内巻きボブ
職員室に寄って担任の先生に日誌を渡すと、私たちは学校を出た。どうせ失恋した同士、誰に見られてもノーダメージなので、学校の最寄りの駅前にあるファミレスに入る。同じ制服を着た学生が何人か店内にいたけれど、もう気にしない。
今日はお小遣いと胃腸の許す限り、食べて飲んでやる。
中途半端になってしまった私の失恋も、結構堪えていたらしい。やけ食いは最高のストレス発散だ。
フェアのいちごパフェやらデザートばかり注文する私に、渡邊くんは少し顔をひきつらせていた。
「甘いものばっかりで気持ち悪くなんないの?」
「なるわけないじゃん」
そういう渡邊くんも、肉ばかりだから人のことは言えないと思うのだけど。
思えば、私たちは去年からそこそこ話してはいるけれど、お互いのことは全然知らないのだ。失礼ながら縁側でお茶を飲んでいるのが似合いそうな渡邊くんも、育ち盛りらしく肉食らしい。
「大体さ、ロング派ってだけじゃなくて、断然ロング、って言ってたんだよ? それが何、いざ付き合う彼女はベリショって、結局顔か! 選ばれし者にしか許されないベリショが似合っちゃう系女子! そりゃ先輩は美人で優しくてめちゃめちゃいい人だけど、それとこれとは別っていうか、ロング派が聞いてあきれるよね」
ちょっとお腹がいっぱいになってきて、私はひたすらドリンクバーとテーブルを往復しながら渡邊くん相手にぶちまけた。渡邊くんはもぐもぐしながら軽く頷いてくれてはいるけれど、たぶんあんまり聞いてない。
「悔しくて短くしてやろうとも思ったんだけど、ここまで伸ばして自分でも気に入ってるからね、もったいないなあとも思うんだよね。どうしようかなあ……」
不満をぶちまけた後は、結局ここに戻ってくるのだ。ほんと、この髪どうしてくれようか。
「もったいないって思ってるうちは、切らなくていいんじゃない」
「……そう?」
まともなアドバイスが返ってきて、私はちょっと驚いた。話聞いてくれてたのね。
「だってそこまで伸ばすのは時間かかるけど、切りたくなったら切るのはすぐじゃん」
「確かに。賢いね」
「馬鹿にしてんの?」
「そんなことはない」
くだらないやりとりがなんだかおかしくて、私は笑った。
「渡邊くんは、あかりちゃんのどこが好きだったの?」
「んっ……」
急に話題が変わって矛先が自分に向いたからか、渡邊くんは飲んでいたコーラにむせた。炭酸飲んでるときに聞いてごめんね。
「いやだから、好きっていうか、べつにそこまであれではなかったけど」
あれってなんだ。
「ふつーに、可愛いじゃん、新島さん……だからなんか好きとかではなくて」
「ふんふん」
「彼氏いるの知らずにそう思ってた自分がなんかダサいなって、それだけだから俺は」
「ふーん」
自分でも、顔がにやにやしているのがわかる。性格悪いな、私。でもあれこれ理由をつけて誤魔化しているように見える渡邊くんがちょっと面白いから仕方ない。
そんな私に、渡邊くんはじとっとした目を向けた。無言の抗議だ。
「ごめん。……可愛いよね、あかりちゃんは……私は個人的に、あかりちゃんの後頭部が好き」
急にピンポイントにキモいことを言いだした自覚はあったが、渡邊くんは神妙な顔をして頷いた。
「わかる」
「あ、わかる? 内巻きボブってあの丸みが素晴らしいよね」
「わかる」
「わかるんだ……」
自分で言い出しておいて、ちょっと引いてしまった。私たち、キモいかもしれない。
渡邊くんはストローの先で氷をつつきながら、つぶやいた。
「相田には悪いんだけど……相田かあって思っちゃったんだよな……」
「わかる」
「わかる? なんていうか、相田ってさ……」
「ちょっとチャラいよね」
「うん……いいやつなんだけど」
「うん」
「前に、新島さんたちが話してたのを聞いちゃったんだけど」
「うん」
「新島さん、真面目な人がタイプって」
「ええ……」
「相田、真面目かなあ」
「真面目ではないかな……」
「そうだよなあ……」
二人して、はあ、とため息をついた。
「ポテト食わねえ?」
「食べる」
最後にポテトを食して、私たちの暴飲暴食会は終了した。
次の日の朝、担任から日直日誌を受け取った相田くんが、黒板を見て「オレの名前斜めってね?」と言ったとき、私は笑いをこらえるのが大変だった。私よりも三列くらい前の方に座っている渡邊くんの肩が震えているのがわかって、余計笑えた。
それから、私たちは前よりもよく話すようになった。渡邊くんは意外とよくしゃべるということがわかってきて、なんだか面白い。
高校生は忙しい。あっという間に次の日直の順番が回ってきた。もうあれから三週間もたったんだなあ。
七月も半ばの今日は、一学期の期末テスト初日。当然部活もないが、早く帰って明日の教科の勉強をしたい。だというのに、数Ⅱのテスト前課題のノートを数学科の教室に運ぶよう言いつけられてしまった。
さっき、似たような用事……化学基礎のテスト前課題のプリントを化学室へ運ぶよう言いつけられた渡邊くんが出て行ったばっかりで、私しか教室には残っていない。二人して数学の課題ノートの存在を忘れていて、というか私たちが運ぶものだと考えていなくて、俺がプリント持ってくよ、とさっそうと引き受けてくれたのだ。
三十冊……多分途中でノートが新しくなって二冊提出している人も何人かいるから、四十冊近いノートの束は、それなりに重い。
教卓からよいしょ、と持ち上げてドアまで行ったところで、両手がふさがっていてドアを開けられないことに気がついた。我ながらどんくさい。一度近くの机にノートを置いて、ドアを開け放つ。
再びよいしょ、と持ち上げる。これ数学科まで私の腕もつかな?
しっかり抱えなおして、足早に廊下を進む。
途中までは何の問題もなかった。だんだん腕が痛いなあ、とか考え始めたとき、廊下に放り出されていた誰かのエナメルバッグの肩ひもにつんと足を取られた。
あ、っと思ったときにはすでにつんのめっていて、転びはしなかったものの。
廊下に、盛大にノートをぶちまけた。
「あーあ……」
たいした失敗でもないのに、ちょっと泣きそうだ。
「うわ、大丈夫、渡辺さん」
顔を上げると、化学室から戻るところだった渡邊くんがいた。
「地獄に仏……」
「なんだそれ」
笑われたけれど、一人さみしくやらかしたところに知り合いが通りがかるとこうも心強いのか。
私たちは、しゃがんでノートを拾った。
「戻ってきたところ悪いけど、運ぶの手伝ってください……」
弱々しいお願いになってしまった。テスト勉強で疲れているところに、結構メンタルに来たらしい。
「もちろん。ていうかごめん、俺これのこと忘れてた」
「私も……水谷先生が自分で持ってくんだと思ってた……」
「だよな」
水谷先生は、私たちのクラスの担任だ。数Ⅱを担当しているから、数Ⅱのテスト前課題のこのノートたちは水谷先生が運ぶものだと思い込んでいた。
半分くらいずつノートを抱えて、数学科の教室まで歩く。
「渡辺さん、明日の英語、あれやった? サイドリーダー」
サイドリーダーは、教科書とは別に配られる冊子だ。授業では全く使わないけれど、テストの二週間くらい前にページ数が指定されて、テストに出すから読んで来いよ、と言われる。大体直前まで手を付けられずに、というか全く手を付けずに臨む人もいるくらい、テストにひそむ悪魔である。
「まだ目通しただけ……やばいかな」
「俺まだ見てもない……やばいな」
自分よりひどい状況の人を見ると、申し訳ないが安心する。
「私今日の教科の方が苦手なの多くて、英語まであんまり手が回らなかったんだよね」
「まあでももともと英語得意だよね、渡辺さん」
「それなりに」
「良かったら、サイドリーダーの内容さらっとやっていかない? この後」
どうやら渡邊くんは英語が苦手みたいだ。授業で当てられる和訳でも苦労しているっぽいことはもともと知っていた。
「いいよ、帰ったらそれからやるつもりだったし、学校でやってっちゃう方がいいかも」
私はすぐに了承した。サイドリーダーからの出題は結構馬鹿にならない点数になるので、誰かと内容を確認した方が効率が良さそうだ。一人だと、読んだだけで満足してしまったりして、なかなか点数に結びつかなかったりする。
そんな話をしているうちにたどり着いた数学科の教室には、水谷先生がいた。
悪いね、ありがとう、と言って、お菓子をくれた。
水谷先生はいい先生だ。
テスト期間中は出席番号順に座る。必然的に、隣の席は渡邊くんだ。
初日にサイドリーダーを一緒に確認してから、なにかと次の教科について確認しあうようになった。渡邊くんとは教科の得意不得意があまり被っていないので、お互いありがたがっている。
地獄のテスト期間が終わった。燃え尽きた最終日は、金曜日なのでもともと部活がない。家に帰ってゆっくり寝たい。部活だーと駆け出していくクラスメイト達を横目に、私は眠い目をぱちぱちと瞬く。
そんなことを考えながらスマホを眺めていたら、近くの女子高に進学した中学時代の友達、柚ちゃんからメッセージがきた。
『テスト終わったー? これから遊ばない?』
定期試験の日程は大体どこも似たようなものらしい。
『終わった! いいね、久しぶりに会いたい!』
寝たいけど、久しぶりに友達と会えるなら寝るのは後でいい。誘われたのが嬉しくてすぐに返信すると、すぐに既読がついた。
『やった! ねえねえ、私も友達連れてくからさ、何人か男子連れてきてよ! 共学でしょ??』
……おぬし、それが目的か。
ちょっと悲しい……私の純粋な喜び、返して……。
そう思ってしまっても仕方がないと思う。そもそも人選が間違っているぞ。私にそんなに仲いい男子いないんですけど。
同じ部活の男子は、同学年は二人しかいなくて、二人とも彼女持ちだ。そしてこういうのに同学年以外は誘いづらい。
困ったなあ。急用ができたことにしちゃおうかなあ。でもいいね! って返しちゃったし既読も付けちゃった……。
結果、悩んだ私が返信した文面はこうである。
『仲いい男子少ないけど、わかった……期待しないで待っててね……』
これだけ悲壮感あふれる文面にしておけば、いざ待ち合わせ場所に現れた私が一人でも許してくれるだろう。
よし、一人で行ってやる、と最低な決意をしてスマホを鞄にしまう。立ち上がると、隣の席で突っ伏していた渡邊くんがむくりと起き上がった。
「わっ……おはよう。もうホームルーム終わったよ」
「うん」
ぽけーっとしている渡邊くんを見ていたら、ふとひらめいた。
渡邊くんは卓球部だ。今日卓球部の活動があるかは知らないけど、確かよく話している隣のクラスの卓球部男子は、こういう合コンじみた集まりに喜んで来そうなキャラだったはずだ。かなり失礼だけど、事実である。
「渡邊くん、今日部活ある?」
「? ないけど」
「渡邊くんと同じ卓球部にさ、「彼女欲しい」が鳴き声の男子いるよね? ほら、よく一緒にいる隣のクラスの」
「……森本?」
「そう、たしかそんな感じの名前だった」
「渡辺さんって結構ひどいよね、鳴き声って……」
「それで誰かわかっちゃう渡邊くんも同罪だよ」
「そうかあ……」
困ったように言って、渡邊くんはリュックを机の上に置いた。ペンケースをしまいながら、立っている私を見上げる。
「森本がどうかしたの?」
「あのね、さっき、華女に通ってる友達からね、テスト終わったなら一緒に遊ぼうって誘われたの」
「うん……?」
華女とは、華園宮女子学院の略である。はなぞのみや。長くて言いにくいから、略してはなじょ。
「いいよ! って返したら、ありがとう、じゃあ何人か男子連れてきてねって言われちゃった」
「その子、策士だね……」
「罠にはまったよ私は」
「それで森本か……多分喜んで行くと思うけど、聞いてみる」
「ありがとう! 助かります!」
渡邊くんはリュックからスマホを取り出して、ぷいぷいと操作した。
「行くって」
「はや……」
ものの数秒で返信が来たみたいだ。早すぎる。
「渡邊くん、ありがとう。申し訳ないんだけど、渡邊くんも来てくれると助かる……私森本くんと話したことないし」
「いいよ、今日暇だし」
仏様だ! 私は渡邊くんに向かって合掌した。
「恩に着ます……渡邊くんの分は私が奢らせていただきますので……」
「森本は自腹なんだ」
「ほら、来たくて来る人だから」
「渡辺さんってやっぱちょっとあれだよね」
あれってなんだ。
「わたなべズ、華女と合コンってマジ?」
急に、教室に残っていた河西くんが話に入って来た。さすが相田くんの友達、絶妙にチャラい。
渡邊くんがちょっと困っているので、私が答える。
「合コンって言わないで。似たような感じになりそうだけど」
「オレも行っていい?」
「……三人連れてけば上出来か……うん、いいよ」
「渡辺さん、付き添いだから俺は数えないでよ」
渡邊くんが抗議してくる。わかった、2.5人にしておくね。
その後テンションの上がりきった森本くんと合流し、私は「華女」と鳴き声を上げる男子二人と、眠そうに黙ってついてくる渡邊くんを連れて待ち合わせ場所に向かった。
柚ちゃんが連れて来た華女の女子は二人だった。うん、人数的にはちょうど良い感じだ。柚ちゃんがこっそり私に向かって親指を立てて来たので、なんとか合格したらしい。
行先はカラオケだった。盛り上がっている皆さんには申し訳ないけど、テストあけの寝不足頭に大きな音はちょっときつい。
そもそも今日の私は完全に仲介役だ。柚ちゃんたちと遊べるのは楽しいけど、合コンっぽいこの感じにはちょっとノリきれない。
森本くんと河西くんはめちゃめちゃ楽しそうだが、渡邊くんはすっかり大人しくなってしまっている。ひたすらウーロン茶をストローで吸い上げている様は、やっぱり縁側のおじいちゃんのようである。さては眠いな。
そしてとうとう、グラスを持って部屋を出て行く渡邊くんの不在時間はどんどん長引いて行った。だいぶ面白い。
でもそれを面白がっていられないくらい、私は頭が痛くなってきた。テスト最終日の今日は家庭科や音楽などの副教科ばかりで、ほとんど徹夜で詰め込んだのだ。
私もグラスを持って部屋を出た。
廊下は少しだけ空気が良い。深呼吸して頭痛を耐える。
「……渡辺さん、大丈夫?」
グラスを茶色い液体で満たして戻って来た渡邊くんだった。ウーロン茶が好きなんだな……。
「これ、アイスティー」
「心読んだ?」
「いやめっちゃ見てるから」
おかしくて笑うけど、頭が痛んで顔をしかめてしまった。
「ほんとに大丈夫? どうしたの」
「ちょっと頭痛が」
「え、平気? 帰った方がいいんじゃない」
「……そうしようかな」
「渡辺さん帰るなら俺も帰ろ」
そう言って、渡邊くんはグラスに口をつけて一気に飲み干した。
部屋まで戻って、入り口近くにいた柚ちゃんに声をかけ、二人分のお金を渡す。
「大丈夫、未央? つき合わせちゃってごめんね」
「ううん、私こそ途中でごめん」
「いいよ、また今度遊ぼうね」
「うん」
荷物を持って部屋を出る私に、しれっと渡邊くんもついてくる。ずっと大人しくしていたからか、特に誰にも止められずに私たちはカラオケから抜け出した。
「今日はほんとごめんね……」
「べつに、いいよ。あっ、もしかしてほんとに奢ってくれたの。俺払うよ」
「いいからいいから」
財布を出そうとする渡邊くんを押しとどめる。彼はしぶしぶリュックにかけた手をおろした。
「渡辺さんって、最寄りどこだっけ」
駅の名前を答えると、渡邊くんは眉を上げた。
「隣だ。具合悪そうだし、送ってくよ」
「え、いいよ」
「いいからいいから」
さっきの仕返しだろうか。確かにかなり頭痛がひどいので、大人しく送ってもらうことにした。一人でも帰れるけれど、誰かがいてくれるとありがたいのは確かだ。
それでもやっぱり申し訳なくて、電車を降りるときにもう一度遠慮したけれど、定期圏内だからと渡邊くんも一緒に降りてくれてしまった。
最寄り駅から家までは十分もかからない。家が見えてきたので、ここまででいいよ、と渡邊くんに言った。
「ありがとう、このお礼は必ず」
「ううん、じゃあまた来週」
来週は、テスト返しとホームルームやらなんやらで、たいした授業もない。うかうかしているうちに夏休みになってしまったら、お礼の機会もなくなってしまうだろう。
この週末に考えよう。