《五》
殺意を剥き出しにした涼を目前に、ザ・セカンドは戦慄する。初めての経験だったのだ、自分自身の命が脅かされる経験というのは。人間相手に立ち回る事などざらにあり、自身と相手の力量から、大抵の場合自分が優位に立つ事が多かった。格闘技の使い手であろうと、一流のアスリートであろうと、生物としての基礎体力の違いから相手を寄せ付ける事など皆無だったのだ。それが自身の身体能力に肉薄する目の前の青年相手には通用しない。
「……ヘッヘッヘ」
口からダラダラとヨダレを垂らすと気持ちの悪い笑い声を出す。何かしら企んでいる様子で、不気味に思った涼は身構える。
幼少の頃祖父に鍛えられた経験が活かされている事を実感する。過酷な長期休暇になりがちだった幼少期や少年時代、その経験に感謝する事があるとは……、過酷な日々が脳裏を過ぎる。
そんな涼の構えから、相手が相当の使い手だというのは男にも理解できた。隙のない構えだった。
男は目を細め、涼に狙いを定めると口から唾液を吐き飛ばした。勢いよく飛ばされた唾液を左腕で振り払う。
その瞬間だった、男は涼に飛びかかった。吐き出した唾液を陽動に飛びかかる作戦だった。しかし、怪物のそんな小細工などものともしない様子で、回し蹴りを顔面目掛けて繰り出した。横顔を蹴り飛ばされ、そのまま塀に身体をぶつけ、アスファルトに横たわる。
脳震盪でも起こしたのか、男は倒れたまま伸びていた。
「一件落着ってとこか」
呆気なく終わった一連の騒動、涼は肩をすくめる。
ひとまず警察に連絡するつもりで、ポケットからスマホを取り出そうとする。
その時、左腕に違和感を覚える。妙に痺れる感覚があった。先程吐きかけられた唾液によるものだったのか、次第に痺れは強くなり、痛みも伴ってくる。
「なんだよ、毒でも仕込んでたのかよ……」
腕の痛みに左腕を押えながらうずくまる。あまりの痛みに脂汗も吹き出てくる。
そんな最中、先程まで伸びていた男が身体を起こす。
「ふふ、効いてきたらしいな」
ニタニタと不気味に笑みを浮かべながらフラフラと立ち上がる。
「……一体何をした!?」
うずくまる涼を見るなり、より一層の笑みを強め、横っ腹に蹴りを入れた。鈍い痛みに顔を歪ませる。そんな涼に向け、更に暴行を加える。
一頻り暴行を加えたところで、満足したのか離れていく。
痛みで腹部を押えながら、男の行方を目で追う。すると男は胸部を突き刺され横たわる瑞希の元へ近寄る。目は虚ろに開いており、呼吸している様子はなく、身動ぎ一つしない事から彼女が死んでいるのは明確だった。
そんな彼女の首根っこを掴むと頭部に齧り付いた。
「……何をしている? 一体何をしてるんだ!?」
声を荒らげる。しかし、そんな涼の怒号など構わず、更に貪る。
頭蓋骨は砕かれ、脳髄が露わになる。それらを貪ると眼球をくり抜きブチブチと噛み砕き、更に顔面をぐちゃぐちゃと食べ進める。
いつしか、瑞希の亡骸は綺麗に頭部だけ食べられ、首から下が地面に横たわる。
あまりにも惨たらしい光景に涼は息を飲む。
「ふう、食った食った」
あれが食事だとでも言うのか……、おぞましい光景から言葉を失う。
「……なあ、お前もしかして、前にどっかで会ったか?」
真っ赤に染まった口元を拭いながら尋ねてくる。しかし、涼はそんな質問に返事ができるような精神状態ではなかった。目の前で臓器を露にしながら食べられていく光景を見て平常心を保てるわけがないのだ。
呼吸は次第に荒くなる。
「ただの高校生、そう言ってたっけ? ただの高校生が俺の攻撃をかわしたり、あんあ立ち回りができるとは思えねぇな」
今度は涼の方へ近寄る。そして、しゃがみ込んで涼の頭を掴む。
「俺と同じで施設から逃げてきたのか? それにしては上手い事人間社会に溶け込んでる。まさか突然変異か」
あれこれ喋っているものの、何を言っているのかさっぱり分からない。施設だったり突然変異だったり、意味が分からない。
混乱していたら、男もそれを察したのか、
「何も知らないらしいな」
とつぶやくと、掴んでいた髪の毛を離すと立ち上がる。
「なあ、俺は施設のモルモットだったんだ。どうせお前も俺と同類だ。同じ仲間のよしみで見逃してやろうか?」
男は涼に問いかける。その問いかけに答えることなく、静かに目を閉じる。
「組織の追手はいずれ来る。俺と手を組まないか? 奴らを相手にするのに味方が多いに越した事はない」
呼吸を整え、静かに目を見開く。
「お前も組織に追われる。損はないはずだが?」
スっと静かに息を吸うと、
「手を組むつもりはないよ。仲間意識もいらない。アンタは俺がとっ捕まえてやる」
立ち上がると殺人鬼を見据える。
「交渉決裂か、だったら、俺はお前を殺し、糧としてやろう」
男は凄惨に笑みを浮かべると、しゃがみ込む。しゃがみ込むなり、両足に力を込める。前回目撃した突撃体勢に入っているのだ。太腿は大きく膨張していく。
身構える涼を見据えると、嘲笑うかのような笑みを浮かべる。
男は涼に突っ込むのではなく、彼を飛び越え、そのまま飛び去って行ったのだ。男の軌道から工場の方へ飛び上がって行った。




