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1-4.カルティ・アザ

 大きな鏡の前で、あたしは、これからのことを色々と考えてみる。


 そもそも、あたしに前世の記憶があるみたい? な状態はわかったけど、だからどうなの? ……っていうところが問題だ。


 この部屋の内容、着ている服などを見る限り、世界……いや、舞台設定は都合のいい中世ヨーロッパ風。

 ここに、魔法設定が加わるのかどうかは、まだわからない。


 この世界は人間だけなのか、エルフやモフモフなどの異種族が存在するのか、ドラゴンや魔物、魔王といった強敵がいるのか。


 神様は……?

 精霊は……?


 わからないことだらけだ。


 乙女ゲームの世界に転生して、断罪ストーリーをぶっ壊すの?

 前世の知識を活かして、まったり異世界生活を楽しむの?

 チートスキルに目覚めて、世界を救うイベントに巻き込まれる?


 覚えている『異世界モノ』を思い出そうとしたけど、具体的な部分までは思い出せない。


 例えるのなら、前世にスマホがあった、ということは覚えている。

 だけど、そのスマホの中に、あたしはどんなアプリを入れて、どんなことをしていたか、ということまでは思い出せない感じかな……。


 頭がぼんやりしていて、前世の自分も、現世の自分も、いまひとつはっきりしない。


 それこそ、前世と今世、両方の名前を思い出せないでいた。


(モヤモヤするなあ……)


 腕を組み、考えるポーズをとる。

 鏡の中の少女も、顔をしかめて考えている。


 ふと、額の包帯に目がいく。

 やっぱり、頭の怪我の影響だろうか。


(うちどころが悪かったとか……)


 嫌な予感がした。

 前世の記憶を思い出したかわりに、今世の記憶を失ってしまったとかは、勘弁してほしい。

 不安で、心臓がドキドキしてくる。


(だ、だいじょうぶ……よね)


 ただ、記憶が混濁しているだけであって、数日もすれば、色々と思い出したり、情報整理できたりするよね?


 前世では、顧客相手に競合他社の分析や、現状解析、問題提議は得意だったのよ?


(大丈夫……だよね?)


 あたしは、目の前の大きな鏡をじっと見つめる。


 技術が未発達だったら、鏡面がゆがんでいたり、映像がぼんやりしているのだけど、前世の記憶にある鏡のように、ありえないくらいくっきりと、今の自分の姿が映っている。

 まあ、巨大なガラス窓がある時点で、色々とおかしいのだ。


 亜麻色の髪の少女と目があう。

 若葉色の瞳が、とても不安そうに揺れていた。


「大丈夫だよ。前世でもうまくやってたんだから、今回もうまくやれるよ」


 あたしは、声にだして幼い少女に語りかける。

 声もこの姿にふさわしい、子どもの声だった。

 その言葉に安心したのか、鏡の中の少女はニッコリと笑った。


 鏡に向かってにらめっこをしていると、軽く扉がノックされ、ゆっくりと扉が開く音が聞こえた。


(やばい! だれかきた!)


 緊張で身体が硬直する。

 突然のことで、どうしたらよいのかわららず、あたしは鏡の前で立ち尽くす……。


 寝室の扉が大きく開いた。


「失礼しま……」


 声変わりをまだ迎えていない少年の声が、不意に途中で止まった。


 その後……。


 ガチャン!

 ガチャン!

 ガラガラ!

 カラン……カラン……カラン……。


 ガラスが割れる賑やかな音と、金属のトレイが転がる派手な音が、静かだった寝室に響いた。


 騒々しい音に驚いたあたしは、今の状況もわすれて、音のした方……寝室の入り口へと目をやる。


「おっ、おっ、おっ……」


 開け放たれた寝室の入り口には、赤錆色の髪、焦げ茶色の瞳の少年が立っていた。

 彼は従者のお仕着せを着ている。


 ただ、いつもに比べて、髪に生気がなくてパサパサで、寝ていないのか目の下にはクマができている。鼻の頭と、目尻は赤く、まぶたは腫れぼったい。


 また、泣いていたんだろう……。


 さっきの音は、この赤錆色の髪の侍従が、水の入った水差しとコップを落とした音だった。


 従者の足元は、ガラスの破片やら、こぼれた水でぐちょぐちょだった。


(カルティ・アザ!)


 不意に、あたしの脳裏に、従者の名前が、天啓のように浮かんだ。


「おっ、お嬢様! お嬢様がお目覚めに!」


 カルティ・アザは、両手で口元を隠し、それだけを呟く。


 そして、赤く腫れぼったくなっている両目から、滝のように涙を流し始めた。


(あたし……この子……を知っている!)


 あまりの驚きに、全身の震えが止まらない。


 正確には、この子が成長した姿をあたしは知っている……と、理解すると同時に、この子の情報が脳内で一気に爆発した。


 それは、一方的な情報の洪水だった。


「ううう…………」


 頭が割れるようにガンガンと痛くて、立っているのも辛い。


 あたしは、鏡の前にしゃがみ込んでいた。


「お、お嬢様!」


 カルティ・アザが、あたしの方へと駆け寄ってくる。


 カランカランという音がしたのは、カルティが金属製のトレイを思いっきり蹴ってしまったからだろう。


 円形のトレイがコロコロと回転しながら、部屋のすみへと転がっていく。


「お嬢様! 安静にしてください! 急に起き上がってはだめです!」

「だ、大丈夫よ。カルティ……」

「え……?」


 涙でぐしゃぐしゃな従者の顔が、驚き……いや、怯えたように固まる。


「お、お、お、おっ、お嬢様、大丈夫ですか?」

「カルティ……大丈夫っていってるじゃない」

「いや、大丈夫じゃないです。お嬢様がわたしを名前で呼ぶなんて、ありえません」

「え……?」


 一瞬、あたしの目が点になる。


(今、問題なのはそこなの?)


 あたしは痛む頭を抑えながら、泣きじゃくっているカルティと会話をつづける。


「お嬢様は、いつもわたしのことを『あんた』としか……てっきり、使用人の名前を覚えない方かと……」


 カルティの語尾がだんだん小さくなっていく。


(あ……そうだったかもしれない)


 家令や執事長、メイド長といった偉い使用人の名前は自然と耳に入ってくるので、なんとなく理解していたが、下っ端の使用人の名前など、幼いあたしは覚えていなかった。


 覚える必要がある……なんて、考えもしなかった。


 よかった、よかった、と涙を流しつづけるカルティの助けをかりて立ち上がる。


 小柄とはいえ、カルティは本格的な武術訓練も受けている二つ年上の男の子だ。

 それなりに力はあるみたいだ。

 カルティはふらついているあたしをしっかりと支えながら、危なげなくベッドの方へと誘導していく。


 あたしは歩きながら、隣にいるカルティの顔を観察する。


 滝のように流れていた涙は止まった。まだ鼻はグスグスいっているが、だいぶ落ち着いてきたようだ。


(前世のあたしは『彼』を知っていた)


 いやいや、知っているとかいうレベルではない。熟知している。


 もう、それこそ好きな食べ物から、嫌いな食べ物、好感度が上がる贈り物やら、口説き文句、弱点やら過去のトラウマだって……。なんでも知っている。


 公式ガイドブックにファンブック、公式サイト、熱狂的なファンサイトや、人柱による攻略サイト、課金にものをいわせたシークレットストーリー解放など……正社員独身腐女子の財力と妄執で、集めた情報量は半端ない。


 そうしている間にも、カルティ・アザの情報がどんどん、どんどん前世のあたしの中からひきだされてくる。


「まだ起き上がるのは、早すぎます。寝台でお休みください。お嬢様は、池に落ちた後、七日間も高熱でうなされていたのですよ。急に起き上がっては、倒れてしまいます。また熱がでるかもしれません」

「七日間も!」


 そんなに長い間、あたしは意識不明だったのか。


 あたしの側にいたカルティにしてみれば、あたしの意識回復は泣いて喜ぶ大事件だろう。


 ただの風邪で寝込んでいたのではなく、池に落ちてとなると……。

 夏とはいえ、それはちょっと、大騒ぎになっているんじゃないだろうか……。


 あたしは二つ年上……八歳のカルティに無理矢理、寝台の中へと押し込まれる。


「はい。それはもう、大変で……」


 と、言いかけて、カルティは「はっ」と表情を強張らせた。

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