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桜舞う音  作者: 桜月まき
9/9

二 同好会 (4)

 翌日の放課後が待ちきれなかった。もう授業どころではなかった。…って、入学してあの人に出会って以来、毎日授業どころではない日々が続いているのだが。まぁ幸いどの教科もまだオリエンテーションやら中学の復習やらの枠を出ていないから何とかなっている。


 明日香先輩からは相変わらずひっきりなしにメールが来る。内容はだんだん緑川由奈穂さんのことよりもその周囲、篠宮英人と御倉まいの情報になっている。




 篠宮英人。三年二組、サッカー部所属。


 緑川由奈穂さんとは小・中学校からの付き合いで、詳しくはわからないけれど親戚関係にあるらしい。


 N町にある篠宮医院の三男、末っ子で、気性は激しく良く言えば情熱的…。緑川由奈穂さんがわりと男子に好印象なのに誰も告れないのは、篠宮英人が排除しまくっているからだとか。


 そうしてずっと緑川由奈穂さんに超積極的にアプローチを続けているものの、恋愛関係には至っていないようだ。でも、彼女に今現在最も近いポジションにいる男、というのは間違いではない。




 …それから、御倉まい。三年一組、超常現象研究会・会長。


 緑川由奈穂さんとは入学以来の大親友。一年から三年までずっと同じクラス、同好会も同じなので、学校にいる間ほとんど一緒にいるといってもおかしくない。


 …ただこの人、何だか謎だらけのようで、出身中学不明、家族構成も不明。明日香先輩曰く、あれだけ目立つ存在なのにプライベートな情報がいっさい入ってこなかったそうだ。


 唯一の情報は、毎年文化祭で超常現象研究会が出展する占いの館で、彼女が占う水晶玉占いがやたら当たると女子の間で大人気だということ。普段のはっちゃけたイメージとは正反対で、怖いくらいなんだそうだ。でも文化祭以外では決して占いをすることはなく、いくら頼まれても断固拒否するらしい。だから、あまり彼女に近づく人は少ないとか。緑川由奈穂さんは例外中の例外ということなのかな。




 …放課後までに明日香先輩がくれた情報は以上。それを持ってぼくはいよいよ超常現象研究会という、聞くからに胡散臭い同好会の活動場所、化学準備室へと向かう。


 逸る心を抑えつつ、あえてゆっくりと廊下を歩く。あんまり急いで行って、化学準備室に誰もいなかったらちと恥ずかしいし。


 鞄を握る手の平が汗ばんでくる。


 化学準備室は確か…特別棟の、三階の端。音楽室があるほうとは逆側なので、視聴覚室と同じ三階にあっても、こちら側にまで吹奏楽部員は見当たらない。さすがにいろんな楽器の音はバンバン聞こえるけど。


 化学準備室。


 ドアの上のプレートを確認して、ドア越しに中の様子に耳をそばだてる。…なにやらカチャカチャという音と、女の子の笑い声が聞こえる。…途端に鼓動が速くなる。今、ここに…間違いなく、あの人がいる…。


 息苦しくなる。心臓が口から飛び出しそうだ。発表会なんかでもこんなに緊張したことないのに…。全身が心臓になったみたい…生まれて初めての、感覚。


 こういう時は…とりあえず深呼吸だ。落ち着け、と自分に言い聞かせる。


 目を閉じて三回深呼吸。多少、楽になったか? 息はさっきよりしやすくなったけど、それでもまだ心臓はバクバクいってる。


 …でも、ここまで来ておいて…突入しないわけにはいかない。


 意を決して、扉をノックしようと右拳を振り上げた。震える手に力を入れ、扉を叩こうとした、その時だ。


 ガッ、と右腕を背後から掴まれた。ものすごい力で。


 ビックリして、実際十センチくらい飛び上がったんじゃないかと思う。大慌てで振り返ると、わりと背の高い上級生の男の人が、ぼくの右腕を掴んだまま、見るからに敵意剥き出しの表情で言った。


「お前かっっ、由奈のストーカーってのは!!!」


「は、はいいぃっっっ??!!!」


 自分でも情けないくらい間の抜けた声を出してしまった…。襟元のラインは三本線…三年生…ひょっとしてこの人…!


「しっ…篠宮英人?!!」


 気付かず声に出していたようだ。ぼくの予想は的中していたらしく、その人はぼくの右腕を掴む手によりいっそう力を込める。いっ…痛たたたた…ッ!


「おまけに先輩に向かって呼び捨てとはいい度胸じゃねぇか一年ボーズ!」


 ひいぃぃっっ、情報に違わず、気性激しいっっっ。


 思わず涙目になってしまったその時、化学準備室のドアが開く。


「…なーんか騒がしいと思ったら…篠宮かぁ。」


 顔を出したのは赤茶けた長い髪を後でひとつに束ねた女生徒。ニヤニヤ、意味ありげな表情で楽しそうにぼくと篠宮…先輩を代わる代わる見ている。


 あ、思い出した! この人、“御倉まい”!


「なーに? どうしたの?」


 そしてその後から覗き込んだのは…言うまでもない。ぼくがこの数日焦がれて焦がれてたまらなかったその人、張本人…緑川由奈穂さん、本物だ!!!


 掴み上げられている腕の痛さも一瞬にして吹っ飛ぶ。足の先から頭の先まで、体温がものすごいスピードで上昇していくのがわかる。


「英人くん。…と、あれ、あなた確か…」


 緑川由奈穂さんがぼくを見て、少し言葉を止める。ぼくは彼女が自分を見ているという事実、それだけでもういっぱいいっぱい。思考なんか、完全ストップ。


「…怪我、大丈夫だった?」


 にっこり、天使のような微笑みをぼくに向ける。…覚えていてくれてるんだ、保健室でのこと…。


 ぼくは慌てて頷いた。


「は、はいっ。」


 …また声が裏返って変になってしまった…恥ずかしい。


「…とりあえず、廊下でつっ立ってんのもなんだし、二人とも、入ったら?」


 赤毛の彼女がニヤニヤ顔のままでそう言って、ぼくと篠宮先輩を化学準備室に招き入れる。ふん、と息を吐いて篠宮先輩がぼくの腕を掴んだまま扉をくぐるので、ぼくも強制的に中に入ることになる。…まぁ、最初から入るつもりではいたのだけれど…。


 化学準備室の中は、準備室の名が示すとおり、化学の実験用具やらなんやらかんやらが所狭しと置かれている。あまりに物が多すぎて、整理整頓されているのかいないのか、よくわからない。いろいろな物に囲まれた部屋の中央、パイプ椅子がふたつと事務机…その上には、この場にそぐわないちょっとオシャレなティーセットが置かれている。電機ケトルと、白地にブルーで花の絵が上品に描かれたティーポット、ティーポットお揃いの柄のティーカップが二客。カップの中からほんわかと湯気が昇っているところを見ると、どうやらお茶は淹れたてのようだった。


「英人くん、今日はサッカー部お休みなの?」


 桜の精と言うに相応しい落ち着いた心地良いメゾ・ソプラノ。…緑川由奈穂さん…緑川先輩、が篠宮先輩に問いかけながらあと二人分のパイプ椅子を広げ、ぼくらに勧める。御倉先輩が背後のスチール棚から、事務机に広げられているティーセットと同じ柄のティーカップを二客取り出してお茶を淹れてくれる。


 篠宮先輩がようやくぼくの腕を無造作に離して、どかっと椅子に座りながら吐き捨てる。


「今日は自主的に休み。由奈がストーカーされてる、なんて聞いて、おとなしくサッカーなんかしてられっか!」


「…ストーカー?」


「ああ。コイツ、昨日からいろいろ由奈のコト嗅ぎ回ってるって、御倉に聞いて。」


 緑川先輩が御倉先輩を振り返る。御倉先輩は相変わらず楽しげにニヤニヤ笑っている。緑川先輩がふーう、と長いため息をつく。


「…そういうこと、どうして当事者のわたしじゃなくて英人くんに先に言うかなぁ…。」


「だってそのほうが面白そーだったから♪」


 御倉先輩は悪びれもせずけらけらっと笑って言い放つ。そして面食らってつっ立ったまんまのぼくに、その笑顔のままで椅子を勧める。


「座ったら? どーせここに来るつもりだったんでしょ? お茶も入ってるし。」


「は…はい。」


 言われるがままぼくは篠宮先輩の隣のパイプ椅子に座る。すると緑川先輩が脇に置いてあった紙袋から可愛らしいお弁当箱を取り出す。


「今日はクッキー焼いてきてたの。御倉さんと二人で食べるにはちょっと多めだったかな…って思ってたからちょうど良かった。」


 そう言ってふたを開ける。中にはいろんな型のプレーンなクッキー。…うわぁ…美味しそう…。クッキーにさえ、惚れてしまいそうだ。


「…で、ストーカー、って?」


 小首をかしげて緑川先輩がぼくに向かって尋ねる。一度治まったかと思われた体温上昇がまた一気にピークに達してしまう。鏡を見なくったって、耳まで、いや足のつま先まで茹でダコ状態になっているのがわかる。そんなぼくを、御倉先輩は面白そうに、篠宮先輩は攻撃的なまなざしで、そして緑川先輩はピュアな表情で見つめる。三人三様の視線を集中的に受けて、ますますぼくはテンパってしまう。


 ああ、何か、何か言わなきゃっ。あわあわしながら頭の中で適切な言葉を探す。


「あの、えっと…その…、始業式の日の朝、桜の下にいたあなたを見て…、もう一度…会いたいって思って…。」


 しどろもどろ、自分で何言ってるか全然わからない。


「ふんふん、ヒトメボレ、ってやつね。」


 御倉先輩が相槌を入れる。


「あの…それで、…えっと…」


 えーと…その後何を言えば…。ぼくは必死に台詞を組み立てようとする。けど、真っ白になって、何も出てこない。焦れば焦るほど白くなる頭の中。


「だからいろいろ嗅ぎ回ってここにたどり着いたってワケか。ゴクローなこって。そんでこのアヤしい研究会に入部するって言いに来た…なんてこたないよな。」


「超常現象研究会はアヤしくなんかないよ。神七(かんな)先輩が作った研究会だもの。ねぇ御倉さん。」


「…うーん…どうかなぁ。…少なくともネーミングセンスはナイなぁ…。今時“超常現象”って。せめて“スピリチュアル”とか…。」


「もうッ! 御倉さん会長でしょっ?!」


 ぼくがわたわたしている間に三人で繰り広げられる会話。…研究会…入部…そうだっっっ!!!


 なにか長調的なアルペジオが聴こえた気がした。その瞬間、口を突いて出た言葉は。


「…あのッ! …入部、します!!!」


 三人ともぼくの声に驚いてビクンとする。緑川先輩と篠宮先輩がぼくをまじまじと見つめる中、御倉先輩だけがホクホク笑みを浮かべている。


「はい、じゃあ入部届に学年・クラス・名前を書いてねっ。」


 そう言って一枚のプリントをどこからともなく取り出して、ボールペンとともにぼくの目の前に突き出す。ぼくはその用紙とボールペンをおずおずと受け取り、大人しく記入する。…なんか、何だか…。


「あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったよね。」


 緑川先輩が思い出したようにそう言う。ぼくはプリントに記入する手を止めて、慌てて緑川先輩に向き直る。テンパりすぎて自分の名前も名乗ってなかったなんて…頭悪すぎる…。


「一年三組、崎谷浩央です。」


「…サキヤ…、ヒロオ、くん…」


「あっ、漢字はこうです。」


 ぼくはプリントの氏名欄にフルネームを書いてみせる。緑川先輩をはじめ、残り二人の視線も集中する。


「…ヒロオくん、って、こういう字書くんだ…。」


 何故か緑川先輩はそう言って遠い目をした。どこかはかなげで、淋しげな瞳。そして篠宮先輩の心配そうな表情、御倉先輩までもが少し気を遣ったようなしんみりした顔になっている。…え、なに? この雰囲気…。


「あの…どうかしましたか?」


 遠慮がちに尋ねてみる。と、緑川先輩はその淋しげな目のまま笑顔を作ろうとする。…無理っぽい微笑み方が、ぎこちなくて心に痛い。


「わたしの兄がね、字は違うけどヒロオって言うの。」


「えっ、そうなんですか。奇遇ですね。奇遇といえばもうひとつ、ぼくも兄がいるんですよ。」


 …と明るく返してみたものの、なんか違和感…。篠宮先輩はぼくをまた睨みつけているし…。いったい、何? なんなんだ?


 緑川先輩がぼくをすごい目で睨んでいる篠宮先輩にふわりと微笑みかける。それこそ桜の花びらが舞うかのような、繊細で柔らかな微笑み。ぼくはまたその表情に釘付けになる。


「…英人くん。いいよ。わたし、大丈夫だから。」


 篠宮先輩はふい、とぼくから視線を外して毒づく。


「…ストーカーして俺の名前ですらリサーチ済みのクセに、その情報は入手してねーのかよ。」


 …え? その情報…って? 緑川先輩の、お兄さん…のこと? そんな情報は全くなかった…。


 きょとんとしていると緑川先輩が今度はぼくにその桜のような微笑みを向ける。さっきと同じ、淋しそうな笑顔…。ぼくの心がきゅうっっっと甘く締め付けられる。


「兄はね、二年半前に事故で亡くなっちゃったから、今はもういないの。」


「…そうだったんですか…。…ごめんなさい。」


 ほんの少しの間重い沈黙が化学準備室を通り抜ける。けど、御倉先輩がその重い空気を一掃した。


「…三人とも、お茶、冷めちゃうよー。今日はアプリコットティーだから、クッキーに合うはず…。」


 極めて明るくそう言って、クッキーをかじる。


「…うん、今日もサイコー♪ やっぱ由奈穂のお菓子は美味しいよねー。」


「ありがと。…ホラ、英人くんも、崎谷くんも、どんどん食べてね。あ、そういえばわたしたちの自己紹介もしなきゃね。」


 和やかな雰囲気が戻ってきた。緑川先輩の明るい笑顔を見て、ぼくは心底ホッとする。


「てかコイツ俺らの名前なんかとっくに知ってるだろ。自己紹介なんか必要ないって。」


 その後はこんな感じで和気あいあいと(…一部そうでないところもあるけど)クッキーにアプリコットティーでたわいない話をしながら下校時刻までティータイム。これがこの超常現象研究会といういかにも怪しげな名前の同好会の基本活動だということを、ぼくは二日もしないうちに知ることになる。


 成り行き任せと勢いで入部してしまったぼくだけど…おかげで緑川先輩と毎日会えることになるし、ピアノのこともすっぽりと頭から抜けてしまって一石二鳥…ってコトに、なる…のかな?





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