3-5.爺やの報告
馬場の方に目を向けると、執事服をきちっと隙なく着こなした爺やが、こちらに向かって全力で走ってくる姿が見えた。
なぜか、手にはティーポットを抱えている。
「ら、ライース坊ちゃま――っ!」
お祖母様とほぼ同い年の老人が、そんなに懸命に走ってどうしたというのだろうか。
見たらすぐにわかることだが、かなり慌てているようだ。
「……ライース坊ちゃま、こんなところにいらっしゃいましたか」
ライース兄様を見つけた爺やが、安堵の表情を浮かべる。
探しましたぞ。という言葉は腹の中に飲み込んだようだ。
乗馬の訓練をしているはずなのに、馬場にあたしたちがいなかったのだから驚いたのだろう。
「ゲインズ? そんなに慌てて……どうしたのだ?」
ゲインズ……というのは爺やの名前だ。
爺やはメイド長マイヤの夫で、アドルミデーラ家には幼少の頃から仕えているって言ってた。
アドルミデーラ家の執事長を長年勤め、今はお祖母様の執事として仕えている。
息子や娘、甥や姪なども執事やメイドとして、アドルミデーラ家に仕えているという、忠義の一族だそうだ。
爺やことゲインズさんは、そこそこのお年なのだが、あれだけのスピードで走っても息を乱すことなく、足取りもしっかりしている。
だが、いつもは穏やかで温和な『おじいちゃん顔』が、今は微妙に引きつり、心なしか顔色が悪い。
「大変です。ライース坊ちゃま! 大変です! 落ち着いてください!」
ちょっとやそっとのことでは動じない爺やの様子が変だ。
なにかを感じ取ったカルティが、木の陰からそろそろと姿を現し、あたしたちの側に並んでいた。
ミリガンは……ローマンとセンチュリーと一緒に仲良く草を食べている。
「ゲインズ、大変なのはよくわかった。だから、まずはゲインズが落ち着け」
ライース兄様の視線がちらりと爺やが手にしているティーポットに向いたが、そのことにはあえて触れない。
「あ……はい」
爺やは一度、深呼吸をすると、険しい表情でライース兄様へと向き直る。
今まで見たことがない厳しい表情と、真っ白なティーポットのとりあわせがなんとも奇妙だ。
緊迫した空気が両者の間に流れる。
「さきほど大奥様が……お倒れになりました。気を失ったまま……意識が戻りません!」
「お祖母様が!」
カルティの口から小さな悲鳴が漏れ、ライース兄様の目が大きく見開かれる。
あたしも爺やの報告に、驚き固まってしまう。
(お、お祖母様……)
「どういうことだ? 昼前にお会いしたときは、いつもよりも元気そうに見えたぞ」
「はい。大奥様は、今日は気分がよいからと、テーブルで薬草茶を飲むことをお望みになられて……。確かに、おっしゃるとおり、とても元気なご様子でした」
「…………」
「大奥様は暫くお茶をたのしんでいらしたのですが、突然、胸の辺りを抑えながらお倒れになって……」
(まさか、飲んだ薬草茶がまじゅくて、びっくりして倒れたわけじゃないよね?)
「まさか……毒か?」
「いえ。それはないかと……」
「気を失われて、意識がないといったな?」
「はい」
「苦しんでいらっしゃるのか?」
「いえ。それはございません。倒れられた直後は苦しそうにされていましたが、今は呼吸も落ち着いていらっしゃいます。ですが、わたくしどもの呼びかけには全く応えてくださらず、昏々とお眠りになっております」
爺やと短いやりとりを交わした後、ライース兄様は目を閉じ、軽く頷いた。
「わかった。お祖母様の部屋に行く」
**********
ライース兄様はあたしを軽々と抱き上げると、屋敷の方に向かって早足で歩きだした。
顔色の悪い爺やとカルティが、ライース兄様に追従する。
「父上には知らせたのか?」
急ぎ足で小道を歩きながら、険しい表情のライース兄様が爺やに質問する。
目がマジなライース兄様がものすごくカッコいいです。
「まだでございます。ライース坊ちゃまのご判断を仰ぎたく……」
「父上にお知らせするタイミングはおれが判断する。ゲインズは、デイラル先生への迎えの馬車を手配しろ。馬はカスロンとディドを使え。それから、ローマンたちのことも頼む」
「承知いたしました」
爺やはティーポットを持ったまま、優雅に一礼すると、厩の方へと早足で立ち去った。
ご高齢だというのに、爺やはびっくりするくらい足が速かった。疲れてもいない。
さすが、半世紀以上、アドルミデーラ家に仕えつづけた使用人だ。今のあたしよりも足が速い。
ちなみに、カスロンとディドは、別荘地で所有している馬の中でも、抜きんでたパワーと足の速さを兼ね備えた馬車用の馬だ。
ローマンと比べると、全体的にがっしり、どっしりとしていて、いかにも力仕事向けの馬だった。
馬車を引くうえでは、この二頭の組み合わせが最も速いらしいのだが、それは緊急を要するときだけ。
通常はそれぞれ別の馬と組んで、交代で馬車を引いている。
別荘にまで予備の馬、二軍を用意できるなんて、やっぱりアドルミデーラ家ってお金持ちなんだな、とあたしは感心してしまった。
カスロンとディドの組み合わせを指定したということは、それだけライース兄様は焦っているのだろう。
爺やがライース兄様の指示に素直に従ったのも、お祖母様の容体がひっ迫しているということだ。
六歳児のあたしが知らないところで、ライース兄様とデイラル先生との間では、こういうときの場合を想定してのやりとりがあってもおかしくない。
「カルティ!」
「は、はい!」
ライース兄様の指示はまだ続いた。
前方を睨んだまま、今度はカルティに命令する。
「一刻を争う。カルティはこのままデイラル先生のところに向かえ」
「はい」
「先生への連絡はこちらから入れておく。カルティは先生の準備を手伝って、馬車が到着したら、すぐに出立できるようにしておけ」
「わかりました」
カルティは軽く一礼すると、センチュリーに飛び乗り、あっという間に見えなくなってしまった。
ライース兄様は前だけを向いている。
「ライース兄様。ミリガンとローマンはどうするのですか?」
使用人が利用している抜け道を使って屋敷へ向かおうとするライース兄様に、あたしが質問する。
爺やは一直線で厩に行ってしまったし、馬車の準備でしばらく慌ただしいだろう。
その間、ミリガンとローマンは放置状態になってしまうのでは?
木に繋いでいる様子もないし、あの二頭をそのままにしておいてよいのだろうか。
逃げ出したりとか、盗まれたりとか……大丈夫なのだろうか。
お祖母様の様子も心配だけど、ミリガンとローマンも心配だ。
他のことに気をとられているあたしって、薄情なやつ……というか、前世の記憶がちょびっとだけあるぶん、どうしてもこの世界に実感がもてないのかもしれない。
あたしの質問に、険しかったライース兄様の表情がふっとゆるむ。
まじゅい。
油断した。
あたしは慌てて鼻に手をやる。
いやいやいや……。
これって反則でしょ。
こん緊急事態なときに、そんな悩殺表情で、女性ユーザーのハートを射止めにかかってこないで欲しいです。
「……いざというときには、厩に戻るように訓練しているから心配ない。それに、馬車の準備が終われば、厩番が連れ戻しに来るだろう」
驚いた。
な、なんて、賢い馬たちなんだ。
アドルミデーラ家の馬がすごいのか、なんちゃってファンタジーだからそういう設定なのか、それとも、馬という生き物はもともとそういう本能があるのか……よくはわからないけど、とにかくすごい。
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