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碧き流星の煌めき  作者: 井嶋勇助
第八章
33/33

《三》

 陽介が喫茶店を出てすぐの事だ。

 女性の悲鳴と共に、黒ずくめの男が全速力で前を駆け抜けていく。

「ひったくりよ!」

 甲高い声で叫ぶ。先程の男の方を見ると、女性物の鞄を携えており、人目でそれが盗品だと分かった。

 気づいた陽介はその男を追って走り出す。

 気がつくまでに距離を離されていたが、陸上競技でインターハイに出る程の陽介からすれば、一般人相手に追いつくなど造作もない事だった。ジリジリと距離を詰めていく。

「待てコラ!」

 怒号を飛ばすと、男の方もこちらに気づき、細い路地に逃げ込む。

 ゴミ箱などを倒して、陽介の進行を妨げる。

 障害物をかわし、何とか路地を抜けると、また男を追って走り出す。思いの外、男の進路妨害は功を奏して、距離を空けられる。

 このままでは取り逃してしまう、と内心焦っていた陽介だったが、逃げる男の目前に悠然と歩く長身の男が現れる。遠目からだから陽介はその男が何者なのか分からなかった。

「どけぇ邪魔だ!」

 ひったくり犯はそんな怒号を上げると鞄を持つ手と逆の手にナイフを握り威嚇する。

 しかし、そんな彼の脅しなど意にも介さず、尚も歩く。

 ひったくり犯は今にも振り下ろさんばかりにナイフを掲げる。そんな彼が目前に迫ったところで、くるりと身体を反転させ、回し蹴りを男の顔面目掛けて繰り出した。綺麗に横顔に当たり、そのままひったくり犯は倒されてしまう。

 地面に打ち付けられ、伸びているひったくり犯。そんな彼に近寄る長身の男。彼は女性物の鞄を手に取るとゆっくりと立ち上がる。

 そんな彼の元にようやくたどり着く陽介。

「悪い助かった。通りがかりにひったくりだって言われて追ってきたんだが、思いの外逃げ足が早くて……」

 肩で息をしながら話始める。

「もしかして陽介くん?」

 聞き覚えのある声だった。

 ハッとしてそちらを見ると、そこには連続殺人事件の影の立役者、月島涼が立っていた。

「な、お前……」

「偶然だね。はい鞄、ひったくりには気をつけてね」

 にこやかに鞄を手渡す。

「いや、俺のじゃないって。道すがら女の人がひったくりって叫ぶから追ってきただけだって」

「それもそっか、女物だしね」

 あっけらかんとしていた。

 先程、弟の渡から大怪我をしていた話を聞いていたが、随分と元気になったものだ。腕の骨折はまだ治ってないと言われていたが、そんな怪我などあるように感じさせない身のこなしだった。

「じゃあこれ返しに行こっか。案内してよ」

 屈託のない顔をして笑う。

 来た道を戻り、先程鞄を盗まれたという女性の元へ向かう。彼女もまた泥棒を追ってきていたのか、振り向いて歩くとすぐ見つかった。

 深々と頭を下げ、礼を言うとそそくさとその場を去っていく。

「一件落着だね」

 虫も殺せなさそうなくらい人畜無害に見える涼だったが、先程の身のこなしや容赦なく顔面目掛けて蹴りを入れる様からして、対人格闘技に関して造詣が深いように見えた。暴走族の弟が兄に対してこれだけ入れ込んでいるのだからある意味当然なのかもしれない。

「そんだけやれるんなら、あの殺人鬼も訳ないよな」

 ボソッとつぶやく。

 にこやかだった涼の顔が不意に曇る。

「……そっか、知ってるんだ」

「さっき弟の渡に会ってな、そこで話したんだよ」

 バツが悪そうに重苦しい顔をする。弟の渡も事の顛末を詳しく知らない辺り、あまり話したがらない話題だったようだ。


 近場に公園が目に付いたのでそちらに向かい、ベンチで隣り合わせに腰掛ける。普段来ることのない公園で、木々は生い茂り、心地よい風がなびく。

「瑞希ちゃんの事、悪かったね」

 開口一番に頭を下げる。

「いやいや、お前が悪いわけじゃないって。全部あの快楽殺人鬼の仕業じゃないか」

 顔を上げてくれ、と彼の肩を掴む。

「目の前で殺されたんだ。守れなかった俺にも責任はあるさ」

「……そうだったのか」

 涼は事の顛末を語ってくれた。

 殺人鬼を追いかけていた際、前から瑞希が走ってきているのに気づいたら、直後に胸を手刀で貫かれ、殺されたそうだ。

「結局あの殺人鬼は倒したけど、失うものが多かったね……渡の友達も何人か殺されたって言うし」

 ぼんやりと遠くを見つめながらつぶやく。

「倒したって、殺したのか?」

「多分そうだよ。鉄パイプ突き刺して血とか吹き出してたし、失血死してると思う。向こうが倒れた後、すぐに警察とか呼んだしその後どうなったかは分かんないや」

 煮え切らない言い方だった。結局本人もその後の処理がどうなっていたのか分かっていないらしい。

 この後涼は病院に運ばれ、数日入院生活だったようで、そこで警察の取り調べもあった。涼自身としては最悪殺人という事で刑罰を受ける気分でいたが、なぜだかお咎めなしで終わったようだ。

 色々片付いたのが一昨日の事で、昨日からいつもの日常に戻ったらしい。

「街を救った英雄相手に刑罰はねぇからな。まあ良かったよ、これまで通り過ごせるんだったら」

 心配事が一つ片付いたとでも言わんばかりに伸びをする。

「だと良いんだけどね」

 涼は苦笑する。

「俺の処遇に関して、公安以外の組織から何らかの影響を受けてそうなんだよね」

 仮にも人を殺している疑惑もある訳だし、と淡々と話す。日本がそこまで柔軟に対応を変える度量があるとは思えない。そんな事を話し出す。

「政府とかからして、あの殺人鬼の存在って公にしたくないんだろうね。だからアイツを殺した俺を処して世間のニュースに触れさせたくなかったんじゃないかな?」

 涼に言われて殺人鬼について思い浮かべる。尋常じゃないタフさと怪力、人を食い散らかすという様相から、あれが人間とは別の存在にも思えてくる程だった。

「彼は言ってたよ、自分は二番目(ザ・セカンド)でモルモットなんだって。そして、俺の事を指して同類だって」

 涼があの殺人鬼と同類、その言葉にゾッとする。

 一度あの男と相対した陽介ならば分かってしまう。あの怪物と渡り合い、更に打破してしまった涼の存在の恐ろしさが。いとも容易く人を殺してしまう存在がもう一人目の前にいるのだ。

 そんな陽介を尻目に尚も話を続ける。

「施設を逃げ出してここまで来たって言ってたし、同類だから一緒になって組織と敵対しようとかって話も持ちかけられた。きっと俺に対する処遇の軽さもその組織の影響だと思う」

 淡々と話続ける涼をじっと見つめながら黙り込む。ゴクリと生唾を飲み込み、

「……なんで俺にそんな話をするんだ? 他の奴には話したのか?」

 と閉ざしていた口を開いた。

「さあ、何でだろうね。もちろん他には喋ってないよ。ただね、ちょっと心細かったんだ」

 こんな事誰にも話せないから、と俯きがちに言った。

 涼はあの殺人鬼と同類だなんて言っていたが、ここまで不安を感じ小さくなっている姿を見て、同類だなんて思えなかった。

 陽介は立ち上がると涼の目の前にかがみ込む。

「お前はきっとあいつと同類なんかじゃないよ。こんなにも優しいお前が一緒な訳ない。信じて話してくれてありがとう」

 優しく微笑みかける。

「……ありがとう、話してよかった」

 目に涙を浮かべながら笑いかける。


 これは世界に蔓延る闇の一端で、まだ序章なのだろう。そんな事を思うのであった。

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