3-8.お祖母様の病気
「ヒョウケッショウビョウ?」
「ひょうけっしょうびょう!」
あたしとライース兄様は同時に叫ぶ。
聞き慣れない病名に、ライース兄様は不思議そうに首を傾げるが、『キミツバ』ユーザーだったあたしには『氷結晶病』は馴染みのある病名だ。
ヒョウケッショウビョウ……という響きがあたしの記憶の奥底を揺さぶり、ゆっくりと、鮮やかに情報が浮上してくる。
「……ヒョウケッショウビョウとは、どういう病なのだ?」
ライース兄様の質問に、デイラル先生はずれかけたモノクルをかけなおす。
「氷結晶病は、体内の熱を失い、肌の色を失い、冷たく結晶のように固まっていく病でございます。手先、足先から硬化がはじまり、徐々に心の臓に向かって、その症状は進行していきます」
「固まる?」
あたしは黙ってふたりの会話を聞く。
いや、驚きすぎて言葉がでない。
「はい。まず、手先、指先の感覚がなくなり、動かなくなります。動かなくなると、まるで、石のように……硬く固まってしまうのです。そして、腕があがらなくなり、足も動かすことができなくなります。そのうち瞼も開かなくなり、口も開くことができなくなります」
「なんだと!」
そうなのだ。
口が開かなくなるということは、食事ができなくなる……。
そして……最後には……。
「結晶化は五臓六腑、体内にまで及びます」
そう。氷結晶病は心臓までもが固まって、動が止まってしまう怖い病気なのだ。
あたしは、この会話を知っている。
時間とメンバーは違うが、この会話は本編のイベントにあった。ライース兄様攻略イベントでなされた会話だ。
そうそう。
避暑イベントだ。
ゲームの中盤頃、キャラとの親密度を一気にあげる選択制ボーナスイベントが発生する。
親密度を上げたいと思うキャラをひとり選び、そのキャラと一緒に王都を離れ、避暑を兼ねた視察で、地方のどこかに出向くというイベントがあるのだ。
キャラだけ違って同じイベントが発生するのではなく、キャラごとに違うイベントが用意されていた。
全攻略キャラのイベントをプレイしたい場合は、色々とやり方はあったが、結局は課金なしではプレイできないイベントだ。
ライース兄様のイベントを選択した場合、ライース兄様とその兄弟たちと一緒に、気分転換もかねてアドルミデーラ領にでかけましょう……ということになる。
別荘の避暑地――つまりこの屋敷――で、ライース兄様とラブラブなイベントが発生するのだ。
で、その最後に、一緒にいたライース兄様の異母妹(あたしじゃないよ。あたしの異母姉だよ)が、この氷結晶病にかかってしまうのだ。
……そういえば、手作りノートにもそのイベントはざっくりとメモしていた。
数年先のイベントなので油断していたよ。
なんということでしょう。
今はまだ本編が始まる前だというのに、本編そのままのセリフが、ヒロイン不在のままどんどん再生されていく。
しかも、ライース兄様の声が若い。
会話の相手となったモブ医者は、デイラル先生だったのか。
デイラル先生の説明が終わり、全員が言葉を失う。
そう、ゲームのときもそうだった。
ライース兄様の顔色が悪い。真っ青だ。
ゲームのイベントのときにはいなかったカルティは、今にも泣きだしそうなくらい顔が歪んでいる。
爺やは目を真っ赤にさせて、正面を睨んでいる。
「その……。どれくらいの期間で、心の臓が結晶化するのだ?」
「発症してから数日のうちに……文献によりますと早くて3日。長かった者でも一週間ほどだとか……5日以内が多いそうです」
「長くても……一週間」
ライース兄様はソファに身を沈めると、呆然とした顔で天井を見上げた。
「治療は? 薬はないのか?」
「ございません」
部屋の空気がさらに重々しいものになる。
あたしは思わず両手で胸のあたりをかきむしる。
画面越しで観ていたシーン。
それがこんなにも苦しいものだなんて、考えもしなかった。
辛い。
苦しい……。
「氷結晶病は、非常に珍しい病気なのです。一番最近では、先代国王の母君がその病に罹られ、3日後に天高き場所へ向かわれました」
デイラル先生は淡々と説明を続ける。
……そうだった。そういう設定だった。
先代国王の母君が発病したのは数十年前。
つまり、数十年ぶりに発症者が現れたというわけだ。
『氷結晶病』は数年、十数年にひとり発病するか、しないかという、実に珍しい病気。
しかも発症したら数日のうちに死ぬので、治療法を色々と試すことができないまま今日に至る……という設定だったはずだ。
先代国王の母君を看取ったのは、デイラル先生のお師匠様。
だから、デイラル先生はこの奇病をお師匠様を通じて『たまたま』知っていた、というストーリーだ。
普通の医者は知らないくらい、とても珍しい病気。
ちなみにこの『氷結晶病』は伝染病ではない。
バッドエンドの前触れで流行する疫病は『結死病』だ。
両方の病気を治す薬草が同じなのは……運営の手抜きか、それとも設定に凝りすぎた結果なのかはわからない。
でも、これだけはわかる。
ゲームの設定では、まだこの時点では、『氷結晶病』を治す薬草は発見されていない。
なぜなら、本編のイベントで初めてヒロインが見つけだすからだ。
ええと……『氷結晶病』を瞬く間に治してしまう薬草の名前は……確か……確か……あれ?
(お、思い出せな――い!)
どういうことなの! と、あたしが悶々としている間も、ライース兄様とデイラル先生の会話は続いていた。
「そんな……どうして、お祖母様がよりにもよって……氷結晶病になられたのだ! 原因はなんだ?」
「わかりません。氷結晶病は発症者数が極端に少ない奇病なのです。……身分の高い女性がかかりやすい病ではないのか……とも云われていますが」
悔しそうなデイラル先生の声に、あたしの胸が押しつぶされそうになる。
気づけば、両目からはぽろぽろと涙がこぼれはじめていた。
6歳のフレーシア・アドルミデーラが泣いている。
「とにかく、発症者数が少なく、治療を試みる時間も限られており、治療法がわからないのです」
「そんな……では、このまま座して死を待つしかないのか!」
苛立ったライース兄様が、応接机に拳を叩きつける。
はずみでティーセットがガチャガチャと揺れ動き、紅茶がこぼれた。
怖い。
ヒロイン不在で、ライース兄様はまだ十代だというのに、怖いくらいにセリフがシナリオどおりだ。
違うのは『お祖母様』という部分だけ。
「デイラル先生! お願いです! お祖母様を助けてください!」
「わたくしも医師として、できる限りのことはいたします。ですが……」
デイラル先生はぎゅっと手を握りしめ、下を向く。
「ライース坊ちゃまは、急ぎ、王都にいらっしゃるジェルバ様にこのことをお伝えください。間に合えばよいのですが……。報告は以上でございます。わたくしはサディリア様の部屋に戻ります」
「デイラル先生……取り乱してしまい、失礼しました。お願いします。お祖母様のことをよろしくお願いします」
ライース兄様が席を立ち、深々とお辞儀をする。
拳を握りしめ、唇を噛み締めている。必死に冷静になろうとしているのがわかった。
あたしも慌てて立ち上がると、同じく、デイラル先生に向かって頭を下げた。
爺やが静かに扉を開ける。
デイラル先生が部屋を出るまで、あたしとライース兄様は頭を下げつづけた。
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