5ー6 ハウスルール
ユージーンは休暇で家におり、ハースも連れて久々に自分の馬での遠駆けに出掛けていた。
気候も出掛けるには最適で、ちょっとしたお茶のセットも持ってピクニックを楽しんで家に戻って来たところだった。
家の門で馬を降り、ハースにお茶のセットを洗い場に持って行ってもらう様に頼んで、馬を水桶につないだ。馬具を外し、丁寧に汗をかき落して手入れをしてやる。
今日のお出掛けがとても楽しかったのはお前のおかげよと馬に話しかけているところで、ユージーンはどこからかの視線を感じて振り返った。
厩舎にはクィリオンが待ち構えており、壁に寄りかかってニヤニヤ笑いながらこちらを見つめていた。
馬と話をしてるところを見られたのはちょっとバツが悪い。ユージーンは少し不機嫌そうな顔で尋ねた。
「今日は何ですか?ハースが怖がるから用が無いなら来ないでもらいたいんですけど。」
「ハース?あの魔族の子供か。私はユージーンと話がしたいだけだ。」
ハースが魔族として生まれたが、今は人間の体で暮らしている。それは家族にも内緒にしていた。
「ちょっと、なんでそれを」
「秘密か?そうか、では別の話をしよう。」
彼は特段弱みを握ったという風でもなさそうだ。
それでもユージーンは家族が不安に思うことを避けたいと思い、クィリオンと話をすることにした。
「…わかりました。どうぞ、なんでも聞いてください。」
ユージーンは馬にブラシをかける手を止めずにそう言った。これは中途半端で放り出してはいけない仕事だからだ。
「何故そんなに記憶がゴチャゴチャしているのか。」
振り返った彼女の眉間はくっきりとしたシワが刻まれ、口はへの字になっていた。
「これも秘密か?いろいろ難しいな。」
そこに馬のままラルカストが入って来た。
「ユージーン!無事…やはり来ていたか!」
ラルカストは王城での会議から騎士寮にある自分の馬でかっ飛ばして来た。
街中は危険で本気では走れないので、王都の壁の外を全速力で走って来たところだ。
馬も息が荒いが本人も荒くなっている。馬から飛び降りて娘を男から遠ざける。
「お父様!狭い所に馬で来」
「大丈夫か、何もされてないだろうな?」
「お父様こそ、この子が可哀相です!」
馬も急に止められ、放り出されて落ち着かなげに足踏みをしている。
彼女は父が乗って来た馬の手綱を取ってやり、撫でたり軽く叩いたりして落ち着かせてやった。
「クィリオンも、突っ立っているだけなら片付けを手伝ってください。」
「お、おお。」
二人は大人しくユージーンに従って馬具を洗ったり拭いたりして片付け、厩舎もスッキリ綺麗に掃除した。
ラルカストはクィリオンを直視できないが、ここは譲れない。視線を逸らしつつも父親としての威厳を維持した。
「娘に何もしてないだろうな?」
「むしろ私が何かされたぞ。腕に噛み付かれたからな。」
「それは熱烈なキスだ。もっと喜べ。」
クィリオンの顔には「そうかな?」という疑問が浮かんだ。
ーーーーー
風呂場の前ではハースが勇敢に戦っていた。
風呂から上がって来た彼女に気がつくと、ハースは涙でグチャグチャの顔のままユージーンの後ろに逃げ込んだ。
「ん?お前は大好きなユージーンを盾にするのか?」
クィリオンの嫌味に、ハースはすすり上げながらも歯を食いしばって彼女の前でかばう様に立った。
彼は小さな子供をちょっとからかっただけのつもりだったが、それはまさに彼女の逆鱗であった。
ユージーンは、ハースをしゃがみこんでつんつんつついているクィリオンを凍る様な眼差しで見下ろし、口を開いた。
「クィリオン、貴方は「小さな子供を泣かせる神」の使いですか?」
クィリオンが固まった。彼はユージーンの口撃を受けるのは初めてだ。
「それとも「人の秘密を暴く神」の使いですか?」
「え、ちが、何を急に…」
いつも余裕ぶっていたクィリオンが、ユージーンの本気の怒りを見てしどろもどろになった。
「この家では年下の者を虐める事は誰もしません。貴方もそれに従ってもらいます。出来ないと言うならお帰りください。」
本気でやりあおうとすればクィリオンは彼女を恐れる事はないだろう。神の使いを自称し、距離も関係なく様々な防御魔法に守られた王城にすら自由に現れるのだから。
だが、正当性は彼女にあった。
彼はやり過ぎたことを悟り、両膝をつき膝に手を置いて頭を下げ、ハースに素直に謝ることを選んだ。
「ハース、済まなかった。君がここで家族として暮らしているのが羨ましくて意地悪をしてしまった。憎くてした訳じゃない。許してくれ。」
自分を頭から丸呑みできる様な強い存在がユージーンの話を聞いて頭を下げたので、ハースは少しだけ恐ろしさから解放された。涙を拭い、足を踏ん張って謝罪を受け入れた。
「ユージーンを苛めないなら良いです。」
彼女はハースの頭をよく出来ましたと優しく撫でた。クィリオンはちょっと羨ましそうにそれを見ている。
しかしユージーンはまだクィリオンに注文があった。
「後もっとオーラを抑えて下さらないと困ります。」
「これでも普段百の物を一か二に抑えているのだぞ?」
「一か二でダメなんだからゼロにするんですよ。」
しばらくユージーンの部屋で三人はクィリオンの気配について「こうか?」「まだまだ」「全然」などと調整にかかった。
「しかし何故ユージーンは何ともないのだ。皆恐れて私を見ないのに、何の違いがある?」
クィリオンの方は遠慮なしに彼女をじっと見つめる。
彼の端正な顔がすごく近いが、彼はいつも彼女の顔を見ている視線ではない。
彼の強い眼差しが魂まで見通しているかのようで、ユージーンは些か居心地が悪い気分になる。
彼女はクィリオンをグイっと押しのけて、少し離れて座りなおした。
「別に、鈍感で貴方の威光を感じない者も世の中には居るのではないですか?私一人でもないでしょうに。むしろ私を面白がって見る貴方の方が分かりません。」
離れて座りなおしたユージーンに、再び寄せてクィリオンは座りなおす。ユージーンは開かれている部屋の扉の陰で父がこちらを窺っているのがわかるが、クィリオンはそれをものともしない様子だ。
「いや、面白い。生まれて間もないものなら城でも見たが、それともまた違う。なんというかこう、磨かれておる。一体何をしたのか。」
「だから、貴方の話は要点を得ないのです。美しさで言うならリンドーラの方が綺麗ですし、知識で言うならマルフィンの方が深く広いです。私なんか至って普通ですよ。」
ユージーンは騎士寮では決して怒らせてはいけない人物として恐れられていて、普通に話しかけてくる友達は少ない。
前回の冒険で仲良くなった二人だけが対等な女子として話をしてくれる友達だった。
厳密には彼女らはただの女子ではないのだが、三人ともそういう部分にはこだわらない気安さがあり、話をしていて面白く感じるのだ。
「私が言っているのは魂についてだ。前世で世界でも救ったのか?それとも飢えた旅人のために焚き火に飛び込みでもしたのか?」
「そんな訳ないでしょう。」
ユージーンはとても小さな声で「私の前世は」と前置きしてから話し出した。
彼女に前世の記憶があることは家族に知られたくないからだ。
「両親の愛も理解出来ないクソガキでしたよ。自分が生きるだけで精一杯で、大勢に助けてもらって当たり前と考え、世界どころか小さな虫一匹助けたこともありません。」
彼女の顔に浮かんだ深い後悔の色に気付いたハースが、彼女の手をぎゅっと握りしめた。
「そうなのか?我々には徳が高く美しいと感じる。単に君が清廉潔白なのではなくて、他人の痛みを知る優しさのせいなのかもな。」
「そんな風に持ち上げられると自分の話じゃないように聞こえますね。」
ユージーンの顔に自嘲的な苦笑いが浮かんだ。
「ユージーンは綺麗で強くてかっこいいよ。」
彼女は思わずハースを抱きしめた。励ましや慰めなどではなく、彼が本当にそう思って言ってくれているのが分かるからだ。
クィリオンもそんな二人を抱きしめた。
しかしそれは「こらこら」とユージーンに拒絶されてしまった。
そして夕食の時間になり、ユージーンの母が開け放たれた部屋の扉をノックし、食卓につくように声をかけに来た。
「さあ、クィリオンさんも食べて行きなさい。」
「え、いや私は結」
「厩舎の掃除もしてくださったのでしょう?働いたのだから食べる権利はありますよ。」
母は既に彼の分の席も用意しているようだ。
クィリオンは少し小声でユージーンに話しかけた。
「私は食事は香りだけで食べる必要はないのだが、どうすれば良い?」
「あら、香りだけで味は知らないということですか?試してみて、ダメなら止めても良いのです。母の料理は美味しいですよ。」
ユージーンは母に、「彼の分は少なくて大丈夫」と告げた。
食堂に下りてくるとラルカストは既に席について素知らぬ顔をして待っていた。
彼は警戒していたクィリオンの威圧感が無くなったことに気がついた。
「お、クィリオン殿は直視出来ない感じがなくなったな?」
「本人はわかってなかったようなので、私とハースで少しだけ助言しました。」
「良かったわ、お代わりを差し上げるのに見ないで投げなきゃいけないかと思ってたの。」
面白い冗談だという風に苦笑しながらユージーンを見たクィリオンは、彼女が真顔で頷いたのを見て、オーラを抑えたのは本当に必要だった事を理解した。