Page.5
「さて、お前さんの住んでいた街の名前を聞こうか」
食事を終え、付けでマリサの両親に払ってもらうかと考えながら飛行服用に革製のヘルメットを被るマリサを見たホセは地図を広げながら彼女に聞く。
彼女は胸に拳銃を仕舞って小さく頷くと、念話でホセに伝える。
『セーラム…私の住んでた街』
「セーラムか…ちと遠いな」
セーラム、今いる街より遠く離れた場所である。ここからだと休憩含めて丸四日はかかるだろう距離だ。
本来は警察に預けて向こうの輸送機で送ってもらう方が圧倒的に楽なのだが、彼女は魔法が使える魔女だ。魔女の噂は軍にいた頃も聞いており、何やらよくない事を行なっていると言うのも聞いている。
しかし彼女の雰囲気から察するにそう言った軍の実験に使われたことは無く、おそらく魔法が使える事を隠してきたのだろう。
警察の前で下手な事をやって軍の研究所送りにされる可能性を鑑みれば事情を知っていて、尚且つ魔女である彼女は自分の正体を知っている人は少ない方がいいと考えるだろう。
「(魔女は何をするか分からんしな…)」
魔法という科学を超えた力は分からないことが多く、下手をこけば殺されるかもしれない。
未知とは恐怖だ。
戦場で見た新たな金切り声をあげて空を舞うジェット戦闘機と対峙した時は身の毛もよだつほどの恐怖を抑え込んで戦った。
ただ今回は、その未知の存在を膝の上に抱えてフライトを行う。
「おーい、ニカ」
「なんだぁ?」
そして格納庫でニカノールを呼びつけると、ホセは彼に言った。
「今回は長く飛ぶ。念入りの整備をしておいてくれ」
「はいよ、もう飛ぶのかい?」
ニカノールはホセに聞くと、彼は頷いた。
「あぁ、長く飛ぶ」
「どこまで?」
「セーラムだ」
行き先を聞き、ニカノールはやや苦笑する。
「東海岸じゃないか、反対まで飛ぶのか…」
その顔は少し嬉しげにしており、やる気に満ちていた。
「よっしゃ、しっかり整備せにゃならんな」
「増槽もつけてくれ」
「分かった」
数回注文をつけると、整備士は意気揚々と自分の機体を触り出した。
「さて、」
そして整備を始めたニカノールを見送ると、次にマリサに言った。
「お前さんはもう寝ておけ」
「…?」
「時間、見てみろ?」
首を傾げたマリサが時計を見ると、時刻は夜九時を超えていた。
「…」
「子供は寝る時間なんだろう?」
ホセはマリサに聞くように話しかけると、彼女はゆっくりと頷いた。おそらくずっと見ていたいのだろうが、先ほどの夕食の満腹感と睡眠不足が祟って既に眠たそうにしていた。
「言わんこっちゃない…」
そしてフラフラとするマリサを抱え込むと、彼女はホセの腕の中で完全に寝入ってしまった。
静かな寝息が微かに聞こえ、ホセは整備を始めたニカノールに聞く。
「おい、お前の部屋借りるぞ」
「ん?あぁ、良いぞ」
話しかけられたニカノールはホセの腕の中で寝ているマリサを見て事情を全て察すると、格納庫の横にある彼の休憩所を差し出した。
どうせ今日一晩は整備で帰ってこないのでちょうどよかった。
「増槽は二つだな?」
「あぁ、燃料を満載だ。武装も軽くしよう」
「そうか…まぁ、お前さんの腕前なら大丈夫だろうな」
ホセの判断にニカノールは納得すると、内蔵されている12.7mm機銃四丁と37mm機関砲二門の弾薬箱と翼を開ける。
「武器を外す気か?」
「あぁ、少しでも距離を稼ぐ」
そう言い、二丁の37mm機関砲と二丁の12.7mm機銃を下ろすホセにニカノールは言う。
「おいおい、下ろし過ぎじゃあ無いか?」
「少しでも燃料代をケチるためさ」
「…せめて自衛の武装だけは残しておけよ」
「当たり前さ」
そして12.7mm機銃二丁の武装に換装し終えると次にホセは取り付ける増槽を取りに行く。
「武器は置いておくぞ〜!」
「あぁ、分かった」
弾薬込み込みで格納庫の倉庫に取り外した武装を入れて置くと、奥から増槽二つを引っ張ってくるホセ。
そして増槽を取り付ける作業を二人でしていると、不意にニカノールが話しかける。
「懐かしいなぁ」
「?」
「ほれ、お前さんが初めてこの街に来た頃の話さ」
ニカノールはその時のホセの様子を思い返すように呟く。
「賞金稼ぎなんて言う荒くれ者しかやらんような仕事をやる奴だ。すぐに死ぬと思っていたのになぁ」
「…余計なお世話だ」
軍を辞め、賞金稼ぎに身を投じていたホセはその時から整備士として雇っていたニカノール。
確かに軍をクビになったパイロットは実家の手伝いに帰る以外だと曲芸飛行や郵便運送で生計を立てている。
「なんで賞金稼ぎを選んだ?」
世の中賞金稼ぎはまともな人間であるならやらないような職業だ。
そんなニカノールの問いにホセは少し考えた。
「…強いて言えば…趣味だな」
「趣味…か」
彼が賞金稼ぎを始めてから何気に初めて聞く、彼が賞金稼ぎをしている理由。
ニカノールは少々ホセの返答に軽く笑う。
「はっ、趣味で賞金稼ぎとはね…」
反対側の増槽を付けながらニカノールはそんなホセの生き方に一言。
「まぁ、俺としちゃあこの歳になってもエンジンに触れるから良いがな」
「…すまない」
「何、孫にプレゼントを買ってやれて小遣いもやれる。これだけで十分さ」
大家族である彼の家には確か孫だけで十人ほどいる。
昔は腕利の整備士だったが、年を重ねたことで会社から定年退職をしていたと聞いている。
そして退職後は細々とこの格納庫で整備士として働いていたが、ある日ホセと契約してかなり割安で彼の機体を整備してくれていた。
「お前さんの機体のエンジンはでかいから治し甲斐があるさ」
「そうか…」
なにせ爆撃機と同じエンジンを積んだ二重反転プロペラだ。構造が複雑になる上、これを一人で整備するのは本来であれば一苦労するはずだ。それをニカノールは嬉しげに整備していた。
「今回の長旅に備えて念入りにやっておくぞ」
「あぁ、頼んだ」
そしてニカノールが整備をしている間、ホセは燃料車を呼びつけて取り付けた増槽や燃料タンクに満タンで給油を依頼した。
「安いな…」
そしてその時に給油車に書かれた値段表を見てホセが思わず呟くと、給油をしに来た青年はえぇ、と頷いた後にその訳を教えた。
「最近、海向こうの砂漠地域で大量に石油が出たんで。それで最近は質の良くて安いのが入るようになってきたんですよ」
「なるほど…」
ありがたい話だ。戦争が終わって石油の自由売買ができるようになってからと言うもの、石油の値段は下がり続けている。今ではあの飛行機に満タンに給油しても後払いにしなくて良い値段だ。
「毎度〜」
給油を終え、格納庫から走り去っていく給油車。それを見送ると、時計を見てホセはやや驚いた。
「もうこんな時間か…」
明日からの長距離フライトに合わせて寝るつもりだったが、これではほぼ寝ていないで朝を迎えることになりそうだ。
「このまま起きているか…」
下手に短い時間寝ると、それこそフライト中に眠りこける可能性があるのでホセは朝に出るまでそのまま起きる選択肢を取ることにした。
一徹すれば逆に目が覚めるのでフライトにもあまり響かなくなる。
「手伝うぞ」
「おや、今日は一徹する気かい?」
「あぁ、そのつもりだ」
機体に戻ってニカノールに話しかけると、彼はそのままホセに尾翼の方を任せていた。
「…んにゅ」
そして念入りに整備する事数時間、陽が登って少しした時に寝かせていた部屋のソファから少女は目をゆっくりと開けて体を起こした。
「…」
ここはどこだろうと思っていると、窓の外を見た。
するとそこは自分が見たことのある格納庫であり、窓の先には整備を行っている一機の戦闘機が、まるで大きな白鳥が二人の大人によって羽を整えられており、準備を整えているように見えた。
「…」
その白鳥の悠然とした佇まいや美しさに一瞬目を奪われていると、マリサは少しもっそりとした動きでソファから地面に足をつけて部屋の出口を探して扉を開けた。
「ん?」
「起きたか…」
部屋から出た時の音でマリサが出てきたことに気づいた二人。
「よく眠れたかな?お嬢さん」
ニカノールは油の付いた顔でマリサに聞くと、彼女は一言。
「煙草…臭かった」
彼女の煙草に鼻がやられたような仕草にニカノールは笑った。
「はっはっはっ!そうかそうか、そりゃすまなかったな」
新品の飛行服を見に纏う彼女に近づくと、ニカノールはホセに言う。
「もう飛べるぞ。どうする?」
「あぁ、行かせてもらおう」
ホセは即答すると、マリサを手招きした。
これからフライトに赴くのだと理解したマリサはそのままホセによって翼の根元によじ登るとそのままホセの足元に近づき、ホセは彼女を乗せるために先にコックピットに乗り込もうとする。
「そう言えば」
乗り込む直前、ニカノールはホセに問いかけた。
「お前さん、ホセ・ブランカは本名なのかい?」
ニカノールの疑問に、彼はそのまま答えることなくコックピットに入ると次にマリサを乗せた。
「落ちないように繋ぐぞ」
「…」コクリ
そしてマリサは腹と肩をベルトで巻いて繋ぐと、次にエンジンを始動させ。格納庫に爆音を轟かせた後に足元の車止めをニカノールに外してもらう。
「ホセ!マリサ!」
そして飛び立つ直前、ニカノールはホセに軽くサムズアップをした。
「幸運を」
ニカノールにそう言われ、ホセは軽く笑って返し、マリサは軽く手を振って返した。
返事をしてもらったニカノール自身も笑って格納庫を出ていく二人を見送ると、一機の戦闘機は誘導路に進入する。
「管制塔」
そして無線の電源を入れて管制塔に連絡を入れる。
「こちらWH06、離陸許可を求む。どうぞ」
『こちら管制塔。WH06、離陸を許可する』
早朝の飛行場は空いているもので、簡単に滑走路まで直進するとそのまま離陸許可が出た。
そしてスロットルレバーを押してエンジン出力を上げるとそのまま一羽の白鳥は速度を上げて陸地から離れる。
太陽を横に飛ぶ姿は、まるで白鳥が飛び立っているようだった。
「よし、無事に飛んだな」
そして飛んで行った鋼鉄の鳥を見送ったニカノールは帽子を被り直すと格納庫の奥に消えていった。