3-3.馬で駆ける少女
今日は九月五日、木の日だ。
あたしが池に落ちたのは、八月一日だ。
つまり、前世の記憶を思い出してから早いもので、一ヶ月以上がすぎたということだ。
あたしの身体はというと、時間はかかっているけど、順調に回復している。
ここ数日は食事も完食している。
前世を思い出す前は……よく病気をしていたので、食欲がなくて食事を残していたんだけど、今は違う。
たくさん……とまではいかないけど、それなりには食べているよ。
ただ、もうちょっと、食事が美味しければ……素材の質がよければいいんだけどね。
この世界、素材の悪さを誤魔化すためか、それともみんなあんな『まじゅいおくすり』を飲んで味覚が麻痺しているのか、味がとても……濃い。
とりあえず、濃い味付けで、素材の悪さを誤魔化しているというか、誤魔化さないと食べることができないんだろう。
せっかく侯爵家に産まれて、これからはコンビニ弁当三昧じゃなくて、美味しくて贅沢で珍しい料理が食べられると思っていたのに……ちょっと残念だ。
ライース兄様は、食事を完食するあたしを見て「元気になってなによりだ」って喜んでくれたんだけど……。
礼儀作法にうるさいお祖母様は「もっと美しく、洗練された所作で完食なさい」という具合に容赦がない。
だけど「顔色もずいぶんよくなってきましたし、肌のつやもでてきました。それはフレーシアが努力をしてきた証拠です。誇りなさい」とまあ、回りくどい褒め方をしてくる。
お祖母様、六歳児にそんな難しいことを言っても理解できませんよ?
とはいうものの、お祖母様は体調が悪いというのに、あたしのことをよく見ていると思う。心配もしてくれているみたいだ。
まあ、ライース兄様もあたしのことをよく見ているんだけど……ちょっと『見ている』という意味が違うかな。
今日は、とても心配性のライース兄様と、ものすごく心配性のカルティに、あたしがこのとおり元気に復活したことをみせつけてやろうと心に決めていた。
そして、ちょっとだけでいいから、監視の目を緩めて欲しい。……とも思っている。
ひとりになれる時間がトイレの中と夜の寝ているときだけ……って、息が詰まりそうだ。
いくら将来の美麗キャラたちに囲まれていても……世の中には限度というものがある。
ライース兄様はというと、必要以上にべたべたくっついてくるし、暇さえあれば、あたしの髪をいじくったり、なにやらヒラヒラ、フリフリしたドレスを着せようとしてくる。
そんなに暇なら、もっと領主のお仕事の手伝いをしたらいいのに……。ライース兄様はちょっと、あたしにかまいすぎだ。
前世でのあたしの営業スタイルはストレッチ素材の吸湿速乾、洗濯オッケーだった無敵のパンツスーツだったので、ヒラヒラ、フリフリよりも、もっと機能的で動きやすい服の方がいいんだけどなぁ。
でも、嫌だと言って逃げたら、ライース兄様がすごくしょんぼりしてしまって、その顔が……親密度と仲間密度が下がるときの表情だから、仕方なく、大人しくドレスを着るけど、似合ってないよなぁと思う。
一方、カルティはというと、必要以上にあたしとかかわらないようにしているのだが、なぜか、ライース兄様とはベタベタしている。
甘い香りに包まれたキラキラ光るバラの背景……ではなく、厳しい訓練士と、ただひたすら忠実な訓練犬のような主従の関係だ。まあ、それもこれでとても美味な生きるための栄養素ではある。
毎日三回飲んでいる薬が超激マズなのだから、これくらいは美味しくてもいいだろう。
だとしても、ひとりになれる自由時間がトイレと寝てるときだけ……って、あんまりだ。
いきなり爆発する殺人級笑顔を警戒しつづけ、常に丹田に力を入れて、鼻血をこらえつづけるのも……疲れるのだ。
何度も言うが、あたしは美麗キャラに見つめられるのではなく、遠くから美麗キャラを拝み奉るのが好きなのだ。
ちょっと、距離が……至近距離すぎる。
豪華絢爛なフランス料理ばっかりだと、たまにはお漬物を食べたくなる……そういうコトだ。
ひとりになって、今後の『キミツバ』攻略方法をじっくり考えたい。
夜の寝静まった時間だけの作業だと、体力トレーニングもあるので、圧倒的に時間が足りないのだ。
それに、近頃は乗馬訓練もしだしたので、疲れて睡眠時間が多くなってきている。
ひとりになって、静かに『ライース・アドルミデーラ 真夏の静養地編』と『カルティ・アザ 晩夏の別離編』が本当に終了しているのか、あたしはゆっくり検証したいのだ!
このままじゃあ、『キミツバ』の傾向と対策がとれない。
お願い!
あたしに!
あたしに、ひとりになれる自由時間をくださいっ!
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というわけで、あたしはライース兄様とカルティと一緒に馬場にいた。
「いいですか? ライース兄様! しっかりと、見ててくださいね!」
あたしはミリガンの背に……よいこらしょと跨り、馬場の中をとっとこと駆け回る。
さあ、ライース兄様! わたしの回復具合をしっかりその目で見て、実感してください。
あたしは元気になりましたよ!
ミリガンは賢いので、特別になにもせずとも、馬場の中を走ってくれる。
だが、油断は禁物だ。
うっかり落馬なんかしたら、大騒ぎになってしまう。
死にはしないだろうけど……二度と乗馬禁止とかになったらやだ。
領内の馬の中から選びぬかれただけあって、ミリガンはとても穏やかで、びっくりするくらい優秀だった。
(がんばれ! ミリガン!)
あたしは速歩、駈歩、襲歩……さらには、反転など、人馬一体の技をなめらかに披露していく。
ライース兄様とカルティの驚いた顔が目に入った。
いや、あたしもびっくりしたよ。
フレーシア・アドルミデーラという女の子は、体力はちっともないんだけど、学習能力はものすごく高かった。
ちょっと手先が不器用なのが気になるが……六歳児だから、そこは仕方がない。
あたしは文字通りスポンジが水を吸収するように、あっという間に乗馬技術を習得したのだ。
あたしの訓練を見守っていた厩番の驚いた顔が、なんとも印象的だった。
夜の秘密特訓も大いに影響しているのだろうね。体幹を鍛えておいてよかったよ。
乗馬だけでなく、勉強の方も……精神年齢が高いということもあり、あたしは驚異的なスピードで理解していく。
これは……転生特典か、アドルミデーラ家の一員補正が入っているとしか思えない。
外見はモブっぽいけど、なんということでしょう。あたしも高スペックキャラのようである。
どうやら、能力値が低いとか、役立たずとかいわれて、侯爵家から追放されるパターンではないようだ。
体力はないが、運動神経はすごくいい。
「おお――っ」
「お嬢様、すごいです」
ライース兄様とカルティの称賛の眼差しに、あたしはとても嬉しくなる。
ミリガンはとてもちっこいけど、あたしの思ったとおりに走ってくれる。
ちょっと、ずんぐりむっくりしているけど、それはそれで可愛くて、愛嬌がある。
あたしもライース兄様がローマンにやるようにブラッシングをしてみたかったのだが、それは全員から止められてしまった。
なので、おやつをあげたりしてミリガンとは仲良くなった。
仲良くなったので、こんなこともできちゃったりする。
「ミリガン! いくよ!」
そう言うと、あたしは軽くミリガンの腹を蹴った。
あたしの合図にミリガンは「ぶるん」と首を振ると、徐々にスピードを上げていく。
風がすごく気持ちいい。
とってもワクワクしてきた。
「なにぃ! レーシア! なにをやっている! 止まれ!」
「えっ! お、おじょうさまあっっ!」
あたしがなにをやろうとしているのか察知したようである。
背後からライース兄様とカルティの叫び声と悲鳴が聞こえたが、当然、無視だ!
止めてくれるな! お兄様!
「あ――――! おじょうさまあっ!」
「レーシア! やめなさい! 止まりなさい!」
ミリガンは加速したまま、馬場の柵にめがけて迷うことなく突っ込んでいく。
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