5ー3 奴隷の娘
二人の夕食の席は宮殿裏の塔の上の広場に設けられた。
ルゴーフの夜は海からの涼しい風が、昼に焼かれた地面の熱を吹き流していく。
今宵の月は細く、多くの星々が空を埋め尽くし、陽が隠れたばかりの薄明かりの中でまるで宝石のように瞬いている。
リンドーラとカイアンがゆっくりと話をするのはとても久しぶりの事だ。
あの日、彼が塔に閉じ込められていた時のことが、随分昔の様に感じられる。
その時彼は突然ルゴーフに連れてこられて監禁される生活の中で、彼女が運ぶ食事にも一切手をつけなかった。
事実それは幸いし、彼女には知らされないまま危険な薬物が仕込まれていた料理を口にせずに済んだ。
彼がこの地で唯一食べた食事は、リンドーラの冒険者であるエルダが用意したウェルディアの物だけだった。
あの時、彼女の侍女兼護衛として付き従っていたエルダは、今はルゴーフでも多発している少女誘拐の調査に向かっていてここには居ない。
「リンドーラ様もお変わりない様で良かったです。」
カイアンは先ほどの騒動で、きちんと彼女の姿を見る暇がなかった。
リンドーラの艶やかな淡い空色の髪は、宵闇に灯された儚い明かりの下では白く輝いて見える。
以前は繊細な髪飾りと複雑な編み込みで丁寧に飾り上げられていた髪も、今はキッチリとポニーテールに纏められ、夜風に柔らかく揺らされていた。
そのシンプルな装いも、決して彼女の美しさを損なう事は無く、カイアンの目には眩しく映っている。
じっと見られていることに少し照れながら、リンドーラは微笑んだ。
彼女の目には相手を従わせてしまう力が僅かながらにあり、未だに他人と目を合わせる事を躊躇してしまう。
彼は数少ないそう言った影響を受けない者ではあるが、それとはまた違う意味で目を合わすのには抵抗がある。
「カイアン様もお変わりない様ですね。」
彼の優しい眼差しに彼女はほっとする。
王女だった時のリンドーラの周りは、自分の野心でいっぱいになったギラついた目をした者達ばかりだった。
母であった女王はその様な者達をよく使い、国を強くしてきたけれど、彼女はその様な人間達が好きにはなれず、常に恐れ、目の届かない所に居ようと過ごしてきた。
しかし、そういう者は彼女を探し出し、捕まえる。いかに自分が優れているか、強さや優位性を語ろうとする。
そして、彼女をいかに利用してやろうかという目で品定めをするかの如くに見るのだ。
初めて、カイアンだけはそれがない者だった。
目を合わせず用事を済まそうとする召使いの様でも無く、ただ、彼女のする事を見つめていて、自らが語るよりも彼女の話を聞き、そしてそれを受け入れてくれた。
彼女の優しかった父がそうであった様に、それは彼女の理想像であった。
「私の方は貴女ほど大変な仕事ではありませんから。陛下が我儘を言って下さらなければ退屈なくらいです。」
「私もそんなに大変と言う訳では無いのです。難しい仕事を片付けてくれる補佐の方が居てくださるので。」
リンドーラが先ほどの騒動を思い出してくすりと笑った。
「まさか陛下がお見えになるとは思っても見ませんでした。母はその様な事をしませんでしたもの。でも、そんな事して良いんですね。」
「良くは無いでしょう、今頃めちゃくちゃ怒られていると思います。」
夕食を二人だけで取らせてくれたシルヴィールには感謝しているが、国王が今どうなっているのかちょっと考えたくはない。
カイアンは出発前の国王の様子や、どの様に策をめぐらして従者の代わりにここへやって来たかを全て話した。
テーブルの上が整えられ、食事の用意ができるまでの間、リンドーラはその話を涙が出るほど笑って聞き入った。
カイアンは一通り話し終えると、お茶を一口飲んで笑う彼女の姿を見ながらしみじみと言った。
「でも、たまには息抜きや休息も必要ですね。ここに来るまで自分が疲れていたとは思っても見ませんでした。」
「やはりカイアン様もお疲れだったのですね?」
「貴女に会えて、癒されていると感じる程度に疲れていた様です。」
カイアンは目の前の女性が嬉しそうに微笑むのが嬉しくてたまらない。夜空に飛んでいってしまうことを選ばずに、ここで笑って居られることが本当に良かったと思う。
「私も会えて嬉しいです。終わっていない仕事のせいで時間が作れないことがない様に頑張りました。」
明日はリンドーラも休日として、一緒に商業街区を見に行く予定になっている。国王がついてくる予感はするが、町の散策程度のデートは楽しめるだろう。
食前酒が運ばれ、食事が始まった。
「そう言えば、私はルゴーフの食事はこれが初めてです。色々教えていただけますか?」
南国特有の様々な香辛料で彩り味付けされた料理が、二人の前に鮮やかに並べられていった。
ーーーーー
翌日、カイアンは宮殿に割り当てられた部屋で目を覚ました。
従者っぽい服装でにやにやと彼を見下ろす国王が、「リ」と何かを言いかけたのでカイアンはとりあえず枕をぶつけておいた。
今日はリンドーラと商業街区の散策に行く予定だ。
カイアンが一番興味を持って見ていたのはお土産屋の魔導器だった。
彼自身は魔法を使えないので、誰でも魔法を使える様になる魔導器はとても興味深い。
小物を収納する小さな転移魔法陣が入ったキーホルダーや、幾つかの風景を記憶させておくことができる写真立て、この地特有の音楽を記録した小さな貝殻の可愛らしいオブジェなど、ウェルディア王国には無いものばかりで、そのアイデアや工夫は見ていてとても楽しい。
ウェルディアには決まった魔導器しかなく、そしてそれはとても高価な物だった。
人々は家に明かりを灯す魔導器を使ってはいるが、それ以外には見たこともないだろう。
もしかしたら明かりも何か別の自然現象と思っているかも知れないくらいそれは普及しているが、他はまるで個人の手には入らない。
しかしこちらでは個人が土産として買う程度に小さく、安価なものがたくさんある。
しかも込められている魔法が普通の魔術だけではなく、エルフの使う精霊魔法まで採り入れられているのだ。
国王も興味深げにそれらの品を吟味し、次から次へと買い込んでいく。
「ルゴーフには優れた魔導器開発者が居るのですね。」
「そう言えば近くに工房があると聞いたことがあります。」
リンドーラが店の主人と少しだけ話をすると、すぐに工房に案内してもらえることになった。
表通りから一つ裏道に入ったところに、その小さな工房はあった。看板も人気も無くしんとしている。
彼らが扉を開けて中を覗き込むと、スッキリとしたあまり物の置かれていない屋内には、小さな机と、書類に埋もれた作業机しか無かった。
そこには赤い髪を短く切った痩せぎすの若い女性がいるだけだった。
こちらを振り返ることもなく、机に向かってしきりに何かを書き留めている。
「まだ何か足りないっての?椅子や机まで持ってかれるとこっちは何も出来ないよ。」
ようやくその人物がこちらを見た。
入り口で途方にくれる三人を見ても、誰だかわかっていない様だ。
「レダおばさんとこの差入れ?…違うね、どこかで見た顔だけど?」
「貴女が魔導器製作者のリシャールさん?私、リンドーラと申します。工房の見学をさせてもらいたくて…」
リシャールと呼ばれた女性は自分が座っていた椅子を部屋の隅に投げ飛ばして地面に跪いた。
工房は片付いているのではなかった。何もかも持ち去られていたのだ。
残っているのは持ち出す価値の無いもので、かまどの灰さえも綺麗に掻き出されていた。
開発ノートには余白すらほとんどない有様なので置いて行ってもらえた様だ。
彼女は今は設計図の余白に小さくなった鉛筆で何かを書き留めていたところだった様だ。
そんな最底辺の生活をしていた彼女でも、リンドーラの名前と顔は知っていた。
土産物屋で同じ様に並ぶ商品として、龍の王女の美しい絵姿が飛ぶ様に売れるのを見ていたからだ。
「まさかこの様な生活をなさっているとは思いませんでした…」
工房の作業台の書類はまとめられ、綺麗に拭き清められて近隣の食事処から持ち帰りの食事が並べられていた。
リンドーラは青ざめたまま、リシャールに茶を注いでやった。
カイアンもガツガツと食事を食らう彼女に次から次へと食事をよそっている。
国王は彼女のしたためた発明メモやアイデアノートを面白そうにぱらぱらと眺めていた。
「それはしょうがないよ、アンタみたいなお姫様は「奴隷制度廃止!」って言えば無くなるもんだとしか思わなかったんだろ?」
実際、国としては個人が所有する奴隷たちの処遇について、その程度の考えしかなかった。
所有者には購入金額の80%を国で補填し、更に三年間の生活費を保証する。
その間に自立する手助けをする様にとのことだった。だがそううまくいくものではない。
そもそもウェルディアには無い制度だったし、ルゴーフで奴隷を所有していた者は殆どが奴隷を連れて、補填分の金を受け取って姿を消した。
そして、生活費は誰が受け取っているかわからないという。
恐らくはさらに西にあるパラヴィアという奴隷制度が残る国に逃れたと思われる。
リシャールの主人は労働力を重視した奴隷を安く買い集める者だった。当時ぽってりと太っていた彼女は美しい奴隷には分類されず、人より少しだけ魔力が多い子供として売られていた。適性を見ようと壊れかけた魔導器を使おうとした主人に、正しい使い方を説明し、しっかり修理までしてより良くなるアドバイスをした。それがリシャールの魔導器開発の始まりだったという。
彼女は主人の元で生活の保障をされ、小さく高性能な魔導器を作り続けていた。著作権などは無く、一つの見本ごとに決まった金額で売られていき、それは店で複製されて売り出されるようになっていた。その金額はとても安かったので、ルゴーフ中の土産物を扱う店が買い求めていた。
しかし、リシャールは主人が居なければ発明品を金に変える力はない。主人が居なくなった工房に置いていかれ、その日の食べ物と引き換えに工房の中の物は姿を消し、今の状態になったというのだ。
「アホではないのか!」
その話を聞いて思わず声が出た国王に対してリシャールは食事を置き、書類を丸めて頭をひっぱたいた。
「アホなのはこうなることを予想もしなかった上の奴らに決まってるだろ!」
カイアンは椅子に腰掛けたまま目を丸くしている王を後ろに引っ張って、攻撃が届かないところまで下がらせた。
リシャールは丸めた書類を置き、椅子に座りなおして真面目な顔で言った。
「自分らが悪くないとまでは言わないよ。だが、奴隷ってのは命令に従うことしかしない、出来ない生き物なんだ。余計なこと考えたら死にたくなっちまう。それを急に、制度が変わるから考えて行動しろと言われたって、出来ない者がいるのは仕方がないだろ。」
国王自身は奴隷制度のない国を作ってきたし、前の世界もそんな物は過去の遺物か創作物語の中でしか無かった。
彼の中には自己責任という元の世界の考え方が未だに強くあり続けており、思考を奪われる生活など考えたことも無かったのだ。
奴隷制度撤廃を訴えながら、通り一遍の施策しか打ち出さなかったのは彼の責任だ。
現場で何が起こっており、従わぬ者たちがどのように決まりをかいくぐろうとするか考えが至らなかった。
「それは…考えが足りなかった様だ。すまぬ。」
国王は真顔になって詫びを言った。
「いいよ、アンタは別に悪くないだろ。」
リシャールの食事は再開された。並べられた料理は一応全員分用意されてはいたが、リシャール一人の胃に収まった。
「という訳なんで申し訳ないが、今うちの工房には姫様に見せられる様なもんは残ってないんだよ。せっかく来てくれたのにゴメンよ。」
「い、いえ、私は良いんですけど、その…」
リンドーラは彼女がひっぱたいた従者に見える人物の正体を明かすかどうか迷った。
カイアンは「自業自得だ」という悟った顔になっている。
国王は彼女の素早いツッコミに驚きはしたが、別段怒りはない。それよりも未だ全て目を通し終えていない魔導器開発の設計図や書類の山を、持って帰って読むにはどうしたらいいかを考えついた。
「大変有用な事を教えてくれた礼に、今日は夕食をご馳走しよう。身支度もあるだろうし今から向かうとしようか。ああ、二人はそのままデートを続行してくれたまえ。」
リシャールは簡単にご飯につられた。
「姫様こいつこんな事言ってるけど、本当に良いのかい?」
「こいつとか言うな。私のことはウェルと呼べ。」
本人はあくまでしらばっくれるつもりの様だ。
リンドーラは引きつった笑顔で同意した。
「だ、大丈夫ですよ、ね?カイアン様?」
カイアンは遠い目をして頷きながら、明日の帰りの騎乗者が二人になるところまで予想していた。
宮殿までの馬車ではリシャールはウェルと二人きりになった。
ウェルはアイデアノートに釘付けで、時々質問を投げかけては来るものの、殆ど目を合わせてもこない。
リシャールは初めて乗る荷運び用ではない馬車に興奮を隠せないでいる。
王宮に着くとすぐにウェルは人を呼んで、何やら指示を出し始めた。
町の数カ所に行き場の無い解放奴隷達のために、救済所を用意する様にとのことらしい。
それから侍女を一人捕まえて、誰かリシャールの身支度をさせてやる様にと伝えて何処かに行ってしまった。
それからやってきたこげ茶の髪の侍女は、リシャールよりもかなり歳上のようだったが、優しい茶色の瞳でにっこりしながら優雅に礼をした。
「ご夕食まで準備のお手伝いをさせていただきます、ハルルと申します。何でもお申し付けくださいませ。」
リシャールも礼を返した。つまみ上げるスカートなどなかったが、同じように真似をした。
「さっきの、ウェルっていう人?姫様の従者ってのは偉いもんなんだね?」
「あの方は姫様の従者ではありませんよ。」
リシャールはその辺はあまり深く突っ込まなかった。「へーそう」と納得しておとなしくハルルについて行く。
陽が出ている間は常に熱い外とは違って、宮殿の地下はヒンヤリとして空気が冷たく、まるで異世界の様に感じる。
その奥には熱い湯が湧き出る源泉があって、いつでも風呂を使うことができるのだ。
風呂の脱衣所に連れてこられ、そこで服を脱いだリシャールは、自分の豊かな胸にぎっちりと刻まれた奴隷の焼き印を思わず隠した。侍女はそれに気づき、彼女の気を楽にさせてやるために優しく言葉をかけた。
「私は気にしませんが、宜しければ後で目立たない様工夫いたしますよ。」
「そうしてくれるかい?」
ハルルはにっこりと頷いて、体を洗うための薬液を取り出した。
皮が剥けるかと思われるほどゴシゴシと体を洗われた後、まだ皮膚がヒリヒリするリシャールに仮縫いのドレスがあわせられた。
「ご飯食べるだけなのにドレスまで着なきゃいけないのかい?」
下着まで全て新しいものを用意されて、ついさっきまで奴隷暮らしのリシャールは困惑している。
ハルルはあらかじめ用意しておいた口実を述べた。
「大変申し訳ございません、お召し物が洗濯中に破損してしまいまして。どうかこちらをお使いいただけますでしょうか?」
「そう?あれもうボロかったし、気にしないでいいよ。あたしは着れればなんでも良いしさ。」
仮縫いのドレスをリシャールの体型に合わせて縫い直す間、一旦脱がされてローブを羽織らされた彼女に侍女が化粧道具のような一式を持ってきた。
彼女の胸の焼き印のある場所にそっとクリームを塗り広げ、その上からキメの細かい粉をはたき、全く跡が分からない様に隠してしまった。
「おお!凄いね、本当にわからなくなった。」
リシャールは本当に嬉しそうに鏡を覗き込んだ。口調はちょっとばかりガサツに聞こえるが、奴隷のボロ服を脱いでにこにこと鏡の中の自分を見つめる様は、本当に年相応の若い女性のようだ。
「よろしゅうございました。お帰りにはこちらご用意致しますから、お使いくださいね。」
ハルルは丁寧にクリームとパウダーの使い方の説明をして、その間に補正ができたドレスをテキパキと着せた。
「あとはマナーかな?どうしたら良いのか教えてくれるかい?」
「ナイフとフォークを使いながら、口にいっぱい詰め込まなければ大丈夫ですよ。ここにあるお茶菓子で試してみましょうか。」
「お、おう、頑張ってみるよ。」
彼女は一口で食べれるお菓子に向かってナイフとフォークで挑んだ。
夕食の時間になり、リシャールは食堂に案内されてやってきた。
「陛下、リシャール様がお見えになりました。」
彼女が身につけているのは、シンプルでスラリとしたデザインの真っ白なドレスだ。赤い髪と小麦色の肌が良く映えて、一輪挿しの赤い花のように見える。
雑に切られていた髪も丁寧に左右対称に切りそろえられ、彼女の顔立ちを美しく引き立たせて見える。
侍女に教えられた通り、裾を踏まない程度に持ち上げて、ゆっくりと歩いて食堂の席に着いた。
テーブルには未だ書類に没頭しているウェルの姿があった。彼はチラリと目を上げてリシャールを見ると、書類をまとめて横に置き直した。
「うむ、ご苦労であった。まずは食事にして、その後話を聞かせてもらおうか。」
「へいか?」
「あだ名だ。気にするな。ほれ、乾杯。」
「あっ、乾杯…えっ?」
それは小さな食前酒のグラスであったが、アルコールなど初めて飲んだ彼女を、たちどころにほんわかと夢見心地にさせる力があった。
そろそろあり得ない現実に気が付いても良いころだったが、アルコールが彼女の思考力を完全に停止させた。
ついさっきまで食べるにも事欠いていた奴隷のリシャールが、ドレスを着せられて、誰もが崇拝する美しい王女の暮らす宮殿に連れてこられて、宮廷料理を前にしているのだ。
テーブルの豪華な食事を照らすキャンドルの灯りも、ゆらゆらと揺らめいて全てが夢の中の様に思わせる。
料理は気がつくとどんどん皿が変わっていくし、飲み物は常に満たされている。目の前の人物が時々話しかけてくるのが余計だが、ウェルといったか、優雅に食事をする見栄えの良い男性というのも今だけは悪くないなと感じられる。
一方ウェルの方も、開発メモの一つ一つがよく練られていて面白いため、読むのに時間がかかってしまっている。
工房では書類に釘付けであったし、ボロ服をまとった人物など大して気にもしていなかった。
しかしこうして身だしなみを整え、か弱いロウソクの明かりの中で彼女の赤い髪は大輪の豪華な花の様だ。
それでいてアルコールのせいできつい印象だった瞳は優しく緩み、楽しそうに食事をしながらずっとにこにこと笑っているのはとても可愛らしい。
完全に書類のおまけとして彼女を宮殿での晩餐に招待したのだが、その仕上がりは目を見張るものであった。
国王は彼女の存在を侮っていたことを恥じ、改めて一人とレディとして接することにした。
「それで、リシャールは奴隷になる前はどこにいたのだ?」
「エルフの国だよ。あたしハーフエルフだし。」
「んん?」という顔でウェルはナイフとフォークを止め、彼女の顔をまじまじと見た。
「言われてみないとわからないな?」
「そう?あたしのキッツイ目つきは父親譲りだよ。」
そう言われてみれば彼女をきつい印象に見せているつり上がった目はエルフたちの特徴にあるものだ。
この世界では、充分に力を溜めた魔族が魔王に進化しようとするとき、彼らは地下深くで眠り、その上には迷宮が生成される。魔王にとってはエルフも人間も、魂というエネルギーを持ったただの餌に他ならない。
決して協力し合わない人間とエルフでも、この件に関してだけは情報を共有してきた。それぞれに迷宮探索に向いた冒険者を派遣し、極力迷宮は潰してきた。
地上では何かとぶつかり合う人間とエルフ達でも、迷宮内においてはお互いに助け合ってきたのだ。
だから、冒険者にはごく稀にハーフ達がいる。
街中で暮らしたり仕事をするのは難しいが、冒険者ならば受け入れられやすいからだ。
しかし彼女の両親は迷宮から戻ってはこなかった。
そうして彼女は、育てる気のないエルフ側の親戚によってルゴーフに売られたと言うわけだ。
「そうか・・・辛かったな。」
ウェルは親の手助けなしで生きる子どもの苦労を知っている。心を育む愛情はもちろん、体に必要な物さえ与えられず、自力でなんとかしなければならない生活を。
しかし、リシャールはケロリとした顔で答えた。
「別に?だって辛くない人生なんて無いだろ?」
「無いのか?」
「無いだろ。そんなん支払いが先か後かだけの違いだよ。あたしは先払いだった、それだけさ。」
ウェルはそんな話を昔聞いた事がある。ここでは無い世界で。
「そんな話をここで聞くのは初めてだな。」
「そう?この話をしてくれたのは父ちゃんだから、エルフの人生観なのかもな。それじゃ支払いが残ってる人にもう一ついい話を教えてあげるよ。」
「ほう?」
「これから何か不幸な事が起こっても、それを額面通りに受け取っちゃダメだよ。ケガや病気で倒れたら、横になって休む時間を得たと思うんだ。悲しい事があっても、それを乗り越える心の強さを手に入れると考えるんだ。そうすれば支払いはいくらでも小さく出来る。」
そして彼女はニカッと笑って「そしたら勝ちだろ?」と言った。
ウェルは弱く微笑んで「そうだな。」と答えた。
リシャールは彼がもっと面白がってくれるものと思っていたが、少なくとも同意を得られたようなのでそれで良しとした。
その後は会話がそれほど続くわけでもなく、料理についてぽつぽつと話しながら二人はルゴーフ料理を楽しんだ。
地産の香辛料を存分に活かした特上の素材は余りに素晴らしいものだったので、ウェルはテーブルに料理長を呼び、お褒めの言葉と料理に見合った褒美を出すことを約束した。
その様子を苦い顔で見ていたリシャールは、ウェルをたしなめるような口調で言った。
「あんた本当に偉そうだね?リンドーラ姫だってそんな態度しないだろ。見習いなよ。」
「だから陛下などというあだ名なのだ。皆も別に嫌な顔はしておらぬだろう?」
そう言われてみれば、侍女達や召使い、料理長ですら彼の言葉をニコニコと聞いて、誰一人不快を見せるでも無いようだ。
「そっか、お互いわかっててやってるなら良いんだ。今のは食事の礼の、ちょっとしたアドバイスの様なもんだから、忘れてくれて構わないよ。」
「いや、有り難く心に留めておこう。ところでだ、明日は遠乗りに出掛けて見ないか?」