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星々の揺籃  作者: 並木空
本編
4/18

第四話 珠

 共同計画・第一期が終了し、二つの研究院はより親密になった。

 二つの船は平行飛行を続け、複数のパイプで連結している。

 職員たちも、許可書なく自由に行き来できるようになった。

 人の流動は、混乱と同時に、双方にメリットを与えた。

 研究は活性化し、弁論は密度を増した。

 成果がそれにつく形で、次々と成功が発表される。

 計画の第二期は、創造から創生。

 生命体と進化樹の発展に絞られ、すでに始まっている。

 第二期計画からもれた研究員たちは、自分の研究に忙しかった。

 時には一人で、時には二人で、時にはチームで。

 共同研究は『研究機関統合監査室』の専売特許ではない。

 薔薇の研究院と真珠の研究院で、大掛かりなチームを編成することもあった。

 もちろん、研究員同士の意思と合意によって。

 それは、素晴らしいことと考えられる。


 そして、私は――。


 ◇◆◇◆◇


 薔薇の研究院と真珠の研究院を連結するパイプの一つには、ロビーが備えてあり、『踊り場』と通称を持つ。

「頑張ってください」

 イールンは言った。

 偏光青の視線の先には、金褐色の巻き毛の女性が立っていた。

 トランクを手に持っているのは、『踊り場』の先が不便だからだ。

 荷物を任意の場所に届ける機械は、薔薇では限られた地域でしか使えない。

「二年連続を狙うつもり」

 シユイは朗らかに言った。

 彼女も良い方向に変わった一人だ、とイールンは再認識する。

 かつての彼女は、排他的で、笑うということもなかった。

 いたわりと優しさを兼ね備えていたけれど、彼女のその面を知る者は少なかった、ように思える。

 今、彼女は最大限の魅了を知らしめていた。

「良いと思います」

「ライバルから宣戦布告されたのよ。

 もう少し、野心がわかない?」

 優しく微笑みながら、シユイは言う。

「これからは成果ではなく、過程に重点を置きたいと考えています。

 価値のある星作りではなく、意味のある星作りをしたいのです。

 年間功労賞を狙うのは、難しくなるでしょう」

 ルーインは言った。

「そう、頑張ってね。

 論文を楽しみにしている」

「ありがとうございます。

 先日の論文、大変参考になりました」

 イールンは丁寧に礼をする。

「あ、もう。

 そんなに深々と頭を下げるのはよくないわね。

 せっかくの髪が汚れるわよ」

「ここの床は清潔で、私の髪も毎日洗髪しています」

「確かにそうなんだけど、見てる側としては、気になるのよ」

 お節介でしょうけど、とシユイは付け足した。

「ありがとうございます」

 イールンはお辞儀をしないように、気をつける。

「あなたとは、研究だけではなく、もっとプライベートなことも話せるような間柄になりたいの。

 つまり、友だちね。

 もちろん、嫌なら断ってもいいわよ」

 明るく巻き毛の女性は言う。

「友人とは違うのですか?」

「より親密な友人になりたいの」

「……私も、なりたいです」

 おずおずとイールンは言った。

「じゃあ、私たちは今から友だちよ。

 困ったことや、辛いことが起きたら、必ず連絡ちょうだい。

 解決できなくても、相談相手には……愚痴や泣き言、聞いてあげるわ」

 シユイはイールンの手を取り、言った。

 白い手は、とてもあたたかかった。

「私も話を聞きます。

 連絡ください」

 そう言うことが礼儀なような気がして、イールンは言った。

「どこかに、遊びに行きましょう。

 そして、たくさん思い出を作るの」

「素晴らしい計画ですね」

「この別れは、別れじゃないわ。

 ちょっと、距離が開くけど、隣にいるんですもの」

「はい」

 イールンはうなずいた。

 何故か、涙があふれてきた。

「シユイ研究員の研究の成果が待ち遠しいです」

「もう、シユイでいいわよ。

 そのかわり、あなたのことイールンと呼ぶわ」

「はい」

 初めてできた『友だち』だった。

「じゃあ、またね」

「次に会うまで、さようなら」

 イールンは涙をこらえて言った。

 名残惜しそうに、けれども未来へ向かって、シユイは歩き出した。

 イールンは踊り場で立ち尽くしていた。


 ◇◆◇◆◇


 同日『踊り場』

 真珠の研究院のように、ここは白い光であふれている。


 ヤナは薔薇から真珠に向かっていた。

 そこで美しい光を見つけた。

 冬十字色から月光色まで、緩やかに変化する青。

 いつでも、どこであっても、この青だけは見誤ったりはしない。

「イールン研究員」

 ロビーのソファーに、ちょこんと腰掛けていた少女に声をかける。

「ヤナ研究員?」

 偏光する青の双眸が少年を写す。

 あまりに無垢な仕草に、ヤナの緊張感は増す。

「ちょうど良かった。

 あなたに会いにいこうと思っていたんです。

 隣良いですか?」

「はい」

 人形のように美しい少女はうなずいた。

「5日ぶりですね。

 そのー、今度また『薔薇真珠』に行きませんか?」

「安定しているので、観測に行っても数値の変化はないと考えられます」

「この写真、見てもらえますか?」

 ヤナはファイルから、大きく引き伸ばした写真を一枚出す。

「薔薇が良く咲いていますね。

 特に問題はないようです」

 少女が覗き込むと、長い黒髪がサラサラと流れる。

 絹糸のように光沢のある髪は、それだけで芸術品のようだった。

「ここです。

 新種だと思うんです」

 ヤナはどぎまぎしながら、写真を指す。

「自然が生み出した突然変異だと。

 今のところ、発見されていない形の花弁です。

 これより小型の品種であれば、このような形の花弁はあるんですけど。

 あ、これがそうです」

 ヤナはプリントアウト済みの資料をイールンに渡す。

「大型では例がないようで、植物関係の資料を読み返したんです。

 今のところ申請待ちもないみたいです」

「採取する必要がありますね。

 種として確立しているなら、申請をしましょう」

「綺麗な色の花だから、イールン研究員に最初に見せたかったんです」

「バラ科の花では標準的な色ですね」

 イールンは表情を動かさずに言った。

「ピンクは嫌いですか?」

 ヤナは慎重に尋ねる。

「色に対して、好悪を感じたことはありません」

「嫌いじゃないなら、いいです。

 この花に、あなたの名前をつけても良いですか?」

 ヤナは緊張しながら言った。

 これが今回の用件だったのだ。

「発見者はヤナ研究員です。

 あなたの名前が妥当だと考えられます」

 公平の女神の使者のごとく、彼女は平等を信じている。

「記念に」

 少年は食い下がる。

「それでヤナ研究員の気がすむのでしたら、どうぞ」

 少女は言った。

「花に名前をつけられるのは、嫌ですか?」

「手柄を横取りしたような気分です」

 ムッとした顔で、イールンは言う。

 彼女はとても真面目で、責任感が強い。

「前から決めていたんです。

 この惑星で一番初めの新種の花に、イールン研究員の名前をつけようって」

「二番目の発見には、ヤナ研究員の名前をつけましょう」

 イールンは言った。

 名案といわんばかりに、不思議な青の双眸はキラキラと輝く。

「三番目以降の名前を用意しておかないといけませんね」

 ヤナは微笑んだ。


 ◇◆◇◆◇


 真珠の研究院。

 イールンは私室で、サイレント・ソングを聴いていた。

 正確には、サイレント・ソングを音楽的に再構成した音楽ディスクだ。

 適当なところで一周するディスクは、無限にサイレント・ソングを奏でる。

 ハンドメイドのガラスケースが再生機となっていて、自鳴琴のようになっている。

 困ったように微笑みながら、ヤナ研究員がくれたのだ。

「……困らせている」

 イールンは呟いた。

 年上の研究員はとても親切で、一緒にいて不便さを感じなかった。

 気配り上手というのとは違う。

 彼は善良で、親切なのだ。

 それを困らせている自分はとんでもない悪人なのだろうか。

 負担になりたいわけではない。

 ヤナ研究員が親切にしてくれるように、自分も彼に親切になりたいのだ。

 けれど、その方法がわからない。

 音楽が思考を侵食していく。

 思い出すつもりもないのに、記憶が脳の中で再構成される。

 どの記憶にもヤナ研究員がいた。

 人生の中で、彼と一緒にいた時間はまだわずかだ。

 絶対数が少ない。

 だから、記憶はループする。

 自鳴琴のように、何度もくりかえされる。



 そんな気持ちのまま、イールンは調査日を迎えた。

 惑星の地表から見た空は、見事な快晴。

 美しい青が広がっていた。

 星の海を漂う人々が最も好む色の空だった。

 二人は整理された道を歩く。

 観光惑星として定着しつつあるため、あるのは薔薇とそれを縫うようにある地表の道だけだ。

 研究院と一部の船以外は、大気圏内で飛ぶことを禁止している。

 環境保全のためだった。

 だから、二人の研究員もできるだけ自力で歩いた。

「この惑星に、もう別名があるんですよ」

 ヤナは微笑みながら説明する。

 彼はいつもにこやかで、彼の説明を聞くのが好きだった。

「恋人たちの惑星と言うんです。

 デートや新婚旅行に最適だと、PRされていました。

 何だか、恥ずかしいですね」

「どうしてですか?

 この惑星の価値が高いから『上』も、宣伝に力を入れているのでしょう。

 誇りに思うべきです」

 イールンは言った。

「気恥ずかしいんです。

 照れくさいと言うか……。

 恋人という言い回しが、何だか。

 惑星という価値は低いかもしれませんが、植物園としては価値があると思ってるんです。

 宇宙で一番バラ科の植物があります」

 年上の研究員は誇らしげに言う。

 この惑星をとても大切にしていることが、よくわかる。

「はい」

 少女はうなずいた。

「この惑星が真珠の形をしているというのも、いいところだと思っています。

 大きな記念碑みたいですよね」

「共同計画の記念碑ですか?」

「もっとスケールが小さい感じで。

 交流の始まりの記念碑です」

 ヤナは恥ずかしそうに言った。

 穏やかに起伏する感情は、とても居心地が良かった。

 彼の笑顔も、声も、話し方も、イールンは好きだった。

 イールンは無心に見上げる。

「あ、この花です。

 これが記念すべき、新種第一号です」

 少年は指し示す。

 イールンの胸の高さ辺りで、花は咲いていた。

 たっぷりとした花弁と標準的な色合いの薔薇。

「棘が少ない代わりに、香りが薄いですね」

 イールンは観察する。

 すでに採取は機械が代行している。

 自生しているところを肉眼で観察するために、ここまで来たのだ。

 研究的には無駄足に近い。

 かつての自分なら、しないであろう行動。

 自分も良い方向へ変わっていっているのだろうか。

「?

 なんですか?」

 視線を感じて、イールンは顔を上げた。

「その。

 ……まるで精霊みたいだと思ったんです。

 神話や伝説に出てくる花の精霊のようだ、と。

 花を咲かせるために、一生懸命に世話をする」

 ヤナは目を逸らし、言った。

 その頬が赤いのはどうしてだろう。

 急に熱でも上がったのだろうか。

「遠からず、と言うところですね。

 私たちはこの惑星を管理しています。

 この惑星から見れば、私たち二人は精霊のようなものかもしれません。

 残念なことに、惑星には思念はありません」

 イールンは言った。

「きっとこの惑星は、あなたに感謝をしています。

 この惑星は、あなたにとても優しい」

 ヤナは微笑み、空を仰ぐ。

 柔らかな風が薔薇の芳香と花弁をのせ、空へと舞い上がる。


 『シンパシー』


 今、惑星の数値が知りたい、とイールンは強く思った。

 安定が崩れているだろう。

 誤差の範囲で、数値は音楽を奏でている。

 精霊は、彼のことだ。

「違います。

 この惑星が優しいのではありません。

 あなたが私に優しいのです。

 惑星は思念を持ちません。

 けれど植物は、好悪を持ちます。

 この惑星の植物は、あなたに共鳴しています」

 イールンは途惑いながら言った。

「え?」

 ヤナは困惑を浮かべる。

「数値に変動があります。

 船に戻ったら、確認したほうがいいですね」

 イールンは言った。

「そんなこともあるんですか?」

「私も初めての経験です」



 数値は誤差の範囲で揺らいでいた。

「誤差と言えば、誤差のような」

 ヤナは数値を見て言う。

「地表へ降りたときだけ、誤差が出ています。

 過去のデータです」

 『薔薇真珠』が誕生したばかりの頃のデータを呼び出す。

「……実感がわきません」

「私もです」

 二人は視線を交わす。

「…………植物に僕の心がわかってしまったら、大変です」

 ヤナは困ったように笑う。

 少女はうつむいた。

 イールンにとっては、新しい発見で、心が躍っている。

 けれど、ヤナは違う。

 その違いが、……悲しかった。

「隠し事ができなくなってしまいます」

 少年は言った。

「ヤナ研究員は、隠し事があるのですか?」

「あまり得意ではないので、少しだけ」

 でも、もうやめます、とヤナは微笑んだ。

 

 

 その夜。

 イールンは泣きながら、友だちに電話した。

「どうしたの、イールン」

 ホログラフィの中のシユイは優しく微笑む。

「涙が止まらなくなったから」

 イールンは訴えた。

「嫌なことでもあったの?」

 友だちの声はホログラフィを通しても変わらない。

「自分自身が嫌になりました。

 どうして親切にできないんでしょうか?」

「誰に親切をしたくなったの?」

「ヤナ研究員に」

 少女はハンカチで涙をぬぐう。

 もう3枚目のハンカチだ。

「そう」

「彼はとても親切なのに、私は彼を困らせてばかりいます」

 イールンは言った。

 この間もそうで、今日もそうだった。

「別に、かまわないんじゃない」

「そんなことは」

 イールンは首を横に振る。

「今までどおりではダメなのね」

「はい」

「ヤナ研究員はあなたに親切を期待して、親切をしてるんじゃないと思うんだけど」

「はい」

「もしかして、あなたヤナ研究員のことが好きなんじゃない。

 つまり、恋している。

 自信がないんだけど……」

 シユイは途惑いながら言った。

 『恋』

 すっと、その言葉はイールンの胸に落ち着く。

 今までの自分の行動と、感情の変化を考え、結論を導き出す。

「理解できました。

 ありがとうございます」

 イールンは泣き止み、丁寧にお辞儀をした。

「あー、だから。

 そんなに頭を下げると、髪が!

 ……汚れるわよ」

 シユイはためいき混じりに言った。

「気をつけます」

 イールンは小さく微笑んだ。


 ◇◆◇◆◇


 数日後。

 ローザ・ハイブリットの一種『イーリニア』が正式に誕生する。

 柔らかなピンクの花弁には、小さな切れ込みがあり、ハイブリットでは初めての型になる。

 芳香は少なく、とげも多くないことから、贈答用に期待された。

 発見者が植物学者ではなく、科学者であったことから話題になる。

 研究院の中ではささやかな部類の発見だったので、ここでは大きな話題になっていない。


 ヤナはイーリニアの花束を抱えて『踊り場』へ向かう。

 ソファーでは歓談する者も少なくなかった。

 新しいくつろぎのスペースとして、『踊り場』は認識され始めたようだった。

 所在なげにイールンは立ち尽くしていた。

「これをあなたに」

 挨拶そこそこに、ヤナは言った。

 『薔薇真珠』の最初の新種が持ち運べるもので良かった、とヤナは思う。

「ありがとうございます」

 イールンは会釈する。

 約束は取り付けたものの、用件は言ってなかった。

 だから、小柄な少女は不思議そうにヤナを見上げる。

「ずっと前から、あなたが好きです。

 僕の恋人になってください」

 勇気を総動員して、少年は言った。

 不思議な双眸が瞬く。

「はい。

 これからもよろしくお願いします」

 イールンは丁寧にお辞儀をした。

「ほ、本当ですか?」

 あまりに呆気ない返事に、ヤナは訊き返してしまう。

 まさか、受けてもらえるとは思っていなかったのだ。

 交際を申し込んだ側だというのに、ヤナは驚いた。

「この前、言ったこと撤回します。

 色に対して、好悪がないと言いました。

 でも、私もピンクが好きになりました」

 イールンはかすかに笑む。

 ヤナにとっては十分な答えだった。


 そして、この一件は大きな話題となった。

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