3-6.おばあちゃん
あたしは、つい最近思い出した煩悩を鎮めるとっておきの方法――般若心経――を心のなかで一心に唱えながら、気絶と出血を回避する。
「レーシア……驚かせて悪かったな」
(はい。めちゃくちゃ驚きましたよ、ライース兄様。いきなりあんな悩殺表情はやめてください)
難しい顔で黙ってしまったあたしを、ライース兄様が心配する。
「お祖母様のことは心配だろうが、きっと、デイラル先生がすぐに駆けつけて、助けてくださる。だから、そんなに怖い顔をしちゃだめだぞ。可愛い顔が台無しだ」
「…………」
デイラル先生は駆けつけるんじゃなくて、カルティに引っ張ってこられるんだろうけど……。
**********
屋敷に戻ったライース兄様は、そのままお祖母様の部屋に直行する。
「マイヤ……お祖母様のご様子は?」
ふくよかな体型のメイド長は、悲しみに沈んだ顔で首を左右に振る。
ライース兄様はあたしを降ろすと、あたしの手を繋いでお祖母様の寝台へと歩いていった。
「お祖母様。大丈夫ですか?」
「お祖母様!」
ライース兄様が寝台の側に身をかがめ、手を取って脈を測ったり、首筋に手を当てたりと……お祖母様の容態を確認している。
あたしはその隣で、お祖母様の様子を伺う。
お祖母様の表情は堅い。
苦しんで喘いでいるとかではなく、目を閉じ、ぴくりとも動かない。
まるで彫像のように固まっている。
顔色はとても悪い。蒼白で血の気が全く無い。
静かだ。
静かすぎる。
生命の気配が全く感じられなかった。
(――――!)
今頃になって、あたしの身体をいいようのない戦慄が突き抜け、身体が小刻みに震えだした。
ゲームのキャラクターが死ぬ、ではなく、あたしの身近な人に死の影が迫っているという恐怖をはじめて体感する。
いや、前世での記憶が不意に蘇って、今の私の記憶と重なったのだ。
お祖母様。
(ううん……おばあちゃん!)
前世であたしを可愛がってくれていた……母方の祖母の顔が、ぼんやりと浮かぶ。
やっぱり名前はわからず『おばあちゃん』でしかないけど、あたしにとってもやさしかったおばあちゃんが、病気で入院して、そのまま亡くなってしまったときの情報が、あたしの中で唐突に蘇る。
この世界に神様が……運営の意思が働いているのなら、なんて意地悪で悪質な世界なんだろう。
なんで、こんなときに、思い出す……いや、こうならないと思い出せないのか!
おばあちゃんが亡くなったのは……前世のあたしがまだまだ新人だった頃。時間のやりくりもよくわからなくて、仕事も忙しくて、自分のことでいっぱい、いっぱいだった時期だ。
お見舞いに行くこともできず、というか、まさか、そんなに重い病気だとは思っていなくて、あたしは看取ることができなかった。
お通夜にも間に合わず、なんとか、葬式には参列できた……。
最後におばあちゃんに会ったのは、大学合格の報告……だったような気がする。
「お、お祖母様!」
全身を駆け巡る恐怖を押し殺したくて、あたしは声をはりあげる。
おばあちゃんとお祖母様は全くの別人だ。
だけど、サディリア・アドルミデーラは間違いなく、あたしの祖母だ。ゲームのキャラクターではない。
ちゃんと生きた……(まだ生きている)この世界の人間だ。
以前からお祖母様は体調を崩しがちだった。年齢的なこともあるから、仕方がないかも知れない。
特にここ数日は食欲もなかったようで、お祖母様は気分が優れないといって、食堂には現れず、室内で済まされることもあった。
デイラル先生の診察が、3日に1回と頻度が落ちたということも関係しているのだろうか。
ライース兄様と一緒にお見舞いもした。
プライドの高いお祖母様は、あたしたちの前では強がっていたんだろう。
どんなに辛くても、キリリとした表情を崩さず、背筋をぴっしっと伸ばし、毅然と構えていたお祖母様。
それでも、爺やをはじめとする屋敷の使用人たちは、薄々、今日のような日がくるのを予測しながらお祖母様に仕えていたのだろう。
お祖母様のことだから、このような日がくることを、前々から使用人たちには伝えていたのかもしれない。
使用人たちの顔色は悪いが、慌てることなく、淡々と己の勤めを果たそうとしているのがわかる。
お祖母様はちょっと怖いし、マナーには煩い。まだ幼いフレーシアは、お祖母様の威圧に苦手意識を持ち、とても恐れていた。
だけど、今は違う。
前世を思い出して精神年齢トータル三十路になった今のあたしならば、大人としてだけでなく、ゲームプレイヤー目線から、お祖母様の素晴らしさや厳しさの中に隠された優しさがわかる。
それに加えて、入院したときに会えなかったおばあちゃんの姿と、いまのお祖母様の姿が重なってもいるんだろう。
「大丈夫だ。レーシア。お祖母様は大丈夫だ」
「……でも……」
ライース兄様がそっと、あたしの両肩に手を置く。とても暖かくて、大きな手が、あたしを励ましてくれる。
だけど、お祖母様は、そんなふうには見えない。どう見ても、大丈夫そうには見えない。
みんな口にはださないけど、そう思っているにちがいない。
あたしの目から涙がポロポロとこぼれ落ちる。
このままだと……まちがいなく、お祖母様はゲームのシナリオどおりに死んでしまう。
「レーシア、お祖母様のことはマイヤたちに任せて、おれの部屋に行こうか」
ライース兄様はいつでも、どんなときでも……いや、たまには怖いときもあるけど……優しい。ゲーム設定よりも、かなり優しくて甘々になっている。
泣きじゃくるあたしを、ライース兄様は、優しく抱き上げてくれる。
お祖母様の部屋を退出し、廊下を移動している間、あたしはなにも言えず、ライース兄様に抱かれたまま泣きじゃくるだけだった。
(お祖母様が死んじゃう。死んでしまう。どうしたらいいの!)
情報が……必要な情報があまりにも少なすぎる。
やっぱり、シークレットエピソードは終わっていなかったのだ。
約一か月のズレがあったものの、ストーリーがついに動きだしたのだ。
覚悟はしていたつもりだった。
その準備をコツコツしていたつもりだったのに、いざ、ストーリーに直面すると、あたしはどうしたらいいのかわからない。
あたしは強く唇を噛みしめる。
口の中にじわりと鉄の味が広がる。
悔しくて、悔しくてたまらない。
ライース兄様の手があたしの頭の上に置かれ、優しく撫でてくれる。
だけど、あたしを撫でるライース兄様の優しい手は、かすかに震えていた。
**********
気がつけば、ライース兄様が執務で使用している部屋にあたしはいた。
ここは領主が滞在中に使用する書斎らしい。なので、執務に必要な道具や資料一式が揃っているようだ。
保養地にきてまで執務とは、領主って大変なお仕事なんだな、とあたしは思った。
大貴族が使用するにふさわしい、年代物の立派な家具や重厚な内装が部屋を飾り立て、室内を重々しいものにしていた。
書棚には豪華な装丁の本がびっしりと並んでいる。反対側の壁にはマグノーリア王国の広域地図や、アドルミデーラ領の領内地図が貼られていた。
部屋の奥には大きな執務机がある。そして、机の上には多くの書類が積み上がっていた。
たくさんの書類や手紙の束があるのだが、それほど乱雑な雰囲気はない。
文句のつけようがないくらい、ファンタジーアニメでよく見る書斎らしい書斎だった。
部屋に連れてこられたあたしは、執務机の前にあるふっかふっかソファに座らされる。
ソファとセットになっている応接テーブルの上には、ガラス製の小さな蓋付きの壺があり、ライース兄様は壺の中からオレンジ色の小さな透明な玉――キャンディー――をひと粒とりだすと、泣いていたあたしの口の中にぽいと入れる。
口の中に柑橘系のさわやかな香りと、甘い味がいっぱいに広がる。
涙が止まり、口の中でキャンディーを転がしはじめたあたしの姿を見て、ライース兄様はほっとしたような笑顔を浮かべる。
飴玉ひとつで泣き止む安い女……とみられてしまった。
悔しいが、事実なので、あたしはおとなしくキャンディーを口の中で転がす。
「レーシア、少しだけここで待っていてくれるかな?」
ライース兄様は執務机に座る。
そして、ペンと紙を用意すると、ものすごい勢いでなにやら書き始めた。
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