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DGG事件簿  作者: 紫
6/6

ジェスラル

〔ジェスライ〕101125


ルジク一族

ダイマ・ルジク 百九十八 七十八 樹氷怜悧 冷酷 白髪 銀掛かる水色(母はアイスランド人) 伊

        イタリア貴族ルジク一族頭領、ルジク美術学校理事長 父

チェレステオ  百八十二 六十一 鋭利優雅 冷静 黒髪 焦茶瞳

        インテリアブランド〔celeste/mirano〕ミラノ本社社長 息子

アラディス   百八十八 三十九 清涼美麗 ドライ 艶黒 漆黒瞳

        リーデルライゾンエリッサ警察署署長 孫


レガント一族

ガルド     百九十五 二十三 頑丈男前 激烈 ブロンド(染) エメラルド瞳 米

        リーデルライゾンエリッサ警察署警部 従兄弟

キャリライ   百七十八 三十二 冷淡鋭涼 差別的 金髪 黄緑瞳 

        リーデルライゾンエリッサ警察署警部補 従兄弟


イフーロ一族

ジェイル    百八十六 二十五 上品精悍 プライド高い 黒髪 焦茶瞳 伊

        インテリアブランド〔celeste/mirano〕NY支社展示場元スタッフ 兄

ライオ     百八十三 二十五 端正甘顔 用心深い 黒髪 焦茶瞳

        高級食器ブランド〔solluhymi〕元デザイナー 弟


ディローエ   百九十  四十三 正統優雅 硬派 銀金 青い瞳

        バッセス・バッサ陶器コレクションハウスオーナー


スレン     百九十  三十二 鋭く渋い シビア 黒髪 藍色瞳(母はアメリカ人) 西

        リーデルライゾンエリッサ警察署警部補


1.


ジェイル


 高級エステティックスパ屋敷アジェ・ラパオ・ルゾンゲ。

会員制地下秘密倶楽部。

強く灯るハザードかのように鮮やかな赤の狭い個室。床や調度全ては染みるような黒であり、黒シャンデリアが下がっている。

ハイボーイのキャビネット。サイドボード上のキャンドル。ポール。中央の石台。シャンデリア。ベンチ。全て闇色であり、一切が赤を受け入れることすらない。

台の上には、全裸の青年が寝ていた。気を失っている。そして、その横には女性が一人足を組み腰をおろしている。ルゾンゲ夫人だ。

ルゾンゲ夫人の今日は、黒アンゴラの毛糸で編まれたレースドレスだ。その堂々たるグラマラスな美しい体が透けている。口許に常の微笑を湛え豊かに微笑み、そして目許の今日のアイマスクは黒アゲハに濡れ烏色のラインストーンとダイヤモンド。

青年の腕を優しく撫で続けてい上げている。滑らかなその手指で。

青年は黒いビロードアイマスクの瞼が静かに、開かれた。白の瞼から覗いたのは黒い睫に囲まれた焦げ茶の瞳。

驚き起き上がった青年は謎のマダムを上目で見て自己をかばうように腕を曲げた。

「ここは……どこだ」

辺りを見回し、自己の姿を見て驚き長い脛をそろえ、肩越しに素晴らしく美しい女性を見る。彼女は背の中心まで金髪を充分とゆったり風を含ませていて、白の肌に赤のルージュが綺麗だ。妖艶な羽根の波打つ硬質なアイマスクの中、彼女の水色の瞳はまるで宝石化のようだ。

裸体とも言えるドレスのマダムは、完璧だ。

青年、ジェイル・イフーロは、自己の目許に今更ながら何かがはめられている事に気付いた。

ビロードに手を触れた。

「………」

取る事を躊躇い、彼はそれを外さなかった。自己の事をこの状況で知られたくなかった。それに、多くの貴婦人達や主達の前で屈辱の時間を味わい続けて来た後では。

ジェイルは刑務所から出たばかりだった。横領の罪だった。彼は出所すると解雇され、職を失い、有名美術大学を出た証明書も剥奪され、美術・芸術・デザイン関係、全ての仕事を一生つけないようにされた。自分はカジノにかまけ、負債を抱え、そして憧れの方のもとでインテリア会社に勤める事が出来たというのに、その会社から横領してカジノの負債に当てたのだ。だがカジノオーナーは自分を拘束し、宴で貴婦人達のSMのペットにし、それで脅迫し、続けて着服させ続けた。

ジェイルは全てを失い、オーナーの罠にかかり絶望していた。しかも自分はカジノに弟を誘い、そして他の高級食器のデザイン部で働く弟までをも同じ様にオーナーに負債額を騙し取られ、その会社から着服・横領し、貴族に心と身体まで買われ、そして、もろとも警察に検挙されたのだ。

オーナー、自分達、貴婦人達も。

そして、絶望の中で自分のジェット機から闇の海にと瓶だのだった。国にももう帰ることなど出来ずに、最後の場所を選ぼうと。

だが、自分はなぜかこの闇赤の空間にいた。

「ここは、あたしの経営する倶楽部アジェ・ラパオ・ルゾンゲよ」

「………。アジェ・ラパオ……。パリの外れにあるあの美しい古城の?」

ミセスルゾンゲ。全く気付かなかった。彼女は由緒正しい家元の令嬢で、今や大きく飛躍し独立している有名な女性だ。

巨大なパーティー会場になっている城であり、何度か一族で宴で利用した事があった。倶楽部? 確かに会員制だという事だが、どういうことだろうか。それに、こう言った趣向の部屋は今まで一度もあの古城では見た事すら無かった。

「いいえ。ここはアメリカの本舗よ」

ジェイルは相槌を打ち、腰衣でも、なんでも探した。

「何か召し物を」

ルゾンゲ夫人は微笑み、頷くとシルクシャツと黒トラウザーズ、革靴、黒シルクスカーフが黒いチェスト上のトレーに置かれていた。自分のものだ。

それを着始め、振り向くと四角い白に驚いた。

台の上に。その横の夫人は微笑み手を横に添え、そして万年筆を紙の上に置いた。

「それは……?」

「契約書よ」

ジェイルは革靴で進み、そこで始めてルゾンゲ夫人のすかす美体を見つめた。足の爪先まで、全ての場にいたるまで。

美しい……。ジェイルはそう囁く様に言っていた。白いワイシャツの手腕を伸ばし台に流し込もうとしていた。

だがその瞬間に、目を見開いてジェイルは頬に走った熱に彼女を見た。金髪が充分なボリュームでサラサラとする金糸のように黒石の台に揺れ、鋭くルージュの口許が真っ白の歯を覗かせ微笑し、宝石の様な水色の瞳が、緩く上目でジェイルを見据えた。

彼の手首を痛い程きつく何かが掴んでいた。

「若殿。オーナー様への手出しは無礼千万」

静かな野太い声に、ジェイルは肩越しに自己の手首を持つ黒いガッシリした手を見た。

臥体のいい男がいて、黒シルクの腰衣で仁王立ち、彼を見据えていた。

彼女は微笑み、ジェイルの肩に手を当てると唇に指を当てた。ジェイルは手首を引かれ彼女から離れ、ルゾンゲ夫人は身体を起こした。

「契約……?」

ジェイルは彼女と、そして彼女の斜め後ろに腕を組み仁王立った黒人を見た。



ライオ


 ライオは閉じ込められていた。

闇も跳ね返らない冷たく磨かれた石の空間で、膝を抱えていた。

腕に顔を埋め、手首に回される手枷も重く、そして脛に当たり降りる太い鎖も冷たく、体温を映しもしない。

揃え交差される足首にも足枷が嵌められ、床には重々しく鎖が渦巻いていた。

三ヶ月間、ずっと刑務所で刑期を過ごし、それだけでももう嫌だったというのに、目覚めれば自分はこんな場所にいた。

狂いそうになる気持ちも既に起きずに、この狭く視覚の空間にただただ、いる。

兄ジェイルは出所後、連絡を取っていない。ここがどこかも、地獄なのかも不明だ。暗黒地獄だという事はわかる。

「分かった」

声にライオは顔を上げ、その声は何処からかこの空間にシンと響いた。

首を傾げ、辺りの壁を見回す。

目を細め、天井を見上げた。そこが上かも分からない暗黒なのだが。

「………」

灰色の光が漏れ、月光なのだと思った。だが違う様だ。

いきなりの事に咄嗟に目を閉じた。顔を覆い、痛むこめかみを押さえては片方ずつ開き、光を見上げる。どうやら、屋根のように天井扉が開かれたようだ。ここは奈落か。ライオは落ち込み、光から顔を俯かせ膝を抱えた。

「怯えている。引き上げなさい」

「………」

ライオは驚き、瞬きを繰り返すとまた見上げた。立ち上がろうとしたが、自分が黒のストトラだけなので失礼に当たると思い、立ち上がれなかった。

上から鎖と鉄棒で出来た梯子が降りて来た。

するすると紳士服の若い男が降りてくると、ライオを引き立たせてから手首も持ち足許を見て、上に言った。

「若旦那様。手枷と足枷が」

「そうか。困ったな」

「あの、シニョーレルジク」

ラスオは小さくそう言い、若い男はラスオを見た。

「安心して下さい。大旦那様は今現在、イタリアからは離れていらっしゃいます」

若い男はルジク一族の連盟の男であって、若旦那様と呼ばれた紳士は、ルジク一族頭領ダイマ・ルジク氏の息子、チェレステオだった。

兄の会社の社長であり、兄弟が出たデザイン美術学校も、ダイマ・ルジク氏が創設者である学校だった。

思い出せなかった事が思い出され始めた。

自分はミラノへ帰って来たのだった。

まるで慣れた様に、若旦那様がずっしりと重いチェーンソーを投げ渡して来て、ラスオは驚き短く叫んで腰を崩れさせ、難なく受け取った連盟の男はそれを横に構えた。

「驚かせてすまないね」

「う、」

軽くさらりと若旦那様が言い、さすがにあの類稀なる白さと黒さを誇るドライでクールな子息、アラディスの父親だけあって、恐ろしいジョーク行為をかまして来ると思った。

スーツジャケットを脱いだ男はそれをラスオの腕に巻きつけさせ、チェーンソーが火花を散らした。

激しい閃光が目を閉じても透かし、肌に飛ぶ熱い熱が止むと、一気に軽くなった。先ほどよりは。枷はまだそのままだ。

次に足の鎖を鋭い耳と頭を痛くする音で断ち切らせ、片足ずつラスオは上げさせ上を見上げた。

男はラスオの肩に自分のジャケットを掛けてやり、彼は感謝して腕を通した。

「先にどうぞ。こちらは武器を抱えているので」

「確かに……どうもありがとう」

「いえ」

ラスオは上がって行く途中で、自分がどんな顔を下げてのうのうと上に上がれるだろうと思った。なぜなら、ダイマ・ルジク氏の顔に泥を塗ってしまったも同然の事だからだ。高い倍率であの憧れの大学に入学出来、そして卒業後高い倍率のブランドの会社に就けた。その子息である若旦那様にも、どんな顔もあわせられるわけも無い。兄の事もある。

肩越しに下を見下ろした。

「その武器で頭をかち割られたいんだが……」

何ともつかずに男は暗がりの中を見上げて来ていて、「いやあそれは……」と首を傾げチェーンソーを持っている。

「いいからさっさと上がって来なさい」

父親の様なビシッとした声音に、ラスオは観念して梯子を上がって行った。

外に出ると、チェレステオ以外は無人である。

どこか、絢爛なホールだった為に驚いた。

「気付かなければ、そのまま白骨か腐敗させられていただろう」

チェレステオは鋭い目許を一度傷が無いかと見回してから、上がって来た部下からマイチェーンソーを受け取り、男は梯子の鉤を外すと木の鎧戸を閉ざさせた。

「悪かったな。父は多少考え方が変わっていてね。元は君の兄に問題のカジノとやらに誘わせたのも、ゾルカ兄弟の噂を聞いた父からの差し金だろう。何かと私の会社を潰そうという魂胆なんだ。赦してもらいたい。君にこんな想いまでさせてしまって」

ラスオは言葉にならずに、首を横に振ることしか出来なかった。(※だが実際それは違った。今回の事件にはダイマ・ルジクは何も手を下していない。)

「君のお兄さんの居場所は何処に?」

「お叱り下さい。僕等は実際、犯罪を犯したんです」

「そうだな」

その瞬間叫んだラスオが遠くまで吹っ飛んで行った。動く事も出来ずに床に転がり、息もしばらく出来ずにいた。

若旦那様に殴られて六メートルも吹っ飛んだラスオの所へ男が駆けつけ、引き起こしてあげた。

「さあ。来なさい。ここを出よう」

既にくるっと踵を返し颯爽と歩いていて、その鋭い背を見ながら男は慌ててラスオを立たせた。

「命奪われないか……僕」

「若旦那様は大丈夫です」

それだけ言い、肩を持ち歩いて行かせた。

繊細なつくりで両アーチ扉の上部に格子の古く分厚い硝子の嵌る窓がつく開かれた扉から出ると、そこは美しい古城だった。ルジク一族の所有する場所だ。

原と林が眼前に広がり、古城前には赤のフェラーリが停められている。

「さあ。乗り込んで」

「はい」

いつもの様に自己で運転する為にチェレステオがハンドルを握り、助手席に男が。後部座席にラスオが収まっている。

赤のフェラーリが走り出し、窓からの古城が動き、流れていく……。

ずっと目を離さなかった。ダイマ・ルジク氏の姿が古城に確認出来ないと十分分かるまで恐怖の中に。



アラディス


 アラディスはくしゃみをし続けざまに、黒い睫の瞼を閉じ白い顔の赤い口を大きく開けぷるぷる震え真っ白な歯が綺麗に揃う中にピンク色の舌が丸見えになり、大きなくしゃみをした。

咄嗟のことに手さえ出ずにくしゃみが手に持つネーロにぶっかかり、ネーロは大きな目を閉じて耳を閉じた。

「悪かった……」

フワフワの毛を撫でながら伏せ気味の目で言い、ビアンコが庭を跳ね回っていた。

「まあまあ。大丈夫ですの?」

ここはペットの兎二匹を遊びに来させた場所で、他にも、他の場所でマダムが大センザンコウを連れていたり、巨大な猫を連れていたりした。今話す夫人は胴が一メートルもある猫を連れている。三匹も。

黄緑の芝が眩しい。

「?」

顔を向けると、アラディスは何かに気付いた。縞馬が歩いていて、白樺の木の間に見え隠れした。殺人課サリー課長が小さく見え隠れした気がした。くしゃみの鼻を鴉の様に「あー、あー、」言わせながら白い瞼を伏せ気味にさせていて、収まっていていた。

「可愛らしい」

そう夫人は笑い、ビアンコが足許に近寄ってきて抱き上げた。

「お互いに子供がいないから、こうやってこの子達を連れているとあたくし、幸せなんですのよ。昼下がりの二時間は毎日いますの」

「わかります」

「ミスターも月に二回いらっしゃるけれど、午前中はどちらへいらっしゃって?」

「ええ」

ネーロの首を真っ白の指で撫でこくこく頷きながら言った。

「朝の四時には起きて、霧の森をネーロに乗って散策を。十時までは草原で思い切り鞭払って走らせて来ました」

「………」

夫人が目を丸く唇をすぼませ瞬きし、アラディスと手に抱えられる愛らしく小振りなネーロを見た。

「そ、それは、それは、とても力持ちなネーロちゃんだこと」

「ええ。大層な暴れ好きで、俺も何度このどてっぱらを蹴散らされ吹っ飛んだ事か……」

「………」

夫人は両眉を上げ大きく目を瞬きし続け、その横をもうそろそろ野生に返すために繁殖させた黒いフンボルトウーリーモンキーが歩いて行った。

「そ、そ、それは、ミスター、ネーロちゃんからの怨みではなくて」

「いいや。ネーロは俺を背に乗せている時が一番機嫌がいいので、少しでも離れると寂しがるんです」

夫人が口をOにしては、アラディスの膝の上のネーロと、ボウッと遠くにいる歩く芝の中のヒヨコを見ているアラディスを交互に何度も見た。

「そそ、それはずっと離さずネーロちゃんを抱え上げているというものね」

「?」

アラディスは夫人を見て、パチパチと白黒人形の様に瞬きした。

「いいえ。ネーロは体重が一トンもあるので、とても重くて重くて」

「そ、」

目玉が出そうな程夫人が目を見開き、アラディスは何事かと思った。

「そんなに、そんなに、」

目許を震わせ夫人がアラディスとちっちゃくふわふわなネーロを恐れおののき見た。

「さ、さ、さすが、さすがダイマ・ルジク氏のお孫さんだけあって、お凄いのねウフフフフ」

「ありがとうございます。彼も喜ぶ事と思います」

「ウフ、ウフフフフ。でも、ビアンコちゃんはネーロちゃんよりお軽いんでございましょう?」

「どれ程だったか。確か、一トンだったかな……。九百キロだったかな」

夫人は目を見開きアラディスを見ていて、彼は「確かそれぐらいだ。九百キロだった」と、うんうん頷いた。



2.


ジェイル


 ジェイルが来た場所はこれから彼自身が生活をする部屋だった。

倶楽部との契約を結んだ為に、一度自殺した自分はルゾンゲ夫人の所有する契約者となった。

ジェット機から行方不明となったジェイルの事を、操縦者は既に彼の家族に伝えていた。

ルゾンゲは一方で、彼を部下に見させていた。闇海に飛び込んだ所を引き上げた部下が連れ帰ったのだ。

世の中には、自己の性癖に思い悩む人種も多くいれば、そして強いられた事で屈辱に命を絶つ者もいる。どちらも救いたかった。一方的に狂わされたのならば尚の事そうだ。

黒人の男が彼のしばらくの間の説明者や世話役になるという。

室内は黒にグレーバーズアイの石材で出来ていて、黒に白い斑模様のシルクがかかった黒石寝台。

隣りには円形の空間になり、掘り下げられた浴場。銀のシャワーヘッドや蛇口が光っている。逆側の円形の空間は、丸い台が中央にあり、道具が置かれていた。世話役はこれらは専用の衣裳道具だと言った。

寝台のある中央室内に戻った。ソファーは壁を掘り込んだ中に黒に黒シルクのクッションが敷き詰められ張られていた。

オットマンは悪魔の顔を脚にしたものだ。その上には、黒アイマスクが置かれていた。硬質なものだ。顔の形にフィットし、頭の後ろで留める為の織られた帯がついている。獣の様に険しい。

「お前を何らかの性癖に片寄らせたものの契約者に無理矢理することは無いから安心しろ」

黒人の男を振り返った。

「………」

彼は俯き、自己の革靴を見た。

男はアイマスクの中の目から白シャツの背を見ては、肩に手を置いた。肩越しに言う。

「忘れられないのか」

ジェイルは整う顔立ちの中、瞳だけ震わせ男を睨んだ。薄い唇をつぐんだまま。

「アイマスクは原則的には外さないように」

そう言い、離れて行った。

今でも、貴婦人の目は浮かぶ。宴の館。灯るキャンドルとシャンデリア。そして彼等の微笑。アイマスクの中の光る瞳。

美しくも、そして弄んでくる彼等の瞳の光りは、いつでも貴婦人は恍惚と揺れ、主達は上品に静かに光っていた。キャンドルの光りがアイマスクの頬に揺れると温もりある綺麗な動物のようにも見えた彼等だった。今は既に、幕が閉ざされた。

強いられたあの屈辱が、味わった事も無い陵辱が、深い至福を呼び、甘い全てへと繋がった。

だからこそ耐えられない告発だった。警官に連れてこられ、あの時間全てを知られ。

男は、やはり充分に感じ取った強要され世界にはまった感情を、先ほど絡み合った鋭い視線から感じると、口端を微笑させた。

契約者自体が決めればいい。一度身を投げた体だ。解放も、変革も、生まれ変わりも、何もかももう自由に解き放てばいい。



ライオ


 ダイマ・ルジクは、また息子が勝手に古城から不届き者を連れ去った報せを、眼帯を嵌めた使用人から受けた。

全く、あの息子は何をしてもかわして来て何も効かない。もう何十回にも及ぶ会社潰しにもそうだ。

そして帰って来た自分を何ごとも無かった様に屋敷で出迎えるのだ。最近の仕事の進みはどうだと聴いても上々ですとツンとすまして言い、何をしても聞くつもりも無い様だなといえば、ええ。もう充分に慣れているのでねとさらりと言い放つ。

「それであの小僧をそのまま連れて行かせたのか」

「チェレステオ様のフェアーリにはかないません。申しわけございません」

「まあ、いい。どうせ既に大手を振ってあの小僧も外を出歩けない身分だ。好きにさせておけばいい」

「畏まりました」

杖をつき、ダイマ・ルジクは樹氷のような目を流し反らし進んでいった。

 一方、ミラノではチェレステオが一族の場に連れ帰ろうとも、ラスオは顔を白くしていた。

「元々親族に合わせる顔はありません。友人に連絡して用立てしてもらおうと」

「だが一度帰った方がいい。社への報せでは、君のお兄さんが行方不明になったそうだ」

「兄が?」

ラスオはそこでずっと下げていた顔を上げた。

ここはチェレステオ自身が静かに過ごしたい時にあの愛する可愛らしくよく出来て愛しくて愛らしい妻にさえ内緒で持っている小さな館で、殺風景だが風景は木も多く自然が望め、冬の様に心落ち着く場所だった。

部下の男は今、木のテーブルの上でふかしたジャガイモを鍋から皿に移させていた。

「若旦那様。バジルとチーズは本日どちらになさいますか」

ベジタリアンの彼なので、主食はジャガイモに近いものがあった。多少緩く癖掛かり耳に掛け背後に流す以外の前髪を両サイドにゆったりと浮かせ流れさせている髪横の鋭い目を向けると、前髪と流す髪間に覗くこめかみに影を落とし、頷いた。

「バジルでいい」

「畏まりました」

バジルの器を開けると塩をふりかけバジルを振った。何か耳障りな音に、チェレステオは肩越しに目を伏せ気味に振り返った。

元部下の弟の青年が、ガツガツと石で革靴裏に入った石を叩き払っていて、固い革靴が発する音と、それに硬質の二つとも違う種類同士の石をぶつけ合いその三つの調和しているようで実は調和などしていない音と、そして鈍感な部下の立てるゴツゴツという鍋を叩いて底にたまるジャガイモを隅へ寄せている音が、チェレステオをイラッとさせた。

絶対音感があるので、様々な音質の時に発する周波数の耳に届けるその空間の振動には絶えがたい時がある。そんなジャガイモとラスオに苛められながらチェレステオは首を振り窓際の椅子に座った。

「落ち着いて聞いてもらいたいんだが、実は、ジェット機で飛行中の事だったようだ」

ラスオは取れない石から顔を上げ、チェレステオの横顔の鋭い目を見た。

カツカツ音を言わせながら歩いてきていて、そして前まで来た。

「あの、それはまさか」

「夜だったようだ」

「そんな」

慌てて鍋を置いた男は御曹司の後ろに椅子を置き、力を失ったラスオが座り込んだ。

「だが、まだ発見されてはいない。もしかしたらどこかに流れ着いている可能性が高いと思う」

ラスオは何度も頷き、冷たい顔に手を当てた。

「まだ希望は捨てない方が良い」

「はい」

努めて顔を上げ、頷いた。



アラディス


 芝生の白い石ベンチ上。

アラディスは、ついには不気味になってしまった青年を見た。

芝は段差がついており、犬だったり猛獣系などのペットとの芝が分けられ、上の方に草食動物の憩いの場所があり、そこからアラディスが下の芝生を見下ろし発見したのだ。

青年は若々しく、金髪の髪を柔らかく光らせては、真っ白のシャツを太陽に光らせ芝生に転がり、銀色の楕円を帯びた何か、ラジカセだ。それを子犬のように地面に置き抱え右端の方を顔に見えるのか自己に向け呼びかけていた。

「犬。可愛いな、犬」

アラディスは目を丸く角の丸いラジカセ端を両手で抱え見ている部下のガルド警部に目を震わせ見入っては、銀色のラジカセに頬釣りまでしている彼に、イケナイものを見てしまい、いたたまれず視線をサッと反らした。

少し前からやばいものになって来ていると思っていたが、まさかああまでなるとは……。

その遠くから、キャンキャンと白と黒のパピヨンドッグが駆けて来ては、ガルド警部の広い背に細い四つ脚で乗って尻尾をフルフル振って駆け回った。

尚もガルドはラジカセの丸い端に話し掛けている。犬は主人の項に鼻先を押し付け可愛い声で唸っていて、ガルドは「ハ!!」と言って振り返り自己の犬を見て犬に言った。

「ラジカセちゃん!」

ラジカセを白黒の犬に紹介し始めた。

「これはお前の兄弟だぞ」

そう犬と同じサイズのラジカセを抱え撫でながらそう言っている。

アラディスはプライベート時の部下が恥かしくて泣けて来て、放っておき、ただただ存在を知られない為に背を向けた。

夫人はお菓子を抓んでいて狂った青年に気付いていない。

ふと彼女が何か存在感のある青年に気付き、そちらを見た。彼女の三匹の胴の長い猫は胴の上に胴を乗せてはごろごろしている。

あの元悪漢、スラム地区のホワイトスネーク団リーダーだった青年が、愛らしく舌を出している白黒のパピヨンドックに銀色の何か、ラジカセだ。それを見せ大喜びの犬のボディーにグリグリやり始めた。

「み、ミスター!」

背を向けるアラディスの腕をグラグラ揺らし夫人は口を丸くガルドを示していて、ラジカセに噛み付く犬を見て青年が叫びだした。

「ラジカセちゃん! 何すんだよ! これは犬ちゃんだぞ。お前の兄弟だぞ」

「キャンキャンキャン!」

「み、ミスター!」

ぐんぐん引っ張って来て、アラディスはずっとビアンコとネーロが駆け回る愛らしい姿を見ながら現実逃避をしていた。

最終的にガルドの耳に嵌められたヘッドホンのコードが犬に外され恐ろしい音を発してラウドロッカーの毒声が唸った。


 chaos gone the hell born 地獄が生まれ行く深淵

nigth watch go death zone 夜警の墓場

fuck'n soul to muddle 混乱模様の糞ッ垂れ魂


ドバシッ

「アウチ!!」

「憩いの場でどんな選曲だ、」

そんな曲聴きながらラジカセ相手に何やってたんだこいつは、と、泣きそうだった。

「あんで白黒の悪魔が俺の憩いの場にいんだよ! 俺と犬ちゃんとラジカセちゃんの時間邪魔すんじゃねえよ!」

「う、恥かしい、」

アラディスはうな垂れ、ただのラジカセを抱える主人の周りを犬がキャンキャン鳴きながら駆け回っていた。

犬は大喜びで芝を駆け回っていた。三歳以下の子供達はおかしなお兄さんを見て手をぱちぱち叩いて面白がっていた。

「大盛況だ! 犬ちゃん! 俺等大人気だ」

「手を叩いて笑われているだけだ……」

だがガルドは聞いてなどいなかった。両腕に犬とラジカセを抱えじゃれあっていた。

大人達はもう誰もが何ともつかずに哀れそうにガルド警部を見ては、こめかみに汗を流し何も言葉にもならずに見ていた。仲間が検挙されたからって、まさかラジカセがお友達に見え始めたなんて……と。

アラディスはうめいて口を抑え見下ろし、もしも本気で見つける事も無かったら、他の場所でもプライベートはマズいことを日常茶飯事にしているという事で、恐ろしくなった。

仕舞いには、イヤホンのコードに包まって気絶した。犬はキャンキャンとラジカセを胴で転がし始めて遊んでいた。



3.


ジェイル


 「ギャ!」

いきなりの事に驚いたジェイルは、黒石の床に映る自分を目を歪ませ見た。

「貴族のボンボン様が、此処にいらしゃる」

「………」

彼は肩越しに見た。その女の艶髪が彼の背に触れてシルクの様に撫で、青み掛かるストレートロングの女で、黒の睫が微笑した。

「人を足蹴にするな……」

女は長身で、弾力あるだろう肌は陽に焼けていた。南アメリカ系らしいが不明だ。足裏と膝を人の背に掛けてしゃがみ、金縁の黒ビロードのビキニと、腰から前に群青シルク縁の長い白布を垂らしている。その為に、踊り子に見えた。上腕と首、頭に、金のすだれがついた物を嵌めている。それらが同じ方向に揺れていた。

黒のモリオンを被り、黒の馬毛が映えそろい、その下の青い目がやはり水の夜の様に豊かに笑い綺麗だ。

実際、運動は得意ではないので女を退ける力が無かった。重い。脚首には女は鉄を嵌めている。

ここは契約者しか入れない一番の地下層の為に、会員がいる筈も無い世界だった。

「何故俺の事を……」

「だって……この前、空港から送検されんの見たから」

女は本職がキャビンアテンダントで、彼等貴族御曹司達二十名が警官に囲われ護送されて来ては、空港の小型機へ進んでいった姿を空港内の硝子窓からキャリーバックを引きながらも見ていたからだ。この倶楽部内での噂では、ゾルカ兄弟がどうやら地下で悪事を働いていたようで、サディストマスター様アラディスの可愛い部下、グリがトアルノッテを取締りをしていたからだ。その時もグリがボンボン様達の背をどつき歩かせていて、マゾ役にされていた可愛い貴公子達を鋭いいつもの目で冷たく見ては小型機に入らせていき、警官達はキャップ影から辺りを見回して、グリがあの時刑事としての面を貼り付けていなかったら、あの彼等の背を鎖で叩き払いつけ、そのサディストマスターの調教を存分に現していた事だろうと、女はくすりと心中微笑み、他アテンダント達と共に颯爽とローヒールで歩きさって行った。

ジェイルは女が脚を外した事で肘を着き、女は飛んでいったアイマスクの下のその精悍で整った気品ある顔つきを微笑み見下ろした。男はラテン系で、淀みない英語の中にも特有の高揚感がある。この街の貴族では無いようで、キャビンアテンダントをする女だから他州の鷹揚ある早口の英語も通じた。

「噂になってたよ? あんた等、あのゾルカ兄弟にペットにされてたんだって? 何であたしにも声掛けなかったのよお。魅力的じゃない。自分等だけで楽しんじゃって、嫉妬しちゃう」

フイッとジェイルは顔を反らした。

「何をやっている」

女は意地悪そうに微笑み肩越しに見て、また立ち上がろうとした彼の背を足蹴にした。

ジェイルの世話役が来て、女の横に来た。

「彼で遊びたいのよラズー」

ラズーと呼ばれた世話役を見て、ジェイルは、まだ男を信用していない為に視線を黒石の床に戻した。自分が白く移っては黒石ゴシックの空間も映っている。かまぼこ型の天井はその縁と中核に花を模した彫刻が続き映っては、三メートル感覚で黒石の花と実を連ねたシャンデリアが掛かっている。それらが映っていた。

壁には、黒石の場所、装飾枠つきで格子になっては交差した部分に青い石が嵌った場所、台の上に燭台、綺麗な硝子の瓶、同じ間隔で壁鏡……。

「彼はまだ何も知らない。駄目だ」

「本当? そうは思えないなあ」

何かしてくれるのだろうか……甘い期待が、ジェイルの中に巡った。女の言葉で背の強張っていた筋肉が緩み、女がその事で微笑し貴公子の頭を見た。床に映る目許は、瞳が光っている。とっても可愛らしい男だ。女はそう鋭く悦としては、視線だけでラズーを見た。ラズーは彼女の目の中の艶だけに留まらない奥底まで浸蝕する恍惚を見ては、冷静なままの視線が蛇のように絡まった瞬間、ラズーは口端を静かに上げさせた。

「ねえ、遊ぶ……?」

女は腰から背を倒し、横目で見て来る横顔の耳元に囁いた。髪から覗く横目が女の視線と絡み、同じ原料を燃やした炎の様に二人の瞳に光が差しては、再びジェイルの中に駆け巡った。あの館での、一度は消えてしまった悦びの時間が。

ジェイルは小さく、だがしっかりと頷き、視線を落とし瞼を閉じた。



ライオ


 ローザがルジク屋敷へ帰って来ると、首を傾げながら帽子を頭から取った。

また夫が何かを仕出かしているのだろうか。黒いコードが床に這っていて、それは木の鎧戸の中へ消えて行っている。彼はよくお義父様に隠れては堂々と何かをしている事を見かける。例えば勝手にブロック石が一部消えていて鋼鉄盤で周りを固め勝手にその部分がソファースペースになってはそこで勝手にいつの間にかワイワマナーを飼っていたり、時々ローザが首を傾げて振り返ると、その犬とソファーでともに寝ていたりする事はいつもの事で、一番初めこの屋敷に輿入れした十五歳の時に驚いたのは、ドリルの音が響き渡り、何ごとかと思って他の場所の鎧戸を開けると、彼が石のブロック床を砕いていて、そこに彼だけの秘密の酒庫を作っていた。いずれもダイマ・ルジクのいない日で、彼が気付いたためしは無いようだった。

流石に半年後にアラディスが生まれたばかりの頃は、アラディスを驚かせて泣くとすぐに知られてしまうのでしばらくは無かったのだが。

時々ダイマ・ルジクを怒らせる人間というものはいて、ローザでさえも三度ほど罰で拘束された使用人を見ていて、驚いて夫に連絡をすると、まるで自分の所有するものなのか、いきなりチェーンソーを取り出し鍵の無い鎖を切断して解放してやっていた。稀に、何もまだ分からない一歳児だったアラディスが罰を与えられ片手首を繋がれ立ち尽くしている使用人を見つけると、キャッキャ笑って長い脚を叩いたり、クッションを投げつけ的にして喜んだりしていた。多少、将来的にサディスティックな面が出てこられても困ったために見つけるとすぐに抱き上げては、夫もいない日は困りきってその使用人とずっと話してあげたりしていた。気の毒だがその場を動けない人物に飲み物を出してあげる事は出来なかった。

アラディスはおもちゃを赦されていなかったので、自然と道具を玩具にしていた。父親の書斎にいつの間にかハイハイで入って行ったと思えば、懐中時計を振り回していてそれを止めようとする使用人にバシバシぶつけ脛に当たって痛がっていると大喜びしてぶつけたり、チェーンで抱き上げて来た使用人の両手指をいつの間にかぎゅうぎゅうにして、使用人は目を口を大きくさせていたりした。

なので、実際はローザがそれらを見つける毎に止めてあげていると、徐々にそれらをしなくなって来ていて安心していた。

あの子は今はアメリカにいて、ローザは寂しかった。愛する夫がいてくれるから大丈夫なのだが、元気でやっているかが心配だった。

鎧戸に耳を当てる。

音がする。

開けて見た。

彼は冷静な質だがやはりやる事がいつでも唐突だったり、予測できなかったり、行動力で出来上がっていたり、頭の働きが違うのだろうと思うのだが、そのベストの背を見た。

性格も冷静でいつでも正統派の装いが好きで、素敵な彼自身にもとてもよく似合うベストの背も、やはりいつでもミラノ男らしい遊びが見受けられる。ラフなアイテムを服に取り入れることは一切しないのだが、全体的な洗練される仕立てと品のある裏柄生地の遊びと共に、どこかしらの装飾などに洒落た物があって、いつでもお洒落を楽しんでいる。

他の男達の様にジーンズははかないし、柄のシャツも合わせないし、カジュアルなサングラスやフェドーラも被らない派だが、実際スタイリッシュな体つきなので、スッキリした正統派の中の遊びアイテムがよく似合う。

ローザに気付いて鋭い横目で見ると、スタイリッシュな革靴を掛けていた黒に銀線と消し炭ストライプの入る脚を外し、背を伸ばして身を返した。いつ見てもローザが頬を薔薇色に染める程の精悍な顔つきだ。

白に黒月シルエットロゴの柄物のポケットチーフ下にチタンメダリオンピンがつき、群青に黒牡丹柄ネクタイのサファイアタイピンと繋がっていて、いつもは閉じられたジャケットで見え無い。

「どうした」

「………」

ローザは、あなたこそどうしたのとなんともつかない顔で「ええ……」と言い、聞き返した。

「お義父様は部下の方をお許しになって?」

「いいや。連れては来たんだが」

ローザが気付いて横を見ると、始めて連盟の人間と青年に気付いた。

「まあ、いらっしゃい」

「ごきげんようローザ夫人」

「こんにちは」

いつ見てもお美しい。ローザ夫人に彼等は頬を染め微笑み、チェレステオは本当は二人をこのまま足をコードで窓から吊るしたい程心中嫉妬しているのだが、放っておいた。

「父は三日後の帰国だ。だが、どうせあの眼帯が報せただろう」

「そう」

ローザははにかみ、青年を見ると微笑んで優しく腕を撫でてあげた。きっと夫に殴られたのだろう、頬が真っ黒に腫れ上がっている。

「あなたはこれからは大丈夫なの?」

彼女からも優しくされると心苦しかった。

「もう二度と間違いは犯しません。申しわけありませんでした」

「そうね。あなた、まだ若いわ。やり直せる路を選んで」

そうローザが言った。

「そうじゃなければ、父がまた君を罰さなければならなくなるからな」

「はい……」

ダイマ・ルジクももうそうは若くは無い。チェレステオとしても、あまり彼に無理はさせたくは無かった。だが実際、父の性格が厳しくあたる事で原動力になっていることも分かっていた。邪悪な何某かを彼からは幼少の頃から感じ取っていた。不可解で、底の無い闇のようで、決して淀んでこそはいない何かの魔的要素を。

あの闇の美術館での宴の先に、いつでも仲間内で何かが始まっていたときの様な、あの妖しい黒の光りを。父の本性は不明だが、時に息子としても恐ろしいものを感じる。

「息子の様子はどうだったの? あなた、彼には会った?」

いつでも少しでもアラディスに関った者には様子を聞いてくる。

「いいえ。直接はお会いしなかったので……」

「そうよね。……ごめんなさい」

気まずい事を言ってしまったとローザは反省し、チェレステオが工具を置くと横に来た。

「会社の者が元気そうだったと言っていた」

「良かったわ」

ローザが微笑み、頷いた。

兄も学校時代の自分も良くしてもらっていたのに、本当に迷惑を掛けてしまったと、ラスオは俯いた。

「それで……、一体何を?」

「ちょっとした仕掛けをな」

台の上のそれらは、なにやら鎖を壁に繋ぐための鉤輪台だった。それらはどれもあらゆるこの屋敷中の各所に見受けられる鉄獅子顔装飾であって、ドアノブ、シャンデリア掛け、家具脚、引き出しノブなどにも随所使われている。

ルジク屋敷は極めて簡素で殺伐とし、殺風景ともとれる構造だ。外観も内部も灰色の切り出し石が積み上げられ、鎧戸の扉があり、寒寒としている。リビング、チェレステオ夫婦の寝室と居間は石壁で無く壁紙が張られ、絨毯が敷き詰められ、天井も石膏材や木目象嵌で覆われ、色彩や家具調度にも温かみがあるのだが、それ以外の、客室やアラディスの元々いた部屋や、ダイマ・ルジクの部屋でさえも冷たい印象しかなく、実際は本当に寒い、石造りと黒い鉄装飾のみの屋敷だった。

この用具部屋から見える通路向こうは、ワインの貯蔵庫になっている地下への広い階段口がアーチを描き見え、鉄フェンスは突端の尖った格子と、引きノブが獅子のくわえる鉄輪だ。

この室内の天井に掛けられる輪状のシャンデリアも、溶けた蝋燭が今は炎も無く白くこずんでいて、それを吊るす天井のトレーサリーの中心に獅子顔がある。口から鎖が出ていて、それでドア横のレバーを回してシャンデリアを下ろし、屋敷中の蝋燭に灯を灯していくのだ。この個室はあまり使わないので蝋燭はわりと古いのだが。

なにやら、ライオンの牙が抜けているのだ。猫のようで可愛かった。

なる程。牙を全てネジ式にしたのだ。輪をくわえているその牙ネジを外せば、鎖を拘束する鉄輪が外れる。これはお義父様も気付かないだろう。鉄獅子は鉄用ドリルでネジ穴を開けられ鉄輪をかまされ、ネジを組み込まれた牙をはめ込まれた。

「これで良いだろう。あとは壁に戻すのみだ」

あの可愛い息子が何故車に乗って事故を起こさせ、行方不明になり犯罪を犯したのかは自分には分かってはあげられなかった。それでも、どんな方法だろうが、あの子から、勘当という形になろうがルジクの名を外してあげることしか、あの時の自分には出来無かった。ダイマ・ルジクを避けるあの子が、自由にやりたいようにする事を遠くから見ているしか無い。



アラディス


 「………」

アラディスはソレを見て、目を丸く口を開き、立ち止まった。

ガタガタガタガタと三時のエリッサ通り上、いる。奴がいた。

銀のラジカセ右端に首輪を締め、鎖に繋ぎ地面をゴトガタガタ引きずって歩いているのだ。それは縦横無尽に地面上跳ね返り引きづられていて、当人、ガルド警部は鎖を手にただただ何ごとか喋りながら引き歩いていて、太陽の陽は道にも彼にも、白く差し込んでいる。

本物の犬の方はキャンキャン言いながら尻尾を振り着いて来ていて、白と黒の毛を艶めかせ跳ねるように駆けている。

アラディスはビアンコとネーロが入ったダイヤモンド型の黒カーボンボックスを銀取手から下げ、鉄格子のトップの蓋部から二匹が見える。

ラジカセは悲惨な程の様態で引きずられていて、通り掛かった者達は誰もが正気かとガタガタ引きずられていくラジカセを見ながら、身を避けさせ見送った。アラディスはアレの目に入らないように、ただただ動けず立ち止まっていた。

ガルドは四角カーボンで一面中央に鉄格子窓着きの何かを片手に下げ持っていた。

「………。?!」

その中には、全く同じ銀の丸みを帯びた楕円のラジカセが、右端に首輪を締められそちらを前に向けさせ布地の上に置かれていて、それの入ったボックスを下げ歩いてた。

「キャリライ」

ガルドは籠を下げそう呼びかけ、立ち止まった。アラディスは衝撃を受け、あの籠の中のラジカセがガルドにはキャリライ・レガントに見えている事実に、息が吸えなくなった。

ガルドは振り返りズタボロに傷塗れになって底を上に斜めに転がっているラジカセを見た。

「腹減ったから店入るぞキャリライ」

「!!」

ガルドは向き直りガタガタ引きずっていき、犬は駆け回っていた。

鎖を引き上げ長い脚横に揺らしながら店へ歩いて行くので、アラディスは夫人に兎のボックスを預け、店内の人間があのキャリライ(繋がれたラジカセ)をブラックジャック代わりに強盗犯が振り回してガラス製で出来た壁だ、テーブルだ、食器だを叩き割って来ようとしているのだと勘違いして叫びだす前に、とにかく早く歩いていった。

「いらっしゃいま……」

リーン

クリスタルドアベルが鳴り店員が振り返り、目を見開き見た。

「三匹に肉。俺肉サンド」

「………」

店員は戦慄き驚き、口許を震わせて不気味な言動に動けずにいた。

「おい犬。出て来い」

そう言いボックスの中からラジカセを抱え上げ、犬は主人の座ったテーブル周りを駆け回り、引きずられていた方の鎖に繋がれるラジカセはすでに出隅に引っ掛かって鎖はぴんと引き、それでも気づいていなかった。

バシッ

「アウチ!」

ガルドはアラディスを見て涙目で睨んだ。

「小僧。病院に行くか?」

そう透明樹脂の椅子に座り、優しくそう言った。

「何がだよ!」

「ハーブティーを」

「かしこまりました」

店員は去っていった。

「お前、まさか日常がこうなんじゃ無いだろうな」

そう、鎖を持ち上げ顔横にラジカセを吊り上げた。

「何すんだよ!! 俺のキャリちゃんだぞ!! 愛護協会に訴えてやる!!」

アラディスは驚いて頭が本気でイカレてしまったガルド警部を見て、携帯で連絡をした。

まもなく硝子壁向こうの明るい昼下がりに、パトカーが到着し、スキンのチャーリー巡査がガルドを引っつかみ、他警官がラジカセを首を傾げこめかみに汗を掻き見ては、持って行った。ガルドはギャーギャー叫び、連れて行かれた。

アラディスは透明カップのハーブティーに口をつけ、夫人がただただ道上でポカンとたちすくみ去っていくパトカーを見ていた。

犬は自分で勝手に走っては、預かり主のいるバートスク地区ペットショップへキャンキャンと帰って行った。



4.


 ジェイル


 自己嫌悪に陥り、ずっと白い動物の様に寝台の上、手足を放り出し目を閉じていた。

泣き暮れて既にもう涙も枯れた。

ルゾンゲは優しく髪を撫で続けてあげていて、弾力のある膝上の頭を撫でている。

涼しげだった瞳も甘く濡れ、既に彼からは自信など、消えてしまっている。

自己を虐げる貴婦人の真っ白の膝や金の嵌る手指、ガーネットの輝く豊満な胸部先から見える、自己をいつでも冷静に見据えて来る、闇の中の旦那様の、愛しいその名を……。

黒アイマスクの中、いつでも青の瞳が鋭く光り、アームチェアにその細く黒い紳士服の肘を掛け、長い脚を品良く組んでは、感情の皆無な唇は薄紅色であり、いつでもアームのカーブに添えられる方の鋭い手には、白のグローブが嵌められていた。

いつでも、一瞬だけ艶めく青の瞳は、整えられるシルバーゴールドの髪のシャープな横顔に反らされ瞼が閉ざされ、そして開かれ顔をこちらに向けると覗いた艶だった。

貴婦人の悦として柔らかく微笑するルージュの唇先、その巻かれた金髪先、ホクロ先、いつでもジェイルは鉄仮面の中、熱く彼だけを見つめて来た。何をされようとも。

だがそんな心など、絶対に認めたくもなく、悟られたくもなく、貴婦人との戯れの内に何度も消え去らせた事だった。貴婦人の宴での呼び名以外呼ぶ事など無かった。そう努めていた。

だが救いだったのは、アイマスクの彼等が一体何者なのかを、知らない事だった。この街の貴族を知らないからだ。

名を呼んでしまうことも無い。そして呼ぶ事でその後、感情に苦しめられる事も、恋に患いNYでの仕事を阻害される事もなく、いつしか水曜日の休日は、旦那様の視線を見つめるためにリーデルライズンまでジェットを飛ばす日々が続いた。

いつでも、展示場の雅なる石材と絹の家具達の空間に、旦那様の影が微笑み揺れていた。微笑など一度も見たことなど無くても、いくらでも浮かんだ。心に描きつづけた。

素晴らしい意匠の家具に座り、いつでも大輪の薔薇を撒き、上品に微笑んでくる鋭い横顔の彼だった。

展示場にいても、ジェットで向かっても、自室の家具の中にいても、幸せだった。社の家具の雰囲気と、旦那様の雰囲気はどこまでも合った。洗練された漆黒。夜のような群青。雪のような純白。悪魔的美徳を感じる装飾。美麗で雅な花。堂々たる風雅。それらの社のイメージが、冷静沈着で静けさのある旦那様には。

その家具に囲まれている事が彼の幸福だった。ずっと憧れつづけていた会社だった。

ジェットから飛び降りたというのに……。

旦那様の存在も、社員の誇りも、社の家具への愛情も、もう取り戻せなくなってしまった。家族や弟との信頼も。

叫んでしまった瞬間、その時が完全に崩れてしまった時だったのだ。ジェットから飛び降り人生を放棄して目を反らし逃げた時じゃ無い。

自分が、認めてしまったその時にこそ……。似ていた。鉄格子の中、アイマスクを外した旦那様は触れることなど赦されないままに。

認めてしまい、本当の苦しいを身に分からせてしまったのだ。叫ぶほどに彼を求め、だが既に、本気だったと気付いた時には一生、失ってしまった現実が残るだけ。

悲しくて泣き、ずっと涙ももう無いまま肩を揺らしていた。

ルゾンゲは背を曲げこめかみにキスを寄せ、ジェイルはその彼女の温かい手を引き寄せ背を丸めた。

ルゾンゲは、いずれアラディスに連絡する事にした。旦那様であるミスターディローエに声を掛けてもらいたいからだ。正式に彼を買ってあげ、彼のオーナーになってあげるという事を。

ルゾンゲは社交には滅多に出ない硬派のディローエとは親しくは無い。顔をしる程度である。職は、バッセス・バッサで陶器を取り扱うコレクションハウスのオーナーで、今回ともに逮捕されたというミセスソルヒミともその関係では友人ちう話は昔から知っているが、ミセスソルヒミやディローエ夫人とは違い、彼は本当に遊びをしない性格だった。きっと、妻がミセスソルヒミから誘いを受け、夫に頼み込んで宴にともに加わる様になったのだろう。



 ラスオ


ラスオは顔にくしゃみを喰らい、目を閉じた。

「実に、申し訳無い」

「いえ、」

チェレステオは横の連盟の部下に工具をあずけ、口許を覆った。

鉄獅子の重い鎖留めを渡そうとしていたラスオは、チェレステオが先ほどまで舐めていた恐ろしい程甘いチョコレートの様に甘くなった顔で目を開き、薔薇の香りになっていた。薔薇を砂糖でつけた物をチョコレートコーティングされたものだったからだ。

「顔を洗ってきなさい……」

口を手の甲で拭いながらチェレステオは言い、ラスオはチェレステオに鉄獅子を渡し、「わかりました」と言いとぼとぼと歩いて行った。

チェレステオは部下に鎖留めを固定させたまま、工具で嵌め込みはじめた。

全部で屋敷中に四箇所ある。

誰か噂でもしていたのか、くしゃみは珍しい事だった。

まあ、きっと自分を首にしてきたNY支社の部下があの社長の畜生めとでも思っていたのだろう。実際は真逆だったのだが。

固定が完了すると確認を充分とし、頷いた。

「次に移るぞ」

「はい。若旦那様」

愛らしい妻は慌ててラスオに着いていき水場へ紹介しに行ったので、時々その方向を気にしながら次に移った。顔を洗うぐらいで七分も帰って来ない為に、まさかあの小僧、愛する麗しの妻にあまりの可愛さに何かしているんじゃないだろうなと、徐々にやきもきし始めていた。

ラスオが普通に帰って来ると、安心して工具のスイッチを入れる。

場所を移動しながら全て設置し終えると、誰もが一息を着きチェレステオは工具を片付けた。

サロンルームへ向かい、ソファーに座る。

「これは素晴らしい絵画ですね」

暖炉の上に飾られた絵画を見てラスオが満面の笑顔になった。

「ああ、息子の……。ゴホン」

チェレステオが言葉を切り、ローザが微笑んで変わりに言った。チェレステオはアラディスを勘当しているので、あまり彼の口からは名が出ることは無かった。

「アラディスが十一歳の時に描いた物なの」

それは林をサイドにする草原上の馬達を描いた風景がだった。大きな絵で、マントルピースの幅ほどある。空の色は白水色から下に向かい緑かかり、林は黄緑から奥へは深緑に。草原の草一筋一筋までも艶が走って緩い風を表し、のどかな中を黒馬やアラブ種、灰色斑の白馬などが草を食べたりしている。繊細で、極自然的で、そして風や空気感、香りまで想起させる。

「本当ですか?! 十一の若さで!」

警官にしておくにはもったいないセンスがあるので、今に戻って来るだろうとは思うのだが。

ローザが彼等にコーヒーを出し、彼等は傾けた。

「失礼する」

「ゴホゴホゴホッ」

ダイマ・ルジクがサロンの扉を開け、ザッとラスオが立ち上がり唇を震わせた。

チェレステオは口許をハンカチで拭い、肩越しに父を見ると、恐ろしい程怜悧な目で見下ろして来ている。

ダイマ・ルジクは間口から進み、ラスオは脚の力を失いソファーに崩れ座り全身が硬直し、ローザはその肩腰に腕を回してあげた。

「お帰りなさいませ。お義父様」

「ローザ。お前は毎回、ルジクに関係しているものを犯罪者すらもかばうとは」

「父さん。彼を解放したのは私の判断」

チェレステオに杖がとび、ローザが叫びチェレステオはこめかみに受けてかた目を開けた。随分慣れてはいるが、何も痛くないわけも無い。

「この小僧は今現在、我が校で清く学んでいる芸術に生きる若者達の心さえ汚した青年だ」

「確かにご尤もですわ。ですが、お義父様、彼は既に三ヶ月の刑期を真っ当しています」

「刑期が何だね。まずは過ちを犯した先の私にも挨拶にも来る事無く逃げようとは、何の反省も見られない事だ」

「申しわけございません……」

ラスオは顔も上げられずに震えていて、ローザはチェレステオの腕を撫でていたその手を、チェレステオが下げさせて彼女に頷いた。彼女も頷き、室内を後にする事にした。一度、気遣わしげに見て来てから、首を小さくしゃくり、彼女はごく小さくはにかみ、扉を静かに閉めた。

ダイマ・ルジクはいつもの彼の一人掛けに腰を下ろし、横目でラスオを見た。口許は閉ざされたままだ。

鋭い目が冷たく見て来ていて、ラスオは膝の上の丸める手だけを見続ける事しか出来なかった。喉も干上がっている。

チェレステオは一度息をつくと、顎に当てていた手を離しダイマ・ルジクに顔を向けた。

「こうしては如何でしょうか」

「言ってみなさい」

「ソルヒミ氏は現在、子息がその場で収めさせた横領事件を知り得ません」

「お前が私に隠し通せなかった事とは随分と違ってな」

「ええそうですね。彼が今まで横領してきた全額分を、血も滲むような労働でその重みを分からせ、その全額を完全返済させる事で、ソルヒミ氏の現在行なう森林育成事業への足しに」

「血も滲むような」

「血も滲むような」

ラスオが気絶しそうになり、連盟の男が慌てて脇を引き上げた。

「お前の兄はどこかの浜で発見されたのか」

「……いいえ。その報せは」

「ソルヒミのジュニアがカジノをしていた兄弟のみで、お前の一族に損害賠償を求めなかった理由も不明だ。刑期と解雇だけで赦したとは。お前は自己の兄を探しながらその労働とやらをして誠意を示しなさい。もしもお前の逃げた兄が見つからない場合は、一生を使ってでも無償で働かせる。分かったな」

ラスオは瞬きを続けるだけで首を振るわせつづけていて、ダイマ・ルジクは暖炉の上の絵を見ながら鋭い顎鬚を撫で待った。

チェレステオは目で合図を送り、即刻賛成の返事をしろと送るが、相手は妻ローザで無いのでツーカーが通じず一切先ほどからラスオは首を傾げながら激しく瞬きし続けていた。

「ゴホン」

目を伏せ気味にダイマ・ルジクがチェレステオを流し見た。

チェレステオは片眉を上げ肩をおどけさせ、ラスオは唇を震わせ言った。

「はい、心を入れ替えて……」

「私が仕事の都合はするので、見張りの者も監督官に報せておきます」

即刻チェレステオがそう言い、続けた。

「道具や工具も使ってもらう。体力も着くだろう。仕事のリストは今日中に完成させるので」

そう言うと、部下が用意したコーヒーを傾けるダイマ・ルジクは何も言わずにいてカップを離し置いた。

ダイマ・ルジク自身は三ヶ月前にソルヒミ氏本人にお詫びの挨拶に向かっていたので、実はあの息子が隠しつづけていられているわけも無かった。筋は通さなければ、いつまでもジュニア同士の子供の世界で赦されるわけも無い。金問題や面子や信頼は崩れれば取り返しはつかない。きっちりさせる事が大切だ。俯きつづける青年の横顔を見ては、顔を前に戻した。

今回の事で卒業生達の受け入れがどうなるかは不明だ。今回ばかりはダイマ・ルジクが下した事では無いので、実際にNY支社で働くイフーロにカジノへ行かせる事を勝手に促し、名誉に溺れた使用人は既に見られない有様になっていた。



 アラディス


 気絶から目覚めると、うんっざりしてガルドを見た。

何故目覚めたのかは、携帯電話の着信音からだった。

ガルドはきっと脅すか何かを警官にしたか、それかレディージェーンに解放されたのだろう。檻から出ていた。

勝手にガルドは人のフェラーリを運転していて、自分は後部座席で目覚めた。夫人と別れ、屋敷に兎を戻して来て、これからまた出ようとして走らせた所だったのだ。エリッサ通りまで出て来て、あのガルドが声をかけて来て、窓枠に肘を掛けて来たと思ったら項を打ってきてそこから気を失った。

既に夜になっていて、ガルドの姿が様々な電飾で夜の車内の中、浮きあがっていた。

煙草のスモークが流れ景色を白の流線で装飾し、無表情の横顔がアシュトレーに灰を落としエメラルドがゆっくり光る。琥珀に染まる肌が、再び前を向きハンドルに手を戻した。

しばらく、見ていたが身体を起こし携帯電話を見た。ミセスルゾンゲだ。今は出ないほうが良い。

ガルドは目覚めているアラディスに気付き、肩越しに見てから視線を戻し進めさせた。

昼下がりにラジカセがどうのと馬鹿を言って来た奴にも思えないのだが。

だが、実は助手席にそのラジカセ二つが揃い前を向き坐っている事を、アラディスは見えずに知らなかった。

ガルドは黙っていれば、今もこうやって渋い。だが、大体はまた取りとめも無い事ばかり考え至っているのだが。七割方は。

「どこへ誘拐するつもりだ」

長いシートに片脚だけ伸ばし、膝を抱えアラディスは小さな窓から夜景を見ていた。

白い肌は何も反射などしない白だが、漆黒の瞳は全ての色を映すかのように光っている。それをバックミラーで見ては、ガルドは言った。

「夢の故郷イタリア」

「やめろ」

「あんで」

「………」

アラディスはリア硝子から闇を見つめ、白のスポットライトがフェラーリ後を進み迫って来続ける。まるでここへ来る様に。赤のテールランプが広がり。いつか、スポットライトが近づき……そう思うと、目を閉ざす。

何も言わずに、ガルドも一度視線を渡すと戻した。

「あんた、家族イタリアにいんのか?」

「……ああ」

「あの屋敷リーシェン・リシュールの家族来るのか?」

「ああ」

「あんた何人」

「どういう意味だ」

アラディスはガルドを睨んで、その影は周りを切り抜き浮かせ、周りは赤白い光が覆ってた。

「………」

こいつ自身、自分の肖像というものを、確固と持っていない人間だ。

「イタリア人だ」

「家族が異国人か」

「お前が知る必要は無い」

実際は、ダイマ・ルジクの母はアイスランド人であり、曽祖母は黒髪漆黒瞳の逸材だった。

「あんたって本当綺麗だよな。男のくせに今一人種不明」

運転中でなければどこかからかあのラジカセを連れ出してコードで首を締めたくなった。

だがアラディスは知らなかった。

ラジカセが二匹助手席に座っているという事を。

エリッサ通りを抜け、港地区へ来る。

徐々に、闇に浮く暖色が灯る豪華客船が近づいて来ていた。

巨大であり、徐々にその繊細な装飾や優雅さが鮮明に浮かび始める。船体を停める太い鎖が張られていて、そして目にも収まらない程の豪華が迫って来る。

フェラーリは流れるように停車し、ガルドはキーを抜いた。

「ご苦労ご苦労」

そう言い、出て行こうとした。

グイッと裾を引いた。

「おい。まさかクラブ島へ行く移動のために人の車を」

「うん」

助手席に鎮座するラジカセでガルドの頭をかち割ろうと振りかぶったがガルドはさっと避けて逃げて行った。

「持ち帰れ!」

ガルドは舌を出し、歩いていった。

「………」

アラディスは何ともつかずに後部座席から助手席を見て、ラジカセ二つが残されるのみとなった。捨て犬の様に、あそこまで見せられるとどこか暗い中を寂しげに見えて、アラディスはぶるぶる首を振って気をしっかり取り持った。



5.


ジェイル


 ジェイルは怪訝な顔をする横顔を穴から見つめ、息を殺し壁に手をつけた。

空間の中、旦那様が、いる。

黒のアイマスク。スレンダーな長身。それでもしっかりした芯はある。それもそうだ。宴での話では趣味が彼はフェンシングと乗馬だから。

黒い紳士服は洗練された形で優雅だ。そして白のシャツの裾が品良く覗きその革グローブの手をジャケット袷にかけ、長い脚が真っ直ぐ伸びては、そして革靴が艶を走らせている。

鋭すぎないあの端正な風雅が佇み、そして辺りを見回した。

青の瞳は、多少不安げに口許を微かに開かせては、ルゾンゲ夫人を見た。

「ここは。ミセス」

夫人の今日は、あのグラマラスな肉体を美しく引き立てる黒のシンプルドレスである。

シンプルな黒アイマスクの水色の瞳が、銀のシャンデリアに美しく光ると、彼女は中央の白いテーブルにその手を置いた。室内は天井の高いシェルホワイトの正方形で、プラチナ枠や縁、装飾がなされている。

中央に白に銀彫刻脚のテーブル。奥に黒シートに銀縁の椅子一脚。黒い衣裳の彼等がとても引き立つ。シャープに。

ルゾンゲ側からは、絵画が縦に長い飾られていた。灰色の嵐を背景に猛々しい黒馬に跨る女騎士。長い黒髪は風に乱舞し、頬は赤く、斜め前からの眼差しはどこかを見ては、風になびく大きく黒の旗を掲げている。銀の甲冑は鈍色で、そして腕の辺り、返り血を黒く浴びていた。

彼はその縦に長い大振りの絵画を見上げ、しばらくは見つめていた。

「素晴らしい。威厳があるのに寂しげで、美しい……」

「この絵画、警察署長殿の描かれたものですのよ」

「ミスターラヴァンゾの?」

「そう」

驚いてルゾンゲ夫人を見た。一方、その裏で馬の目から見ているジェイルはそれが気になっていたのだが。

アラディスは頼まれれば描くし、描きたい時に倶楽部でも描いている。

「さすがルジク一族の方だ。署長職といえ、絵画を嗜んで」

「今季のコレクションの会場にお飾りになりたいのではなくて?」

「そうだな……とても引き締まる事と思う」

ずっと絵画を見つめていて、ジェイルはずっと心臓を高鳴らせ彼の瞳を見つめつづけた。今までに無い距離で。

今季陶器コレクションは、青空が臨む硝子のドーム天井会場を使う。黒に格子金と銀ボタンダウンのエレガントな様態のコレクションだ。

両取手、脚台、蓋着きの大振りのシュガーポットが中心になっている。中央のメダリオンとなる絵画は金枠の中の緻密な船舶画で、世界中の遊覧船、豪華客船、船舶などが華麗に描かれたセット、

それや、陶器で出来た四角いボックスはサイドに金タッセルがつき、黒馬や名馬などが四角い湧くの中に描かれた物は、同じ様にケアセット容れ、モーニング衣裳容れ、化粧品・道具容れなどセットになっている。

全てスペインのとある職人の手によるものだ。

「今回のコレクションは、この女性の治める古城に全てが並べられ愛用され、彼女のためにあるかのようだ……」

ジェイルは衝撃を受け、熱く絵画を見つめる彼と、そして自己が彼に抱いていた感覚が全く同じ事に、徐々に嫉妬の心を持ち始めた。彼の見つめる黒髪の美女に。

愛するものの風雅を引き立てるためにある家具調度や道具の一点一点……。

ルゾンゲ夫人は、アイマスクの中微笑んで、ジェイルはその微笑にのされた。

「ジェイルって、可愛らしい子いらっしゃったけれどその彼よりも?」

「………。その話は辞めてくれ」

一気に彼の目が冷たくなり、彼女を見ては夫人はその目を見据え微笑んだ。

「無かった事になさりたいのね」

「事実は変わらないだけだ」

ジェイルはその場に崩れ、咄嗟にラズーが肩を支えジェイルはドンッと男をどつき顔を押さえた。

嫌われていたんだ。自分は、彼から冷たい目で見られていたのだ。蔑み、軽蔑し、侮蔑の眼差しで、貴婦人に虐げられる愚かな青年を。

ジェイルは震え顔を押さえ、このためにつけた衣裳全て地面に叩きつけようとしてラズーが手首を掴み押さえさせた。

「愛していないの?」

ルゾンゲ夫人がそう言う声がし、痛い程の空気が流れた。

「誰を。あの不浄な妻を? それを私は鑑賞したが、青年達はあれが好きでそうしていたんだろう」

「さあ……それはどうかしら。個人の心というものは、一様には分からないものですわ。ね、ディローエ様」

ルゾンゲ夫人は彼の肩に手を置きみつめ、視線を上げた。

「どうでしたの? 本当は、徐々に鑑賞するその美しさの虜になり、宴に参加し続けたのではなくって?」

「さあ。風景の一部だ」

踵を返し、ルゾンゲ夫人は彼が椅子にスッと足を組み座り、苛立たしげにシガーケースを出したものの、一度絵画を見ては、アシュトレーが無いので仕舞った。

「お買い入れなさってあげて欲しいの。命を救って差し上げるつもりで、あなた様のなさった事は重大なことなのよ。しっかり、してあげる事が筋でしょう?」

「………」

「例えば、いきなり走行中に車両を誰かが停めて、この二匹の子犬をどうか、あなたの裕福な家で飼ってあげて欲しいと言われて去られたら、まさか子犬を無下に座席からだなんて、そんなこと、出来ませんでしょう?」

ヴィローエは横目で彼女を見ては、テーブルに手腕を乗せ自己の膝を見た。

「目の前にあの青年が現れたら……、フェンシングのサーベルで突き刺すかもしれない」

「そんなに怨んで」

ガチャッ

ルゾンゲ夫人は目を回し、ジェイルはアイマスクを床に剥ぎ取り旦那様を睨んだ。

「………」

咄嗟に立ち上がったヴィローエにジェイルが突っ込んで行き、壁際で避けたその銀枠一部に深く短剣が突き刺さった。

「一緒にあんたと死ぬ」

そう震える目で間近で彼の青の目を睨み見上げ、柄を持つ手が強く震え、ヴィローエはジェイルの肩に手を当てたままその目を見ては、口を閉ざす事も出来ずにいた。

短剣は抜けずに、ラズーが頭から血を流し押さえて駆けつけては手にべっとりついた血が白の壁に乱雑な赤の線を引き、ルゾンゲ夫人は咄嗟に二人を見た。

ヴィローエの項を腕で引き寄せ抱きしめ、ヴィローエは驚き動く事も出来ずに、その内、アイマスクの中ふっと、青の瞳が閉ざされた。綺麗に。

夫人はジェイルの背を見つめては、ゆっくり歩きドアから出て行った。

ラズーを治療させる。

ヴィローエは熱く泣き続けるジェイルの背を抱き、嘘の言葉全て撤回させるために頭に頬を寄せた。自己にずっと誤魔化し言いきかせ、青年を軽蔑し、それは誤解だったと鉄格子先にうな垂れる姿など見せられないでも分かっていた。自己を護る為のものだった。強く、あの鉄仮面の中から見つめてくる熱い視線に、どんなに感情を激しく揺さぶられ続け、どんなに視線だけで、身体の奥の恍惚へといきつき、そんな邪念と戦いつづけたか。だがそれは、そこはかとない透明な愛情だったのだ。汚されるべきではない……。



ラスオ


 二時間しか経っていない物を、御曹司で運動などしなく体力もそうは無いラスオが倒れた。

「おい情けねえなあ! ボンボンが大丈夫かねえ」

そう首根っこを引き上げ、気絶して目を回しているので監督官が日陰に担ぎ連れて行った。

「まあ、今日は暑いからな」

目覚めたラスオは、今まで自己がどれだけ労働というものをして来ない人種だったのかを思い知らされる事となった。石材を一つ運ぶのに二十分掛け、そして最終的に三つしか運べずにその場に倒れた。

腕も動かずに、爪もボロボロ、擦り傷だらけ。土に塗れてしかも今日は暑い。

「これで続くやらなあ。いいか。飯一杯食ってスタミナつけて一杯寝ねえと何にもならねえぞこの仕事」

「………」

声も出ずに頷いていて、泣きそうだった。甘い蜜ばかり吸ってきたので、この状況は自分には地獄に思えた。芸術の華麗なる部分にだけ囲まれ、そして高等の様々な美術に触れ、そして褒め称え美しい言葉に囲まれ、そしてデザインをしては暮らして来た。親からは将来を笑顔で期待されては社交でパーティー。そして綺麗な女達からも微笑みを交し合い、ハイヒールの繊細な美しさや、髪を褒めたり、美貌を湛えたりして生きて来た。そうしていれば入って来るさまざまな物が自分にはあった。

だがそれは、彼等いてこそか……。ダイマ・ルジク氏のお孫さんの十二歳時の時の論文データを学校在籍中に閲覧室で見た事があった。その中で彼が言っていた。礎の者達の力の強大さを大切に思うという事だ。

まさか、ここまでキツイ仕事をこなしているなんて。ラスオはおぼろげに顔にタオルを掛けられた影から青空の下の働く彼等を見た。筋肉を奮い、そしてツルを振っては石を砕いている。

遠くには男が双眼鏡を持ち立っていて、その監視役がうんうん頷き見ていた。

あれはもう既にこの短期間でへばっている。あんなに細い腕ではそうだろうとは思っていた。

早くも他の者達がそうなったようにちょっと手を挟んだだけで入院だ、捻挫だけで入院だ、突き指だけで骨折したと大騒ぎし始めなければいいのだが。

ラスオは立ち上がり、また向って行った。一日がこれは長くなりそうで、しかもこれだと三十年働かなければ返せる額では無い……。

自分がした横領事件に泣けてきて、ラスオがわれも忘れて無我夢中で工具を振るった。

石を砕いていく時に、その間に浮かぶのは旦那様だった。

彼は苦痛を与えてくれた。上品に微笑んで。

それが浮かんだ。そうだ。苦痛を強いてきてくれた。その喜びを与えてくれた。

ラスオは気分が上々になってきて、今の働いているという体力的な限界が、あの時の蹂躙の快感に結びつき始め、幸せになってきた。

そこはかとない幸せだ。

始めは体力ある者達が口笛を吹いたり歌を歌いながら笑ってしている作業に、信じられないと思い見ていたラスオだったが、その彼等が生甲斐に感じている仕事だとかそういう物とは種類は違えど、自分もほかの教理で楽しさを見出し始め、苦痛が辛くはなくなり始めていた。

というか、旦那様が元から苦痛を与えてくれていたので、この今感じる汗を流す快感を知ることが出来た経験を、横領の罪を抜きにすれば、とても幸福な境地に立つ事が出来たのだと思う様になってきていた。

もしかしたら、アラディス氏が言っていたような物も被るのかもしれない。物事の始めを動かしはじめる者の存在も大切なら、それをする事もとても素晴らしく、実際自己でやってみるとそれが直にどんなに素晴らしいのかを実感出来る。どんなに物事の始めにとって大事な事なのかが分かって来るのだ。

実際は、午後の三時にもなると完全にラスオは張り切りすぎて極限を越えて気絶した。

「こりゃあ、完全に労働好きの手合いになりそうだなあ」

そう目を回したラスオを囲い見て誰もが顔を見合わせた。

「まあ、運び込んで目覚めたらスタミナつくものでも食べさせるぞ。一週間したら今度はこのボンボンは森林形成の現場にあたって木を植えさせるらしいからな。それでまた一週間後は戻ってきなさるんだと」

「じゃあ、二週間後は筋肉ムキムキになって帰って来るか、虫にでも刺されて顔判別できずに真っ白のフラフラになって帰ってくるかのどっちかだなあ」

男達は青空に大きく笑い、仲間になったお坊ちゃまを担ぎ上げテントの中へ運んで行った。

だがラスオの口許は体力的な極限の先の悶絶に近い気絶だったため、やはり幸せそうに笑んでいたのだった。

「こりゃ、はやくも何かいい夢でも見始めてるらしいぜ」



アラディス


 ガルドが部署に入り、デスクへと進んでいった。

「………」

いつもの無表情でその自己のデスクの上を見下ろし、「!」と驚いた。

デスクの上には、右端に首輪が嵌められた二機の銀色のラジカセが、顔をこちらに揃え置かれている。

重々しい黒い鎖が床に渦を巻く傷塗れのラジカセを両手で抱え右端顔を見た。

「キャリライちゃん!」

ーードガッ

「ダギャッ!」

横デスクに着きノートパソコンで打ち込んでいたキャリライが、鋭い横目で歯を剥き膝でガルドのケツをドキツく蹴りつけガルドはキャリちゃんと犬ちゃんもろともデスクを越えて崩れた。

いつも気取った高級紳士服のエリート野郎、キャリライの思わぬ恐ろしい蹴りに、既に鋭い目のままパソコンに打ち込んでいるのを見て、ケツを撫でながらラジカセに言った。

「見たかキャリライ。最近お前、あんなにいい子ちゃんにしてたというのに、ついにお前の身体から悪い物が出て本」

もう一つのラジカセで頭を殴打され、ガルドは気絶した。

そんなこんなで、新任フィスター・ジェーンが朝、部署に来ると男刑事三つのデスクと女刑事三つのデスクの空いたスペースにガルド警部がラジカセ二つと共に無情に転がっていたから、驚き駆けつけた。

「ガルド警部!」

抱え起こされ、ガルドは言った。

「うぐ、キャリライの糞野郎が……、俺のラジカセをブラック・ジャック代わりに、」

「え、」

フィスターは驚きガルド警部を見ては、優しくて気の弱いコーサーがそんなことするわけが無いから、ラジカセなどに首輪を撒いて自己の犬代わりにしているガルド警部に、こめかみに汗を流し、気が狂ってしまったんだわと項にトスッと手刀して落とさせた。

こればっかりは日頃の行いのせいなので、ガルドは倒れた。

 一方、アラディスが十一時の点検から帰って来ると、首を傾げ何かを見た。

「!」

キャリライがいる。

黒石書斎机の上に銀色の首輪を嵌めたキャリライが坐っていた。

進み、まさかこのキャリライ、爆弾が仕掛けてあるんじゃないだろうなと近づき見回しながら、ハイバックチェアに坐ろうと引いた。

「!!」

椅子を引くと、黒革に銀色の犬が坐って……。

アラディスはその場に立ち止まり、動けなくなっていた。どうすればいいと言うのか、奴に蹴り返しても戻って来るし、きっとどこか野に放しても二日後ぐらいしたら帰って来ているだろう。

秘書が入ってくると、完全に固まっている署長を見て首を傾げた。お盆を持ち進む。

「どうなさったんですか?」

アラディスは振り返り、また見た。

「? ラジオカセットコンポですね」

「この二匹を即刻アイアス警部に」

「?!!」

目を丸く見開き口を開け秘書はラヴァンゾ署長を見上げ、お盆を持つ手が戦慄いた。

「どうせ何度放っても戻って来る」

「な、なの、な、」

「檻の中にでもこのキャリライと犬を、」

「?!! 署長が!! 署長が!!」

秘書は大驚きしてヒールも飛ばし走って行き、鎖をつけて傷塗れのラジカセを地主一族子息キャリライ・レガント警部補と言い、署長の変わりにハイバックに置かれているラジカセを犬と言った頭がマズくなってるラヴァンゾ署長の事を伝えに精神分析医アマンダ女史へ急いで言いにいった。

「え? アッハハハ! なんなのよそれ!」

珍しく、いつでもアダルトで妖美なアマンダ女史が大笑いし、急かして来る秘書の言葉を信じなかった。

「あの冷静沈着な方がそんな事言うわけないじゃないのよ! ああ、おかしな事言う」

「本当なの、ラジカセの端に首輪を巻いて鎖で犬と信じ込んで引き釣り回したのね、既に生傷だらけなのラジカセが! しかももう一つの方なんかは自分の席に坐らせたりなんかして、ああ恐ろしかったわ! 彼、どうかしてしまったのよ!」

秘書が唇を震わせ泣き出していて、アマンダは何ともつかずに彼女を見ては、ここに残し、歩いて行った。

署長がいる方へ階段を様子を見ながら上がっていき、「!!!」と、アマンダは驚いた。

一方の鎖に繋がれたラジカセの方を階段にゴトゴトと引きずり連れて来て、もう片方を後生大事に片腕に抱えてあの高潔でミステリアスでドライで美しくて清涼として高貴で風紀を守る事を大切とする署の悪魔とも呼ばれる方、署長ラヴァンゾが降りて来ていて、アマンダは動けずにいた。

「あ、あの、署長、それは、」

「ガルド警部の犬達なんだが」

「!!!」

アマンダは階段を駆け降りていき、特殊犯罪を取り締まる、普段は本気で暇な部署の新しい主任に収まった元殺人課警部ギャング取締りチーム主任だったガルドのところへ駆け込み腕を持った。

「なな、なん、」

尋常でない普段と違うアマンダの様相をみて、ガルドは口を引きつらせ彼女を見上げた。

「が、ガルド君、おち、おち、お落ち着いて聞いてちょうだい、こういうのは、なんと言うか、本人は自己の異常さに気付いていないから、だから、下手に刺激してしまってはいけないのよ、そんなことをすれば脳への更なるダメージに至って場合に寄ればどんなこ」

「おい。何だ、一体。何言ってる」

「いいから、本人が来たら快く笑顔を顔に貼り付けてただただ受け取ればいいのよ! もしも口に出しでもした」

……タゴトガタゴトガタガガッガガッガガッガガ

「!!」

アマンダは振り返り、フィスターはこの音に何ごとかと自己の背後の入り口側を見ては、キャリライはパソコンから顔を上げた。

アラディスは部署通路を歩きながら鎖を引き上げどちらも左脇にアメフトボールの様に抱え、部署の枠に手を掛け顔を出した。

ミスターにキャリライは立ち上がり、フィスターは微笑んだ。

「ラヴァンゾ署長」

「ああ。この二ひ」

アマンダ女史が咄嗟に彼の美しい唇を手で覆い、彼に憧れを抱いているキャリライ本人がいる手前ではやはり殿方として署長の恥じを拡大化させるわけにも行かずに、咄嗟にラジカセにつく首輪と鎖を引っ張り取ってはラジカセを受け取った。

「ガルド君。紛失届でも出していたの?」

「おう。キャリライに犬じゃねえか。悪かったな」

こいつが原因かとアマンダは犬でガルドの頭を激しくかち割ろうとし、フィスターがいきなり何の異常を来したか暴挙に出始めたアマンダ女史を止めに入ってラジカセを受け取った。

「まあ、あと三十分もすればお昼ですので、気を落ち着かせて下さい。おなかはすくとお仕事に集中できずに、カリカリするのは分かりますわ」

「………、ええ、そうね。全くだわ。その通りよ」

アマンダは腕を下げ頷き続けた。

恥をかかせてきたガルドと署長を首輪を嵌めて鎖でビシバシぶっ叩きたくなったが、アマンダは頷きながら顎の汗を拭い、気を取り直した。

「チチチ、チチチ、おいで犬、キャリライ」

「!!!」

肩越しに振り向くと床に落ちたラジオ二機に署長がしゃがんで真っ白の指で誘き寄せていて、フィスターは大驚きで由緒正しいイタリア貴族ルジク一族御子息様アラディスを見た。

キャリライは大ショックを受け、ミスターにまでラジカセ呼ばわりされた事でがっくりうな垂れ、その署長はキャリライの方だけ片腕に抱き上げて頭を撫でながら自己の署長室まで戻って行った。

 その夜、キャリライはアジェ・ラパオ・ルゾンゲで不貞腐れていた。

「いつまで怒ってるいんだ? 冗談を長引かせていただけだ。真に受けるなんて」

「あなたは最近お疲れ気味だから、本気で疲労困憊しイカレてしまったのかと」

そう憮然として言い、アラディスは笑い髪を撫でてあげた。

「でも、良かったです。ミスターが最近、元気がずっと無かったので笑顔がみられて」

キャリライがそうソファー背凭れから腕と顎を外し背を伸ばすと、その背凭れに腰を掛けていたアラディスは、ソファー座面に膝立ちしたキャリライを横目で見た。

キャリライは背から腕を回し腰に頬をつけ、目を閉じた。

「いいんだ……。あなたに犬に思われるぐらいなら構わない。幸福だと思う。首輪を嵌めて、鎖で拘束して、あなただけの犬になって地面だろうが引きづられてボロボロになっても……」

キャリライの金髪を撫でてやり肩越しに、金髪から覗く瞼を見つめては言った。

「いつかはな……」

「いますぐ」

「我侭はいうな」

「僕はこうしていて幸せです」

そう言い目を閉ざし、微笑んだ。


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