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2-17.ちっちゃい馬に似た生き物

 もちろん、ライース兄様の溺愛が嫌というわけではない。


 行動制限は正直なところ辛いが、それを軽く上回って上回って、はるか高みにたどり着きそうなくらいの至福の時間が与えられる。


 これはもしかしたら、転生特典なのかもしれない。


 若かりし頃の甘々ライース・アドルミデーラは永久保存版だ。

 腐女子の神様に対して、この僥倖に感謝の祈りを捧げたい。


 だが、ず――っと甘々ライース兄様が側にいると……あたしの身が、いや、心が保たない。

 ちょっとでも油断したら、鼻血をだして、そのまま気絶してしまいそうだ。


 実際、何回か目眩を覚えてくらっときたときがあるのだが、ライース兄様に目撃されて、大騒ぎされた。

 ただちょっとふらついただけなのに……誤魔化すのが大変だった。


 穏やかな転生ライフを満喫するための三箇条に


 出血厳禁。

 気絶回避。


 という、新たな注意事項が書き加えられた。

 三箇条ですらなくなってしまった……。


 ライース兄様!

 やりすぎなんです!

 そのダダ漏れな微笑み!

 甘々な囁き声!

 寿命が縮みます!

 もうちょっと自重してください!

 危険すぎます!


 どうして、ヒロインでもないモブにすらなれなかったモブが、なんで、こんなめにあわなきゃならないの――っ!


 とまあ……ライース兄様の溺愛っぷりが少しばかり気になるが、本編が始まって、ヒロインに会えば元通りになるだろう。


 あのヒロインをなめてかかってはいけない。

 ヒロイン補正は最強だ。

 大丈夫だ。

 あたしは、本編が始まるまでの束の間の幸福をじっくり堪能しつつ、死亡イベ回避にいそしめばよいのだ。


 ライース兄様は約束通り、今日から乗馬を教えてくれるという。


 今日はデイラル先生が診察に来る日なのだが……それは偶然ではないだろう。


 乗馬のレッスン中になにか起こったとしても……デイラル先生が屋敷にいらっしゃったら、大丈夫と思っているようだ。

 ライース兄様としては、万全の体勢で挑みたいようだが、失礼な話である。


 あたしは木から落ちたし、池にも落ちたが、馬から落ちると決まったわけでもないのに……。


 ****


 あたしはライース兄様に用意してもらった、乗馬用のキュロットと臙脂色のジャケットに着替え、馬小屋の中にいた。

 白いシャツにフリルつきのアスコットタイが可愛くて、オシャレにあまり興味がなかったあたしも、少しばかりテンションが高まる。


 ライース兄様から、このお屋敷はアドルミデーラ家の別荘だから、領主の館に比べて馬小屋も馬場も小さいと聞いていたが、そんなことはない。


 お祖母様がここで生活しているので、屋敷を護衛する者たちや使用人の馬も含めて二十頭近くの馬が飼われていた。


 馬小屋は全て馬で埋まっているわけではなく、訪問者が滞在中に預けておくための空きもちゃんと確保されている。


 ということは、領主の館には何頭の馬がいるというのだろうか。

 どれだけ広いのか……見当もつかない。

 おそらく、前世であたしが住んでいた部屋よりも広いということは間違いないだろう。


「ライース兄様……な、なんですか? これは?」

「レーシアの練習用の馬だ。名をミリガンという」

「馬……じゃないです!」


 あたしは目の前の小さい、小さい馬を指さしながら、プリプリと怒りを爆発させる。


 小さい。


 とても小さい馬だ。


 いや、これは馬なのだろうか? 馬だけど、ちっちゃい。


「ちっちゃい馬に似た生き物です!」

「いや、これも馬だ。領内で一番、小柄で優秀な馬を厳選した」


 なんですと!


 ふれあい牧場で妹が乗ったポニーよりもあきらかに小さいですよ。


 メリーゴーランドの馬の方が大きいくらいだ。

 ちょっと大きめな木馬くらいの大きさだ。

 いや、メリーゴーランドの馬や木馬の方が、しゅっと細身でかっこいい。


 目の前のミリガンは、なんだかずんぐりむっくりして、動きもにぶそうだ。


「こっちのが馬です!」


 あたしは、隣の馬房にいる美しい黒鹿毛の馬をびしっと力を込めて指差す。


 これぞ、馬の中の馬。

 競馬で見るようなカッコいい馬だ。

 こんな馬にのれたらカッコイイだろうし、気持ちがよいだろう。


「いや。これも馬だが、いきなりローマンに乗るなど……レーシアには無理だ」

「ライース兄様! きめつけるなんて……ひどいですっ!」


 あたしの両目にじんわりと涙が滲む。


 ライース兄様は膝を折り、あたしの目をじっとのぞきこむ。


 だめですよ!

 無駄ですよ!


 そんな、『必殺! ライースの眼差し』でコロッと騙されるようなチョロいあたしではありませんよ!


 断固、抵抗してみせます!


 あたしは、馬らしい馬に乗りたいのです!


 馬っぽい生き物はいやです!


 前世で遊園地にあった、硬貨を入れてういーんと動く『子供用乗馬式ジャイアントパンダ型電気自動車』に乗りたいわけではないんです!


「レーシア……子どもが練習で乗るには、ポニーで慣れてからの方がいいんだよ? ずっと、ミリガンに乗り続けるわけではないんだよ?」


 聞き分けの悪いワガママな子どもに向かって言い聞かせるような、ライース兄様の口調にちょっとイラッとくる。


「ライース兄様は……」

「ん?」

「ライース兄様は、ポニーに乗って、じょーばを習ったのですか? カルティは?」

「…………」

「…………」


 ふたりは押し黙ってしまった。


 あたしは手を腰にやり、ふんぬっと目に力を込めて、ふたりをにらみつける。


「いや、おれたちは先に武術の鍛錬を行っていて、筋力や体幹を鍛えていたから……」

「ポニーじゃありませんよね?」


 あたしの反論に、ライース兄様の視線が頼りなく彷徨う。

 カルティは、あらぬ方向を眺めていたが、逃げ出さなかったことは褒めてやろう。


「あたしは馬に乗りたいのです!」

「ポニーも馬だよ?」

「みんなが乗る馬に乗りたいのです!」

「ダメだ」


 ライース兄様の気持ちにゆらぎはない。

 妹のウルウルお願いは通じないようだ。

 いや……もしかしたら……。


「あ、あたしは、ライース兄様が乗られるおうまさんに乗ってみたいのです! ライース兄様といっしょがいいです!」

「――――!」


 ライース兄様は目を大きく見開き、雷の直撃を受けたかのように硬直する。


「お、おれと一緒……がいいのか?」

「はい。あたしは、だいすきなライース兄様と同じようなことがしたいのです!」

「――――っ!」


 ライース兄様の顔が朱に染まり、口元が満足そうにほころぶ。

 蕩けるような笑顔を間近にとらえ、あたしは焦る。


(え? なに? この反応……)


「レーシア!」


 体をふるふる震わせながら、ライース兄様はあたしを思いっきり抱きしめる。


(え? え? え? なにがおこっているの?)


 息が止まるかと思うほど、ライース兄様にギュッと抱きしめられ、本当に息が止まりそうになる。


 日向の香り……太陽のような温もりに、あたしはすっぽりと包まれる。

 ら、ライース兄様の鼓動が……ドキドキが伝わってくる!


「あ、あ、お、おにい……ライース兄様」


 そ、そんなに力を入れられたら、あたしのちっこくてひ弱な身体はぺちゃんこになってしまいますぅ!


「うま! うまですっ!」

「やだ! やっぱりやめよう。レーシアがミリガンから落ちて怪我でもしたら、おれは……生きていけない」


 ちょ、ちょっとまってください!

 ライース兄様の口走っていることがヘンです!


 あのちっこいミリガンから落ちてもせいぜい、打ち身か、かすり傷です。


 それに、ライース兄様は、あたしが溺れ死んでも立派に生きてました!

 ゲーム内ではよく死にましたが、ライース兄様は『巻き戻しの砂時計』でしっかり蘇ります!


 カルティ!


 カルティ!


 今すぐあたしを助けなさい!


 ライース兄様の胸の中でじたばたともがきながら、あたしはすみっこの方に退避しているカルティを睨みつける。


 無表情だったカルティの顔に、怯えの色が浮かんだ。


「わ、わ、若様……。お力を緩めてください。それ以上強くされると、お嬢様が潰れてしまいます」


 カルティの声に、あたしを拘束する力が不意に緩む。


 ぼんやりとしているライース兄様に、カルティが慌てて言葉を続ける。


「若様、今日は……まずは、馬に乗るというのはどういうことなのかを、お嬢様に知って頂く日にしませんか?」

「どういう……こどだ?」

「若様とお嬢様が一緒にローマンに乗ってみてはいかがでしょうか?」

「ローマンに……レーシアと一緒?」

「はい。遠乗りでも、早駆けでも……。今日は初めてですから、乗馬の楽しさをお嬢様に知って頂くだけにとどめて、訓練は明日からされるというのは、どうでしょうか?」


 カルティが見事な折衷案を提示してきた。

 問題の先送りともいう。

 ビジネスシーンではよくやる手段だ。

 

 さすが、逃げのカルティだ!

 トラブル回避スキルが半端ない。


「よし。そうしよう!」


 ライース兄様がすくっと立ち上がる。


 切り替えはやっ!

お読みいただきありがとうございました。

お気に召しましたら、

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