42 トラウマラブホ
部屋に入ると、結香は服を脱ぎシャワーを浴びた。
その間弔木はルームサービスを頼むことにした。
ホットココアとコーヒーが到着する。
コーヒーを一口飲むと、弔木はベッドに転がった。
(どうしてこうなった……?)
天井から垂れ下がっている薄い布をぼんやりと見つめ、今日の出来事を振り返る。
結香のレベルを上げるためにダンジョンに潜ったはずなのに、なぜかラブホのベッドで結香を待っている。
薄い壁を一枚隔てた向こう側では、シャワーを終えた結香が着替えをしている。
混乱して頭がどうにかなりそうだった。
(着替えが終わったらホテルを出るだけだ。それだけなんだ……! そうだ、こういう時こそNHK総合だ。コーヒーを飲んでNHK総合を見て、心を落ち着かせよう)
混乱した弔木は気を紛らわせるために、テレビをつけた。
『ああああんっ気持ちいい! もっと! あああああ!』
弔木はコーヒーを噴いた。
テレビから爆音で女性の喘ぎ声が響いたのだ。
前の客の設定が残っていたのだろう。
さらに間が悪いことに、そのタイミングで結香も戻ってくる。
「弔木さん、おまたせしまし――――」
『いくっ! いくっぅうう――!!!』
「と、弔木……さん? そ、そうですよね。男の人だから仕方ないですよね。でも私達まだ早すぎ――」
結香は凍りついた表情になりながらも、この状況を受け入れようとしている。
「ブハッ! あ、す、すまない! これはNHK、人間のえっちなコンテンツと言ってだな……あ、いやなんでもない!」
弔木はリモコンを鷲掴みにして、テレビを消した。〝闇の魔力〟でテレビを吹き飛ばさないだけの理性は残っていた。
「……飲み物を頼んでおいた。これだけ飲んだら出よう」
弔木はコーヒーを飲み干して立ち上がった。
「ま、待ってください」
「どうした。ここにまだ居たいのか?」
「いいいいい? 居たいってわけじゃないけど……そうじゃなくて」
「そうか。ならココアを飲んで出発しよう」
「弔木さん。待ってください。あの、」
結香は意を決した表情になって、弔木に言った。
「色々と……本当にすいませんでした。改めてお願いします。私にもっとダンジョンのこと、探索のことを教えてください! 私、もっとレベル上げたいんです! ダンジョンで稼ぎたいんです!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
結香の真剣な表情に、勇者時代の記憶がフラッシュバックした。
ラブホ如きに動揺している場合ではない。
知性を持つ狡猾な魔物との戦闘。
探索者を狙う、必殺のトラップ。
迷宮の深層を目指すのは命がけだ。
弔木の頭は一瞬にして探索者モードに切り替わる。
結香の覚悟を知りたい。弔木は一つだけ質問をした。
「ダンジョンは危険だ。文字どおり、死ぬほどな。……そこまでして入らなければならない理由があるのか?」
「あります」
結香は即答した。
「その理由とは?」
「パパにこれ以上ダンジョンに入って欲しくないから」
「お? お、おう……どういうこと?」
大泉からは、結香は「遊ぶ金欲しさにダンジョン探索をしている」と聞いている。
話が食い違っている。
「パパは私の学費のためにダンジョンに入ってるんです。だから私が稼げば、パパが危険な目に遭わなくて済むので」
「ちょ、ちょっと待った。『新しいスマホ欲しい』とか『ディズニー行きたい』ってのは?」
「それもあるにはあるけど、半分は誤魔化すための嘘みたいなもので……」
どうやら結香は、本心で言っているようだ。
だが社長の大泉からしたら複雑な気分だろう。
結香に危険な目に遭わせたくないし、だからこそ自分がリスクを取ってダンジョンに潜ろうとしている。
親子のすれ違いというやつだ。
が、このすれ違いは話し合ったところで解決するのは難しいだろう。結香の決意は既に固まっているのだから。
「だから弔木さん。お願いします! レベルを上げる方法とか、モンスターの攻略方法とか、教えてください!」
と、なれば。
問題を根本から解決する方法は一つしかない。
結香をひたすらに強くし、難易度の高いダンジョンに潜るしかない。
ひたすら強くなり、ひたすら稼ぐ。結果的にそれが一番安全だろう。
「分かった。俺も本気でやろう」
「ありがとうございます! じゃあさっそく、弔木さんの力のこと、教えてください! あの魔法は、何だったんですか!?」
「ま、まってくれ。その話、ここでやるのか?」
「もちろんです! せっかくお金払うんだから、時間ギリギリまでいましょう!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「はあ……はあ……! 結香! どこだ! どこにいるんだ!」
横須賀市街地。大泉は疾走していた。
ダンジョン探索の法人ライセンスを取得すると、大手商社や製造メーカーと直接取引する資格を得られる。
そして今日は、その商談の日だったのだ。
今になって思えば、商談など諦めて結香とダンジョンに入れば良かったとさえ思う。
弔木を疑っている訳ではない。
それどころかむしろ、その実力には全幅の信頼を置いている。
彼に倒せないモンスターなど、いるはずがない。
しかも向かう先はチュートリアル用のダンジョン。
絶対に、安全なはずだった。
それがなぜ――
何十回目かのコールの後、ようやく結香が電話に出た。
大泉は心の底から安堵した。
「おお! 結香! つながった! 無事だったか!? 怪我はないか!? 横須賀まで車を飛ばして来たんだ! 迎えに行くぞ!」
『え? パパ? 何で来てるの?』
スマホごしに娘の戸惑った声がした。
「そりゃもう、結香が心配だからに決まってるだろ! どこにいるんだ――――」
次の瞬間だった。
大泉は歓楽街のエリアに入った瞬間、「ぷぇっ」と謎めいた奇声を発して意識を失った。
ラブホから出てくる結香と弔木を見てしまったのだ。
大泉が目覚めて記憶を取り戻すのに2日、誤解が解けるのにはさらに3日かかった。




