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碧き流星の煌めき  作者: 井嶋勇助
第四章
14/33

《三》

 八月中旬の新島教諭が姿を消す数日前のことだ。


 永峰高校の職員室にて黙々と仕事を進める新島。夏季休暇中だというのに仕事が山積みになっているのだ。新学期が間近に迫っていることから、そのための授業準備やこれから始まる学校祭の準備などいくつかの仕事を割り振られた。

 文化系の部活の顧問ということから特に忙しくもないだろう、という理由で少しばかり割増されている。

「なんでこんなに忙しいんだか……」

 いくら仕事を進めようともこれら全てがいつ片付くのか見当もつかない。そんな現状にうんざりしてため息をつく。

「お疲れ様です。新島先生」

 缶コーヒーが目の前に出てくる。

 何事かと思って振り向くと若い男性教諭が爽やかな笑みを浮かべ、缶コーヒーを差し出していた。

「ど、どうも」

 突然缶コーヒーを差し出されたことから、不本意ながらどもってしまう。

 心臓に悪いのでやめてほしい。

 歳若いこの男は三宅という。三宅教諭は今年新卒で入った新入りで、新島と歳も近くよく喋る間柄だ。

「忙しそうですね。少し手伝いましょうか?」

「いいえ、結構です。三宅先生も忙しいでしょうし……」

 本音を言えば手伝って欲しいのだが、建前としてそんなことを言って丁重にお断りする。

 忙しいでしょう、などと言ったものの三宅は陸上部の顧問をしており、幸か不幸かその部員の一人がインターハイまで出場したことで、部活に専念してもらおうと仕事はあまり割り振られていなかったのだ。全国大会に同伴していたため、彼も忙しかったのだろう。しかし、現状多大な仕事量に頭を抱える新島にとっては、彼の事情などお構いなしに、自身と三宅との扱いの差に少しばかり不公平感を抱いている。

「いやあ、インターハイも終わったことですし忙しいってことはないですよ。あっこの書類まだ手をつけてませんね。せっかくなのでやっておきますよ」

「えっちょっ!」

 挙動不審気味な新島をよそに、勝手に書類を持ち出し、隣に座るとそそくさと作業を始めてしまった。

 体育会系のこういった人の話を聞かない性質がどうも苦手だ。よかれと思ってやっているし、こちらも助かるのだが、もう少し自分の意見も聞いて欲しいものだ……。

 そんなことを思いながら自身も仕事を進める。


 いつしか時刻は六時を回った。

 教員の何人かは既に帰宅しており、職員室はおろか、校舎内も人気がなく、物悲しい雰囲気になっていた。ある程度仕事も片付き、キリもいいところだったのでここで一区切りしようと思った。

 腕を頭上に掲げ、伸びをする。

「もう終わりましたか?」

 不意に声をかけられる。三宅だった。

「ええ、キリがいいので今日はこれで終わりにします」

「そうですか。僕はもう少しかかりそうなので残りますね」

「ああ、じゃあ私も手伝います」

 そう言って三宅のデスクに乗せられた書類を手に取る。しかし、もう既にほとんど終わらせているようで新島の手に取ったものは完成した書類だった。

「いやあ、もう少しなので手伝いには及びません」

 はにかんでそう言った。

 元はと言えば自分の仕事だっただけに少しばかり罪悪感が残る。後輩に自分の仕事を押し付け、自分は早々に切り上げて帰ろうとしていたのだ。

「じゃあ、終わるまで待ちますね」

 普段ならば自分の仕事を終えたらすぐに帰宅しようとする新島だったが、健気な後輩への罪悪感から彼を待つことにした。

「ありがとうございます」

 三宅は微笑みかける。


 三宅が仕事を終えるのを待つと言って、数分ほど経った。その間二人の間に会話は一切なく、気まずい時間が続いていた。

 自分は先輩だから空気を和ませようとなにか雑談でもしようかと考えるも、それで仕事の邪魔をしては本末転倒だ、などとあれこれ考える。

 そんな気まずい空間を三宅は、

「なんか気まずいし、少し雑談しましょうか」

 と朗らかに笑って言った。

「最近授業とかどうですか?」

 他愛もない日常の話だった。

「授業かあ……普通にやってますよ。まあ、夏休みまで学校に出張るのが辛いって気持ちがひしひしと伝わって気まずいですけど」

「そうですよね。僕も生徒に愚痴られてばかりでね、受験を控えてるわけだからやるべきですが、ちゃんと休みくらいは与えてやってもいいと思うんですけどね」

 会話をしながらも作業の手を止めず器用にこなしていく。

「私、あまり生徒と話さないからそういう愚痴は聞かないですね」

「そうなんですか。確かに新島先生ってあまり生徒達と喋りませんね。担任もってないからですかね?」

「……それは関係ないと思います。単に私が人と喋るのが苦手なだけですから」

「なるほど。人と喋るのが苦手なんですね」

 そう言うと三宅はこちらをチラッと一瞥する。

「教師ってお喋りとか好きな人種がこぞってなるものだと思ってました。先生にも色々種類があるんですね」

 何気ない三宅のそんな台詞が新島の心を抉る。

 無機質な自分を変えようとこの職を選んだものの、結局何一つ変わることなく生徒達に興味を抱かない、無感情な冷たい教師となってしまったのだ。

 そんな自分に引け目を感じているために彼の言葉は彼女の心に重い一撃を食らわせるのだった。

「私ってあまり他人に興味がないんですよ。だから生徒に関心がなくて、授業はもちろん、普段はろくに会話もできてないんですよね……先生としてよくないな、と思うのですけどどうにも直せないんですよね……」

 物思いに耽りながらそんなことをつぶやく。反応に困ったのか、三宅は押し黙ってしまう。

 他人に興味がないだなんて言うんじゃなかった、と密かに後悔する。しかし三宅は、

「実は僕もそこまで人に関心はないですよ」

 と同調してきたのだった。

「自分のことで精一杯なので、それほど他人に構えてはいませんよ。正直、僕から生徒にコンタクトとるのって連絡事項とか伝えるときくらいです。たぶんほとんど向こうから話しかけてきますよ」

「そうなんですか。見てる感じだと和気藹々(わきあいあい)と分け隔てなく喋りかけているのかと……」

「別にまったくないわけじゃないですよ。ただ、新卒の教員にそこまで余裕はないので、向こうに話しかけられたら失礼のない程度に適当に話してるだけですよ」

「……意外です。私もせめてそれくらいはできるようにしたいですね」

 確かに新島も新卒で入ったばかりの頃は余裕なんかなく、しゃかりきに仕事に励んでいた。それだけに当時は今以上に生徒と喋れていなかったように思う。

「コツとかってないですか?」

 何気なくそんなことを尋ねると、三宅ははにかみながら意外そうだと言わんばかりの顔をする。

「あまり偉そうに言えるほどのコツは僕も知らないですね……。でも生徒の流行りとかに詳しいと会話も楽になると思いますよ」

「話題を合わせるってことですか。私も比較的若い方でしょうけど、さすがに現役の高校生とは世代が違うし、話しも合わないですね」

「そのために流行ってるものを知っておくんですよ。テレビでもネットでもいいですから、流行に乗って損はないと思いますよ」

 そういうことに努力するのはなんだかミーハーみたいで抵抗がある。しかし、自分を変えねばと思い立ったのだ。ここで尻込みしていては変わるものも変わらない。

「そういえば、流行とかトレンドとはまた違いますけど、この前栗原っていう女子生徒に変な噂を聞いたんですけど」

 そう言って三宅はその噂話を詳細に語ったのだ。

 近頃ニュースなんかで取り上げられている連続誘拐犯が地球外生命体なのだそうだ。地球人の研究が目的で攫っているという話だった。

 根も葉もない空想の話だと思い、話半分に聞いていた。その女子生徒は映画の見すぎではないのか、と疑いたくもなるくらいだ。しかし、この作り話めいた噂話が生徒の間で密かに囁かれているのだそうだ。


 いつしか、三宅も作業を終わらせたようで、二人は帰宅することにした。三宅と別れ、一人夜道を歩く新島。

 途中先程三宅の話していた宇宙人の噂話を思い出す。馬鹿げた話だっただけに、笑みがこぼれる。

 人攫いはこういう夜道にやるのが定石だろう、と考えていた。

 結構呑気に下らない空想を思い描いていた最中、不意に頭部を後方から殴打される。

 金属製のバットで殴られたのか、周囲に血飛沫が飛び散り、そのまま新島は倒れるのだった。意識が飛かけ、視界も虚ろになってきた。そんな中、視界に映りこんだのは異様に筋力が発達した男の姿だった。何年も鍛錬を続けた努力の決勝とも言える発達した筋肉だが、異様なことにそれらは全て幻想だったかと思わせるかのように一気にしぼんでしまう。そこで張り詰めていた意識の糸もプツリと切れてしまう。

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