2-3.お父様登場
食器を下げるためにワゴンを押して退出したカルティと入れ替わるようにして、お父様があたしの寝室へと入ってくる。
この絶妙なタイミング……外で待機していたとしか思えない。
「お父様?」
「フレーシア、具合はどうだ?」
と尋ねるお父様の服装は……昨日のものよりもさらに見た目は地味で動きやすさ重視なものとなっていた。
キラキラした貴族の正装も素敵だけど、こういう、無駄を削ぎ落としたシンプルなものをさらりと着こなせるのは、主要キャラであり、攻略キャラの父親だからだろう。
モブとの違いを見せつけられたような気分だ。
ゲームでは攻略キャラばかりに目がいっていたので、こうして改めて対面すると、あたしのお父様って、なかなかのイケオジだと思った。
ライース兄様の父親だもんね。当然といえば、当然のことだけどね。
お父様の着ている服は、仕立てとか、生地とかはしっかりしているけど、凝った装飾のたぐいは一切ない。
普段着よりも質素で、身分を隠してのお忍び外出着といったところだろう。
ぱっと見たところ、その辺りを旅している旅人にしか見えない格好だ。
外套をまとえば、どこから見ても完璧な旅人になる。
お父様の登場に、ライース兄様の顔がしょっぱいものになった。
「父上、まだ出立していなかったのですか? ぐずぐずしてないで、さっさと王都の屋敷に戻ったらどうです?」
仕事が溜まっているでしょうに……と眉をひそめ、責めたてるような口調で攻撃する。
さっさとでていけ、という邪魔者を排除したいという態度を隠そうともしない。
息子の手厳しい反応に、お父様の片眉がかすかにはねあがった。
「娘の容態を確認せずに出立するなどできるはずがないだろう。それに、フレーシアには言いたいことがある」
「しらじらしい」
「なんだと……?」
お父様の声が怒りで硬くなる。
それだけで、部屋の空気がかわった。
大声で怒鳴られたわけでも、力でねじふせられたわけでもないのに、あたしは恐ろしくなって震え上がった。
六歳のフレーシアは、お父様の怒りに怯えきっていた。魂に刷り込まれているんだろうね。布団の中に潜り込みたいのをあたしは必死にこらえる。
これが、アドルミデーラ家の頂点にたつ家長の威厳というものなのだろう。
あたしは息をひそめ、身を固くして、ふたりの様子をうかがう。
ライース兄様は家長の威厳もものとせず、にっこりと微笑んだ。お父様の視線からあたしを隠すような位置に移動すると、顎をくいと上げ、お父様の目を正面から睨みつける。
今はまだ、お父様の方が少しだけ背が高い。
「笑えますね。今更、父親ぶってどうされるのですか? それほどレーシアが大事というのなら、さっさと王都に戻って、あのヒトのご機嫌を損ねないよう、努力したらどうですか?」
「ライース……」
「わたくしがなにも知らないとお思いですか?」
「証拠もないのに、めったなことを口にするものではない」
「ええ。証拠などあるはずもないでしょう。それを言い訳に、なにもなさらぬおつもりなら、最後までそれを貫き通していただきたい。気まぐれでわたしたちに構うのは、はっきり言って、迷惑でしかありません」
ライース兄様の厳しい拒絶に、お父様は長々と大きなため息を吐きだした。
お父様が今、どういう顔をしているのかは、ライース兄様の背中が邪魔をしてよくわからない。
でも、六歳のフレーシアが震え怯えるほど、お父様はそれほど怒っていないような気がした。
いまの段階でいうと、ライース兄様とお父様の関係は、『とても微妙』という評価がつきそうな具合だった。
険悪ではないのだけど、少しばかりふたりの間には距離がある。
埋まることのない溝というべきなのか……。
ふたりとも教養のあるヒトだから、いきなり殴り合いの喧嘩とかにはならない。
だが、ライース兄様の静かだけど、強い拒絶をあたしは感じ取っていた。
ふたりの間には父と子の親しさがなかった。よそよそしい空気と緊張が常にただよっている。
高位貴族の親子関係とは、もとからこういう他人行儀に近いものなのかもしれない。
これは前世の記憶を思い出したあたしだから感じる違和感であって、もともとこの『キミツバ』の中で生きている上流階級のひとたちには珍しくもないことだろう。
上流層になると、父親は王都の屋敷、子どもたちは領地の屋敷で幼年期を過ごしたり、妻ごとに別邸を与えられたりしている。母親ではなく乳母に育てられ、しばらくすると教育係がつくのが一般的だ。
庶子のフレーシアなど、年に数回しかお父様とは会っていないし、親しく会話をした回数となるともっと少ない。
お父様はアドルミデーラ家の家長として、長兄のライース兄様には毅然とした態度を崩さない。
ライース兄様もライース兄様で、貴族の子息として礼儀正しく父親に接し、アドルミデーラ家の後継として、お父様をたしなめたりはしている。
このような反抗的な態度をとっても無事でいられるのは、ライース兄様が優秀な長兄であるからだ。
ライース兄様がお父様に対して攻撃的な態度をとる原因は――ゲームの公式設定を信じるのなら――ジェルバ・アドルミデーラ侯爵の正妻にあった。
ジェルバ・アドルミデーラ侯爵は、正妻の言いなりで、ライース兄様の母親を表立ってかばうことをしなかった。
ライース兄様の母親もそして、あたし……フレーシアの母親も、正妻の嫉妬によって殺されたようなものである。
正妻と側室との争い。
それはアドルミデーラ家に限ったことではなく、『キミツバ』の上流貴族の家ではよくあるもめごとだ。
ライースだけが背負っている悲劇ではない。
ライース以外の攻略キャラも、正妻と側室との争いやら、後継問題、一族内のゴタゴタに巻き込まれて、心になにかしら傷を負っている。
自分だけが特別な生い立ちではない……ということをライースも自覚している。
夫のとりあい。
正妻の地位のとりあい。
後継者の椅子のとりあい。
財産をめぐっての争い。
それは、いじめとか、いやがらせとか、かわいらしいレベルではなかった。
女と女の生きるか死ぬかのガチな争いだった。
妻たちの間では、夫の目が届かないところで、生命のやりとりがおこなわれていたのだ。
ライース兄様の実母も、フレーシアの実母も、幼い頃に亡くなっている。
周囲の者たちは、ふたりとも病気で死んだと思っているようだが、ゲームの設定では、正妻が人を使って暗殺――毒殺――したことになっている。
ジェルバ・アドルミデーラ侯爵の正妻になるほどの人物が、証拠を残すようなヘマをやらかすはずがない。
ライース兄様に同母の兄弟姉妹はいないが、あたしには双子の弟がいた。
弟は今年の年明け早々に、大量に血を吐いて亡くなってしまった。
これもまた、風邪をこじらせて肺の病気で……と、みなは思っているが、ゲームの設定では、正妻が殺害を命じたことになっている。
双子の弟、妹、そして祖母をつぎつぎと亡くしたことで、ゲーム中のライース・アドルミデーラは深い悲しみに支配されてしまうのだ。
これは、公式のサイトに書かれたたった数行の情報だ。
母親たち、そして双子の弟に名前はない。
名前すらつけてもらえなかった設定だけのキャラだけど、ライース兄様にとっては、大切なヒト……家族だった。
亡くなった母親たちや弟は毒を盛られて生命を落とした。それだけではなく、あたしが病気がちだったのも、弟と一緒におなじものを口にしていたから……。
そのことを、この世界のライース兄様も薄々感じているようだ。
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