ポニーテール
付き合ってから一か月たったくらい。
「いっ」
放課後、私が急にあげた声に、黒板消しを窓の外でばふばふしていた渡邊くんがこっちを見た。先週くらいから黒板消しクリーナーが壊れていて、原始的な方法で綺麗にするしかないのだ。
「どうしたの?」
「毛先を……肘で踏んづけた……」
「大丈夫? そんなことあるんだ……」
「長いとね、たまにあるんです」
日誌を書きながら頬杖をつこうとしたら、机の上に落ちてきていた毛先のほんの一センチくらいを運悪く踏んでしまった。
引っ張られたせいで、結んでるところがちょっとよれた感じがする。ついてないなあ、と思いながら、シュシュを外して髪をほどいた。
黒板消しを戻しながら、渡邊くんがじーっとこっちを見ている。恥ずかしながら彼氏彼女とやらになってから、渡邊くんはたまに無言で私を見ていることがある。とっても恥ずかしいのでやめてほしいけど、べつにやめなくてもいい。
「…………あの、さ」
「なに?」
なんだか言いにくいことみたいで、あー、と言いながら渡邊くんは目線をあっちこっちにやった。どうしたの、挙動不審だよ。
「えっと……俺が、結んでみても、いい……ってやっぱりなし、今の嘘」
「いい、けど」
「いいんだ……」
言い出しておきながら驚いている。ちょっと面白い。
渡邊くんはそわそわしながらこっちに向かってこようとして、あ、という顔で立ち止まった。さっきまで黒板に日付を書いたり、黒板消しをばふばふしていたりした手を見て、言う。
「手、洗ってくる」
「うん」
チョークの粉まみれだからね。
渡邊くんが手を洗いに行っている間に、私は日誌を書き終える。シュシュをくるくるまわして遊んでいると、彼が戻って来た。
本当にいいんだろうか、みたいな顔してるなあ。
はい、とシュシュを渡すと、こわごわ受け取った。
椅子に座っている私の後ろに、渡邊くんが立つ。心なしか背筋が伸びた。
「渡辺さん、いつもどうやってたっけ……」
「待って、そこからなの?」
「なんもわかんなくなった……」
大丈夫かな。
「んーと、とりあえずどっちかの手首にシュシュつけておいて、ガって髪まとめて結ぶだけだよ」
「ガってまとめて結ぶだけ……?」
あんまり伝わってなさそうだけど、実践あるのみだ。
「ぐちゃぐちゃになったらごめん」
先に謝られた。それでもチャレンジするらしく、渡邊くんがそろそろと髪に触れる。
「つめたっ」
冷たい指が首をかすめた。もう季節も冬に差し掛かり、さっき手を洗ってきた渡邊くんの指は氷のようである。
「ごめんなさい」
急に敬語で謝る渡邊くん。
「ガってまとめる……? え、渡辺さん、端からサラサラ零れ落ちていくんだけど」
「ちゃんと持ってなきゃダメでしょ?」
「うん、だいぶむずい……」
「ブラシ使う?」
「これ以上使いこなせないアイテム増やさないで」
声が真剣だ。絶対ブラシを使った方が綺麗にまとまると思うけど、真剣なので口を出さないでおく。
……無言になると、急に恥ずかしさが込み上げてきた。髪触られてますけど? よく今まで平然としていられたね、私!
「……そんな急に照れないでよ……」
顔は見えてないはずなのに、なんでバレたかなあ。
「照れられると、なんか……あー、待って、これ、よろしくない」
渡邊くんはそう言って、急にぱっと手を離した。ぱさっと背中に戻ってくる髪たち。
「え、やめるの?」
「続けちゃダメな感じがするんだって」
「む、結んでみたいんじゃなかったのか!」
「顔真っ赤だよ、渡辺さん」
「渡邊くんだって顔赤いよ!」
「……お前ら何やってんの?」
二人して顔を赤くしながら言い合いしていたところに急に他の声が入ってきて、時が止まった。
ギギギ、とさび付いたような動きで、教室のドアの方を向く。
呆れた顔をした河西くんがいた。
「……ポニーテールの、練習……?」
正直に答える渡邊くん。
「はあ?」
意味わかんねえ、という顔をする河西くん。髪をおろしている私と、手首に可愛いシュシュがついたまんまの渡邊くんを交互に見て、だんだん変な顔になる。
「お、お前ら、教室でいちゃつくなよな!」
ちょっと顔を赤くして怒りながら、河西くんはどこかへ行ってしまった。教室に何か用があったんじゃないのかな、ごめんね……。
結局渡邊くんは私の髪を結ぶのをあきらめた。俺にはまだ早いんだそうだ。
仕方ないので自分で結びなおす。その様子を見ながら、なるほど……と呟く渡邊くん。ほんとにわかったんだろうか。
日直の居残りを終えて、学校から駅までの道を歩く。今日、ほんとなら私は部活がある日なんだけど、体育館の使用権を大会前の演劇部に譲ったのでお休みになった。おかげでこうして一緒に帰れるので、たまにはそんな日があってもいい。
「寒くなって来たね」
「うん」
「そろそろマフラーの出番かなあ」
風が冷たくて、首が寒い。そう思いながらつぶやくと、渡邊くんは首を傾げた。
「……そういえば、最近ずっと結んでるね」
「え、うん」
「前に言ってなかったっけ、邪魔なときと暑いときに結ぶって……なんか怒ってる?」
「怒ってないけど……覚えてないの?」
「な、なに?」
渡邊くんは戸惑うばかりで、本当に思い当たらないらしい。
迷ったけれど、とうとう私は言った。
「……ポニーテールが、好きって……」
「……え、あ、え? それで……?」
もう、なんのために私が毎日ポニーテールにしてると思ってたんだ。
ようやく気がついた渡邊くんは、手で顔を隠してしまった。指の隙間から見える顔がばっちり赤い。
「寒いなら、べつに無理して結ばなくても……」
そのまましゃべるので、声がこもって聞き取りづらい。
私が黙っていると、渡邊くんは慌てて続けた。
「いや、違くて、あー……」
すっかり困らせてしまって申し訳ないけれど、何かを言おうとしてくれているので大人しく待つ。
「……髪、おろしてるのも、か、わいい、と、思い、ます」
ほとんど片言のようにとぎれとぎれに言われたそれは、一瞬なんだかよくわからなくて。
理解して、一気に頬が熱を持つ。
「ど、どうして急にそういうこと言うの!」
理不尽にも怒る私。
かなり恥ずかしいことを言ったはずの渡邊くんは、開き直ったのかそんな私を横目でちらっと見てちょっと笑った。
結ぶのとおろすのと、これからは半々くらいにしようかなんて考え始めている私も大概だ。
これから先、渡邊くんが他の髪型を好きとか可愛いとか言ったとしたら、私はすぐにその髪型にするんだろうな。なんてことまで考えて、私も笑った。