表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜舞う音  作者: 桜月まき
1/9

序 前奏曲






 今年も、この季節が巡ってきた。


 窓越しに淡く煌めく薄紅のその花の色が、廊下を歩くぼくの視界を遮る。


 思わず涙が滲む。心躍るような、それでいて、悲しいような、不思議な感覚は、何年経っても変わらない。


 …変わったのは。


 ぼくは右手をぐっと握り締める。本当は左手にも力を入れたかった。けど、手にしていた一枚の葉書がくしゃくしゃになってしまわないよう、無意識に気を遣っていた。


 廊下のつきあたりのドアを開ける。予想通り、誰もいなかった。ぼくはほっと短く溜息をついて、まず窓を開ける。本当はピアノ室の窓は開けてはいけないのだが、こんな日に、どうして開けずにいられるというのだ。


 …やっぱり、綺麗だ。


 窓一面に広がる桜色。おそらく学内で一番古い、立派な桜の木だ。枝々、競うように花をつけている。ひとつひとつの花びらは、ごくごく淡い色…白に近いくらいなのに、全体でみると、どうしてこんなに上品なピンク色になるんだろう。


 しばらく窓から桜を眺めて、ぼくはピアノに近付く。


 ピアノと桜。


 ぼくの、大好きな、大切な、もの。


 この二つがあるここは、ぼくの一番落ち着ける場所。ピアノ室なんて学校にはいくらでもあるし、この部屋のピアノはそんなにいいピアノではないけれど、この部屋はぼくにとっては特別。


 …一番綺麗に、桜を観ることができるから。




『あんまり桜を見ていると、桜の魔力にとり憑かれてしまうわよ。』




 ピアノ越しに窓を眺めていると、あの声が、まるで今この場で聞こえたみたいに、ぼくの耳に入ってきた。


 目を閉じると、すぐにあの人の、消えそうな柔らかい笑顔が、浮かんでくる。


 …あの日。


 ぼくは持っていた葉書を、譜面台にあえて宛名面を上にして置いて、椅子に座る。ピアノの蓋を開けて、そっと鍵盤に手を添える。


 と、不意に風が吹き、桜の花びらが一枚、鍵盤の上にふわりと舞い降りた。


 …桜の精、みたいだな。


 そう思ってから、ぼくはくすっと静かに笑う。


 そう、あの日。


 ぼくは、本当に桜の精に、出会ったのだ。きっと本当に、…桜の魔力に、とり憑かれてしまったのだ。


 鍵盤の上の桜の花びらを、そっと譜面台の、葉書の上に乗せて、ぼくはあの曲を…あの人の為の曲を、奏で始める…。


 あの人と…桜の精と出逢った、あの日を、あの頃を、思い出しながら。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ