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「…」
コックピットのホセの膝の上、少女は見上げて永遠と見える群青色に目を輝かせていた。
マリサという少女を、彼女の故郷に連れていく依頼を受けたホセは彼女を膝の上に乗せてベルトで繋いでいた。
「なんだ、魔女は空を飛んだりしないのか?」
空を前に興味深そうにしているマリサを見てホセは聞くと、彼女は答えた。
『それは映画だけ…』
「そ、そうなのか…?」
魔女と聞いて、ホセの脳裏で浮かんでいた幻想が崩壊する様を見て少女は首を傾げていた。
『大人になったら、魔法は使えなくなる』
「はぁ…どうしてだ?」
大人になれば魔法が使えなくなると言う話にホセは耳を軽く疑った。
『お母さんが言うには、大人になったら夢を持たなくなるからだって…』
「な、なるほど…」
マリサは魔女の現実をホセに突きつけると、彼は子供の頃に寄宿学校で習った魔女狩りを思い返す。
自分の想像している魔女というのはもっと醜悪な見た目て、卑劣な性格をしているイメージだったが、目の前の少女の純粋無垢な瞳と心。
何より一般的に見ても人気が出ると思える容姿にホセはそんな子供の言葉に苦笑して返すしか無かった。
「どうだ?この景色は」
ホセは膝の上に座る小さなパイロットに聞くと、彼女はキャノピーから見える景色に純粋な瞳を輝かせていた。
「すごく高くて綺麗…」
「ははっ、この景色はパイロットが独占できる唯一のモンさ」
「…」
眼下には無限とも言える荒野が広がっており、所々で黒い影が胡麻のような大きさで微かに動いていた。
「あれ、何?」
マリサは聞くと、ホセはその影をよく堪えてみて推測する。
「バイソンじゃないのか?」
「バイソン?」
バイソンを知らない様子のマリサにホセは教えた。
「牛の仲間だ…多分」
「…」
バイソンを簡単に教えてもらったマリサはキャノピーからその影を目元を細めながら見ると、それをみたホセは燃料計を確認した後に操縦桿を動かす。
「少し揺れるぞ」
機体を横に滑らしてホセは言うと、少し楽しげにマリサは膝の上で興奮していた。
そして高度はどんどんと下がり、やがて荒野に自生する低木が見えるほどの高さまで落ちた。
「わぁ…」
そしてキャノピーの横を並走するように無数のバイソンの群れが走っており、土煙を上げていた。
「…」
大量に走るバイソンの群れを見て興奮気味なマリサに、ホセは聞いた。
「満足したか?」
「うん…」
そんなバイソンの群れに軽くマリサは手を振ると、そのままホセは操縦桿を引いて高度を上げて地面から離れていった。
「セーラムまでは時間がかかる。給油を含めて何回か地上に降りるぞ」
「…」コクリ
おそらく降りる理由を理解したのだろう。つくづく賢い子供だと思いながらホセはマリサを見る。
魔法を使える秘密は他に誰にも離していない、なぜなら軍にいた頃に何度か噂で魔女を使った実験が行われていたと言うのを聞いたことがあるからだ。
大戦中、戦争に勝つためという大義名分を掲げて軍はさまざまな実験を繰り返していた。
今はその実験の秘密情報が内部告発という形で爆発しており、軍に対する風当たりは悪かった。
ジジッ
すると開きっぱなしの無線から少々汚い男の声が聞こえた。
『見つけたぞ!ホセ・ブランカァァアッ!!』
直後、数発の銃弾が翼を掠めて咄嗟にホセは操縦桿を横に回して機体を滑らせた。
「チッ、また面倒な奴らが来やがった…」
「誰?」
ホセの急旋回も平気な様子で聞いたマリサに、ホセは答える。
「性懲りも無く俺に喧嘩を売ってくる馬鹿どもさ」
そう言い、彼はキャノピーから見える二機の黒い小さな影を見る。
その大きさは先ほどマリサが見たバイソンのような大きさだった。
「疾風か…新車に乗り換えたのかよ」
自分を追いかけてくる二機の四式戦闘機疾風、極東の国が開発した現役の戦闘機だ。
「悪いな、馬鹿ども」
ホセはそう初めて無線で空賊二人に話しかける。
「今日は生憎とお客を乗せているんだ」
『何だぁ?』
『ふざけてんのか!?』
しかしホセの言い分に二人は訝しんだ。
「悪いが、お遊びはまた今度にしてくれ」
そう言い無線を切ると、ホセはマリサに聞いた。
「行けるか?」
「うん」
マリサは頷いた酸素マスクをつけると、ホセも同じく酸素マスクを付けて操縦桿を引きながらスロットルを倒してプロペラを勢いよく回した。
『あの野郎、マジで逃げる気だぞ!?』
『逃すかよっ!!』
上昇していくホセの機体を前に空賊二人組は慌ててその跡を追いかけ始めるが…
『くそっ…!!』
『届か…ねぇ…!!』
どんどん引き離される景色を前に二人は歯噛みした。
XP-72はもともとは試作で終了した高高度迎撃戦闘機である。
前の対戦末期に軍上層部が仮想敵国から自分達と同じく高高度を飛行する爆撃機の対策として計画が始まったが、開発が完了した頃には、軍上層部は新しい技術であるジェット機に興味が向けられており、試作機が完成した所で計画は終わることとなった。
「じゃあな、馬鹿ども。次は雷電になって出直してくるといいさ」
『クソォォオオオオオっ!!』
『覚えていやがれぇ!!』
無線で追いかけて来る空賊二人にそう言うと、ホセは軽く高笑いしながら遙か上空に消えて行った。
高度一万メートルの景色と言うものはまた格別に違うものがある。
かつて、大戦中に開発された戦略爆撃機は量産された与圧キャビンを用いて他国を驚愕させ、恐怖のどん底に落とした。
その姿から、一部ではもはや飛行機ではないと評されるほどの性能を有していた。
そして今は新型爆撃機が続々と配備されており、海を超えた大陸の国家、連邦と対峙していた。
「寒くないか?」
「大丈夫…」
遙か高空、多くの雲が眼下に広がる世界でゴーグルをつけたホセはマリサに聞くと、彼女もゴーグルを付けて頷いて返した。
『すごく青い』
「あぁ、ここら辺は高度一万メートルに近いからな」
そう答えると、ホセは辺りに戦闘機がいないかを改めて確認する。
まだまだ配備が進んでいないとはいえ、ジェット戦闘機がいるかもしれないからだ。
あの戦闘機を見た時は、プロペラ機の時代は終わったと実感させられたものだ。
「…」
無線も反応がなく、近くに飛行機すら居ないと実感すると少し息を吐く。
「ゆっくりと高度を落としてから一回着陸するぞ」
「…」
聞いて再びマリサは頷くと、ホセは彼女に言う。
「さっきの急旋回でよく答えられたな」
彼が聞いたのは空賊が襲って来た時に、咄嗟に急旋回をしたのだが、彼女は平然とした様子でホセに聞いたアレだ。
慣れない人間であれば吐かないように堪えるので精一杯だと言うのに、彼女は平然と襲って来た空賊の事を聞いて来た。
するとマリサはその訳を一言で答えた。
『魔法、これで痛くならない』
「…なるほど」
それを知り、つくづく便利なものだと感心する。
初心者ですら急旋回のGすら気にする事なく話す事ができるのは戦闘において非常に強みとなる。
「強いな…」
「?」
ホセはなぜ魔女が歴史から淘汰されて来た理由が分かった気がした。
魔女が使う魔法というのは非常に戦争において強力な一手であり、戦術に於いて戦局すら変えてしまう。
故に過去の人は恐れたのだろう、その力を使って支配される事に。
『大丈夫?』
「あ?あぁ、何も問題ない」
マリサに聞かれたホセはそう返す。
「さて、そろそろ降りるぞ」
そう言うとエンジンを少し落としてゆっくりと下降を始めた。
合州国は広大な領土を持っている大陸国家だ。
その国土の広さゆえに嘗ては国中の至る所に隕石が落着した事で国が疲弊していたが、二度の大戦を経て経済を持ち直していた。
「…」
ホセの足元でマリサは彼のズボンを握って周囲を見回していた。
「怖いか?」
「…」
聞かれて、恐る恐る頷くと、ホセはマリサの頭を軽く撫でた。
「大丈夫だ。俺から離れなきゃ、何とでもなる」
「…」
その言葉を聞いたマリサはホセを見上げていると、彼は少し微笑んだままマリサを見下げた。
「今日はここで一泊するぞ」
そう言い降り立った街の屋台でフィリーチーズステーキを注文する。
「…」
「ん?」
するとマリサは少し力を込めてホセのズボンを握った。
「どうした?」
ホセは少し屈んで聞くと、マリサは伝心で伝えてきた。
『飛行機…戻りたい』
「飛行機にか?」
ホセは聞くと、彼女は小さく頷いた。
『飛行機で、寝たい』
「…」
彼女の要望を聞き、ホセはやや驚いた。
飛行機で一晩を過ごしたいと言う人間はよっぽどの玄人か、緊急時以外で聞いたことが無かった。
ホセでも戦時中は寝る時は滑走路傍の兵舎で寝泊まりをしていた。
「飛行機で寝れると思うか?」
「うん…」
「…」
まさかの要望にホセも軽く絶句していた。
「…はぁ」
子供を外に一人で放置する訳にもいかず。かと言って依頼人の要望には従っておかないと後が怖い。
子供だからと言って、ホセは平等に依頼人として彼女を扱っていた。
「仕方ないな…」
明日の朝に腰が逝かないように祈りながら二人は屋台の親父から包まれたフィリーチーズステーキを受け取ると、格納庫の方に歩いて行った。
格納庫には無数の戦闘機や輸送機が駐機されており、大戦中に悪化した治安回復の為の賞金稼ぎが捗っている証でもあった。
政府としてはこれ以上通貨を追加発行する事なく行われる経済回復を目論んでおり、賞金稼ぎもその一環で行われていた。
金は天下の回りものと言うように、国内で通貨をよく回らせる事で経済を動かす。
基本的に賞金稼ぎというのはその日暮らしな人間が多いので、金が入ればすぐに使ってしまう。
パイロット同士で殺し合いをしてもらいながら金で釣ってまた一戦やり合わせる。
「好かんやり方だな…」
自分の機体を前にそう溢すホセ、しかし彼もまた元空軍パイロットで今は賞金稼ぎに身を投じていた。
『どうしたの?』
「…何、少し昔を思い出しただけだ」
ホセはそう答えると、マリサは少し悲しげな表情を見せながら彼の機体の翼の付け根に座った。
「食えるか?」
「…うん」
そして夕食に買ったチーズと牛肉の詰まったサンドイッチを前に一瞬マリサは躊躇するも、恐る恐るそれを一口頬張った。
「…っ!!」
そして脂っこいその味に少しだけ顔を顰めると、それを見たホセは少し笑った。
「ははっ、子供には脂っこすぎたか」
「ムゥ…」
そんなホセにマリサは少し頬をふくらまして反論していた。