ロング派かショート派か、それとも
ラスト、少し付け足しました。
週明け、テスト返しが始まった。英語のテストが返されたとき、ちょっと落ち込んでいる渡邊くんを見て、私はお礼の内容を確定させる。
昼休み、私は渡邊くんに話しかけた。
「金曜日、ありがとうね。森本くんにも、途中で帰ってごめんって伝えてくれる?」
「ああ、うん」
「ところで、お礼なんだけど」
「え、あれ本気だったんだ。べつにいいのに」
そういうわけにもいかない。途中下車させてしまったのだ。きっと眠かっただろうに、申し訳ない。
「夏休みの英語の課題、手伝うよ」
私がそう言うと、お礼なんていいのにみたいな顔をしていた渡邊くんが、表情を変えた。
「…………それは、すごく、ありがたいです」
一言一言が重たい。結構切実みたいだ。
「夏休み、部活で学校来るでしょ? そのときとかに一緒にやろう」
「……うん、よろしく」
そして始まった夏休み。部活をしたり、友達と遊んだり。そうして満喫するために、戦わねばならないのが課題たちだ。日々ちぎっては投げ、ちぎっては投げしているけれど、課題の山はなかなか片付かない。
朝から部活がある今日は、三時過ぎに練習が終わる。体育館を出て渡り廊下を歩いていたら、隣接された卓球場などがある第二体育館から卓球部の面々がぞろぞろと出て来た。どうやら卓球部もこの時間で終わりらしい。
渡邊くんを見つけたので、ちょっと手を振った。
びっくりしたのか固まっている。悪いことしたかな。
「英語の課題、どう?」
話しかけると、びっくりした顔のまま首を横に振る。
「あんまり進んでない」
「やっぱりそうなんだ」
話ながら横に並んで歩きはじめると、渡邊くんの隣にいた森本くんが話しかけてきた。
「渡辺さん、柚ちゃん、最近連絡とってる? 元気かな」
「……元気だと思うよ」
森本くん、可哀想に……。柚ちゃんは、夏休みに入ってすぐ彼氏ができたらしい。華女と交流のある男子校の生徒だとか。知らない方が幸せなこともあるだろう。
「そっかー……また前みたいに遊ぶとき、誘ってね!」
森本くんは元気にそう言うと、じゃーな、ナベ! といって駐輪場の方へ歩いて行った。自転車通学らしい。
「渡邊くん、今日この後時間あるなら、課題やろう」
「……うん」
「なんか疲れてる?」
「いや……渡辺さんはこの暑いのに元気だね」
「そうかな? だいぶしんどいけど」
「そうは見えない……」
渡邊くんは暑さに弱いらしい。
「夏休みって、教室エアコンつかないんだっけ」
「確かそう」
「じゃあファミレス行く? そっちの方が涼しいよね絶対」
「うん」
いつかの放課後、暴飲暴食の会を開いたファミレスへ行く。道中、渡邊くんは暑さにやられてまともな会話をしてくれなかった。見かねて首に巻くと涼しくなる名前の分からない細いタオルみたいなのを貸してあげると、砂漠でオアシスを見つけた旅人のような顔でありがとうと言われた。
夏休み中、そんな会合を何回か開くうちに、絶望的だった渡邊くんの英語の課題も片付き、ついでに私の数学の課題も片付いた。一人だとさぼってしまって時間だけ無駄にかかる苦手教科の課題は、誰かと一緒の空間でやると捗るものだ。
苦手教科の課題が片付いたその日、そのままお祝いと称していろいろと注文する。フェアのメロンパフェに夢中になる私と、ひたすら唐揚げをもぐもぐする渡邊くん。
しばらくしてお腹が落ち着いた私は、返事はあまり期待せずに話し始めた。
「もうすぐ夏休みも終わっちゃうね」
頷く渡邊くん。
「あっ、でも、夏休み終わったら文化祭だ。楽しみだね」
ちょっと首を傾げる渡邊くん。そんなに楽しみでもないらしい。
私たちのクラスはド定番のカフェをやることになっている。定番だけど、みんなやりたいから定番なんだろう。
私は調理室でひたすらクッキーを焼く係だ。当日は午後から暇になる、大変そうに見えてお得なポジションだと思う。渡邊くんは、クッキー係が焼いたクッキーをひたすら袋詰めするラッピング係だ。文化祭の係決めは、テスト最終日のホームルームで行った。ずっと寝ていた渡邊くんは、適当に人気のない係に割り振られたのである。
ちなみに、渡邊くんがいいなと思っていた可愛いあかりちゃんは、可愛いのでウェイトレス係だ。きっととってもエプロンが似合うと思うのに、渡邊くんは楽しみじゃないのかな。
「あかりちゃん、ウェイトレスだよ。楽しみじゃないの?」
「んっ……」
思ったことをそのまま聞くと、渡邊くんは唐揚げを喉に詰まらせた。食べてるときに聞いてごめんね。
「新島さんは相田の彼女だし、べつに……」
あれ、本当にべつにって感じの顔をしている。あれから三ヶ月くらいたって、完全にふっきれたらしい。人のものには手を出すつもりはないということだろうか。でもよく考えたら私も、先輩のことはもういい思い出になっている。
「そっかー……あ」
そんなことを考えていたからだろうか。たったいま店に入ってきた二人組は、先輩たちカップルだった。
私の視線を追って彼らを認識した渡邊くんが、もう一度私の顔をみて、あっと察した顔をする。例の? みたいに目で訴えてくるので、うん、と頷く。ちょっとこそっと隠れてしまう私。べつに、本当に先輩のことはもういいんだけど、今見つかるのは普通に気まずい。
幸い二人が案内されたテーブルはかなり遠いところだった。安心して、すくめていた首を戻す。
そして唐突に思い立って、口にした。
「やっぱり、髪切ろうかな」
「え」
渡邊くんが目を丸くしている。そんな反応が返ってくるとは思っていなくて、私も驚いた。
渡邊くんが、コーラをストローで吸い上げる。そして、先輩たちが案内された方を振り返った。振り返るんじゃない、べつに関係ないぞ。
ちろっと私の髪のあたりを見て、渡邊くんはためらいつつも言った。
「あー……もったいない、んじゃない?」
「そう、かな」
「うん。もったいないよ」
「そう、かも」
なんとなく、……そう、なんとなくだけど、髪を切るかどうかは保留にした。
夏休みはあっという間に終わってしまった。二学期初日、絶望の朝。
でも二学期は文化祭がある。楽しいこともいっぱいだ。
授業と準備とに追われるうちにやってきた文化祭当日、予想以上にクラスのカフェは盛況で、結果的に予想していた三倍の数のクッキーを焼くことになった。途中、ラッピング係まで買い出しに駆り出され、渡邊くんは走り回るか袋詰めロボットになるかどちらかの姿しか見ていない気がする。
クッキーは、バターと砂糖を擦り混ぜる工程が意外と力仕事なので、文化祭が終わるころには腕が痛くなっていた。バドのラケットを振るのとは別の筋肉を使うらしい。
もうしばらくクッキーは作りたくない。
途中友達といろいろ回ったりもしたけれど、今年の文化祭の記憶はクッキーで埋め尽くされそうだ。
そうして文化祭は二日間無事に終わり、クラスのみんなで打ち上げをすることになった。打ち上げと言っても、行ける人たちでファミレスになだれ込むだけなんだけど。
疲れたけど、文化祭とかの当日の打ち上げの空気が結構好きだから行くことにする。みんな楽しそうで、でもちょっと疲れてるからはしゃぎすぎる感じでもなくて。
楽しそうに歩いているみんなの後ろ姿を見ながらのんびり歩いていたら、同じようにのんびり歩いていてだんだん集団から遅れてきた渡邊くんが近くに来た。
「お疲れ、渡邊くん」
「渡辺さんも、お疲れ」
なんとなくそのまま隣を歩くけれど、お互い会話をする元気があまり残ってなかった。運動部だけど体力がない。
ふと髪に手をやると、一日動き回ったり三角巾を付けたりしていたからか、少し乱れているのがわかった。片手で押さえながら一度ほどいて、シュシュを右手首につける。歩きながら手早くポニーテールを結びなおしていると、隣から視線を感じた。
渡邊くんが、じっと私の手元を見ている。
「どうしたの?」
見ていることに気づかれたことに気まずさを感じたのか、渡邊くんは慌てたように前を向いた。
「ごめん、なんか、歩きながら器用だなあと思って」
「そう? 慣れたら渡邊くんもできるよ」
「何言ってんの」
そんなくだらないことを言いあいながら、最後尾を歩いていたからだろうか。
ファミレスについて、何人かずつにわかれて座っていくクラスメイト達。最後に店に入った私たちに残された席は、相田くんとあかりちゃんのいる四人掛けのテーブルだった。
「うわあ」
思わず声に出てしまう。きっとみんなには聞こえなかっただろうけど、隣にいた渡邊くんには聞こえたに違いない、でも彼も顔をちょっと引きつらせていた。
まあ、だれもあそこには座りたくないよね! 他にもいるだろクラス内カップル! 君たちのうち一組が座ってくれたら平和だったのに!
私たちは顔を見合わせて、観念してそのテーブルに向かう。
「未央ちゃん! お疲れさま!」
あかりちゃんは可愛いなあ。許した。
私があかりちゃんの正面、渡邊くんが相田くんの正面に座る。四人掛けのテーブルで隣同士に座ってるあかりちゃんと相田くん、結構バカップルだ。
打ち上げが始まった。気まずいかなあと思った席だったけど、あかりちゃんが結構私に話しかけてくれる。私もあかりちゃんと楽しくおしゃべりできた。
だんだん文化祭の話題から遠ざかっていって、普通に全然違う話になっていく。私はずっと気になっていた話題をあかりちゃんに振った。
「あかりちゃんの髪、すごく綺麗な内巻きだよね。いつもどうしてるの?」
聞いてから、隣の渡邊くんがちらりとこちらを見た気配がして、しまったと思った。ごめん、純粋に気になってたんだ。
あかりちゃんはにこにこしながら普通に答えてくれる。
「髪質にもよるかもしれないけど、簡単なんだよ。思いっきり下向いてばさーって状態で乾かすと、自然と緩めの内巻きになるの。あとは最後にブローすれば、こんな感じ」
「へー!」
そうなんだ! コテで毎朝くるくるしてるのかと思ってたけど、意外とシンプルだ。
「未央ちゃんの髪も、サラサラで綺麗なロングだよね。お手入れ大変じゃない?」
「慣れるまで大変だったけど、習慣になっちゃったからそんなでもないかも」
「そうなんだ!」
「でも、最近切ろうかなあって思ってるんだよね」
私がそう言うと、渡邊くんが小さくえ、と言ってこっちを見た。ん? と首を傾げると、いや、と言って顔を正面に戻す渡邊くん。何だったんだろう。
「あかりちゃんくらいの長さもいいなあって」
「やっぱり楽だよね、短いと」
私たちが髪の話をしていたからか、相田くんも渡邊くんに髪の話を振った。
「なあなあ、ナベはロング派? ショート派?」
男子はたいてい、渡邊くんのことをナベと呼ぶ。ていうか女子の横でその話するんだ。すごいなあ、相田くん。
「オレはショート派なんだよね」
まあそうだろうね。隣のあかりちゃんはにこにこしている。
渡邊くんは、結構困った顔をしていた。
「俺は特にどっちでもないかな……」
そうだそうだ、渡邊くんにその話は禁句だぞ。特にあかりちゃんを前にして、言えるわけない。
助け舟を出そうとしたけれど、それよりも早く相田くんが話し出したので口をつぐんだ。
「強いて言うなら? どっちかじゃなくても、好きな髪型とか」
引っ張るなあ、相田くん。そんなにその話続けたいのか……ていうかあれだね? きっとこの後に、オレはボブかな、って続くんじゃなかろうか。バカップルめ!
「あー……うーん……」
渡邊くん、すごく困っている。でもなんて言えば丸く収まる? 私が割って入って不自然じゃないセリフ、何も浮かばない。
私も一緒になって困っていると、渡邊くんはなぜか私の方を見た。そして、すっと顔ごと逸らす。
そして。
「……ポニーテール、とか」
と言った。
思わずまじまじと渡邊くんを見つめてしまう。私と逆の方を向いてるから、耳くらいしか見えないけれど。
その耳が、じわじわ真っ赤になっていく。
「「へー、ふーん」」
向かいに座るバカップルが、にやにやしながら声を揃えた。
顔が熱い。
この髪は、しばらく切らないことにした。そして、寒い日だろうがなんだろうが、毎日ポニーテールにすると決めた。
恥ずかしくて、それを誤魔化すように渡邊くんの肘を軽くこづく。その手をなんでもなかったように戻そうとしたら、テーブルの下できゅっと握られた。
私たちは二人して真っ赤になりながら、もくもくと飲み食いする。
これじゃ、私たちもバカップルみたいだなあなんて、そんなことを思った。