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星々の揺籃  作者: 並木空
後日談
6/18

降り積もる間

 薔薇の研究院の映像図書館は、静かな空気で満たされていた。

 3分の1は、研究に勤しんでいた。

 もう、3分の1は昼寝に忙しかった。

 残りは、映像ディスクをネタに会話を交わしていた。

 共同計画・第二期は、まずまずの出だしを記録したので、映像図書館は程よく閑散としていた。


「今日は、雨が降っていますね」

 イールンは髪にふれる。

 何となく、重い感じがした。

 映像図書館内の湿度も上がっているように、体感する。

「そうだね。

 予報で、50%と言っていたから……。

 でも、夕方までにはやむと思うよ」

 二つ年上のヤナは、とても不確かなことを言い、微笑んだ。

 真珠の研究院と薔薇の研究院は本当に違う、と少女は思った。

「それに、雨に濡れない帰り道があるから、大丈夫だよ」

「珍しい現象に驚いただけです」

 少女は答えた。

「イールン、雪を見たことは?」

 ヤナが尋ねる。

 最近は『研究員』と、特につけることなく名を呼び合えるようになった。

 これは良い進歩だとイールンは思っている。

「いいえ」

 少女は首を横に振る。

 最先端をいく真珠の研究院は、薔薇の研究院のように、雪を降らせたりはしない。

 地球を再現しようという努力は、ずいぶんと前から失われてしまった。

 一日が24時間で、一年が365日で、重力が1G。

 これらを守っていれば良いと言わんばかりに、季節感は皆無だった。

 イールンが生まれ育った宇宙船も同じようなもので、少女は薔薇の研究院の情熱を目にして驚いたものだった。

 ここの空は農業区以外にも、雨を降らせるのだ。

 四季咲きではない花木が要所要所に植えられている。

 宇宙船という限られた空間の中で、高みを目指していた。

 人工が自然に敵うはずもなく、精巧な紛い物は不快感を呼び覚ますことがある。

 造られたものは、醜悪さを隠している。

 だけれど、イールンは滑稽だと思う前に、感動してしまった。

 美しいと素直に感じたのだ。

「映像ディスクの中でしか、見たことはありません」

 イールンは答えながら、恥ずかしさを感じた。

 降る雪を見たことない研究員は、自分のほかにもいる。

 むしろ、真珠の研究院では多数派だろう。

 でも、何だか、物を知らない子どもになってしまったような錯覚をするのだ。

「気に入るかどうかはわからないけど。

 僕が生まれた星では、当たり前のように降ったよ。

 雪が落ちてくると『ああ、冬が始まる』と思った」

 ヘーゼルの瞳を和ませて、ヤナは言う。

「落ちる? 降るではないんですか?」

「そう、雪が降るんだ。

 たくさん降ってくるから、落ちるって感じるんだ」

 二人は映像ディスクが並ぶ棚の間を歩く。

 ジャンルごとに分けられたディスクは、役に立つ日を待って眠っている。

「さすがに船の中では、落ちるほど雪が降らない」

 惑星出身という風変わりな経歴の研究員は笑う。

 宇宙船で生活することは、社会の常識だった。

 母なる惑星を飛び出したときからの決まりごとのようなものだった。

 けれども、時たまそのルールから逸脱する集団が現れる。

 古くは『地表主義』と呼ばれた人種だ。

「残念ですね」

「降り積もるほど降ったら、みんなの迷惑だ」

「ヤナは、雪が降り積もるのを見たいのですか?」

 少女は少年をじっと見上げた。

「それなら、体感型のディスクで十分だよ」

 頭一つ分だけ、背が高い少年は棚を示す。

 棚の区分は『R‐578WK』。

 痛覚を除いた五感で体感する映像ディスクが並ぶ棚だった。

 ジャンルを案内する樹脂のプレートがテカテカと光を受けていた。

「……そうですね」

 それだけではないような気がした。

 けれど、上手く説明ができなかったので、イールンはうなずいた。

 ヤナと出会ってから、確実に増加している事柄だった。

 自分の考えがわからなくなるのだ。

 捉えようとすると、あいまいになってしまう。

 ふわふわとした感情は、居心地が良いような悪いような。

 それすらも定義できなくなってしまう。

 友人のシユイに相談してみたが、年上の研究員は『良くあることよ』と片づけた。

 自分もぞんざいなところがあると自覚しているが、彼女はその上をいくおおらかな人物だった。

 それを再認識しただけで終わった。

 偏光する青い瞳は注視する。

 ヤナならば、答えを知っているかもしれない。

「……」

 イールンは軽く首を振った。

 彼には訊いてはいけない気がした。

 それに、まだ考察の余地がある。

 日常生活に支障が出るほど、困っているわけではない。

 もうしばらく一人で考えたほうが良いだろう。

 少女は、とりあえずの結論をはじき出した。

「イールン? 見たいディスクでも?」

「いえ。考えごとをしていました」

「リクエストがあるなら、聞くけど?

 いつも、僕が見たいディスクばかりを見ているから」

「娯楽用のディスクは、不案内です。

 ヤナが選ぶディスクは面白いので、大好きです」

 イールンは、研究資料であれば的確に選ぶ自信があった。

 研究資料には『面白い』『面白くない』はない。

 どんなに古色蒼然とした、ありふれた資料に当たってしまったとしても、それはそれで価値があるのだ。

 論文を書くとき、その末尾に付け足す参考文献は多ければ多いほど、学会はその論文を受け入れてくれる。

 数の暴力は、高い知性と道徳心を兼ね備える研究員の心の中にも存在していた。

 しかし、娯楽用のディスクには『面白い』『面白くない』があり、それが重要な要素なのだ。

「そう言われると、選び甲斐がある」

 ヤナは立ち止まる。

 『見る』だけしかできない、映像ディスクの棚だった。

 古典と呼ばれる作品が並んでいる。

 薔薇の研究院でも、省みられることが少ない棚だろう。

 床から天井まで埋めるディスクは、整然と積み重なっている。

 置き去りにされてしまったように、ディスクたちはたたずんでいる。

 まるで時が降り積もる間に、ちょうど堕ちこんでしまったようだった。

 ここだけ時間が違うような気がした。

「雪を見ようか」

 ヤナは一枚、引き抜いた。

 ディスクのケースには、雪が舞う中で手を取り合う恋人たちが微笑んでいた。

「はい」

 イールンはうなずいた。

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