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碧き流星の煌めき  作者: 井嶋勇助
第二章
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《四》

 ある朝のこと、涼は身体に妙な違和感を覚えて、目を覚ました。筋肉痛だとかこむら返りなどのものではない。どこか、自分の身体が自分のものでないような違和感だ。過度な運動をしたわけでもないのに起こるので、妙な感じだった。

「なあ、兄貴」

 渡はどこか心配そうな顔をしてこちらを見つめる。なにか顔にでもついているのかと思い、頬を触るとべっとりと汗がついていた。間延びした様子で、あらー、とつぶやく。どうやら頭の方も回っていないらしい。どうもぼんやりとする。

「ちょっと今日は気怠いな。ひたすら街中を走り回った後みたいな感じがするよ」

 微笑みを混じえながら取り繕った。とはいえ、渡の表情は曇ったままだ。

「丈夫な兄貴が珍しいな。病気とか滅多にかからないのに……。最後にかかったのいつだっけ?」

「……覚えてるのだと、四歳か五歳の頃にかかったおたふく風邪かな?」

 渡にとっては三歳児だか幼少の頃なのでほとんど覚えてはいないだろう。とはいえ、本当に涼にとって体調不良なんて何年ぶりかというくらいの感覚だった。これまで皆勤賞を取れなかった事の方が少ないし、むしろ取れなかった覚えもないくらいだ。せいぜい渡の看病に付き添っての欠席だ。

「病院行った方がいいんじゃない?」

 心配する渡の様子を見て、少しばかり強がりも込めて、

「いやあ、すぐ治ると思うよ。これくらい」

 と微笑んで言ってみせる。

 病は気から、という言葉を信じているのか、病気に対して楽観的すぎるきらいがあるが、こんな事で寝込んでしまっては家事全般を渡に任せっきりになってしまい、迷惑をかけそうなので、気丈に振舞う。この兄は弟に対して少々過保護なのだ。


 ふと、あるできごとを思い出した。そして、

「この間、妙に身体が軽いと思ったんだけど、そのときの影響なんだろうか……」

 とつぶやく。

「この間って……もしかして、自動車に轢かれそうになった子供を助けたときのこと?」

 思い返すと、あのときは無我夢中で飛び出していた。だが、妙な違和感だけは感じ取れた。内側から(みなぎ)るようなエネルギーを感じたのだ。普段よりも身体は動かしやすく、軽かった。さながら、アメリカ映画の超人的なヒーローにでもなったような感覚。実際問題、彼自身の感覚として人間離れした動きができていたようにも感じる。

「お前から見て、俺って変じゃなかった?」

「いや、変って事はないよ。ただ……」

 言葉が詰まった。なにか言いづらいことを隠している証拠だ。しかし、彼の口から客観的に見た自分の挙動というものを知りたかった。問い詰めるように、

「話して?」

 渡はバツが悪そうな顔をしながら、渋々といった様子で、

「……なんかさ、人じゃないみたいだった。挙動がおかしいとかじゃなくて、一連の動作の速さが……。普通あんなに速く駆け抜けられないよ」

 と話すのだ。本当に漫画やアニメの登場人物みたいだとでも形容するように。

「…………」

 唖然とした。彼自身でも薄々勘づいていたが、にわかには信じがたかった。

 しばらく両者の間には沈黙が続いた。

「……本当にしんどくなったら病院行けよな。あんま当てにならないかもしれないけどさ」

 そう言って立ち上がると、ヘルメットを取り出し、外へ向かった。またバイクにでも乗るのだろう。ハンドルを捻ったのだろう、エンジン音が窓越しに聞こえてきた。そして、そのまま走り去っていった。

 渡の言う通り、受診すべきだろう。ただ同時に彼が言うように当てにならないだろう。医師に現状の自分の状態について正しく診察できるとは到底思えないのだ。彼自身でもこんなこと思うのは片腹痛いが、自分の身体がもはや真っ当な人間と同様だとは思えない。なにか別種の生物にでもなった気分だった。こんなことならいっそ動物病院に行くべきだろうか。そんな自暴自棄な思考をしてしまう程に涼の思考は惑わされていた。


 ひとまず、体調が優れない事に変わりないので今日一日外出は控えることにして、涼はなんとはなしにリモコンに手を伸ばし、そのままスイッチを入れる。テレビでは朝から昼頃まで続く報道番組が流れており、最近世間を賑わす不倫報道について取り扱っていた。特別その不倫をした芸能人に関心があるわけではないが暇つぶしと思いながら見続けることにした。

 本当は朝からテレビなんて見る気はなかった。せっかくの休日、夏休みなので軽いランニングとかしたかった。体調さえ万全ならば今頃走り込んでいただろう。足腰は鍛えておきたいのだ。

 おもむろに溜息をつき、しばらくぼんやりとモニターを眺める。


 いつしか眠りについており、気がつけばテレビでは報道番組は終わっており、昼のトークバラエティ番組が始まっていた。

 正午は回っているものの、昼食の準備はなにもしていない。部屋の様子から渡はまだ帰ってきていないようだったが、彼から昼食の用意について何も言われていない。こういうときは普段通り彼の分も昼食を用意しておきたい。

 立ち上がって台所へ向かおうとする。先程まで変な気だるさが嘘のようになくなっていた。うたた寝の後、復調したのか今ではすこぶる調子がいい。

 台所で昼食の準備を始めようと冷蔵庫を開けようとしたときだった。


 がっしゃーん、と何やら派手な物音が鳴り響いた。

 衝突事故でもあったのかと涼は早足で玄関の方へ向かい、扉を開ける。周囲を見回すと隣家のコンクリート製のフェンスが破壊されており、その破片が月島家の庭の方にまで飛び散っていた。

 あの大きな物音はコンクリートが砕ける音だったようだ。普通に生活しているだけではこんな光景なかなか見ることはできない。都合よく近所で建物を解体する大工がいるわけでもないので、大工の仕業という事もないのだろう。不気味に砕けたコンクリートを不審に思った涼は、決して野次馬根性のためというわけではないが、駆け出して、その隣家の様子を見に行く。

 隣家の玄関先では小さな子供が横たわっており、少年の周りには真っ赤な血が流れていた。無論、門扉(もんぴ)は無惨にも砕かれており、へしゃげた扉がぷらぷらと揺れていた。

 信じ難い光景に固唾を呑んだ。

 ひとまず、携帯電話を取り出し、律儀に一一〇番で警察に連絡を取る。短く事情を簡潔に述べると、携帯をポケットにしまい込み、恐る恐る屋内へ入る。


 家屋の内部は日中だというのに妙に薄暗く、不気味な様子を漂わせていた。扉の痕跡から見るに屋内は瓦礫で散乱していると思っていたが、それは玄関先だけだったようで、そこ以外はそれほど荒れた様子はない。しっかりと掃除の行き届いた綺麗な廊下だった。

 不意に天井から水滴が滴る。雫は運悪く涼の頬に付着する。頬についた水滴を拭うつもりで手をつける。てっきり雨漏りだか、水道管の故障でもあって、ただの透明な水滴が付いているとばかり思っていたが、彼のそんな想像を覆すように、その水滴は赤黒く指先を染め上げる。

 血だ……。

 指先の何者の物かも分からない血液に戦慄する。青ざめて冷や汗をかいた瞬間だった。後頭部を思い切り打たれた。鈍い痛みを感じた。そして、そのまま打たれた勢いでぶっ飛ばされた。そのままの勢いで柱に激突し、その場に倒れ伏せる。

「今まで誰にもバレずにやってきたけど……もう潮時だな」

 ため息をつきながら、気だるげに話す。

 決して涼の台詞ではない。

 涼はゆっくりと身体を起こす。打たれた頭を抑えながら顔を上げると、目の前には血みどろでくたびれたTシャツを着た男が立っていた。乱れた長髪で垢にまみれた酷く小汚い肌、足元には型崩れして泥などで汚れたボロボロのスニーカーを履いている。男は覇気がなく背筋を曲げてフラフラとこちらを静かに見据えている。鈍器の類を所持していないことから、彼は素手か足で攻撃してきたらしい。

 男は静かにため息をつくと物思いに耽っているのか先程まで奴がいたであろう、隣の部屋をぼんやりと見つめる。

「好奇心でここに来たのが運の尽きだ。大人しく死ぬんだな」

 活力なんて微塵も感じられなかったこの男が途端にかっと目を見開き、口元を頬が裂けるほどに釣り上げ、狂気じみた笑みを浮かべる。

 臨戦態勢なのか、男は不意にしゃがみ込む。すると踏ん張りを効かせ(りき)んでいるのか、大腿部が異様に膨らむ。

 ぼろぼろにほつれたジーンズは膨張し、今にも破けそうに見えた。

 伏せていた顔をこちらに向けると、前傾姿勢になり、踏み出す。

 常識では考えられないエネルギーを込めて飛び出してきたため、無論想像を絶する速度で飛びかかった。まるで、新幹線が自分目掛けて突っ込んでくるかのように。

 そんな速度で涼目掛けて飛びかかるのだから、並の人間であればそのまま衝突して、間違いなく昇天してしまう。だがしかし、涼はその超スピードで突っ込む男をぶつかる寸前で身体をずらしてかわす。あろうことかかわしてしまったのだ。常人の視力では決して捉えきれない奴の動きを見切ったのだ。そうして、突っ込んだ男はそのままの勢いで壁面に激突して粉々に瓦解させる。

 超スピードで飛びかかったので、すれ違いざまに突風が生じ、涼も吹き飛ばされ、壁にぶつかる。結局無傷というわけにはいかなかった。

 先程の超反応をいぶかしく思い、怪訝そうな顔をして涼の方へ向き直る。今の今まであの攻撃をよけられたことがなかったとでも言いたげの様子だった。それもそのはず、常人からすれば気づいた頃には絶命しているはず。玄関先で倒れていた少年もそうやって殺されたのだ。

 ただ、その超反応には他でもない涼自身でさえ驚きを隠せないでいた。にわかには信じがたかったが、確かに涼はあのとき確信したのだ。飛びかかる男の動きをしっかり認識できていた。自分に接近するにつれて速度が落ちて見え、飛びかかる男と自分自身の距離とタイミングを見計らって上体をずらすことで容易にかわせた。

「妙な感じだな。どうもお前は他の人間とは違うらしい」

 独り言のようにぶつぶつとつぶやく。よろよろと力なく立ち上がるので、今の攻撃で彼自身も少なからずダメージを負っているらしい。

「そう言うあなたこそ何者なんです?」

 今になって先程蹴り飛ばされた時の痛みが出てきて、頭を抑えながらフラフラと立ち上がる。

「さあな」

 まともに取り合ってくれる気はないらしい。

 いつしかサイレンが聞こえてきた。(じき)にここも警察組織によって囲まれることだろう。外での騒ぎも段々とやかましく聞こえてくるようになった。突然爆撃のような音がするのだ、近隣の住民がぞろぞろと出てくるのも仕方のないことだ。

 しかし、男は不愉快にでも思ったのか舌打ちをする。どう考えてもこの男の自業自得だ。

「うるせえな。これじゃあ獲物もおちおち食えやしねえ……」

 翻ってこの場から去ろうとする。

 そんな男を慌てて引き留めようと、

「待て! 獲物ってなんだ。何を企んでるんだ?」

 と肩を掴む。

「あれだよ……」

 こちらに背を向けたまま開け放たれた扉の先を指さす。そこには腰を抜かして震えている女性がいた。恐ろしさのあまり、口元をがたつかせていた。

美味(うま)そうだったのに……」

 口惜しそうに女性を眺める。

 人間を指して美味しそうとは一体どういう了見なのか、甚だ理解できなかったが、男の異常性を鑑みれば、まともな神経をしているとは思えなかったし、そもそも真っ当な生物なのかも疑わしい。

「そんな目で見るなよ。お前だって俺と同類なんだぜ」

 男は不敵に笑ってみせる。涼を指して自分と同類だと言い放つ。人を指して食料だと言い放つこの男と同類だとは思いたくもない。

「俺の攻撃を喰らって死なない人間はいない。ましてや、かわす奴なんて考えたこともなかった。お前こそ何者なんだ?」

「ただの高校生……」

 涼の返答に男は鼻で笑う。

 男はなにもない壁の正面に立つと右脚を振り上げ、蹴りつける。すると蹴りの一撃で壁には亀裂が入ってそのまま砕ける。

「それじゃあな、同類モルモットよ」

 そう言い残すと、飛び上がって去っていく。

 屋根を飛び交いながら移動しており、瞬く間に男は見えなくなってしまった。


 男が飛び去り、しばらくすると警察と思われる男性が何人かが、涼の元へとやってくる。

「一体何があったんだ!?」

 そんなことを叫びながら涼に詰め寄る。しかし、生身の人間を見たことで、安堵したのか、途端に意識を失う。先程まで人を超えた生物と対峙していたのだ。自分の命がかかった局面で、その時の緊張感はかつてなかった。その緊張の糸が切れたのだ、どんなに強靭な精神力を持っていようが誰だってこうなる。

 そして、次に目を覚ました時、目の前には心配そうな顔をして自分の顔を覗き込む渡の姿が映ったのだった。

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