《三》
月島涼の弟である渡はボヤを納めると、悪漢どもを帰らせた。
どうやら、渡はその不良グループのボスのようで、リーダー格に見えたガタイのいい男も含め全員彼の一言で大人しく引き下がった。以前話したときは、見た目はともかく、内面は兄によく似た好青年だと思っていたが、実際は暴走族を取り仕切る筋金入りの不良だとは思いもしなかった。
「ねえ大丈夫?」
「結構しんどい……」
へたり込む俺の前にしゃがんで背中をさする。
「もしかして、デート中でした? いやぁ申し訳ない。うちの馬鹿どもが変な騒ぎを起こしたばっかりに……」
悪漢どものリーダー格なのだから、威厳というか凄みをもっと感じてもよさそうなものだが、彼からはまったくそういったものを感じられない。兄弟揃って人がよさそうなのだから尚更だ。
「まあ、あいつらもちょっと事情があってやってるんで勘弁してください。せめて俺から謝らせてください!」
そう言うと腰を直角に曲げ頭を下げた。綺麗なお辞儀だった。
「いや、いいよ別に。気にしてねえし」
「……はっは、お優しいことで」
不敵に笑みを浮かべ、飄々とした口調で話す。
「ところで事情ってなんだよ。見ず知らずの人に突っかかってまですることがあるのか?」
「そうですね……あいつらちょっと人探しをしてましてね。それっぽい人に片っ端から声掛けてるんですよ」
「お前、随分と爽やかに言ってるが、声掛けてるってレベルじゃねえぞ。あれじゃあ恫喝だ」
「まあ、それはおっしゃる通りです。俺としてもあんなヤクザ紛いなことはやって欲しくありません。口酸っぱく言ってるのですが、どうも聞く耳を持たなくて……」
学校教育の過程か、家庭環境の影響などで道を踏み外した連中というのはいかんせん不器用なものだ。目付きが鋭く、使う言葉一つ一つが乱暴なのだからそう見えてしまったのだろうか。
「とはいえ、相手も相手なんでね。殺人鬼相手に平然としてるのも無理があります。許してくれとは言いませんが、見逃していただけると助かります」
渡は最後にニコッと微笑み、またも綺麗な姿勢でお辞儀をした。
殺人鬼、そのフレーズが引っかかる。どうしても新島の話題と関連づけてしまう。
「もしかしてあんた、何か知ってるんじゃ……」
表情に出てしまったらしい。
渡は先程までの飄々とした掴みどころのない口調から一転、睨むような鋭い眼光で陽介を見据える。口元に笑みこそ絶やさなかったが、どこか威圧感のある顔をしていた。
「……ふざけないでよ」
そんな二人の間にいた瑞希はふるふると身体を震わせながら立ち上がる。
「あんた達ののくだらないいさかいに私たちを巻き込まないでよ!」
甲高く大声で怒鳴った。
よく怒ることのある瑞希だったが、今回は随分と怒り心頭のご様子で、顔を紅潮させながら、渡を睨む。
「……あんた達のくだらない喧嘩のせいで陽介がこんなにボロボロになっちゃったじゃない。今日私たちは楽しくデートしてただけなのに……なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないのよ!」
瑞希は渡に詰め寄り、声を震わせながらまくし立てる。目の前には十全たる不良男子で内心怖い気持ちでいっぱいなのだろうが、それと同じだけ怒りも湧いてくる。恐怖と怒りの表れか、泣き出しそうに上擦った声でまくし立てる。
「……まあ、おっしゃる通りですね」
渡は先程までの勇ましさなどなりを潜め、静かにそうつぶやいた。しかし、全くと言っていい程反省の色は見えなかった。何を企んでいるのか、瑞希ではなく、陽介の方を見据えている。
まるで自分に全く関心がないように映ったのか、ますます激昂して手持ちのバッグの紐を握り締める。その手を振り上げるとバッグは渡目掛けて飛んで行った。
「……やめろよ」
バッグを投げつけ、そのままの勢いで掴みかかろうとした彼女を静止する。
「お前まで喧嘩することないって!」
掴んだ腕から心臓の鼓動が感じられる。相当興奮しているようで、荒い呼吸をしながら今も渡を睨んでいる。
瑞希の視界に渡を入れないよう間に入る。しばらくすると呼吸もしだいに小さくなる。
「瑞希、今日はもうお開きにしよう。この埋め合わせはまたするからさ……」
「…………」
顔を俯ける。
「……悪いな、渡くん。君はどうやら俺に何か話があるようだけど、今はそんな気分じゃないんだ。大人しく帰らせてもらう」
陽介は渡に一切目を合わせず、静かにそうつぶやいた。対して渡は何も答えることなく、押し黙るのみだった。
あの後、二人は宣言通り帰宅していた。
道中会話などなく、気まずい空気感の中歩いていた。
「……なあ、瑞希。怪我とかしてないか? さっき殴り合いに夢中になってたから気づかなかったけど、あの不良たちに何かされたりしてないか?」
あまりの気まずさに耐えられなかったので、おどけた様子で尋ねてみた。
「……なんにもされてないよ」
数秒間があったものの、返事が返ってきた。こちらを向くことなく、消え入りそうな声でしゃべった。
「ならよかった……」
いつもなら耳鳴りがするほどけたたましい声で喋るのに、ここまでしおらしくなってしまうと調子が狂う。
会話は続かず、また無言で歩き続ける。しばらくすると、
「陽介くんこそ、大丈夫なの? 顔とか腫れてるけど……」
と陽介を一瞥して、また静かにつぶやいた。
「え、ああ、これくらい唾塗っときゃ治るって」
冗談めかして言った。しかし、瑞希から反応はなかった。
またしばらく沈黙が続き、だらだらと歩いていると瑞希の家の近くまでたどり着く。
「……あのさ、陽介くんはあの渡って人、どう思ってるの?」
長瀬邸の玄関先で急に立ち止まるなり、翻って尋ねる。
「ど、どうって?」
「あの人、ただの高校生なんかじゃない……」
それはそうだ、見た目からして金髪でガラの悪い装いをしているのだ、あんなのが真面目な高校生なはずがない。しかし、彼女がそんな陳腐な高校生を指して言っていることではないことを陽介自身も分かってはいた。
「絶対にあの人とは関わったりしないでね……」
「……関わるも何も、俺たち別に友達とかじゃないんだぜ。たまたま顔見知りだっただけなんだ」
だから今後関わり合うことはない、そう断言すれば丸く収まったのだろう。しかし、なぜだか陽介にはそれが出来なかった。




