3月14日の妖精
あ、オーロラ見たいな。それが無理ならせめて流氷でもいいけど。あと、美味しいものも食べたい。
サークルメンバーとの卒業旅行先はそんな我らの代の部長である春菜の発言で北海道に決定した。
みんなの予定と、天気も安定して飛行機が無事に取れそうな時期との兼ね合いの結果、流氷シーズンも後半の三月中旬に僕たちは新千歳空港に降り立った。
札幌駅行きの快速電車に乗り込んで、大きなキャリーケースを支える。ふと視界が明るくなると窓の外は雪景色が広がっていた。地元では雪が舞うことはあっても積もることは滅多にないから、女性陣2名は小さく歓声をあげた。
楽しそうな声でパッと周囲の空気が華やぐ一方で、男連中3名は札幌駅からの乗り換えや今後のスケジュールについてスマートフォンを見ながら相談をする。
「……で、お前どうすんの?」
ふと、声をひそめた佐藤が僕を意味ありげに見つめてきた。
「え? とりあえず、駅に着いたらスープカレー食べたい」
「ちげーよ。ほら、春菜と千穂へのバレンタインのお返し!」
「佐藤と俺はこの旅行でなんかお菓子とか小物でも買おうかって話してたんだけど、高橋は?」
「……まだ、考えてない」
加藤からの問いに僕は口籠った。
「えー? 旅行中にホワイトデーが来るし大丈夫かそれ?」
「そうか。まぁ、相談があれば乗るよ」
不満そうな佐藤とは対照的に、加藤は視線をスマートフォンに落としたまま静かな声で言った。
「んー」
そう。バレンタインのお返し。
大学一年生の頃から春菜と千穂は連名で僕たち三人にバレンタインのチョコを贈ってくれていて、今年は最後だからとこれまでよりも気合の入ったものだった。
そして、加藤と佐藤には言っていないが、春菜は僕にネクタイピンを贈ってくれたのだ。
地元を離れて就職する僕への餞別代わりに、と春菜は言っていた。けれど、馬鹿正直にそれを信じるにはバレンタインデー当日に渡してきた春菜の表情が邪魔をする。
期待してもいいのだろうか。いや、もし勘違いだったら気まずいし、そのまま疎遠になりたくない。
春菜を好きになるまでの同じサークルメンバーとして過ごした充実した時間と、だんだんと惹かれていって好きになったと自覚してからの世界が輝いて見える時間。
そのどちらもが大切で、自分の不用意な言動で壊したくなかった。
「明日でもう帰るのか〜。なんか、あっという間だったな」
お酒で顔を真っ赤にした佐藤がしんみりと口にした。
「ほんと、まだまだ旅行してたいよね〜!」
けらけらとご機嫌な様子の千穂の横で、僕は悩んでいた。
初日の札幌観光やジンギスカン料理も、二日目のメインイベントの網走での流氷体験も――もちろん、言葉も出ないほど感動した――その夜の郷土料理も、今日の知床の散策やホテルで今こうして食べている富良野のチーズや地ビールの味も。気の置けないメンバーで過ごしたそのどれもがこれ以上ないほどの思い出だ。
でも、ふとした瞬間に春菜のくれたネクタイピンのことが頭をよぎる。
明日のホワイトデーで僕たちの旅行は終わりだ。
終わってしまう。
そして、その後は卒業式で集まって、それぞれの新生活が始まる。
これまでのように気軽に春菜に会えなくなるのだ。付き合ってもいない男女が頻繁に会う理由も思いつかない。
「楽しかったなぁ……。こうして、みんなと会えて、過ごせて、よかったぁ」
頬を染め潤んだ目でほにゃほにゃと春菜は笑う。
この笑顔が好きだ。
このまま仲の良かったサークルメンバーとして、綺麗な思い出として大事に取っておくのもいいのかもしれない。
数年後には結婚式に呼ばれたりして、あの頃は楽しかったなんて笑えるのかもしれない。
でも、これからもこの笑顔を見ていたい。叶うなら、一番近くで、一番長く。
そのためには、動くしかない……のだ。
やるしかないんだ。
ぐいと飲み込んだ地ビールのポップの香りとこの場の空気に酔いながら決意する。
動かない頭で明日のことを考えているうちに意識が途絶えた。
目が覚めると軽い頭痛が襲ってきた。何とか朝食をかき込み、平静を装いつつ旭川市にある動物園で生き生きと自然体で過ごす動物たちを眺める。
動物好きの春菜はテンションも高く、頬を上気させて写真を撮りまくっていた。
春菜の白のダウンコートが左右に揺れるたび、黒髪のポニーテールが元気に踊っていた。
前を歩くその後ろ姿に自然と目が引きつけられる。
酔いは覚めているはずなのに、どこか地に足のつかない心地がした。
いつ、何て声をかけようか?
悶々と悩んでいると、肩に衝撃が走った。
「おい、お前どうすんの?」
「あと数時間で旅行も終わるよ?」
佐藤は肩を組んできて、初日と同じ質問をしてきた。加藤は僕たちの様子を写真に撮りつつ首を傾げている。
「……え?」
「いや、お前昨日の夜に部屋へ戻ってからぶつぶついってたぞ。春菜に告っ! ちょ、やめろって」
思わず佐藤の口を押さえたがすぐに外されてしまった。
「ま、そういうこと。で、どうするの?」
加藤の冷静な問いに、ついと視線を外すとその先には数メートル先を歩く春菜の後ろ姿。
その背中がくるりと回ってこちらを振り向く。
「ね〜! モモンガ可愛いよ!」
笑顔で手を振る春菜に片手をあげて応える。
「考え中……」
そう言い残して春菜に近づいていく。
「フクロウやワシも良かったなぁ」
「鳥好きだよね」
「だって、可愛かったり、かっこよかったりで最高でしょ?」
鳥類の魅力を熱心に語る春菜に相槌を打ちながら、脳内で次々と今後の予定を確認していく。
午後二時前には動物園を出立して、その後に旭川ラーメンを食べ、富良野でメロンパフェ、その後に新千歳空港へ行くことになっていた。
正直なところ、ギチギチに詰めたスケジュールに告白をするタイミングが思いつかない。
どこかにいいタイミングがないか、乗り換え時間を確認しようとスマートフォンを開く。ついでに、天気も確認すると午後に天候が悪化する予報がでていた。
「あ、ここを早く切り上げた方がいいかも。天気、悪化するって」
「えっ? あ、そっかぁ……。うん、でも電車止まったら困るし」
春菜の顔が一瞬曇るもの、すぐに周囲のみんなを呼び寄せる。
「天気悪化するって〜。だから、ちゃちゃっと見て回って12時過ぎには出よっか!」
そう笑って歩き出した春菜の背中に何と声をかけていいか悩む。
何か、フライトまで余る時間にできないだろうか。
ポチポチと急いでネットを検索すると、とあるサイトが目に入った。
――雪の妖精、シマエナガに会えるカフェ一覧。
三月中旬はシマエナガが現れる時期としてはギリギリだが、カフェへの移動時間と営業時間も含めても、十分に間に合いそうだった。
これだ。
早速、みんなに声をかけると春菜の顔がぱっと輝いた。
直後、春菜はハッとした様子で他のメンバーの様子を窺うと、他のメンバーも頷いたのをみてほにゃっと笑う。
「じゃあ、シマエナガカフェに行こう!」
満面の笑みの春菜に釣られてこちらの口元も弛んだ。
春菜の後ろで佐藤はニヤニヤ笑っていたし、加藤は無言で頷いていた。しかも、千穂も意味ありげな視線を寄越してきたので、これはもう色々とバレていると腹を括った。
夕方、千歳駅からタクシーを飛ばしてもらって到着した場所には、三角の大きな屋根と濃紺の木の壁が印象的な建物があった。
店内に入るとギャリーがあり、至る所に野鳥の写真やグッズの飾られていた。その奥のカフェスペースの窓からは明るい日差しが差し込み、枝に雪を乗せた木々が覗いている。
ここではシマエナガに限らず多くの野鳥を見ることができるらしく、閉店まで一時間ほどの間にもしシマエナガが現れなくとも楽しむことができそうだった。
一人安堵していると、つんつんと腕を刺された。
そちらを向くと春菜が立っていた。
「ありがとうね」
はにかんでされた小声でのお礼に胸がじんとする。
もし、シマエナガが閉店までに現れたら。その時は、気持ちを伝えよう。
もし現れなかったら……。いや、きっと現れるはず。
幸運を運ぶとも言われているらしいシマエナガへ、ちょっとした願掛けと告白のきっかけを託すことにした。
窓際のカウンター席でシマエナガのラテアートを少しずつ崩しているうちに、だんだんと他のお客さんも減ってきた。
様々な野鳥がやってきては飛び立って行ったが、シマエナガはまだ見つからない。
ジリジリと焦りが募ってきて、ギャラリーのグッズでも見て落ち着こうかと席を立った。
ギャラリーの中をざっと見回すと、写真集の表紙を飾る愛くるしいシマエナガと目が合った。
どこか既視感を覚えていると、隣に佐藤が並んできた。
「んで? お前」
「シマエナガが現れたら、言うよ」
佐藤の言葉を遮る。
つ、と表紙のシマエナガをなぞり、そっと指を離した。
「現れなかったら……」
シマエナガが現れなくなる気がして、その先は口にできなかった。
「……見れるといいな」
「うん。ありがとう」
表紙のシマエナガは小さく首を傾げている。
――本当に?
多分ね、きっと。
カフェスペース戻ると、いつのまにかオレンジ色の光が差し込み始めていた。
タイムリミット、かな。
時計を気にしていると、視界の端で青い光が舞った。
シマエナガが現れた合図だった。
小さく歓声が上がり、店内全員の視線が窓に向く。
目を凝らして忙しなく視線をあちこちに走らせる。
「……ぁ」
隣にいる春菜の微かな声が耳に届いた。
その視線の先には小さな影。
黒く細長い尾。茶色と黒の羽。そして、白くまんまるの体。
シマエナガだった。
「っしゃ、トリの降臨!」
心臓の鼓動で佐藤の声が遠い。
そう、夕日の迫るオレンジの世界に飛び込んできた姿は、まさに降臨の一言だった。
シマエナガは暫く餌台や近くの枝を行ったり来たりした後に去って行った。
「はぁ……見れちゃったぁ」
目をきらめかせて感嘆のため息を漏らして余韻に浸る春菜の横顔に目を奪われる。
声をかけようと口を開きかけた瞬間、閉店の時間となってしまった。
会計を済ませて外に出ると、東の空では薄紫から深い藍色へと変化しつつあった。
名残惜しそうに建物を振り返る春菜に声をかけるタイミングを探っていると、ぼすぽすと背中や肩を叩かれた。
振り返ると佐藤と加藤、千穂がこちらに背を向けて軽く手を振ってタクシーに向かって歩いていた。
さくり、と後ろで雪を踏む音が鳴る。
だんだんと足音が近づき、隣りで止まった。
「帰ろっか」
どこか寂しそうに聞こえる声に、気持ちを奮い立たせる。
「春菜。……この前のネクタイピン、ありがとう。これ、よかったら」
先ほど購入したシマエナガの写真集を渡す。
「……来年、さ。また見に来ようよ、シマエナガ」
「……みんなで?」
「……いや。よかったら二人で。……その、恋人、として」
黙って春菜が歩き始めた。
あぁ、僕の勘違いだったか。
あー……気まずい。佐藤たちもこれは気まずいだろうな……。
トボトボと春菜を追いかけて、でも一歩分だけ距離を置いて歩く。
一歩先の春菜が顔だけ後ろを振り返る。
「来年は、温泉に入りたいかな」
温泉。来年は、温泉に入りたい。
何を言われたのか、一瞬混乱する。
「それって……」
「……タクシー待ってるから!」
ザクザクと早い足取りで春菜はタクシーに向かって進んでいく。
夕焼けの中、白のダウンコートに黒髪のポニーテールが揺れる。
それに既視感を覚える。
……あ、シマエナガ。
そうか、幸運を運んでくれる雪の妖精は、確かにここにいる。