、私も今来たところです」
最初は少し緊張したが、すぐに普段のように自然な会話ができるようになった。
美術館では二時間近くかけてゆっくり作品を鑑賞した。彼女の解説を聞いていると、絵の見方が深くなる。技法や色彩について専門的な知識があり、とても勉強になった。
「この青の使い方が素晴らしいですね」と彼女がモネの作品を指して言った。
「ウルトラマリンと白を絶妙に混ぜて、水面の動きを表現している」
美術館の後はカフェでお茶をした。ようやく素顔で向き合って話ができて、とても嬉しかった。マスクを外した彼女の笑顔はより一層美しく見えた。
「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」
「私も。また一緒に行きましょう」
帰り道、二人で並んで歩いた。以前より彼女が身近に感じられるようになった。
2023年2月14日(火)
バレンタインデー。去年は拓也にチョコレートを渡したが、今年は誰に渡すでもない。
でも昨日、雫さんに手作りクッキーを作った。ベランダ越しに渡すつもりだ。
午前中は会社でオンライン会議。春号の企画について話し合った。「マスクを外した新しい生活」という特集を組むことになった。政府がマスク着用を個人の判断に委ねる方針を示したことを受けてのものだ。
でも実際にはまだマスクを外している人は少ない。電車の中でも街中でも、ほとんどの人がマスクをしている。習慣として根付いてしまったのか、それとも周りの目を気にしているのか。
「マスクを外すのは勇気がいりますね」と同僚の山田さんが言った。
「三年間マスクをしていると、素顔に自信がなくなります」と後輩の田中さん。
確かにそうかもしれない。マスクで隠れていた部分をさらけ出すのは心理的なハードルがある。
夕方、雫さんにクッキーを渡した。
「バレンタインのお返しです。去年のクリスマスのお礼も込めて」
「わあ、ありがとうございます。手作りですか?」
「そうです。得意じゃないので味は保証できませんが」
「きっと美味しいです」
彼女も小さな包みをくれた。中には手描きのポストカードが入っていた。春の花を描いた美しい絵に「Thanks for being my neighbor」という英語のメッセージ。
「素敵ですね。大切にします」
「私こそ、葵さんとのご近所付き合いを大切にしています」
なんだかとても幸せな気持ちになった。