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ウロボロスのジレンマ  作者: 佐野ひかる
暗中模索の国王陛下
10/10

5-10 孤立無援の国王陛下

カイアンは違和感でいっぱいだった。


疲れたと言って昨晩早々に就寝した国王は朝早くに起床し、朝食を用意させた。

そんな時間に眠るのも初めてだし、何も言わず一人で朝食をとるのも初めてだ。


その後仕事にかかるのかと思いきや、大きな布地を持ってこさせてそこに何やら図形のようなものを書き入れ始めた。


そして午前中の打ち合わせが始まり、全てを「よきに計らえ」と言ったところで、突然現れたシルヴィールにスパーンとツッコミを入れられていた。


そして黙って昼食を一人で食べ、午後も布地の図形を描くことに費やしている。


これは一体誰だ?


いつもの仕事の書類を一顧だにしていない。

そしてツッコミに現れたシルヴィールを見て本気で驚いて後ずさりをした。


しかしカイアンは国王から視線を外してはいない。他人がすり替わるような見逃しは絶対に無いと言える。


ではこれは一体どういう事なのだろうか?

そしてどういう意図があるのか。


カイアンはしばらく考え込み、執務室の外にいる衛兵に声をかけて交代要員の手配を頼んだ。



国王の方はこの不思議な現象を暢気に楽しんでいた。


意識は体の中ではっきりしている。しかし、目蓋一つ思うように動かす事は出来ない。

鼻が痒いとか肩が凝ったという感覚だけは共有しているらしい。


しかし意識と記憶は全く切り離されていて、自分の体が知ったもののようにすらすらと描いていく布地の図形にまるで心当たりがない。


また、ほとんどカイアンの方を見ることも無いため、彼がこの異変に気が付いているのかどうか確かめる事も出来ない。


生活時間も行動も普段の国王のものではないが、それが護衛の彼に変化として認識できているかはわからない。

単なる気まぐれとしてスルーされている可能性もあるのだ。


一度シルヴィールが姿を現したが、すぐにいなくなってしまった。


「よきに計らえ」は以前にやったおふざけなので、二番煎じをやらかした偽物に対して笑いが込み上げたが、ツッコミを入れられて叩かれた痛みは共有だった。納得がいかない。


その時のシルヴィールの服装は白衣を着て薬液に塗れていた。何か実験や研究の最中だったのならこちらの異変にはそうそう気づいてもらえないだろう。


どんなに強く念じても偽物の意識はそちらに誘導されることは無かった。

逆に言えば彼が何を考えているのかは向こうにも分かっていないのだろう。


しかし視線さえ自由にできない彼が、この異常事態をどうやって他人に伝えられるというのか。

彼は必死に意識の向かっていない左手の小指や眉毛を動かそうと念じたり祈ったり心の中で呟いたりしてみた。



その時、執務室の外で衛兵のやり取りがあり、リシャール付きの侍女ハルルが入ってきた。


「陛下、お仕事中失礼致します。こちらはリシャール様が新しく作りました試作品でございます。どうぞお納めください、とのことでございます。」


白い陶器の一輪挿しに、銀の枝葉を持つ赤いバラが一輪立てられている。

バラの深紅の花びらは実体が無い炎のようにゆらゆらと揺らめいている。

まるでリシャール自身のようではないか。あの者は美的センスも優れているようだ。


リシャールはハルルの後ろでちらちらとこちらを窺っているようだが、あまり視線を向けることができないまま扉は閉ざされた。


それを受け取った偽物は、興味なさそうに窓際にどんと雑に置いた。


国王は彼女(リシャール)が作ったものなんだから何か面白い仕組みを持った魔導器かも知れないではないか、それを彼女に聞きもしないで雑に置くなんて、と思ったがどうしようもない。


やがて護衛の交代がやってきて、カイアンまでもいなくなってしまった。


誰一人味方のいない状況に、国王も無駄な抵抗と諦めて、意識の奥に引きこもった。


ーーーーー


見える世界の全てを諦めて体の中に引きこもっていると、いつかリシャールが酒に揺れながら話していた事を思い出した。

出来事をそのまま受け取っては負けだと。


ならば今の状況はどう考えれば勝ちに転ずるだろうか?


執務室に雑に積み上げられた書類の山を見て、彼は自分一人で抱え過ぎなのを自覚した。

机に座って片付けたい一山だけを見ているのと、こうして部屋全体に放置された手が付けられない書類の山全体を見渡すのとでは捉え方がまるで違う。


これではみんな心配して手分けさせろと言うわけだ。

自分で自分が動かせるようになったら、まずは助手を手配することにしよう。


それから後ろの書類棚。雑に押し込まれた書類が今にも零れて落ちそうで、見ていて不安になる詰め込みっぷりである。


そうこう考えているうちに、布地に書かれた図形は完成のようだ。

衛兵や護衛達の手を借りてしわにならぬようにぴんと伸ばして乾かしている。


机に戻り、いくつか近くにあった書類を手に取るが、まったく書かれている内容が理解できないといった様子で、さっさと山に戻されてしまった。


するとやる事のなくなった偽物の意識は、机の上にあった小さな鏡を手に取った。


彼は金の髪が珍しいのか、前髪を一房つまんで引っ張り、まじまじと見つめた。金属的な金色ではなく、薄い色合いが金色に見えているのを確認して、髪全体を鏡で見て感心するようにため息をついた。


やがて彼は執務室の中に飽きて、護衛の親衛隊員に向かって言った。


「疲れたので部屋に戻る。あと風呂も使いたい。」


部屋に戻ると不思議な図形の書かれた布は大きく広げられて寝台の横の壁に掛けられた。


風呂上がりでほっこりした彼は改めて部屋を見まわし、額装された肖像画に気が付いた。

先程鏡で見た自分とは似ても似つかない平たい顔の者達で、全く繋がりが感じられない。


しかし、国王は一日ぶりにこの絵を見ることができた。


彼女たちの優しい微笑みが体を支配する偽物にではなく、中に閉じ込められた彼に届くのを感じた。

瞬きすら思いのままにならない彼の目にこみ上げるものがあり、それは熱い涙となって溢れ出た。


体のコントロールを持っている偽物の意識が驚いて流れ出る涙を拭う。

しかし、まったく理解できないままに涙は零れ続けた。


やがて肖像画も見飽きたらしく、どさりと寝台に横になった。特に物があるわけではない私室も偽物には退屈でしかなかった。


しかし、視界の端で何かがちらりと光った。

入り口近くにいる護衛からは死角になっている位置だ。彼はそれを待っていた。


布地の不可解な図形が全体にしらしらと淡く瞬いて、見る間に暗い色へと変化した。

いや、図形の色が変化したのではなく、図形の描かれていた場所に別の空間が映し出されているのだ。


偽物の意識はにやりと笑みを浮かべ、扉を守る護衛がそれに気が付いていないのを確認し、素早くその布地に近づいてするりとその中に入っていった。


護衛に就いていた親衛隊員は全く反応出来ないまま、ぽかんを口を開けて見ているしかなかった。

彼の姿が消える瞬間、その手は布地を掴んで持っていたため、そこには何一つ跡形も残っていなかった。



ウェルディア王国から、国王の姿が消えてしまった。



今度こそ本当に、一章が終了です。ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。

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