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3-18.溺れた少女は藁をもつかむ

「いつも、いつも無理を言って助けてもらっているのに……。たいしたお礼もできずに申し訳ございません」


 私は深々とお辞儀をする。心から謝罪する。反省もしてます。

 ただ、改善できるかどうかは、上司と会社の方針なので、私としては心苦しいばかりだ。


 そう、仕事で困ったとき、例えば、納期が短いとか、予算が少ないとか、トラブルが発生したとか……例をあげたらきりがなかったが、そういう『困った』ときに遭遇すると、私は彼に仕事を依頼するようになっていた。


 彼は「え――。またですかぁ」とか「う――ん、どうしようかなぁ」など言いながらも、最後には「わかりました。いいですよ」と答えてくれる。

 私の立場に同情までしてくれる。

 たまに文句を言いながらも、彼はきちんと宣言通りに仕事を完成してくれるのだ。

 私はそれにずるずると甘えてしまっている。


 そういうやりとりが増えるなか「このお礼は必ず」とか「今度、ごちそうします」と言っていたのだが、それをようやく叶えることができたのだ。


 といっても、私が彼から受けた恩は、一度の食事くらいではチャラにできないだろう。それくらいの自覚は私にもある。


「ははは。そうですね。次は、もう少し、納期に余裕があるといいんですけどね」


 柔らかな口調と言葉だが、彼の言葉に込められた真意に私は震えあがる。

 穏やかな人ほど怒らせたらこじれてしまうのは、今までの仕事で嫌というほど学んでいる。

 彼もそうだろう。


「ほんんんとうにぃ! 申し訳ございませんっ!」

「顔を上げてくださいよ。慣れてますから。そのぶん、報酬はしっかりと頂いていますし。大丈夫じゃないけど、まあ、大丈夫ですから」

「いえ、でも。その……」

「そのうち、きっとイイコトがあると信じていますから。期待していますよ」


 彼に言われてお辞儀はやめたが、後ろめたくて彼の顔を見ることはできなかった。


「無理難題をふっかけてくるのは、なにも……さんだけではありませんしね。それに、フリーランスって、そういう無茶ぶりに応えられてこそ、みたいなところがありますから」


 彼は楽しそうに笑っている。

 フォローしているのか、抗議を笑顔というオブラートで包んで誤魔化しているのか、私にはわからなかった。


「でも、こうして、お礼を言ってくださる人は……さんだけなんですよ」


 ずっとここで立っていたら風邪をひきそうだと言って、彼は駅の方角に向かって歩きはじめる。


 私も彼の隣に並んで歩く。


 背が高い彼は足も長い。

 歩幅の違いで歩く速度も違ってくるのだが、彼はゆっくりと、私の歩調にあわせて歩いていた。

 気づけば、彼は車道側に立っている。


 寒いなあ。と彼は天を見上げて呟いた。


 確かに寒い。

 すごく寒い。


 だけど、なぜか、このときはもう少しこの寒い時間が続けばいいのに、と思ってしまった。


 信号待ちをしているとき、彼は思い出したかのように、とある方向を指さした。


「そうそう、この先を少し行ったところに、大きな桜の木がある公園があるんですよ」

「はあ……?」


 突然の言葉に私は目をぱちくりさせて、彼が指さす方を見る。

 ビルばかりで公園は見えない。


「これだけ寒いと、まだ咲いていないと思いますが、とても綺麗なんですよ。特に、夜桜」

「そう、なんですか」

「その公園とは少し離れた場所に、たくさんの桜の木が植えられている公園があるので、みんなそっちに行ってしまうんですよね。夜はライトアップもされていますし」

「そう、なんですか」

「はい。だから人も少ないですし、というか、ほとんどいないし、桜は一本だけなんですけど、穴場だと思うんですよね。運がよければ、ひとり占めできるんです」


(ええっと、これは……世間話だよね?)


 私はどう応えてよいのかわからず、視線をさまよわせる。

 なんだか背中がムズムズするのは、寒さのせいだろうか。


「ここ数年は見逃してしまって。もうすぐしたら咲くでしょうけど、今年こそは見てみたいですね」


 満開の桜を思い描いているのか、彼の目が遠くのどこかを見ている。


「桜ですか……。見てみたいですね」


 春は毎年やってきて、桜も毎年咲いては散っていく。

 当たり前のことなんだけど、仕事が忙しくて、その当たり前のことも素通りしているような気がした。


 信号が赤から青に変わったので、私たちは歩きはじめる。


「早く暖かくならないかなぁ……」

「そうですよね。ちょっと、今年の冬は寒いですよね。早く暖かくなるといいですね」

「あの……」


 横断歩道を渡り終えると、彼の歩みがゆっくりとしたものになり、ついには立ち止まってしまった。

 自然と私の足も止まる。


 彼の真剣な目が私をとらえる。

 その目をみたとたん、私の鼓動が速くなる。

 少し長めな沈黙の後、彼が意を決したかのように口を開いた。


「その……暖かくなったら……」


**********


 暖かくなったら……。

 なんだったのだろうか。


 彼は誰?

 彼は何を私に言いたかったのだろうか?

 私は彼との約束を守ることができたのだろうか?

 思い出せない。


 思い出せないのだけど、彼の微笑みに意識を向けると、心がほのかに暖かくなる。


 ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、暖かくなったような気がする。


 暖かくて、柔らかな空気に包まれる。


 トクトクと聞こえる鼓動は、誰のものなのだろうか。


**********


「レーシア! レーシア! しっかりしろ! 目を覚ませ!」


 ああ、私のお気に入り声優の菊山礼一郎ボイスが耳元で聞こえる。


「レーシア! レーシア!」


 ああ。やっぱり、菊山礼一郎はいい!


 でも、ちょっと、声が裏返っているのが気になる。

 いや、これもこれでいいんだけどね。

 贅沢を言って申し訳ないのだが、どうせ聞くのなら、もう少し低め声のパターンを聞きたかった……。


 いやっ!


 私はなにを気弱になっているんだ!

 しっかりしろ!


 菊山礼一郎の『腰砕け生低音ボイス』を、この耳でしかと聞くまで、死んでたまるかっ!


 こんなところであっけなくリタイアでは、腐女子の神様に顔向けができない!

 あきらめたらそこで物語は終了してしまう!

 この状態は、転生チート物語の序章すら終わってないんじゃないか?


 ゲームでいうところのチュートリアル終了一歩手前だ!


 キミツバには、まだまだ私のお気に入り声優さんたちがでているのにぃぃぃ!


 メインの攻略キャラは新人が多かったが、イベント時に追加されるアルティメットレアの声優さんたちはすごかった……ような記憶がある。

 たぶん、すごかったはずだ。

 そうじゃないと、あんなに課金するはずがない!


 断言しよう!


 前世の……キミツバの詳細を思い出せなくても、あたしにはわかる!

 一度死んで、再び死の淵に片足をツッコんだ腐女子の勘をなめるな!


 山村利幸、大保武士、寺山浩二、月江晴樹、上野亮、竹岡俊司、桜木義孝……最低でも、このライン! キャラの名前は思い出せないが、声優さんの名前はしっかりと覚えている!

 見逃せ……いや、聞き逃せない!


 絶対に、絶対に、私は負けてられない!

 これしきの試練は試練じゃない!

 泉に溺れたくらいで、なにをためらう!

 あたしは薄い本に溺れた女だ!


 冷えかけた心に、メラメラと炎が灯るのがわかる。

お読みいただきありがとうございました。

お気に召しましたら、

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