いつだって貴方の幸せを祈っております
*この物語の主人公は、人によってはイラつくしゃべり方をします。
なんでも大丈夫な方はそのまま読んでいただけたら、うれしいです。
イラつくと思ったらすぐ閉じてください。
また、ゆるゆる設定です。
少しダークな部分があります。
アルファポリス様にも投稿しています。
「ごめんなさい、ヒールを引っかけてしまってぇ」
ピンク髪に翡翠の瞳。小柄で、ノエルに寄りかかっていても体重を感じさせない。
「いや、大丈夫だ。怪我はないか?」
周囲は大騒ぎだ。ノエルには浮ついた噂が一つもなくて、ノエルに寄りかかっているミーナにはいろんな噂があるから。
「助かりました。ありがとうございますぅ」
ミーナは笑顔で、ノエルを見上げる。
上目遣いに効果があるはずだ。ミーナはこの戦法で負けたことがない。
「気にしなくていい」
ノエルは素っ気なかった。すぐにその場を離れようとする。ミーナは意外に思ったが、気にしなかった。
「足が痛くて立てないのですぅ」
嘘だ。本当はこのままマラソン大会に出場できるほど体力も気力もある。
「仕方がないな」
ノエルのつぶやきはミーナにしか聞こえていなかった。ふわりと体が浮く。ノエルにお姫様抱っこされたのだ。今日は偵察程度の接触と思っていたので、予想外のラッキーだ。それを見ていた生徒たちが、悲鳴を上げた。
「うるさい」
ノエルはそれほど大きな声を出していないが、周囲は静まった。
「さすがですぅ。ノエル様はガラナ公爵家の方ですもの」
「家は関係ないと思うが?」
ノエルは女嫌いで有名で、ミーナみたいに寄ってくるのは、自信過剰か恥知らずのどちらかだ。ミーナは自信過剰だなと、ノエルは見立てた。
保健室まで、その姿で現れたふたりを優しい先生が迎えて、ミーナの足首を診た。
「あらあらまあまあ、大変だわ。捻挫してる。これはしばらく痛くて大変ね。痛み止めの薬草と杖を貸し出すわよ。よく今まで平気な顔をしていたわね」
「身体強化の魔法をかけていたのですぅ」
ミーナの返事に一番驚いたのは、ノエルだ。ミーナは魔法を使えないと思っていたのだ。
「それにしても、不思議な組み合わせね。公爵と男爵で、クラスだってちがうでしょう?」
「足首をひねったところにノエル様がちょうどいらして、助けてくださいましたぁ」
ミーナは無邪気に笑ってみせた。ノエルを観察しながら。ノエルは用は済んだから、戻ろうとしか考えていないように見えた。やはり、敵は手強い。今まで落としてきた男たちとはちがう。
ミーナは学生寮に帰って来ると、ルームメイトが戻ってくる前に、自分に治癒魔法をかけた。自分にはかけられない使い手もいるが、ミーナは簡単に治癒できた。魔力の量が多いからだろうか。
治癒魔法を使える人間は少ない。ノエルに明かしてもよかったのだが、せいぜい、珍しいと思うくらいだろう。あの男は並の仕掛けでは落とせない。おそらくノエルの次にターゲットと決めている王太子より、難敵だ。ノエルのミーナを見る目。無機質で、最低限の紳士的な対応をする以外に心を揺らすことのない冷たい目。
「最高の敵ね」
ミーナは自分もノエルに負けないくらい冷たい目をしていることに気づいている。
「これは復讐であり、かつ、ただのゲームだわ」
口調も自然と変わってくる。ルームメイトが戻る前に普段のミーナに戻らなくては。
そう思いながら、ミーナは着替えを始めた。
「ねぇ、ミーナ!ノエル様にお姫様抱っこされたんだって?」
ルームメイトのハンナが興味深々で聞いてくる。ミーナは同性には嫌われていて、嫌がらせもよくされるのだが、ハンナはおおらかで、いつもニコニコ話しかけてくる。
「そうなんですぅ。びっくりぃ」
「そうよねぇ。ノエル様にお姫様抱っこなんて、私なら、気絶しちゃうわ」
ハンナは裕福な子爵の次女だ。みんなに好かれていて、婚約者との仲も良好だ。婚約者と思った瞬間、ミーナの胸の奥で鋭い痛みが走った。とっさにその痛みを抑え込み、いつもの口調で、ハンナとのおしゃべりに興じる。
「ノエル様はぁ、お優しくってぇ、紳士でしたぁ」
「そうよね!本当に素敵な方よね」
ミーナは男女で態度を変えることはない。男性にしか効果のないアプローチ以外は男女問わず、同じ口調、同じ態度だ。圧倒的に女性に嫌われているが、気にならない。目的の前には些細なことだ。目的のためにやっていることで悪評が立とうと、目的を達成できれば、なんの問題もない。ただ目的を邪魔する要素になるなら、話は別だ。
ミーナにはミーナなりのルールがある。婚約者のいる男性にはむやみに近づかない。フリーでフラフラしてるモテる男達を、練習相手にしたせいで、女性に嫌われているのだが、必要だったのだから、仕方ない。まぁ、ノエル相手にはむしろ無駄だったのではないかと思わないでもないのだが。
「ノエル様。昨日はありがとうございましたぁ。ミーナとっても助かったから、お礼がしたいのですぅ」
ノエルは無機質な目を向けてくる。ミーナを見ているのかわからない。ミーナは気にせず、続ける。
「ミーナ、刺繍が得意なんですぅ」
ノエルのイニシャルと公爵家の紋様を刺繍した上品なハンカチを差し出す。
「気にしなくていい。誰でも同じことだ」
ミーナはニコニコした笑顔を崩さないまま、この男に心はあるのかしら?と疑問に思った。
「では、用がそれだけなら、俺は先に行く」
ミーナの手元に残った刺繍入りハンカチ。
「ハンナに謝らなくっちゃぁ」
刺繍が苦手なミーナはハンナに作ってもらったのだ。申し訳ないことをした。
ノエル攻略の鍵は、ノエルが好きな剣の世界に入り込むしかないか、とミーナは思った。後々、面倒な気がするから、やりたくない戦法なのだが。刺繍が苦手なミーナは地理と歴史と経済が得意だ。それを剣の世界で活かすには、軍略の話になるだろう。
「まあ、それも得意なんですけどぉ」
得意だから、ノエルは興味を持つだろう。
とりあえず無関心よりマシか、とミーナは方針を変えることにした。男子生徒が集まって熱く語るカフェに放課後乗り込むことにした。まずは、学園の授業優先だ。
「だからさあ、ここには補給部隊が必要なんだよ。それに気づかないから、負けたんだ」
なかなかノエルが見当たらないが、暑苦しく語る貴族令息たちがたくさんいる。ミーナはたいして興味がないが、ノエルには興味がある。しばらく様子を見ていると、たまに睨むような視線が飛んでくる。知らんぷりしていると、ノエルが扉を開けた。
「ノエル!こっちだ」
ノエルと仲の良い学友侯爵家のトリトが声をかける。軽く手を上げたノエルは、ミーナに気づいて片眉を動かした。ほとんど表情を変えないノエルにしては、珍しい。
「なんでここにいる」
「ミーナ、軍略をお勉強したいのですぅ」
「無駄だ」
ノエルは、友達の方へ移動する。ミーナはノエルの後ろを歩き、ついて行く。
「無駄ですかぁ、ミーナ、ハレシノ川の戦いは事前に察知できた雨季の情報をうまく使えず無駄にしたせいで負けたと思いますぅ」
「なんだって?」
ノエルが振り返った。
「ハレシノ川は、氾濫と静謐を繰り返す川ですぅ」
「そんな話は聞いたことがない。誰に嘘を教わった?」
「ソンカ師の残した軍略記ですぅ」
「なんだって?」
ソンカ師とは、百年前に活躍した軍師のひとりだ。ノエルも彼の書き残したものは目を通している。
「そんな記述はなかった」
「これですぅ」
ミーナは、古い紙片を差し出した。
ハンカチとはちがい、ノエルは紙片を受け取った。
「これは」
「ハンナというルームメイトは、カレジユ子爵のご令嬢でぇ、書庫に残ってた古書を借りて読んでますのぉ」
「カレジユだって?ソンカ師と関係の深い家系だ」
「はい。だから、これは本物の可能性が高いのですぅ」
「まさか、お前は古語が読めるのか?」
「読めなくて、軍略など語れますのぉ?」
ノエルは目を見開いた。その後はさっきまでの態度が嘘のように、熱心に語り出した。ノエルとミーナの話を他の面子もすぐそばに集まり、聞き入った。
「だから、そこを攻めたら、後ろから回られる」
「ちがいますのぉ。こうしたら、この角度から全ての兵力を投入するのですぅ」
ミーナの戦法は突飛に見えるが、しっかりとした素地の上で考え抜かれた老師の意見のようだった。ノエルは頬を紅潮させて、語り合った。ミーナを見る目が全然ちがう。現金なものね、まだまだ甘いわ。と、心の中で、ミーナはノエルの評価を下げた。この軍略は、あくまで古典の話で、現代の魔法と剣の世界にそのまま使える知識ではない。応用しないと意味がない。
「ミーナと呼んでいいか?君はここに出入りしていい。また語りたい」
「ノエル様と呼んでもよいですかぁ?」
「様はいらないな。ノエルと呼べ」
「ふふふ。ミーナ、うれしいですぅ」
ノエルはすっかりミーナと話す楽しさを覚えた。今まで、古典の軍略を思う存分話せる相手はいなかったのだ。すぐに現実に応用できないから、古語を学んでまで、ソンカ師を始めとする軍師について勉強する生徒は少ない。まともに話せたのはミーナが初めてだった。
「ノエル、ミーナはぁ、さっきのハンカチ受け取ってほしいですぅ」
「ああ。朝は悪かった。せっかく作ってくれたのに」
「いいんですぅ」
ハンカチは無事、ノエルに渡った。ハンナを悲しませなくて済む。
ノエルとの距離は一気に縮まった。放課後になると、ノエルはミーナの教室まで迎えに来る。そのままカフェに行ってたくさん語り合う。帰りは学生寮まで必ず送っている。ノエルとミーナの仲は一気に噂にもなった。
「ソンカ師も尊敬しているが、同時代のカラガン師にも興味があるんだ。ミーナはどうだ?」
「百年前の話はぁ、ミーナそこそこ知ってますぅ」
「ミーナのそこそこは、ほとんどだよな?ソンカ師について、俺より詳しいし」
「ハンナのおかげですぅ」
ノエルのあの無機質な目は今、キラキラ輝いている。ミーナはもともと得意分野だったのだが、こんな風に人に話すつもりはなかった。こうなったのは、たまたまだ。ミーナに古典文学のような戦略記に興味を持たせた人はもうこの世にいない。ミーナは一瞬目を閉じた。痛みが通り過ぎるまで。
「カラガン師も、ソンカ師と同時代で、剣や魔法での戦いではないからな。まさかソンカ師やカラガン師について話せる相手がいるなんて。それが女性だなんて、想像したこともなかった」
ノエルの瞳はまだキラキラしてる。それに少し熱が込もっている気がする。ここがチャンスだ、ミーナは一瞬のチャンスを逃すような間抜けではない。
「ノエル、ミーナはノエルのお屋敷の蔵書を見てお勉強してみたいですぅ」
「ああ、そうだな。ぜひおいで。家族に話は通しておくから。いつが都合がいいか?」
「いつでも大丈夫なのぉ」
「じゃあ、週末の休みに来たらいい」
「ミーナ、公爵家に入れるようなドレスがないので、さすがに今週は無理ですぅ」
「あぁ。わかった。それはこちらで用意する。今回だけは新作じゃなくて、姉上の昔のものを調整するのでもいいか?」
「そんな‥ノエル、ミーナはうれしいですぅ」
勢い余った感じで、抱きついてみる。ノエルは振り払わなかった。背中にノエルの手が回る。
チェックメイト、ミーナは暗く低い声でつぶやいた。そのつぶやきには、言葉や態度で示している喜びがどこにも見当たらなかった。
「わぁ、広ーい、さすがですぅ」
公爵家は男爵家がいくつ入るかわからないほど、広い。まあ爵位の差が激しく、当然なのだが、ミーナは大袈裟に驚いてみせた。ノエルはそのあたりはどうでもいいらしく、早く自慢の蔵書を見せたくて、うずうずしているのが丸わかりだ。
「ミーナ、ドレスも似合ってる」
珍しくそんな言葉も出てくる。ミーナの翡翠の瞳に合わせたドレスは、ノエルの姉のお下がりとは思えぬほど、ぴったりだった。
「ミーナはぁ、ノエルの瞳の色のドレスがほしいですぅ」
ノエルは本当に珍しく顔を真っ赤にした。
「次はそうしよう」
「ノエルのお姉様にもお礼を言いたいのですぅ」
ミーナはニコニコとノエルに甘える。
「あぁ、ちょうど邸にいるから、聞いてこよう」
ノエルはすっかりミーナの言いなりだ。普段は今まで通りだが、ミーナの前だけでは、まるで別人のようだった。
ノエルには姉が1人いる。ノエルの一つ上で、王太子の婚約者筆頭候補と言われている。
「そうか」
使用人と少し話したノエルは、ミーナに告げた。
「姉上の部屋に行ってもかまわないそうだ。一緒に行こう」
エスコートの手を差し出すノエルにミーナは従った。
「姉上、ノエルです」
「入って」
そこにいたのは、女神もかくやという美女だった。ノエルの姉、シファリア・ガラナは、容姿も性格も美しい人で、王太子もひそかにシファリアに想いを寄せているというのが王国の常識だった。
ノエルはその姉によく似ていて、白銀の髪、紫色の神秘的な見た目をしている。
シファリアはノエルの一つ上で、ノエルとミーナはクラスがちがうが、同い年だ。ふたりとも16歳。王太子は19歳で、本来なら婚約者がいて当然なのだが、3年前の帝国との戦争が原因で決定には到っていなかった。王国は戦争に負けた。そもそも帝国の方がずっと国力が上で、戦争したのは無謀としかいいようがなかった。そのため、王太子の婚約者は帝国の思惑に従うことになると考えられ、決めることができないままだった。3年前の戦争で、王国は滅ぶ寸前だったのだ。だが、帝国は王国の自治権を認めた。そろそろ王太子の婚約者も決めてよいのではないかと高位貴族たちは色めいている。帝国の属国になったとはいえ、王太子妃の父になるのは、高位貴族の夢だった。
「まぁ、あなたがノエルの大事な人ね。なんて可憐な方なのかしら」
シファリアは声も美しい。どんな楽器にも出せない響き。声だけを聞いて感動で泣き出す人さえいるほどだ。彼女ほど王太子妃ひいては王妃にふさわしい女性はいないと言われている。
「ノエルはぁ、大事なお友達ですぅ。シファリア様もお友達になってくれますかぁ?」
シファリアがただの公爵令嬢なら、この無礼な男爵令嬢を許はしなかっただろう。ミーナのいつも通りの態度にノエルも少し慌てて、助け船を出す。
「すまない、姉上。ミーナはいつもこうなんだ」
「かまわないわ。私も、ミーナと呼んでいいかしら?」
「もちろんですぅ。ミーナは光栄に思いますぅ」
王国で10本の指に入る高貴な女性にただの男爵令嬢が話しかけた。これは大きな事件だった。
「ミーナ、今日はうちの庭も見ないか?」
ミーナはすっかりノエルの家、特に図書室に詳しくなったが、まだ庭に出たことはなかった。
「ミーナ、きれいなお花が見たいですぅ」
ノエルはいそいそと準備する。涼しい外に出るから、ミーナ用の上着を準備する。本来なら侍女の仕事なのに、ノエル自らミーナの肩にかけた。ノエルは正常な判断ができなくなっている。ミーナはそろそろかな、と頃合いを図っていた。
「わー!きれいですぅ。サーマ師が見たら泣いちゃいますぅ」
ノエルがミーナを連れて来た花壇は、古語の詩によく出てくる花々が美しく咲く庭だった。ノエルが指示して作った花壇なのだろう。知らない人が見たら、普通の花壇にしか見えないが、ミーナにはその美しさが格別に身に沁みた。
「だろう?サーマ師は特に花を詠む方だからな」
しばらくふたりで静かに庭を見ていた。ふと、ミーナが決意に満ちた目で告げる。
「ノエル、ミーナはもうノエルとお話できないですぅ」
ミーナは珍しく真剣な声だった。
「なぜだ?」
ノエルも真剣な顔になった。
「ミーナは所詮男爵の娘ですぅ。ノエルにふさわしくありませんのぉ」
ミーナは、あえて友人としてふさわしいとは言わなかった。この先はノエル次第だ。
「ミーナ、今日俺は君に求婚するつもりで、ここに連れて来た。君しかいないんだ」
うまく罠にかかってる、とつぶやきそうになる自分を律して、ミーナは目に涙を浮かべた。
「ノエル、それは無理ですぅ」
「無理じゃない。どうしたらいいか相談しよう。だから、ミーナの返事を聞きたい」
「ミーナもノエルと結婚したいですぅ」
「ありがとう」
ノエルは泣きそうな顔をした。ミーナは胸が痛んだ。ノエルは真っ直ぐな人だ。ミーナのゲームに巻き込むのはかわいそうな気がした。けれど、これしか手がないのだ。そう思って、ミーナは気を取り直した。
「まずは、姉上に報告しよう。相談もできると思う」
そうだ、シファリア・ガラナだ。彼女がミーナの思うように動いてくれれば、チャンスは来る。
焦るな、とミーナは自分に言い聞かせていた。
「あらあら、ノエルったら、仕方のない子ねぇ。ミーナを先に安心させてから、プロポーズすべきだったわ」
「ということは」
「もちろん手はある。ノエルだって、だから私に相談したんでしょう?」
こうして、ミーナはノエルたちの父の弟、リッヒェル・サーマル侯爵の養女になり、無事ノエルと婚約した。
「ミーナの家族に挨拶したい」
男爵家にノエルとミーナが訪れると、家族はみな浮かない顔を隠しながら、ほがらかに振る舞っていた。まだ9歳の弟だけがニコニコしていた。
表立っての反対はなく、ふたりは無事に婚約した。
2人の婚約は貴族社会のビッグニュースとして、世間を騒がせた。あの冷たい女嫌いのノエルと多情なミーナ。ミーナの話し方も話題になり、あまりの身分差にすぐに婚約はだめになるだろうとも言われた。
「ミーナお姉様」
玉の輿に乗りたい令嬢たちが、ミーナを盛り立て近寄ってくるようになった。
「ノエル、ミーナはなんだか怖いですぅ」
「大丈夫だ。俺がいる」
とはいっても、ノエルは軍略以外の頭脳戦にはあまり向いてないのよね、とミーナは思いながら、ノエルの腕にしっかりつかまった。
ラント兄様は誰とも全然似ていなかったな、とミーナは思い浮かべた。口にはできない。その名前を今の王国で出したら、きっと処刑騒ぎになる。
「ミーナ、もう行こう。今日はウェディングドレスの仮縫いだろう」
「そのあと、お姉様とお茶会ですぅ」
「あぁ、殿下もいらっしゃる」
「ミーナ、緊張しますぅ」
そうだ、ついにここまで来た。王太子まで。先は長いが、ノエルのおかげでただの男爵令嬢が王太子殿下とお茶ができる。まずは仲良くならなければ。
「お花がきれいですぅ」
「姉上の庭は姉上らしい華やかさだから」
ノエルにエスコートされながら、ミーナはお茶会に向かう。王太子がやってくる特別なお茶会だ。選ばれた貴族しか参加できない。ミーナは決めている。王太子の人柄を見極める。今後の作戦の重要ポイントだ。
「王国の夜明け・ミアルタージュ王太子殿下にガラナ公爵家が長男ノエルがご挨拶いたします」
まずはノエルが挨拶を始める。
「ここにはほぼ身内になる予定の者しかいない。そんな挨拶は不用だ」
ミアルタージュ殿下は、笑顔を見せた。
一緒にいたミーナも挨拶するつもりだったが、その言葉で止めた。
「君が凍りついたノエルの心を溶かした天使さん?」
「ミーナ、そんなことないですぅ」
ミーナは真っ赤になって、ノエルにしがみついた。王太子はまだ面白そうな顔のまま、ミーナを見ていた。
あれよね、珍しい動物を観察してるってとこよね、ミーナは心の中で冷静に分析した。
そして、どこから壊していくかも冷徹に考えた。
ラント兄様の無念を晴らすのだ。そのためなら、ミーナは何でもする。
「うん?あれは?」
見慣れない身なりの客に、さっきまでミーナに注目していた王太子ミアルタージュが反応した。
「ミーナのお友達ですぅ。聖カロン国の司祭になったばかりですのぉ」
あたりがざわめいた。聖カロン国は一切戦争をしない、神への信仰で成り立つ特別な国だ。
ミーナは、正確にはラント兄様の親友だと思いながら、みんなに紹介する。
聖カロン国はあらゆる国から、尊重される特別な神の国だ。魔法が盛んで、特に光魔法が得意な者が多く、誰もが敵に回せない国となっている。重い病気にかかった者の最後の頼みの綱なのだ。
「こんにちは。サンダリアと申します。
「今日はミーナに会いたくてやって来ました」
司祭になったばかりという若者はごくごく普通の青年に見えた。
「ミーナ嬢とはいったい?」
アルミタージュが興味津々に尋ねる。
「親友の妹みたいなものです」
青年は目立たぬ容姿のごく大人しい性質に見えた。
最初は緊張していた他の客たちも珍しい客に話しかけ始めた。
そろそろね、ミーナは罠をかけるタイミングを図っていた。
「サンダリア兄様、報告があるのですよねぇ」
「あぁ、忘れてはいけないね」
王太子とガラナ公爵家が注目する中、サンダリアは意外な話を始めた。
「最近、我が国にダイヤモンド鉱山が発見されたのです」
「まさか」
「そのまさかです。埋蔵量は王国の20倍以上です」
あたりはしんと静まった。それが本当ならば、ダイヤモンドの値段はかなり下がる。
王国の主な産業が壊滅する。国として成り立つかもわからなくなる。
「それは本当のことですか?」
アルミタージュは再確認する。にわかには信じがたい。
「神に誓って嘘は申しません」
サンダリアは断言した。聖カロン国は神の国だ。神に誓ってというからには本当のことなのだ。
「それは流通させるつもりですか?」
他の国なら、こんな質問はしない。聖カロン国は金儲けに興味がないため、アルミタージュは質問を重ねた。
「えぇ」
サンダリアの返事で、王国の貴族たちのざわめきが止まらなくなった。
「交渉の余地はありますか?」
アルミタージュは低姿勢に尋ねた。
「ありますわぁ」
ミーナが口を挟んだ。サンダリアも頷く。
「何か条件がありますか?」
「一つだけ。王国の元騎士団副隊長の冤罪を晴らすこと」
サンダリアの目は怒りに満ちていた。
ミーナもだ。
「罪人の名誉を?」
三年前の戦争で、帝国に負けた王国は、最後に騎士団副隊長だったラントを生贄にした。
「罪人ではありませんわぁ。ラント兄様は王国のために最善を尽くしただけですぅ」
そうだ。ミーナの婚約者になるはずだったラントは、ミーナの師匠でもあった。古語を教えてくれたのも、戦い方を教えてくれたのもラントだ。ミーナはラントに恋していたわけではない。まだ13歳だったミーナにとって、かけがえのない兄のような存在だった。それが戦争が終わったとたん、すべての責任を取らされた。
戦争に負けた王国には戦犯が必要だった。ラントは身分が低いが、副隊長まで実力で登りつめていた。格好の餌食にされた。
「冤罪な上にあんな最期ありえませんわぁ。ミーナ、許せなかったのですぅ」
ラントは捕まって2週間ほとんど食事を与えられなかった。
そして公開処刑が行われた。
民衆は、英雄と讃えていたラントに手のひらを返した。処刑を見に来ていた人々は石を投げたのだ。
ラントは意識朦朧としたまま処刑され、最期の言葉すらなかった。
ラントの家族は小さな弟妹も含め、全員毒杯で処刑された。
ミーナのシャンテ一族はまだ婚約していなかったため、処刑を免れた。
「ラント兄様と一緒に死んだらよかったと思っていましたぁ。でも、許せなくて」
「ラントは僕の親友だった。ダイヤモンドで、王国をつぶすつもりだ。ラントのために」
サンダリアもミーナに共感している。同じ気持ちなのだ。
ノエルは絶句している。王太子は打開策を必死に考えている。
「ラント兄様は、公開処刑された上、遺体を晒されて、まともに埋葬さえされませんでしたぁ。なんでこんなひどいことができましたかぁ?ミーナにはわかりません。身分が低い者には何をしてもよいと思ってますのぉ?」
誰も返事ができなかった。
「まだ6歳の弟妹に何の罪がありましたかぁ?」
「こんな国がある意味がありますかぁ?」
ミーナは、魔法を使って、関係者を全員殺すつもりだった。だが、優しいラントがそんなことを望むはずがない。だから、サンダリアと相談して、王国を経済でつぶすことにした。たまたまダイヤモンド鉱山が見つかったため、それを使っての復讐を誓った。
「待ってくれ。ラント軍師の名誉を回復する、必ず。ダイヤモンドの流通は少しずつにしてもらえないだろうか」
「ラントとラントの家族に殿下は何か反対してくださいましたかぁ?」
「いや‥」
「ミーナたちが同じように自分たちの権利を行使するのを止める根拠はありますかぁ?」
「いや、ないが‥」
「では、ミーナたちは好きなようにしますわぁ」
ダイヤモンドの流通が増え、王国は瀕死の状態になっていた。
ミーナはその様子を見届けると、ラントからもらった短剣を手にした。
喉をついて死ぬつもりだ。
「ラント兄様の行った天国にミーナは行けません。それでも、兄様は許してくれますか?」
一気に絶命するつもりで、短剣を喉に当てた。
「待て、待ってくれ」
よく知った声がミーナから短剣を奪った。
ノエルが目の前にいた。
「死なないでくれ」
ミーナは目を疑った。
「ノエルにもう用はありませんのぉ」
「俺はある」
ミーナは死ぬことができなかった。
ノエルとの未来は想像できない。
それでもミーナは死ぬことができなかった。