《一》
八月も下旬に入り、そろそろ夏休みも終わる頃だ。それでも永峰の夏期の補習は八月の末頃まで平常通り進む。
暑い中朝から高校で過ごす生徒達は不満を垂れながらも真面目に補習を受ける。
一限が終了して、十分が経過した。もうすぐ二限目の予鈴がなる頃で、普段なら担当の新島がやってきてもいい頃合いなのに、彼女は一向にやってこない。そして、また五分が経過すると、教室内はざわめき始める。すでに始業のベルは鳴ったものの、教員がいないことをいいことに生徒は席にもつかず、談笑している。
「時間に正確な新島が来ないのって珍しいな」
傍らで壁にもたれかかって会話をしていた男子に問いかける。そいつらはお互いにほくそ笑んで、どうせ授業すっぽかして婚活でもしてんじゃね、と言ってげらげらと声を上げて笑いあった。常に無表情で男運もない教師だから彼らなりの侮蔑の意味を込めて言っているのだろう。
こういう男のくせして人の陰口を喜んで言うような奴に対して多少なりとも苛立ちを覚える。とはいえ、そんなことに逐一目くじらを立てていては短気な印象を持たれかねないし、そもそも陽介自身が新島に対する悪口に憤る道理なんてないのだ。
陽介は適当に相づちを打ってやり過ごす。
一応委員長という立場ということで職員室で事情を尋ねようかと思った。だがその矢先に背中の曲がった初老の男が教室に入ってくる。
ごま塩頭で黒縁の四角い眼鏡をかけ、常に不機嫌そうな顔をした教頭だった。
教頭は黒板の前に立ち、睨むように教室全体を見回すと、生徒に着席するよう語気を強めて叱咤する。しばしば朝礼などで怒鳴り声を上げるため、彼を恐れる生徒達は即座に各々の座席に座る。生徒全員が着席したのを確認すると教頭は口を開き、今日新島が欠勤していることを簡潔に述べる。そして生徒に自習をするよう促し、ふん、と鼻を鳴らすとまた仏頂面をして教室を後にした。
自習と告げられしばらくすると教室は静かに自習をする者、座席の近い友人と談笑する者、うつむいてスマホの操作をする者に分かれた。
未だに終わっていない夏季休暇中の課題を机上に広げる。なぜだか自分の周りに集まり雑談する連中にうんざりしながら課題を進める。
「ねえ、日笠くん。聞いてるの?」
雑談する連中の内の一人である栗原瑠美は間延びした声で尋ねる。
「聞いてねえよ。まだ課題が残ってて忙しいんだ」
ガリガリと問題を解く陽介は雑に答えた。
「なに怒ってるのよ。もしかして、瑞希ちゃんが休んでイライラしてんの?」
栗原は冷やかし、嘲るように笑う。眼鏡をかけておかっぱ頭でなんとも垢抜けない容姿の割にズケズケとものを言う女子で、そんな彼女を陽介は内心苦手としている。
「そんなんじゃねえよ……」
栗原に言われて、長瀬の座席に誰も着席していないことに気づいた。本人から連絡をもらっていなかったため今の今まで気が付かなかった。
「どうせ風邪でもひいたんじゃねえの。ていうか、お前ら課題やんなくていいの? もうお盆過ぎたし、急がないとヤバいんじゃないか?」
「終わったよそんなの。むしろ終わってないの君くらいだと思うけど?」
素っ気なく返された返事に言葉を失う。まるで自分が不真面目みたいだ。
「まあ、仕方ないよね。日笠くんって八月上旬にはインターハイに出てたし、その上予備校も通わなきゃいけないからね。時間に余裕のある私らと違って忙しいもんね」
言葉とは裏腹に人を小馬鹿にした表情を見せる。
完全に煽ってるよ……
この後栗原を含む陽介の座席周辺に集まる男女は課題をいつ終えたのかについて話し出した。未だ終わってない陽介からすれば耳の痛い話だ。皆お盆前には終わらせていたようで、その上七月中や貰った当日に終わらせるような猛者までいた。こういった自慢話に腹が立つのは確かだったが、陽介は仕事の早い彼らに対して密かに感心しながら話を聞いていた。
黙々と課題を進めている中、ふとなにか思い出したのか取り巻きの生徒の一人が、そういえばさ、と口を開く。
一昨日、夏祭り中に飛来した謎の隕石についての話題だった。
昨日今日の報道番組で散々話題にされていたため、陽介自身その話題に少々関心を抱く。
「その隕石なら、俺も見たな。瑞希と夏祭りに行ったときにさ」
「惚気はいらないんだけど、やっぱ見たんだね。どんなだった?」
身を乗り出した栗原。よほど気になっているらしい。
「変な色の彗星って感じ。まあ、不気味で気味が悪かったよ」
「ふうん、テレビと同じようなことを言うのね」
ため息混じりに吐き捨てるようにつぶやいた。
悪かったな、お前の期待に答えられなくて。
「で、その彗星がどうかしたのか? 大好きな都市伝説関連のことなのか?」
「そうなの!」
また興奮気味に乗り出す。いちいち忙しい奴だ。
そして、栗原は続けてまくしたてる。
「近頃ね、ここら一帯で宇宙人の存在が噂されているのよ」
「へえ、彗星と宇宙人を関連付けてるってわけね」
随分と安直な噂だ、所詮は眉唾か、と陽介は内心呆れる。
昨夜特になにかしていたわけではないが少々眠気を感じる陽介は話半分に栗原の話を聞いている。生返事で適当に返事をするものの、栗原はそんなこと気にもしない様子でまくし立てる。
飛来した宇宙人が今はこの街に根城を建てており住み着いているだとか、超能力を駆使して世間には素性を明かさないだとか、最近世間を騒がす誘拐事件の黒幕だとか、まるでSF映画のような話を延々と話す。
そんなことを補習と補習の合間の休み時間に何度も繰り返す。正直なんの興味もないため、ただただ苦痛な時間として流れていく。そして、いつしか下校の時間になっていた。




