第十話「境界のカナリア」
金色の羽根が空間を舞い、ハルキの指先から放たれる旋律が、旧音楽室の空気を微かに震わせていた。
古びたピアノの鍵盤は所々沈み、音も不安定だったが、それでもハルキは止まらずに弾き続けていた。指が覚えていたのは、サクラと共に過ごした、何気ない日々の記憶。屋上で笑い合った夕暮れ。黙って隣を歩いた下校の坂道。何度もすれ違いながら、それでも見つめ合ってきた時間。
「思い出してくれ、サクラ……。君の声は、ここにある」
同じ頃、**“記憶の檻”**の中。
サクラは、夢と現実の狭間に浮かぶ空間で、自分自身と向き合っていた。
檻の中に立つ“もう一人の自分”――少女の姿をした彼女は、どこか寂しげに笑っていた。
「あなたは、私をここに閉じ込めた。自分の“力”も、“感情”も、“恐れ”も、全部ここに置いていったの」
サクラは言葉を詰まらせる。確かにそうだった。自分の見えるもの、感じるものが怖くて、他人に否定されるのが怖くて、ずっと蓋をしてきた。自分を守るために、自分を閉じ込めた。
「でもね、もう聞こえるの。ハルキの音が。私のために響いてる、あの音が……」
もう一人のサクラが頷いた。「なら、行きなさい」
鳥籠にそっと手を伸ばすサクラ。
その瞬間、檻の中のカナリアが目を開き、小さく一声だけ、啼いた。
空間が震え、鎖が弾けるようにほどけていく。檻の扉が、ゆっくりと――開いた。
まばゆい金色の光に包まれて、サクラは意識を現実へと引き戻していく。




